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跡見女子大とジャルパック、立野ダムインフラツアー造成のため熊本県南阿蘇村を視察
平成28年熊本地震の爪痕も残る南阿蘇地域を巡る
2018年6月22日 00:00
- 2018年6月8日~10日 実施
跡見女子大(跡見学園女子大学)観光コミュニティ学部 観光デザイン学科 篠原ゼミと、ジャルパック、国土交通省が、熊本県南阿蘇村に建設中の「立野ダム」を活用し、南阿蘇村の観光復興に取り組む「南阿蘇観光未来プロジェクト」。その現地での企画会議の内容は別記事「跡見女子大とジャルパックが企画する立野ダムのインフラツアー。熊本県南阿蘇村で国交省や地元関係者らと企画会議」でお伝えしたとおりだが、ゼミの女子大生らは、実際に現地の観光資源なども視察している。本稿では、その視察で訪れた場所を紹介していきたい。本体工事に着手した立野ダムや南阿蘇の自然を望めるスポットのほか、震災の爪痕が色濃く残る場所など、さまざまな視点で観光素材の候補を探すことになる。
今回のプロジェクトで中心的な存在となるのが「立野ダム」だ。阿蘇地域を流れる黒川と白川が合流した先の白川に建設される、「治水」を目的としたダムとなる。白川の下流部は熊本市街地を含むが、そのエリアは阿蘇地域よりも標高が低く、洪水が発生すると市街地の被害も大きくなる。上流域に立野ダムを建設することで、この被害を防ぐのが目的となる。治水目的のダムであるため、通常時は水をせき止めない「穴あきダム」となり、いざ大雨に見舞われた際には水をせき止め、下流域へのピーク流量を低減する役割を持つ。
立野ダムは1969年に予備調査がはじまり、1983年に建設に着手。2018年についに本体工事がはじまった。2018年4月25日には、建設現場の西側に設置された展望所に、「マイダムカード」を作れるフォトフレームを設置した。
「ダムカード」とは、ダムへの理解を深めるために2007年から全国のダムで配布を始めたもので、立野ダムでも本体工事に着手したことで配布を開始。現在は運休している区間である南阿蘇鉄道 立野駅前にあるニコニコ屋で配布している。
立野ダムのダムカードは、カード左上のダム名称に「立野ダム(建設中)」、右上の目的に「F(洪水調整:Flood Controlの意)」、写真右下のダム形式に「G(重力式コンクリートダム:Gravity concrete damの意)」と記載され、建設後のイメージパースが描かれている。
ダム形式について補足すると、重力式コンクリートダムはコンクリートの重さで水の圧力に耐えるダムのなかでもシンプルな形式。立野ダムは、その形式のなかでも、わずかに弧を描く「曲線重力式コンクリートダム」となり、水の圧力を左右の山へも逃がす重力式アーチダムのような設計も取り入れている。
展望所に設置されたマイダムカードのフォトフレームは、南阿蘇鉄道 立野橋梁とダムサイトを背景に撮影が可能。天気がよければ、烏帽子岳や御竈門(おかまど)山も写る。工事中の現場は日々様子が変わるので、「そのとき」だけのダムカードとなるはずだ。ただ、ダムができていない現状では、フォトフレームに正対して撮影すると山肌しか写らないので、冒頭で載せた写真のように、やや上から見下ろすように撮影するのがよさそうだった。
このマイダムカードのフォトフレームは先述のとおり4月25日に設置したものだが、休日には100名を超える人が訪れているとのことで、すでに観光スポットとして話題になりはじめている。
ちなみに、ここで見える立野橋梁も見どころの一つ。1924年に竣工した立野橋梁は、全国的にも珍しくなった鋼製の橋脚(トレッスル)に橋桁を乗せる鋼製トレッスル橋で、九州ではここでしか見られない形式となっている。同形式の鉄道橋としては兵庫県に存在した余部橋梁が知られるが、余部橋梁の使用が終了したことで、立野橋梁が鉄道用のトレッスル橋として日本最長(136.8m)の地位にある。また、鋼材には八幡製鉄所の文字も刻印されているとのことで、九州産の鉄を使った九州の橋という点でも価値が見出されている。
とはいえ、この立野橋梁は南阿蘇鉄道の運休区間にあり、現在は使われていない状態。企画会議のレポートでもお伝えしたように、跡見女子大の学生から、運休期間中に展望所よりも近い位置でダムサイトを見学できるよう、この立野橋梁に立ち入れるようにしてはどうかとの提案が出されている。
続いて見学したのは掘削が始まったリムトンネル。リムトンネルとはダムの基礎工事に使われるもので、工事初期を象徴する見学スポットだ。ダムを建設する際、地盤の強度を高めたり、ダムに貯めた水が周囲に浸食しないようにしたりする目的で、岩盤の隙間などにセメントミルクを流し込むグラウチングと呼ばれる作業が行なわれる。その作業を行なうために、ダム建設現場両岸の斜面に掘られるのがリムトンネルである。
昔ながらの発破とずり出しによる工法で掘削されており、1日に4回の発破を行なっているという。トンネルの入り口にはそのための重機などが置かれている。このトンネルからボーリングし、セメントミルクを注入していくことになる。
ちなみに、視察時は作業が行なわれておらず、トンネル内に立ち入って見学をさせてもらったが、作業をしているときには現場に入れないこともある。
また、リムトンネルという専門的な存在を、ツアー参加者に観光の視点でどのように分かりやすく伝えるかといった課題が挙がっていた。立野ダム工事事務所の鵜木所長は「トンネルの下は立野溶岩、上側は比較的新しい赤瀬溶岩という年代の違う溶岩を観察できる場所でもある」と紹介すると、篠原准教授からは「例えば溶岩の現物を持って説明するとよいのでは」といった提案も出ていた。
次に、ダムの建設予定地の上流側にある橋へ向かった。ここからはダム建設現場のほか、周囲に広がる柱状節理を見ることができる。
柱状節理とは、火山活動によって溶けたマグマが固まる際の収縮によって生まれる柱状の割れ目のこと。この立野峡谷一帯は、世界ジオパークに登録されている阿蘇ジオパークの「立野峡谷ジオサイト」の一部でもあり、立野ダムの上流側至近の場所にも、立野溶岩による広大な柱状節理を見ることができる。
この柱状節理の存在は立野ダムというインフラと、阿蘇ジオパークとを組み合わせたインフラツアーの大きな目玉になる。先述のとおり立野ダムは、普段は水を貯めない穴あきダムとなるので、完成後もこの柱状節理を見ることが可能なのもポイントだ。
阿蘇ジオパークガイド協会 会長の児玉史郎氏は、以前は人が立ち入れないほど険しい渓谷であった立野峡谷は、明治時代以降の馬車道にはじまるインフラ整備によって柱状節理などの存在が明らかになったことを説明。ここ立野ダム近傍の柱状節理についても、「一部分は見えていたが、地震が起きたり、ダム工事が進んだりしたことで、明らかになった。工事現場に来るまで立野溶岩がどこまで広がっているかは分からなかった」と話すなど、インフラ整備とジオサイトの関わりを語っている。
今回の視察はあいにくの天気で白川も増水気味だったが、普段はもう少し水が少ないという。左岸側には作業用通路ができており、右岸側にも通路整備が進められるので、近くから迫力ある柱状節理を見学できるようになる見込みだ。
さて、先に掲載した写真の左下に写っているトンネルは、仮排水路トンネルと呼ばれるものとなる。ダムを建設する際に、川に水が流れている状態では作業ができないため、川の流れを切り替えるために転流工という設備を仮設するが、それを構成する中心的な要素となる。
立野ダムの仮排水路トンネルは約500mで、直径約9.5mの大きさ。道路で使われるトンネルとは異なり、水が流れやすいように卵形の断面図になっているのが特徴だ。熊本地震時は建設中だったが、上流側の型枠が崩れて埋まってしまうという事態にも見舞われた。
現在は貫通しており、2018年秋を目標に切り替える。流れが切り替わると立ち入りが難しくなるほか、ダム完成後は川の流れを元に戻し、トンネルは閉じてしまう。その意味では期間限定のインフラ観光資源でもある。今回の視察ではトンネル内に立ち入ることもできたが、2018年秋を予定するモニターツアー以降、どのように見学できるかは検討課題となる。
平成28年熊本地震を発生させた布田川断層を見る
平成28年熊本地震は布田川(ふたがわ)・日奈久(ひなぐ)断層帯の活動によって発生したとされており、そのうち4月16日1時25分に発生したマグニチュード7.3の本震の原因となったのが、いわゆる布田川断層帯(布田川・日奈久断層帯の布田川区間)となる。南阿蘇村周辺のエリアでは、地震によって現われた断層を震災遺構として残す動きがはじまっている。立野ダム建設予定地の周辺でも、布田川断層が目に見える形で現われている箇所がある。
一つは白川沿岸。立野ダム建設予定地からやや上流の場所で、その場所へ向かうための通路が仮設されている。ここでは斜面からせり出すように現われた断層を見ることができる。
具体的には、地震前から地表に出ていた部分には苔が生えており、地震によって現われた部分は苔が生えていないという状態で、その長さが断層のずれということになる。時間が経てば、同じように苔が生えて区別が付かなくなる可能性もあり、ここも「いまだけ」の観光資源になるのかもしれない。
また、近くの県道でも断層によって地割れが発生した箇所がある。ここは震災遺構として残す計画で、お伝えした企画会議でも触れたとおり、国交省と阿蘇ジオパーク推進協議会が共同で、布田川断層の説明看板を設置。視察ツアー中に除幕式が行なわれた。
ここでは大きな地割れが発生しており、学生は足の大きさで地割れの大きさを確認。本来はつながっている中央線のずれも、その活動規模の大きさを物語っている。
説明看板は、布田川断層の説明が書かれており、除幕式であいさつした国交省 立野ダム工事事務所の鵜木所長は「立野峡谷は阿蘇カルデラの成り立ちを知るうえでも大事な場所。噴出年代が異なる溶岩、柱状節理、熊本地震で地表部に現われた断層などを見られる。これらを観光や防災学習に活かしたいと思っている。除幕する看板は、阿蘇ジオパーク推進協議会と協力し、見学に来られた方に分かりやすく説明したいと看板を作成した」と設置の趣旨を述べた。
南阿蘇鉄道の運休区間にある犀角山トンネルと第一白川橋梁
引き続き、震災の傷跡を視察する。次に訪れたのは、南阿蘇鉄道の犀角山トンネルと第一白川橋梁だ。
南阿蘇鉄道は、立野駅~高森駅間の延長17.7kmのうち、現在は中松駅~高森駅間の7.2kmのみで運行。立野駅~中松駅間の10.5kmは運休となっている。先に紹介した立野橋梁もその運休区間であることは説明した。その立野橋梁から1kmほど高森駅側へ向かった先にあるのが犀角山トンネルと第一白川橋梁だ。いずれも熊本地震で大きな被害を受けている。
犀角山トンネルは、地震の影響で内部の壁にひび割れや剥落が発生。斜面の崩落や断層のずれも発生しており、補修ではなくトンネルを撤去する方針となった。トンネル上部の土(つまり山)を除去してしまう方法で、2018年度内の作業終了を計画しているという。
第一白川橋梁は1927年に架けられた国鉄最初の鋼製アーチ橋。水面からレール面までの高さが約62mと瀬戸大橋以上の高さ。同じ九州の宮崎県にある高千穂鉄道 高千穂橋梁には劣るものの、日本有数の高さを誇る橋だ。また、両側から建設していく張り出し工法を採用した日本初の橋梁でもある。周囲の北向き山原生林のなかに、赤いアーチ橋が美しく浮かび上がる。
そんな第一白川橋梁も地震の影響で変形。こちらも撤去して、同じようなアーチ橋を架け替える予定になっている。
今回の視察ツアーでは、安全対策が取られていないということを前提に、特別に第一白川橋梁を徒歩で渡る体験をした。足下の網からは日本有数の高さを体感でき、緑に包まれた渓谷を上からのぞき込むこともできる得がたい体験だ。
これだけの特別な体験だけに、当然のようにツアーへの組み込み候補になっていたが、犀角山トンネルの工事も本格化し、秋には橋梁の取り壊し作業が始まることから継続的なツアー行程への組み込みは難しいとのこと。2018年秋のモニターツアーではもしかしたら……といった状況だ。
開通した阿蘇長陽大橋と、建設が進む新・阿蘇大橋
次に向かったのは、阿蘇東急ゴルフクラブ。崩落した阿蘇大橋の近くにあり、アクセス道路である国道325号の閉鎖区間にあるため、通常は立ち入ることができず、駐車場やクラブハウスも現在修復が進められている。再開は7月21日を予定しており、予約受付を再開。当面はハーフの9ホールでの営業となる。
ここのクラブハウスの裏手に展望台が設けられており、旧・阿蘇大橋の跡地や、新しい阿蘇大橋の建設現場、いち早く復旧した阿蘇長陽大橋を望むことができる。震災から立ち直る様子を見られるという意味では希望を感じられる場所だ。
まず阿蘇長陽大橋だが、阿蘇大橋の下流側にあり、国道325号の栃の木交差点と国道57号の立野交差点を結ぶ村道に架かる橋で、橋台の沈下や斜面の崩落などはあったものの、橋自体には亀裂などの損傷がなく、国交省への権限代行により応急復旧を行ない、2017年8月27日に開通した。
阿蘇長陽大橋は沈下した橋台を復旧する際に5径間連続鉄筋コンクリートラーメン橋とすることで、震災などで沈下しにくい形式としたほか、斜面崩落の影響を受けにくいよう道路線形を見直し。内部にはコンクリートを充填しない中空断面だったところにコンクリートを充填して充実断面にするといった変更を加え、より地震に強い構造にしている。さらに、センサーを埋め込み、橋の揺れ方を数値として計測できるようにもしたという。
一方、多くの報道でも伝えられたとおり、大きな被害を受けたのが国道325号の阿蘇大橋。こちらはアーチ橋が完全に崩落し、やや下流側に新たな阿蘇大橋を架け替えることになった。
架け替え後の阿蘇大橋は、阿蘇長陽大橋と同じPCラーメン橋で、3径間、約345mの橋となる。また、立野側に延長180mのアプローチ橋が接続される。
このアプローチ橋は、熊本地震の本震の原因となった布田川断層をまたぐことから、別の工夫が加えられる。断層と交差する65mの区間は、上部構造と下部構造に分けた鋼単純箱桁橋を採用。地震発生時には、上部構造と下部構造の間に設置する支承部が先行損傷するようにし、通常の橋よりも広くした下部構造の沓座(くつざ)で受け止めることで、橋の崩落という最悪の事態を避ける設計となる。
地獄温泉 清風荘で震災と豪雨被害の現実を「見て」「聞いて」「実感」
企画会議のレポートでも触れた地獄温泉の清風荘。もっとも古い巻物の記録では、江戸末期の1805年に操業開始した老舗旅館だ。平成28年熊本地震以上に、この地に深刻な被害をもたらしたのが、地震の2カ月後に発生した集中豪雨と、それに伴う土砂災害。清風荘 代表取締役社長の河津誠氏は「4月16日の地震で営業できない状態ではあったが建物はあった。水道管を掘り起こして修理していたら、6月の大雨で南側の斜面が崩落して濁流が流れ込んだ。地震で緩んでいたからだろう」と話すとおり、濁流が流れ込んで、別館は解体せざるを得なくなったほか、本館へも土砂が流れ込んで営業はまったくできなくなった。
さらに、ここへつながる道路も地震の影響で崩落しており、アクセスも不自由な状況。アクセス道路は復旧が進められているが、清風荘の復旧はまったくといってよいほど進んでいない。
ここでは、土砂の受け手がいない理由や、清風荘が建てられた際に土砂災害を予想していたのではないかと思われる設計だったことなど、河津社長の口から震災と土砂災害の現実を聞くことができる。「2年も毎日折れ続けるのは不可能。自分で気持ちを立て直すし、そこを埋めてくださる出会いもある。解体ができる状況に持っていって、気持ちを支えてくださったのがボランティアの皆さん。そういう方々も、(営業再開したら)泊まりに来るよとおっしゃってくださる」といった言葉など、実際に被害に遭った場所での話だけに心を打たれるものがある。
一方で、河津社長を含む3兄弟は営業再開を諦めておらず、復旧に向けてさまざまな計画を立てている。復旧にあたっては古い設計を残しつつ、使うべきところにはコンクリートなどの新しいものを入れることや、一度離れてしまった従業員を連れ戻すわけにもいかないので少人数で運営できるようなコンパクトな設計にしたいという。
また、以前は40室強だった客室は15室とし、単価を上げるための施策を打っていく方針だ。河津社長は「2年間さんざん考える時間があったので頭に絵はある」と話す。そのポイントとなるのは、「予約がとれない状況にしたい。15室に絞って、うちからあふれるという状況を作りたい」という点で、周囲の旅館やレストランなども一緒になって単価アップのベネフィットを享受していくことを重要視している。
なかでも特に意識しているのは、欧米豪からのインバウンド客。英語圏のガイドブックには九州が載っていないというのは九州の観光関連に従事する人がよく口にする課題だが、そこを克服したいという。「われわれの“ジゴク”はインパクトがあるよい名前。それを入り口にしたい」とし、英語ガイドの育成なども行なっていきたいとしている。
そうした、復旧に向けてどんどんと計画を練る河津社長の希望になっているのが、いまもわき続ける「すずめの湯」。源泉が湧く“ピチピチ”という音がスズメの鳴き声のように聞こえることから名付けられた。泥湯のこの温泉にはいろいろな効能があるというが、「ここは心の病も治す。東京から2時間半ぐらいで来られる。東京で仕事に疲れた方が『地獄に行こう』といって訪れていただければ。私たちは『あなたは地獄の底を踏んだので、あとは上がるだけ』といって送り出す」とは河津社長の言。
旅館の営業再開前に、まずはすずめの湯に入れるよう整備を行ない、ツアーを造成する計画を立てている、現在は屋根も外して露天の状態になっているが、全天候型とするためにガラスの天井を張り、外国人でも入れるよう水着着用の温泉とする予定だという。ツアーでは、温泉訪問客のために道路復旧のトラックの往来に支障があっては本末転倒なため、離れた場所から歩いて訪れてもらい、温泉と食事を楽しんでもらえるようにしたいとしている。
一方、跡見女子大の学生による観光資源の提案でも、河津3兄弟が復旧に取り組む清風荘はぜひツアーに組み入れたいとしている。先述のような河津社長の語り部を聞けるのも、この地の重要性を高めている。
ただ、河津社長は「アクセス道路は2019年4月に復旧予定で、旅館はそこから半年後の2019年秋には営業を再開したい」とのことで、2018年秋のモニターツアー、2019年春以降に目指す継続的なツアーのそれぞれで、どのような受け入れができるかは視察時点で明確な答えは出ていない。
ちなみに、欧米豪のインバウンドに対しては2019年のワールドカップや2020年の東京オリンピック・パラリンピックといった多くの外国人旅行者が日本を訪れる契機もあるが、「まずは立ち上がって、お客さまを迎えるのが目標。一晩で壊される経験をすると分かるが、そういう棚ぼたは期待しても意味がない。今はできることをやっていく」と話した。
南阿蘇村、阿蘇山といえばココ! なスポット
さて、今回訪れた観光スポットのなかから、南阿蘇村の観光スポットを巡るうえで、外せないスポットを2つ紹介しておく。1つは「道の駅 あそ望の郷くぎの」。道の駅の施設として、地元の産品やお食事処があるほか、展望デッキからは阿蘇五岳と言われる、烏帽子岳、中岳、高岳、根子岳、杵島岳のうち、杵島岳を除く4座を望める。
観光案内所も併設されており、南阿蘇観光の拠点として欠かせないスポットとなっている。
また、南阿蘇村といえば……な観光スポットの代表が「白川水源」。湧き水が多い南阿蘇でも代表的な存在で、池の底から勢いよく湧き出す水の動きは必見。水の透明度が高く、写真や動画で見る以上の深さも必見だ。
そして、南阿蘇村からは少し離れて阿蘇市にはなるが、草千里ヶ浜も阿蘇観光では外せないスポット。火口跡に広がる草原は、「草千里ジオサイト」として阿蘇ジオパークの構成要素の1つになっている。自然に生まれた池の風景でおなじみだ。
ここからは真正面に烏帽子岳を望めるほか、少し左を向けた、火口から噴煙が上がる中岳の様子を見ることもできる。近くの阿蘇火山博物館を訪れるのもお勧めだ。
南阿蘇鉄道の高森駅~中松駅間をトロッコ列車で楽しむ
最後に紹介する視察先は南阿蘇鉄道だ。南阿蘇鉄道は熊本地震で大きな被害を受け、約3カ月後の2016年7月31日に中松駅~高森駅間の7.2kmで運行を再開したものの、残る区間については依然として運休したまま。運休区間の一部の様子は先述したとおりである。
一方で、3月から11月の土・日・祝日に運行するトロッコ列車「ゆうすげ号」に加え、2017年4月からは117名の漫画家によるイラストが描かれたラッピング列車「がんばれクマモト! マンガよせがきトレイン」も運行。移動のための手段ではなく、列車に乗ることそのものを観光として楽しめる観光資源になっている。
よせがきトレインは普通列車扱いで、高森~中松間を片道290円(子供150円)で乗れる。トロッコ列車は片道790円(子供450円)、往復1380円(同800円)。土・日・祝日は1日2往復ずつ運行。企画会議のレポートでも触れたとおり南阿蘇鉄道は現在5名の従業員で営業しており、高森駅以外は無人駅。駐車場も広いことから、高森駅を発着地として往復で利用するのが便利なようだ。ちなみに、観光客の利用者が中心で、地元の足としての利用者は回復していないという。
その高森駅では南阿蘇鉄道グッズのほか、くまモングッズなども販売している。阿蘇の銘酒として知られる山村酒造の「れいざん」も、乗車券をモチーフにした“復興ゆき”デザインが販売されている。阿蘇の風を感じながらトロッコ列車で一献傾けるのもよさそうだ。
また、駅舎内にはマンガよせがきトレインの原画も飾られている。マンガよせがきトレインは現状、2018年11月30日までの運行が決まっており、平日は1日1往復、土・日・祝日は1日2往復。ピンク色ベースの車両と青色ベースの車両の2種類が走っている。
さて、今回乗車したのは、観光列車として運行しているトロッコ列車「ゆうすげ号」。高森駅から中松駅までの片道に乗車した。国鉄時代の貨車を改造した客車をディーゼル機関車が牽引する列車だ。出発前には2軸の客車に使われている板バネや、客室の換気扇に入ったJNRロゴなど、列車としての見どころもガイドさんが紹介。
走行中もガイドさんが同乗し、沿線の見どころを逐次紹介してくれる。例えば、高森駅出発後の次の駅である見晴台駅。こちらは第3セクター化してから最初にできた駅で、近年はキリンの午後の紅茶のテレビCMのロケ地として話題になった。上白石萌歌さんが出演する映像を覚えている人もいるだろう。午後の紅茶だけを揃える自動販売機も設置されている。
その後も南阿蘇白川水源駅、阿蘇白川駅、中松駅へと列車は走るが、沿線に見える阿蘇の山の名前、「明神池名水公園」などのスポットの紹介があった。また駅ごとに個性もあり、南阿蘇白川水源駅では「たっぷり赤牛 牛めし弁当」の立ち売りや、阿蘇白川駅ではカフェのおばあさんのお出迎えなど、地元の人との触れ合いも楽しめる。
このトロッコ列車「ゆうすげ号」は片道20分ほどの時間で、その見どころの多さに片道の乗車ではもったいないぐらいの充実した時間を過ごせた。企画会議では「きめ細やかさ」に対する指摘もあり、同社もそれは認識している様子。一方で、もともと15名以上でトロッコの貸し切りなども受け付けており、ツアー受け入れ自体のハードルは低そうでもある。跡見女子大生のプレゼンでは「おとぎの列車」と形容され、トロッコ列車で地元のグルメを楽しむ「阿蘇まんぷく列車」や、女子大生の1日駅長やガイドなどの提案もあったが、ツアーへの組み込みに向けて、さまざまな演出が練られることになりそうだ。
以上のように、跡見女子大とジャルパックのツアー企画に向けた視察に同行した様子をお伝えした。本体工事に着手した立野ダムはもちろん、建設が進む阿蘇大橋や、復興が進む各地は、それぞれの完成に向けて毎日姿を変え、訪れたそのときだけの一瞬の姿を見ることができそうだ。これに南阿蘇村の観光資源、女子大生の視点、ジャルパックのプロの意見などが味付けされてツアーが作られていく。当面の目標である2018年下半期に販売するモニターツアー実施に向け、今後も現地での意見交換を含めた取り組みが行なわれることになる。