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跡見女子大生の八ッ場ダムのコンシェルジュが解説に。インフラ観光「やんばツアーズ」を体験
インフラツーリズム“日本一”を目指す長野原町と跡見学園女子大学の取り組み
2017年7月19日 00:00
- 2017年7月16日 報道公開
国土交通省 関東地方整備局 八ッ場(やんば)ダム工事事務所が2017年4月にスタートした「やんばツアーズ」は、「日本一を目指すインフラツーリズム」を合言葉に、群馬県吾妻郡在住の女性による日本初のダムと地域観光の案内役“やんばコンシェルジュ”を育成し、難しいダム観光を楽しく分かりやすく案内する仕組みを整備。ツアーの受け入れを開始した4月、1カ月間の国交省マイクロバスでの一般見学者数が対前年比400%を記録した。
今後もダムを訪問する観光客がさらに増加すると想定され、群馬県長野原町が取り組む浅間山北麓ジオパークの観光推進と「やんばツアーズ」の旅客とを「ジオパーク観光」として連携させることで、さらなる地域活性化の仕組みを地元住民と学生が共同で研究する「長野原町に新しい芽を出そうプロジェクト」が7月16日にスタートした。
このプロジェクトは、相互協力に関する包括協定を締結している跡見学園女子大学と長野原町が稼働させるもので、ダム水没により移転した川原湯温泉の住民たちと東京で観光を学ぶ女子大生が参加する。そのキックオフとなる決起集会に合わせ、報道関係者向けに視察取材ツアーが行なわれた。
今しか見られない景観多数の、やんばツアーズを体験
視察ツアーではまず、集合場所となっていた「なるほど! やんば資料館」で、女子大生たちが現役“やんばコンシェルジュ”として活躍している先輩コンシェルジュの実演を見学。
その後は、水没予定の「旧川原湯温泉」「新川原湯温泉」といったやんばツアーズの体験コースを専用バスで巡り、一般団体向けツアー「やんばコンシェルジュご案内ツアー」のコンテンツであるダム工事現場を見下ろす高台での解説や、長野原町に隣接する東吾妻町の「吾妻峡」からの解説、吾妻渓谷の最西部であるダム工事現場見学などが行なわれる。
なるほど! やんば資料館に続いて訪れたのは、ダム建設により水没する川原湯エリア。この場所は約800年前に源頼朝が発見し入浴したと伝えられる古くから栄えていた温泉街だったが、この集落は温泉街はもちろん、民家も神社も墓地も駅舎もすべて湖面より下となってしまうことから、新しく開発された高台への移転を進めているところである。
案内は川原湯温泉協会会長の樋田省三氏と、跡見学園女子大学とともに「川原湯温泉ブランド化・リピーター拡大研究プロジェクト」に加わっている若き後継者たち。実際に栄えていたころの川原湯温泉街の写真を撮影した場所に立ち、取り壊しが進んでいる現在の景観を見比べることができる“今しか見られない”内容だった。樋田氏は「川原湯温泉は急な傾斜地に温泉旅館が立ち並んでいて、玄関を入ると客室は下の階、さらに一番下が浴場となっている建物が多かった。実際に今、目の前で骨組みだけになっている旅館跡の建物が私の家でした」と説明。
そして、「駅からは急な坂道を数分歩いて登ってこなければいけなかったが、傾斜地にある温泉街だったため駐車場が確保できず、常に路上駐車が多かったために道路を拡幅したら、さらに路駐が増えてしまったなんてこともありました。そんな教訓も含め、移転した代替地は駐車場も整備されており、お客さまに安心して訪れていただけるように配慮されています」と話した。
水没する旧温泉街や現在工事中の現場を上から下から眺める
次に訪れたのは、八ッ場ダムの建設現場を2年半後の完成時の高さから一望できる、普段は立ち入ることのできない場所で、やんばツアーズのハイライトシーンともいえる場所。実際に今夏、やんばコンシェルジュとしての活動を予定している学生2人が、やんばコンシェルジュの現在の案内シナリオを元に工事現場を案内した。
彼女たちがこの場所を訪れるのは初めてとのことだったので、若干の指導をされるシーンもあったが、ダムについての解説などが分かりやすい。その様子を収めたのが下記の動画だ。
見学場所をダムの東側となる吾妻渓谷に移し、吾妻渓谷遊歩道の十二沢パーキングの近くに復元された、ケヤキ材を使った環境にやさしい木橋「猿橋」の上で、大昔に地殻変動や火山の噴火などにより堰き止められた水が「古嬬恋湖」を形成していたとの解説を受けた。建設中の八ッ場ダム完成時の大きさもかなりのものと感じていたが、古嬬恋湖は比較にならないほどの大きさだったようで、以前はこのエリアから太平洋ではなく日本海に水が流れていたこともあったとのことだ。
また、何故この地にダムを建設することになったかについては、「当時の資料は残っていないので事実かどうかは不明なのですが」としたうえで、「吾妻峡は強固な岩盤が両側にあり、かつ狭いのでダム建設には向いています。距離が短ければ短いほどコンクリートの量も少なくて済みますし、工期も短くて済む。台風の影響により利根川水系で大規模な災害が発生したことから、対策は必須、急務だったと思われます。そこで極端に幅の狭い吾妻峡に白羽の矢が立ったのでしょう」と解説した。やんばコンシェルジュにあとから聞いたところでは、もう少し下流にある「鹿飛橋」の名前の由来は“鹿が簡単に飛び越えられる幅しかない”いう意味だそうだ。
吾妻渓谷を抜けた先にあるのが八ッ場ダムの建設現場。実際の作業を最も近い場所から見学できるのはもちろん、見上げればその構造物が完成したときの大きさも容易に想像できる場所だった。こちらは、やんばツアーズの一般団体向けコースに含まれており、通常は工事現場から少し離れた場所からの見学となるが、今回は報道向けに実際の作業場に近いエリアから見学している。
学生たちは、今夏の集中合宿期間中に学んだ長野原町の観光資源やインフラ観光のプロモーション経験を通じて、それ以降のコンシェルジュのシナリオを若い視点でブラッシュアップしていく。さらに、現在のような浅間温泉や軽井沢に向かう観光客の通過地点ではなく、川原湯温泉への宿泊を目的とした旅行プランの創作を行なおうとしている。やんばツアーズと長野原町が取り組みを進めている「ジオパーク観光」とを連携させ、観光客が長野原町に滞在する仕組みを創り出すことがゴールである。
目的別にさまざまなツアーが用意されている「やんばツアーズ」
八ッ場ダム インフラツーリズムとして用意される個人向け、団体向け、季節毎のツアーは目的別で合計10本のプランが用意されている。
個人向けツアーは通年開催される「八ッ場の今を知る現場見学会」以外に、期間限定の「ホタル観賞と夜間工事見学会」「吾妻峡の紅葉とダム見学会」「真冬の新名物! 樹氷とダム見学会」、ダム愛好家向けの「八ッ場ダムファン倶楽部特別見学会」(要:登録)など。
このほかに、一般団体向けの「やんばコンシェルジュご案内ツアー」、専門的な解説が付く土木技術者・土木系学生向け「最先端の八ッ場ダム見学ツアー」、訪日外国人向け「Yamba Inboundツアー」、ミニチュア八ッ場ダムを造ってダムの仕組みや施設の役割を学べる小・中学生向け「まるごとやんば体験ツアー」、プレミアムフライデー限定で工事中の夜景を楽しめる「ヤンバナイトツアー」などがある。
水没してしまう線路の架け替えが済んで廃線となった旧吾妻線を、安全を確保したうえで歩いてまわれるツアーなども検討しているほか、フォトコンテストも行なっている。詳しいツアーの内容については八ッ場ダム工事事務所Webサイト内にある「やんばツアーズ」のページを確認してほしい。
また用意されているツアー以外にも見どころはたくさんある。歴史ある景勝はもちろん、2年半後には水没してしまう景観は本当に今しか見られないものなので、ゆっくりと巡ってみることをお勧めしたい。
「やんばツアーズ・女子大生コンシェルジュ&ジオパーク連携商品の開発」プロジェクト
この長野原町と跡見学園女子大学とが共同実施する「長野原町に新しい芽を出そうプロジェクト」で、この夏に実施される5つのプロジェクトの概要は下記のとおり。
プロジェクト1:「川原湯温泉ブランド化・リピータ拡大研究」プロジェクト(地元の若者と女子大生による共同研究)
プロジェクト2:「やんばツアーズ・女子大生コンシェルジュ&ジオパーク連携商品の開発」プロジェクト
プロジェクト3:「酒蔵・地酒ツーリズム」プロジェクト
プロジェクト4:国土交通省道路局主催 全国大学道の駅インターンシッププロジェクト(道の駅・八ッ場ふるさと館・観光コンシェルジュ)
プロジェクト5:「長野原町役場インターンシップ生派遣」(公務員志望学生の派遣)
本記事で紹介しているのが“プロジェクト2”で、具体的な実施項目として、女子大生たちの集中合宿期間(8月26日~9月4日)において下記の4つが掲げられている。
(1)八ッ場ダム観光コンシェルジュのガイド体験をとおして長野原町の観光資源やインフラ観光のプロモーションを学ぶ。
(2)女子大学生目線による「やんばコンシェルジュ」のシナリオを考案する。
(3)吾妻川流域の地形をジオパーク観光の視点でデザインしてジオの解説を導入した新たな「やんばツアーズ」の商品開発を行なう。
(4)プロジェクト1の「川原湯温泉ブランド化・リピーター拡大研究」プロジェクトと連携し、「やんばツアーズ」と宿泊を連携させた新たな宿泊プランを川原湯温泉全体で創作する。
これらにより、長野原町が観光立町として全国に打ち出していく考えだ。
今回のプログラムについて、内閣府地域活性化伝道師(観光地域振興分野)であり、跡見学園女子大学 観光コミュニティ学部 観光デザイン学科の准教授でプログラムを指導する立場の篠原靖氏は、「カスリーン台風により、昭和22年(1947年)に現在の埼玉県加須市の堤防が決壊し、埼玉県東部はもちろん東京都内も及ぶ関東地方に、土石流による被害も含め死者1100人、家屋流出倒壊2万3736戸におよぶ甚大な被害を与えました。昭和27年(1952年)より利根川改修計画の一環として調査に着手され、昭和40年代にはダム建設により水没してしまうエリアに対してのダム説明会や生活再建相談所も開設されましたが、移転地探しに難航しました。政権交代によりダム建設が一旦撤回されるなど、住民の皆さんが振りまわされ政治に対する不信などが募っていたことは容易に想像できます」と八ッ場ダム建設計画から、これまでの住民感情について説明した。
また「平成4年(1992年)に長野原町、平成7年(1995年)に吾妻町と基本協定書の締結に至るまでに40年の歳月が過ぎ、ダム本体の掘削工事が開始されたのは調査開始から63年も経過しています。この間に、それまでは賑わいを見せていた川原湯温泉は、ダム建設によって水没してしまうことから観光客の減少を招いたのはもちろん、人口の流出も著しくなってしまったのです。
物理的な河川の下流に住んでいる多くの方を守るために、上流に住んでいる方々の生活が犠牲になってしまったことになりますが、長野原町長(萩原睦男氏)が推進する『長野原町まち・ひと・しごと創生総合戦略』は、“地域の魅力を創出し都会からのひとの流れをつくること”“地域の自然、歴史文化、農林産物等を魅力ある地域資源として発信し、都市部からの観光客や移住者の誘致を図ること”“交流機会の充実を図り住民が地域活動への参画を図ること”など、観光交流人口の拡大と市民の地域振興への参画を促すことを柱としています。今回の企画はこうした町の未来戦略に沿い、長野原町の課題を大学の専門知識を持った指導者の見識と観光を学ぶ女子大生による住民との交流を促進しながら、行政、大学、企業、市民の産官学連携により、町の未来の創造を目指す地域振興プロジェクトなんです」と話があった。この内容からも、長野原町の今後は、今からの2年半の行動が鍵であると分かる。