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跡見女子大とジャルパックが企画する立野ダムのインフラツアー。熊本県南阿蘇村で国交省や地元関係者らと企画会議
「すべての阿蘇は南阿蘇からはじまった」がキーワードに。象徴的なコンテンツ構築が課題
2018年6月14日 14:10
- 2018年6月8日~10日 実施
平成28年熊本地震で被害を受けた熊本県阿蘇郡南阿蘇村の観光復興に向け、跡見女子大(跡見学園女子大学) 観光コミュニティ学部 観光デザイン学科 篠原ゼミとジャルパック、国土交通省が取り組む「南阿蘇観光未来プロジェクト」。この一環として、6月8日~10日に跡見女子大の学生やジャルパック担当者らが現地を訪問し、立野ダムや観光資源の候補地を視察するとともに、現地の関係者らと第1回企画会議を南阿蘇村役場で実施した。
このプロジェクトは、2018年度に本体工事が本格化する南阿蘇村の「立野ダム」をインフラツーリズムの視点で観光資源として整備、連動させ、南阿蘇村の地域資源と組み合わせたツアーを跡見女子大 篠原ゼミの学生が企画、提案。それをジャルパックがモニターツアーとして旅行商品化する産官学連携の取り組み。地元の南阿蘇村や観光協会、さらにDMO(観光地域経営マネジメント組織)により、受け入れ体制を整備し、着地型旅行の受け入れ体制を整えることで、南阿蘇村の観光産業復興を自立的に成り立たせるのが最終的なゴールとなる。
この現地での取り組みに先だって、5月24日には東京都の跡見女子大でキックオフ会議が行なわれているが(関連記事「跡見女子大生が熊本・南阿蘇村『立野ダム』のインフラツアーを企画。ジャルパックでモニターツアー販売へ」)、今回の現地での取り組みは、地元の自治体や観光産業従事者に今回のプロジェクトの趣旨を説明するとともに、学生からの提案を含めた意見交換を行なうこととなった。
6月8日から現地で行なわれた視察ツアーと第1回企画会議のなかから、本稿では第1回企画会議の内容を中心にお伝えする。視察ツアーの詳細は別記事で紹介する予定だが、時系列としては視察ツアーののちに企画会議が行なわれているため、そちらの内容が前提となる場合には適宜、補足説明をする。
なお、この視察ツアーの開始日の6月8日に、一行は村役場を訪問。その際には村長の吉良清一氏が不在だったため、副村長の野崎真司氏より「南阿蘇村は中山間地域にあるが、観光は主要産業の一つになっている。観光客は実感として(震災前に比べて)半分以下になっている。観光の復興は、創造的復興が不可欠だと思っているので、さまざまな力を借りて、観光の復権、復興を目指したいと考えている。一部で非常に壊滅的な被害を受けた観光地、例えば地獄温泉などは、さらによいものにしようと立ち上がろうとしている。そういうものにぜひ力を貸していただければ」と期待を寄せた。
ちなみに、南阿蘇村へは大分県の県庁や市町村から約13名の職員が南阿蘇村に派遣され、復興協力に従事している。この日の知事の不在は、大分県を訪問して進捗状況を報告するとともに、翌年度以降の引き続きの派遣要請を行なうためだった。野崎氏は「来年(2019年)まで震災関連の事業が続く。震災の復旧は来年までがピークだが、そのあとに復興事業がある。少なくとも5年間は人手の確保が必要だと思っている」との村の事情も説明した。
立野地域の住民は帰還率約10%。生活していくための産業作りが不可欠な現状
会議では冒頭、国交省 立野ダム工事事務所 所長の鵜木和博氏があいさつ。「国交省ではさまざまな建設現場を観光に活かしていくインフラ観光の取り組みを全国的に進めている。その取り組みをぜひ立野ダムでも進めていきたいと考えている。南阿蘇観光未来プロジェクトは東京の跡見女子大の協力を得て、ジャルパックと連携していただき、立野ダムと南阿蘇地域のこれからの観光のあり方を検討を行なっていくということで設立いただいている。5月24日に東京でキックオフ会議をしているが、今回、ぜひ地元の方と一緒にキックオフ会議を行ないたいということで、今回の第1回企画会議を行なう運びとなった。これから南阿蘇の自然、地学的な財産、そしてダム建設現場をつなぐ新しい観光を考えていきたいと考えている」と会議の趣旨を説明した。
その後、列席者の紹介が行なわれた。会議に参加したのは跡見女子大、ジャルパック、国土交通省の本省関係者のほか、国土交通省の九州地方整備局、南阿蘇村役場、南阿蘇地域の観光関連機関や事業者ら総勢22名となった。
続いて、跡見女子大 准教授の篠原靖氏が、改めて「南阿蘇観光未来プロジェクト」の趣旨を説明。2月に立野ダムの本体工事に着工したことについて触れ、「震災後の観光復興を目指す、観光立村・みなみあそむらの新たな観光資源として『立野峡谷と立野ダム』を既存の観光資源と有機的につなげ、地元の新たなコンテンツとして活用するチャンスがきている」とし、プロジェクトで観光資源の磨き上げやメニューの開発、受け入れ体制を整備し、「ジャルパックが秋にモニター商品を販売し、来年春への継続も検討されている。その機会をうまく使っていただければと思う」と紹介。
また、今後はほかの組織、団体、企業なども巻き込んでいく意向とのことで、ツアーについても、「ジャルパックからは、独占せずに目処がついたあとはさまざまなエージェントや個人直販でもどんどん使っていただきたいと言っていただいている。東京の応援団が来ているとご理解いただければ」と呼びかけた。
続いて、南阿蘇村役場 産業観光課 課長の倉岡英樹氏より、南阿蘇村の現状について紹介が行なわれた。同氏は、本プロジェクトに対する期待の背景として、南阿蘇村の観光に関する現状や、周辺事情を説明。
南阿蘇村では、2016年4月に震災が発生した結果、2016年の観光入れ込み客数は約300万人となった。県内屈指の観光地として多いときには700万人を超えた南阿蘇村だが、2014年からの中岳の火山活動などが影響して落ち込みがあった前年の2015年と比べても52.16%(2015年は約648万人)と半分ほどに低下した。現在は2017年に見直された村の総合計画に「観光客V字回復プロジェクト」を策定し、観光客の回復を重点プロジェクトの1つに掲げている。
その後も回復は遅れている現状で、その大きな要因として道路の断絶を挙げる。被害の大きかった国道57号と国道325号は完全復旧しておらず、「この路線の回復の遅れが、観光客の回復にも大きく影響している」と説明。
また、現在でも600世帯、1500名余りが仮設住宅での生活を余儀なくされており、立野地域については1年半にわたる長期避難世帯の指定が2017年10月31日に解除されたものの、帰還したのは5月末時点で約10%ほど。未帰還者からは裏山の安定さへの不安や、農業用水復旧の道のりが遠いといった声があるという。
倉岡氏は「この10%から回復するためには、生活していくための新たな産業の形態などを地元に示す必要がある。地元の方も一生懸命考えていて、『立野地域復興むらづくり協議会』という組織が立ち上がっている。これを観光面からも後押しすることができないか」とコメント。
さらに、「(南阿蘇村の観光は)施設整備によって牽引してきた部分がある。今回のようなインフラに着目した視点は欠落していた」とも指摘。「立野地区の方は35年以上前に“ダムとともにある”という選択をされた。これから5年後にダムもできあがるとなれば、ダムを観光の大きな資源として活用できないか、それでもって立野地区に新たな観光産業――産業というまで大きく育つかは分からないが、観光での活性化を図りたいという思いがある」と、今回のプロジェクトへの期待にある背景を説明した。
立野地区の観光資源としては、阿蘇ジオパークのジオサイト、立野峡谷、北向谷原始林、立野地区に残る神話、立野ダムといったコンテンツを挙げ、「これに阿蘇の地域文化を重ねた、村の人たちの生活文化を重ねたインフラツアーができないかが大きな柱だと思っている」とした。
一方で、「ツアー造成や商品造成は私どもは体験したことがない。全体的なボリュームや日程構成、行程、価格については五里霧中」と話し、跡見女子大やジャルパックの調整を加えつつ、南阿蘇地域で立ち上げを進めるDMO的組織、立ち上がったばかりの阿蘇・立野峡谷ツーリズム推進協議会なども含めて練り上げを図る意向を示した。
続いて、みなみあそ村観光協会 事務局長の久保尭之氏より、南阿蘇地域の観光に関する最新事情の紹介があった。久保氏は鹿児島出身で、東京の大学を卒業後、一般企業に就職。熊本地震でNPO法人の一員として支援活動を行なったのちも、同地に留まって観光による復興に尽力。跡見女子大生と同様、自身も「元々はよそ者」と話す。
そんな久保氏からは、熊本県ならびに地域別の過去10年間の観光入れ込み客数の推移が示された。熊本地震で熊本県の観光入れ込み客数は大きく落ち込んでいるが、熊本市や球磨、人吉といった地域では伸びが見られるが、阿蘇地域のみが落ち込んでしまっており、「阿蘇地域が落ちているので熊本県の観光客が落ちている。それがひいては九州全体の足を引っ張っている状況」と指摘。
地元では「忘れられた観光地になるのではないかという強い危機感がある」と述べ、「AATA(All Aso Tourism Association)」を阿蘇地域7市町村の観光協会らが共同で設立したことを紹介。「“阿蘇”と漢字で書くと地域の方々は阿蘇市のことを思い浮かべる。そこで地域全体で一緒にやっていこうということで、あえて“ASO”という書き方でAll Aso Tourism Associationという広域観光連盟を立ち上げた」と説明したほか、「観光客は阿蘇というと阿蘇山を目指してやってくる。ASO全体として人を呼ぼうと一致団結して取り組んでいる」と話した。
さらに、先に倉岡氏も触れた南阿蘇村の観光入れ込み客数についてもグラフを示し、「ピーク時で700万人ぐらいで、地震があって300万人ぐらいになり、少しずつ戻ってはいるがまだまだというところ。世界全体で伸びているなかで、戻るどころか沈んだまま」と、立ち後れの深刻さを改めて示した。
そのようななか、「南阿蘇では『一心行の桜』『白川水源』が2大スポットと言われてきた。時代のなかで“モノ”から“コト”へと消費の仕方が変わっている、商品やサービスから、体験や時間の過ごし方、『いまだけ、ここだけ、あなただけ』という話が出てきて、南阿蘇のなかでもいろいろと工夫をされる方が増えてきている」と、みなみあそ村観光協会でもさまざまな施策を実施していることを紹介。
例えば、ガイドが付くことで普通の人が行けないところに行けるトレッキングや、ガイド付きで案内を受けられる南阿蘇鉄道のトロッコ列車、スノーシューや星空トレッキング、田んぼカヤック、あか牛の見学、南阿蘇鉄道 長陽駅の地元コミュニティなど、新しい商品開発がどんどん進んでいるという。
久保氏は「人やお金、情報などに限界があるので、そういったところで私も含めたよそから来た人間がアイディアを出したり、行動力を持って取り組みたい。震災からの復興は、ほかの地域が伸びているなかでやろうとするとハードルが高いことなので、そこをどう後押しできるかの実行力が問われている。そういったところで、お越しの皆さんにお力添えいただきたい」と、プロジェクトに対して行動力、実行力を加速させる存在となることへの期待を語った。
続いて、ジャルパックの国内企画商品第2事業部 西日本グループ アシスタントマネージャーである本間准氏がプレゼン。この内容は、先述した跡見女子大で行なわれたキックオフ会議のレポートでも伝えている内容が主となった。
骨子は、「阿蘇地域が着地型旅行を持続的に展開できる仕組みを作ることがゴールであること」「そのゴールに向けて下期に2回のモニターツアー商品を展開。1回目はできれば11月を目処に実施すること」「モニターツアーという実証実験で得た知見を着地型旅行商品へフィードバックしていくPDCAを回すのが重要であること」といった点。
さらに、地元の、特に2019年4月の設立を目指しているDMO的組織に対して、「ここ(DMO的組織)の方々がワンストップサービス、つまりいろいろな地域の産業、飲食店やバス、観光地をとりまとめて一つのツアーという形にする役割を担っていただきたい」と要望。この体制が整えば、現地のDMO的組織がワンストップで提供できる着地型旅行の商品を、東京をはじめとする出発地の旅行会社が購入し、現地へ観光客を送客するという流れが形成されることになる。
また、今回のプロジェクトの意義として、「観光地の魅力が増えることで、観光客が増え、ジャルパックの取り扱いが増えるという三方よしの状況となること。観光地の方々とジャルパックが共有の価値を創造する、最近ではCSV(Creating Shared Value)と呼ばれる概念で今回のプロジェクトを動かしていきたい」との意気込みを示した。
阿蘇ジオパークガイド協会の児玉氏は「すべての阿蘇は南阿蘇からはじまった」を提唱
続いては、跡見女子大の学生5名によるプレゼンテーションが行なわれたが、ここでは紹介順を前後して、阿蘇ジオパークガイド協会の児玉史郎氏による「すべての阿蘇は南阿蘇からはじまった」という言葉を紹介しておきたい。今回の参加者に響いたようで、折に触れてこの言葉をキーワードに展開していきたいとの発言が聞かれたからだ。
児玉氏は以前は教職に就いており、南阿蘇村の長陽西部小学校などにも勤務。在勤中に理科の教諭をしていたことから、長陽西部地区を中心とした立野峡谷などを教材にすべきといった活動を行なっていたという。現在は阿蘇ジオパークのガイドとして南阿蘇村を応援する立場にある。
震災前の話ではあるが、熊本市から国道57号を走り、阿蘇大橋交差点をまっすぐ進むと阿蘇市方面、右へ曲がって阿蘇大橋を渡ると南阿蘇村へと向かうことになる。児玉氏の体感では、以前は阿蘇市へ向かうクルマが多かったが、逆で南阿蘇村へ向かうクルマの方が多いという状況になっていたという。しかし、震災で阿蘇大橋が崩落。先述の倉岡氏の言葉にあったとおり、この復旧が南阿蘇村の観光入れ込み客数回復を妨げている。
しかし児玉氏は、「すべての阿蘇は南阿蘇、立野峡谷からはじまった」と述べる。日本最大級のカルデラである阿蘇カルデラは、同年代の屈斜路カルデラや洞爺カルデラ(ともに北海道)と比べて湖がない点を特徴として挙げる。児玉氏によると、「南阿蘇は湖がなくなって4万年から5万年が経っていると言われる。阿蘇谷(カルデラ内)は1万年ほど前まで湖だった」と紹介。そして、「阿蘇は昔、湖だったという神話がいまでも語り継がれているが、阿蘇谷は(湖なので)人が住んでおらず、(もっと早く湖がなくなった)南阿蘇に住んでいた人が語り継いで神話になった」と考えられているという。
そうした神話の原点が、阿蘇に伝わる健磐龍命(たけいわたつのみこと)が阿蘇の外輪山をけやぶったという伝説で、ここから阿蘇カルデラの水が流れ出し、湖が消滅。湿地が生まれて人が生まれ始め、農業が行なわれるようになった。農業には牛馬が必要となり、飼料としての草も必要となる。そのために山の上の草を利用して草原が広がり、そこへ牛馬を放牧するようになる。これが世界農業遺産に認定されている阿蘇型農業を生んだ、と話がつながっていく。
世界農業遺産には「阿蘇の草原の維持と持続的農業」という名称で登録されているとおり、野焼きを行なって継続的に草原を管理しており、結果約2万2000ヘクタールと言われる広大な草原が広がる。「野焼きをするので森林化しない。木がないのでカルデラ地形がはっきり見える。どこもが展望所で、クルマをどこに駐めてもカルデラ内の様子が見え、谷の中からはどこを見ても山の稜線がきれいに見える」と魅力を紹介。
そして、「阿蘇の火山が作り出した原型の上に、人間が住まなければこのような景観は生まれない。火山と人間のコラボでできた景観」とし世界ジオパーク認定につながったという。
そこで最初の話に戻り、「草原、なかで暮らす人の生活、農業、商業、観光業、山岳信仰の文化、歴史も、そもそもの始まりは湖の消滅にある。この自然の大いなる力を神様の力と想像して1万年ほども前から語り継いできた」とし、立野峡谷から水が流れ出したことで湖がなくなったこと、それを南阿蘇の人たちが語り継いできたことを踏まえ、「阿蘇のすべては、ここ立野峡谷からはじまった」とスライドで紹介。視察ツアー中に立野峡谷を説明する際、「阿蘇のすべては、南阿蘇からはじまった」と表現している。
跡見女子大生の先遣隊5名が提案する南阿蘇ツアーの観光素材
そして、跡見女子大生5名によるプレゼンテーションだ。この5名は、5月のGW明けに3泊4日で現地を訪問し、村長や行政関係者からのヒアリングをもとに視察したメンバーで、5月24日のキックオフ会議でツアー案を提示した。プレゼンの内容はキックオフ会議のときと似ているが、一部で変更が加えられた点も見られた。篠原氏は「まだまだ荒削りだし、実現できないものもたくさんあるが、最終的に地元の皆さま方がおやりになりたいものと、なにかつながっていけばという方向付けのプレゼンだと思っていただければ」と紹介もあった。
学生のプレゼンでは、篠原ゼミの紹介やプロジェクトの趣旨を改めて説明したのち、「南阿蘇村に眠る観光素材のブラッシュアップと、立野ダムの新たなインフラ観光としての存在感の育成。さらにインフラと既存阿蘇地域の観光素材の有機的な連携を作る。政府が推進する『公共施設の観光活用』の先進事例として、『東の八ッ場ダム』『九州の立野ダム』」と称されるよう、インフラ観光の先進モデルの構築を目指す」とプロジェクトの目標を設定。
商品としては、キックオフ会議の記事でも紹介したとおり、A案として日本有数の火山である阿蘇山の生い立ちや人間が想像を絶する大自然の物語を立体的に体感できる「本物の阿蘇大自然紀行」と、B案として阿蘇の大自然を活用したアクティビティを楽しむ「はじける青春、阿蘇大自然物語」という2つのツアーを企画。
これらに組み込むことも検討できる、南阿蘇地域の有効な観光資源としては前回と同じ14点を示した。
1点目は「阿蘇山噴火の歴史、そこから形成された文化や歴史を体験、理解する」ことを提案。ユネスコの世界ジオパークに認定されている阿蘇ジオパークには約33カ所のジオサイトがあり、阿蘇ジオパークガイド協会には専門的な知識を学んで認定を受けたガイドが多数在籍しており、「児玉会長の『すべての阿蘇は南阿蘇からはじまった』という大きなタイトルのもと、ドラマチックに南阿蘇を中心に世界に広めていけるような企画を考えていきたい」とした。
2点目は立野ダムの存在で、ここで本格的なインフラ観光拠点としての役割を確立することを提案。南阿蘇村の観光素材のブラッシュアップと、立野ダムの新たなインフラ観光としての存在感の育成、そしてインフラと既存の阿蘇地域の観光素材とを有機的に連携させることで、将来的には「九州の立野ダム」と呼ばれるような公共施設の観光活用の先進事例を目指す。
ちなみに、企画会議では国交省 立野ダム工事事務所 工務課長の田脇康信氏のプレゼンも行なわれ、立野ダムの工事内容や、完成後のイメージを3D CGで紹介。「立野ダムは、柱状に立ち上げていきながら全体を上げていく柱状工法という。左岸側にコンクリートの製造設備を作り、そこからコンクリートを運搬、クレーンで現場に降ろしながら打設していく。ダム工事が本格化すれば、このようなものが見られる。まさに、“あなただけ”しか見られないものになるのでは」と説明。
約5年後を目指す完成後のイメージでは、「ダムが完成し、南阿蘇鉄道が復旧すれば、立野橋梁からちょうどダムが正面に見え、奥の方に北向き谷原始林が見られれる眺望になる。先を見据えた仕組み作りを今のうちから進めて行ければと思っている」との展望を語った。
3点目は食文化。高菜めしやあか牛丼などの名産品のほか、そば作りに適した立地でそば打ち体験をできる久木野そば道場を紹介。「こうした体験をとおして食文化と自然を掛け合わせたツアーを考えていきたい」と話した。
4点目は防災ツーリズムと復興ボランティア体験。被災者の気持ちに配慮し、興味本位の企画にならないよう注意が必要としたうえで、平成28年熊本地震の教訓、防災知識をベースに、大規模な地割れなどから地震の恐怖を体感できる企画や、復興ボランティア体験、さらに参加費の一部を義援金に充てることなどを提案した。
ちなみに、立野ダムから約500mの場所で確認された地震による地割れは保存可能であることから、この場所に熊本地震を生んだ布田川断層の説明看板を国交省と阿蘇ジオパーク協会が共同で設置。視察ツアー中にその除幕式が行なわれた。
5点目は、先の児玉氏の話でも触れた阿蘇に残る神話と立野ダムとを組み合わせての展開。建設中の立野ダム工事現場から見える柱状節理や、阿蘇ジオツーリズムのポイントを分かりやすく解説するシナリオを研究。ダムと自然の関係や、ダムの必要性が理解できるような大きなシナリオを生んでいくことを想定している。
6点目は森林セラピー。リラックス効果が心理・医学の面から実証され、関連施設の自然・社会現象が一定水準で整備されている地域のことで、立野ダムや白川エリアを森林セラピー基地に登録することを提案した。
7点目は国交省 立野ダム工事事務所の鵜木所長が発案したという、白川沿いに作る野天風呂体験。(通常は水を溜めない)立野ダムの貯水地域には、川の水と栃の木温泉のお湯が混ざっていることから、鮎返りの滝や阿蘇北向き谷原始林を楽しめる「ほんまもんの火山温泉を生かした野天風呂」を提案。この野天風呂を中心に近隣の宿泊施設への誘導も狙う。
8点目はガストロノミーツーリズム。2017年5月20日、阿蘇市の阿蘇内牧温泉で「ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構」が主催する「熊本地震復興支援 ONSEN・ガストロノミーウォーキング IN 阿蘇内牧温泉」が開催されたことを踏まえたもの。「温泉地で健康的に食べて、つかって、巡って、じっくりとその土地を味わうことができる」という“ミニ温泉ガストロミーツーリズム”の企画を考えたいとした。
9点目は南阿蘇鉄道の復興作業。南阿蘇鉄道も熊本地震で大きな被害を受け、地震後約3カ月で復旧した中松駅~高森駅間の約7.2kmの運行に留まる状態が現在も続いている。この区間では現在、トロッコ列車「ゆうすげ号」が2往復運行。同乗するガイドが車窓や地域の魅力を紹介しながら大自然のなかを走っている。
今回の視察ツアーでもこのトロッコ列車に乗車。学生は「絵本のなかから出てきたおとぎ列車のように感じた。ほかのエリアにはない素晴らしい風景を持ち、南阿蘇鉄道がこの村、あるいは熊本、阿蘇のまさに象徴であると感じた」との感想を持ったという。
これを盛り上げるべく、観光列車では定番の地元の食べ物を列車内で楽しむ企画として「阿蘇まんぷく列車」を提案したほか、独自の盛り上げ策として跡見女子大生の一日駅長やツアーガイドを提案。「列車の運行に携わることで、地元の皆さんと一緒に南阿蘇鉄道を盛り上げる企画を考えている」と説明した。
10点目は「復興」をテーマに、熊本地震で大きな被害を受けた地獄温泉 清風荘の入浴モニター体験ツアーを提案した。清風荘は、企画会議にも出席している社長の河津誠氏を含む3兄弟が営業再開に向けて取り組み、「南阿蘇村は元気だ」というメッセージを発信。「この再開を手伝い、ツアーに組み入れることで、元気な南阿蘇村のアピールになる」との意図を示している。
11点目は、阿蘇の大自然を自転車で駆け巡るサイクルツーリズムを提案。2次交通の確保が難しいエリアへも行動範囲が広がることと、食や温泉などの観光資源を五感で楽しめるという相乗効果を示した。
12点目にはアニメ「弱虫ペダル」とコラボしてのアニメツーリズムで、劇場版で描かれた「熊本火の国やまなみレース」の舞台が阿蘇であることを踏まえ、“聖地”復興ロードレースの開催を提案した。
13点目は絶景やグルメなど、若者に人気のフォトジェニックツアーを提案。2018年下半期に提供されるモニターツアーでは、阿蘇の秋を味わえるようなイベントや紅葉などを組み入れることを提案している。
14点目はアクティビティ。乗馬やカヌー、パラグライダーなどのアクティビティを活用して、立体的に阿蘇の自然を満喫するツアーを提案した。
こうした観光資源をもとに2018年下半期にジャルパックから販売を計画するモニターツアーが造成されていくことになるが、加えて、その先の2019年春の商品に組み入れるために、12月には地元の受け入れ体制確立が必要とも指摘。持続可能な着地型旅行構築の事例として八ッ場ダムの取り組みなどを紹介。
また、送客方法として「熊本空港を集合場所として(直行便のある)羽田発、伊丹(大阪)発」と、各地方からの集客を見込んでの「羽田空港を集合場所とする地方空港発」という2つの案を示した。ジャルパックはプレゼンで「東京発」のプランを示したが、担当の本間氏は「プランの内容は、これから学生たちが挙げてくる内容に応じていかようにも変更していきたい」ともしており、検討が進められていくことになる。
スピード感のある取り組みが必要。DMOは観光協会が中心に
このあとは、篠原氏を進行役に、ディスカッションが行なわれた。
篠原氏はまず、地獄温泉 清風荘 代表取締役社長の河津誠氏に向け、「ご自身のところが着地型旅行のキーステーションになって、地域にいろいろなコンテンツを作っていきたいという話があった。河津社長が考えている地元の着地型旅行の受け入れのイメージを聞かせてほしい」と尋ねた。
河津氏は「着地型のために一番大事なのはスピード感。DMOできちっと話を進めながらも、スピード感をもってやりたい。いま、営業がちゃんとできていて、旅館の営業サイクルがあるところは、なかなか時間を割いて突撃隊みたいなことはできないが、私の所は休んでいるのでエネルギーを傾けることができる。切り込み隊長のようなところを担っていきたい」との意気込みで返した。
続いて、跡見女子大生と同じ“外者”視点を持つ久保氏に向け「熱い思いでここにいると思うが、どのような形で着地型商品を考えているか?」と問いかけ。久保氏は「いかに早く結果を出せるかが、いま南阿蘇にとって重要。皆さん、気持ち的なところが大きい。どれだけ南阿蘇が観光業を続けることに希望を持てるかがキモではないかと思っている。こういう場に、(営業を再開に向けて取り組んでいる)河津社長が来て前向きな姿勢を見せてくださるのは、営業されている方も含めて、本当に村全体の気持ちが前を向くうえですごく力になっていると思う」と河津社長への共感を示した。
さらに、「営業が再開するにつれて、元々よりもどんどん忙しい状況になってきているのが八ッ場ダムなどと違うところ。そういう意味で、新しい商品をどんどん作って、それを恒常的に回していくのは、今の村内の状況を考えると厳しい。象徴となるものを立てていく方が現状に即しているとも思う。例えば、星空トレッキングなども、まずは横展開よりもブランドを立てようとしたもの。南阿蘇に需要が多い状況を作り、まずは人数を限ってでも、お客さんが来たいと思うようなコンテンツを作ることを進めている」と、村の現状に合わせた取り組みの必要性を語った。
続けて、道の駅を運営するあそ望の郷みなみあその代表取締役社長である藤原健志氏が、「今のところ漠然としているが、久保事務局長が言うように観光も変わる。観光協会としてもアウトドアなどをピックアップして、いままでやったことのないものにチャレンジしているところ」と元観光協会 理事の立場も踏まえたうえでコメント。
一方、南阿蘇村の団体としては「商工会と観光協会のなかで、観光業については観光協会がある程度、引っ張っていこうという話になっている。商工会は商工業の皆さんが震災後で苦しいところもあるので、商工会としてはその手助けを頑張っていこうと。できれば観光協会は未来的にいける観光を、組織の中枢を担う形もとっていく必要もあると思う」と述べる。
そして、これに関連して設立を目指すDMO的組織についてコメントを求められた、南阿蘇村役場の倉岡氏は、「地域資源と、いろんな施策のモニタリングに向けての整理が終わった段階。観光地域経営組織を誰がまわしていくのかということがあるので、共通の認識を持っていただくための人材育成と並行して、組織のあり方を同時に検討しているのが実情。2019年度の当初には形として見せられる、もしくは、うまくいけば設立できるような感覚でいる」との見込みであると説明。藤原氏は「(民間の)うちだけでやれることは限られる観光協会が中心となってやっていくべきだろう」との意見をあげた。
「ある一瞬で地形が変わるというのを我々は見てしまった」。ジオパークのストーリーに新たな一章
続いて篠原氏は、2018年下半期の実施を計画するジャルパックによるモニターツアーに話題を転換。「秋の南阿蘇村の一番素晴らしいものを、すべてツアーに盛り込んで、まさに花火を上げるように、地域が固まってお客さまを迎え入れるという象徴を作る。このツアーをやったところで、なにかが変わる話ではない。しかし、ツアーのなかのコンテンツに、地元の皆さんがどんなものを考えているものが盛り込まれている。その花火のあと、地元では4月に向けて受け入れ体制が1つでも2つでもできる。そこがゴールだろう」と提示。
その中心になる立野ダムを活用したインフラツアーについて、「失敗しがちなのは、ダム観光は地域のドラマのなかにダムがあるということを切り離して考えてしまうこと。群馬県の長野原町についても、浅間山の噴火と八ッ場ダムの位置付けがあって新しいドラマができた。ダム観光、農業の知恵、生活文化のようなものが入ってくる大きなドラマが描けないか」と話し、阿蘇ジオパーク推進協議会 事務局長で阿蘇火山博物館 館長の池辺伸一郎氏に意見を求めた。
池辺氏は、「ドラマはいっぱいある。我々がやっているジオパークはストーリーを考える。ジオサイト自体がすごい、きれいではなく、それぞれのジオサイトが持っているストーリーが一番重要」とコメント。
続けて、「地球科学というと46億年という長い話になるが、我々が頑張って生きても100年ぐらいで、地球の歴史からするとほんの一瞬。でも、熊本地震のように、長い時間をかけて地形が変わるのではなく、ある一瞬で地形が変わるというのを我々は見てしまった。立野に限っていえば、児玉先生がおっしゃる南阿蘇がはじまりという言い過ぎではないと思う。30万年前からの阿蘇のストーリーの一部として、これまでいろんな調査研究を踏まえたなかで立野の重要さは分かってはいたが、熊本地震でよりクリアになった部分が多い。自然現象が起こることによって、今までのストーリーに新たな章が足された。地球の動きのなかで新たなストーリーが生まれ、どんどん変わっている」と語った。
これを受けて篠原氏は、「いろいろな歴史のなかで、神話の蹴破りの話もあったが、それも一つの位置付けとして、なぜここに立野ダムを建てたかが、すべてつながらないといけない。ダムマニアが全国にいて興味を持ってくれる可能性はあるが、もっと異なる観光面、大きなドラマのなかの位置付けにつねえて、本格的な観光の要素として立野ダムを見せることがセットにならないと失敗するのでは」と改めて意見を提示した。
また、視察ツアーで初めて立野ダムを訪れた阿蘇ジオパークガイド協会 会長の児玉氏は、その感想を問われ、「行きたくてもなかなか行けないところなので勉強になった。そもそも、立野峡谷のなかの火山の力、水の力といったものが語られるようになったのはインフラから。国道57号ができて、鉄道が通るようになって、阿蘇大橋ができて、長陽大橋ができて、盛んに人が行き来するようになって、そこから素晴らしい、ものすごい量の柱状節理に気が付いた。従って、日本という国土を理解して面白さを発見するのに、インフラ整備がないと分からないところもたくさんある」と、ジオの視点でコメント。
さらに池辺氏は、「我々、博物館やジオパークの立場で言うと、人の生活があってのツーリズムであり、教育であり、防災でありといったところで、諸手を挙げて賛成とは言わないものの、必要なものだと思っている。できる以上は、なにか活用していく方向で前向きに考えなければならないだろうと思っている。阿蘇のストーリーのなかの位置付けとして、重要なものもたくさん出てくると思うので、これから整理していければと思う」との気持ちを語った。
ジャルパックのモニターツアーのシンボル探し。候補は南阿蘇鉄道
次に篠原氏は、清風荘の河津氏に「いまぐらいから一緒に考えていただきながら、一緒にツアーのなかでも花火を上げて、2019年の受け入れができればと思っている。河津さんにはお任せして、提案いただいたものをちょっとアレンジすればツアーに使えると思っているが、いかがだろうか」と問いかけた。
河津氏は、「ダムも私のところも同じだが、ツーリズムで訪れた方がそこに来て帰るのでは、そこに住む地元の人たちが煙たく感じる。そこに住む人たちとどこかでつながる、なにかで触れ合えるような優しいツーリズムでないと。地元に受け入れられないのは続かないと思うので、できるだけ触れ合える形があれば、ある程度の反発があってもコツコツ続ける姿勢とか、地元に受け入れられていって育つと思う。そこはみんなで共有し合いながら理解を深めていって、地元とツーリストがつながる、触れ合う、絆を作るというところを目指したい」と、まずは地元の理解を得られるような、訪問者と触れ合える環境作りを進める考えを示している。
一方で篠原氏は、「(ツアーに組み込む)南阿蘇の象徴を明確にすべき。清風荘も、(ジオパークの)大きな物語もそう。もう1つ可能性が高いのは南阿蘇鉄道だと思う。象徴的に『南阿蘇鉄道に乗ってみたい。おとぎの列車に乗ってみたい』というブランドを立て、来ていただいた方に2次的にいろいろなパーツ(コンテンツ)につなげるようにしないと、パーツだけを組み上げていっても埋もれてしまうように思う」とコメント。
さらに南阿蘇鉄道について、実際にトロッコ列車に乗車した感想として、「頑張っておられるが、もうちょっときめの細かさが必要と感じた。白川水源駅でお兄さんがお弁当を売りに来たが、売れていない。あれでは続かないのではないか。例えば列車のチケットとパッケージ化するなど、列車の運行と民間の事業者をつなげ、DMOとしての第1回着地型旅行商品につなげていけるようなことを目指せればと思う」と話し、南阿蘇鉄道 総務課長の中川竜一氏に発言を促した。
その提案に中川氏は、「ズバっと言っていただいた。きめ細やさというところは、実は震災前に、南阿蘇鉄道も乗客が増えてきて次はそこをやろうと手がけ始めようとした矢先の震災だった。今は現場を5名で回す形でやっている。きめ細やかさは学生の皆さんの方がよく気付くのではないかと思うので、思うことを言っていただけるとありがたい」と、さらなる改善点の提示を求める姿勢で応えた。
加えて篠原氏は、「ダムカードを作れる展望スポットから、(南阿蘇鉄道の未復旧区間にある)立野橋梁と、その奥にダム建設現場と柱状節理が見える。学生たちが、その橋を特別な展望部分に変えられないかと提案があった。安全対策上、今のままではできないし、橋梁の足下の工事もあると聞いている。ただ、開通するには3~4年かかるが、その間にダム観光が本格化してくるので利用できないか」と、学生の発想を中川氏に提案。
中川氏は「橋脚の工事に入るところなので、その進捗を見てできるようであれば考えたい」と話すと、国交省 立野ダム工事事務所 所長の鵜木氏は「立野橋梁の上はダム建設現場は真正面に見えるので、今の展望所よりも近くで大型工事を見られる場所になる。安全対策を具体化して、お話させていただきたい」と実現への意欲を見せた。
DMO組織設立に向けて地元としてどう取り組むか、ジオパークのなかでの立野ダムの位置付け、象徴的存在としての地獄温泉や南阿蘇鉄道の活用が主な議題となったディスカッション。企画会議はここで終了となり、最後にコメントを求められた南阿蘇村役場の倉岡氏は「だんだん皮がむけてきたような気がする。なにが見えてくるかは分からないが、大きさと色ぐらいは見えてきたように思う。どんな味がするのかという味付けの部分を、議論しながら、意見をうかがいながら……非常にできそうな気がしてきて、心を強くした」と手応えをつかんだ様子。
このプロジェクトの当面の目標は、「できれば11月」という2018年下半期のモニターツアー商品を造成していくことにあるが、今後、7月に第2回の現地での企画会議が行なわれ、8月には手配を担う地元窓口の決定、9月に受け入れ体制の確認やツアーの演出などの意見交換などを行なう現地での取り組みが行なわれ、実際のモニターツアー販売へと進んでいくことが予定されている。