旅レポ
ベトナムの王朝時代から現代まで“1000年の歴史”を肌で感じるハノイ散策
2018年12月29日 00:05
これまで3回にわたってお伝えしてきたベトナム航空とハノイ観光局が開催したFAMツアー(視察・研修ツアー)レポート。最終回となる今回は、ハノイ中心部に近い観光スポットや、グルメスポットを紹介したい。
このFAMツアーは、日本人があまり行かない観光地や、日本人参加者が少ないという体験を中心としたものだ。ただ、ハノイ市内については世界遺産などの定番観光地も訪れているので、本レポートは初めてハノイを訪れる人の参考にもなると思う。
“1000年の歴史”を感じられる「タンロン遺跡」
ハノイの定番観光スポットといえば、2010年にユネスコ世界文化遺産に登録された「ハノイ・タンロン遺跡」がまず挙げられる。11世紀の李王朝がここを都として以後、19世紀初頭までの約800年間、異なる王朝が入れ替わり立ち替わりここを都の中心としてきたことから、さまざまな時代の様子を見ることができるのが特徴の遺跡だ。
ちなみに、ベトナムで「古都」といえば中部のフエをイメージする人も多いと思うが、フエは19世紀に阮(グエン)王朝によって首都とされ、フランス統治時代を経て、第2次世界大戦が終わるまで都だった土地だ。見方によって変わる遺跡の価値に甲乙を付ける気はないが、“古さ”という観点でいえば、タンロン遺跡を持つハノイはフエ以上に「古都」としての知名度を持ってもおかしくない土地だと思う。ちなみに、タンロン遺跡の「タンロン」は漢字で表記すると「昇龍」。ハノイの旧地名でもある。
そしてハノイは現在、再び首都の地位にあるので800年ではなく、「1000年の歴史を持つ街」というキャッチコピーの方が似合う。ハノイの観光当局もこちらの方を前面に押し出している。「1000年」とは李王朝が現在のハノイに都を開いたのが11世紀初頭であることに由来する。
前置きが長くなったが、受付を抜けて敷地内に入ると、まずは広い芝生が目の前に広がり、その奥に城砦のようなものが見える。これは「端門」という門で、王が通るための門。15~16世紀の王朝である黎朝時代のもので、タンロン遺跡の歴史からすると新しめだ。実は阮朝時代に多くの建物がフエに移設されてしまったことから、建築物の遺跡はあまり残っていない。逆説的だが、それだけにフエへ遷都する前の建築物が残っているのは貴重ともいえる。
この端門は上に登ることもでき、広い範囲を見渡すことができる。ここからは1812年に建てられた監視塔である「フラッグタワー」を望める。タンロン遺跡からは直接行けず、お隣のベトナム軍事歴史博物館の敷地内に建っている。北側は発掘が進むタンロン遺跡の様子を見ることができる。タンロン遺跡は2000年代に入ってから発掘が始まったもので、過程を示したボードで発掘の様子をうかがい知ることもできる。
政治を行なう場であった「敬天殿」へ向かうための「階段」も見どころ。こちらは龍と雲を象ったデザインが特徴で、同施設のスタッフが着用するアオザイのユニフォームも、この雲のデザインをモチーフにしている。
そこからさらに奥に進んでいくと、「D67バンカー」という建物がある。こちらはフランス統治時代に建てられた西洋風の建築物。遺跡というには新しい建物だが、ここはベトナム戦争時代に北ベトナム軍が司令部として使った部屋が残る。この現代の施設を保存していることが、“ハノイ1000年の歴史”が詰まっていると言われるタンロン遺跡の魅力を高めているように思う。
「北爆」で知られる米軍による爆撃だが、タンロン遺跡に掲示されていた案内板によると、1966年にハノイへの爆撃が開始され、1972年末の「ラインバッカー作戦」でピークを迎えたという。この爆撃に対して1967年に9mの地下に作られたのがバンカーD67だ。バンカーD67へ向かうべく階段へ下るだけでも戦争の生々しさを感じずにいられない。
現在はベトナム戦争当時の軍用品などが展示されており、資料館といった趣になっている。展示されている無線機などにはキリル文字が見え、ソビエト連邦による支援があったことを目の当たりにできる。
会議室は地下と1階に残されており、どちらにもホー・チ・ミンの肖像が飾られ、机もそのままになっている。また、1階の会議室には席に名札も。ベトナム戦争の人物というと、ヴォー・グエン・ザップであったり、レ・ズアンであったりといった名前が浮かぶが、最も上座の席には、ホー・チ・ミン死去後に指導者の立場にあったレ・ズアンの名札があり、ちょっと(本音ではかなり)興奮してしまう。東西冷戦史の重要なワンシーンとして脳裏に焼き付けたい場所だ。
“亀”が有名だが、ベトナム紙幣のモチーフも必見の「文廟」
タンロン遺跡と並んで、ハノイの歴史を感じられるスポットが「文廟」だ。タンロン遺跡から南へ行ったところにあり、敷地そのものは300mほどしか離れていないので十分に徒歩圏内だが、タンロン遺跡も文廟もメインエントランスが敷地の南側にあるので、歩いて観光するなら文廟からタンロン遺跡の順にまわる方がラクだ。
文廟は「孔子廟」のことで、ここは1076年にベトナムで最初の大学が建設された地だ。ここにある亀の石像がユネスコの世界記憶遺産に登録されており、科挙の合格者の名前が記された石碑とともに祭られている。以前は亀にも触れたそうだが、現在は柵があって亀に触るのは禁止となっている。
中国の官僚登用試験と知られる科挙がベトナムにもあったことは、中国文化の影響の濃さを感じる一面ともいえる。ベトナムで科挙が行なわれたのは1075年~1919年とのことで、実は世界で最も最近まで科挙が行なわれていたのがベトナムだという。
そんな文廟。大学跡地という先入観があったことも否めないが、まっすぐ伸びる通路が緑に包まれ、なんだか大学のキャンパスでも歩いているような錯覚にとらわれる。8月後半の暑さが残る時期の訪問だっただけに、涼しげな雰囲気が心地よい。
敷地内は、中国の五行思想にちなんで5つの区画に分けられており、入り口側から順に文廟門、大中門、奎文閣、大成門、啓聖門というゲートをくぐっていく。世界記憶遺産に登録されている亀の石像は、3つ目のゲートである奎文閣を抜けた先にある。
その奎文閣を抜けた先には、亀以外にも見どころがある。それが池越しに見る奎文閣だ。この眺めはベトナムの10万ドン紙幣に使われているのだ。ここを訪れるなら、10万ドン札(約500円、1000ドン=約5円換算)は必携アイテムといってよいだろう。
そのまま順に先へ進み、最後の啓聖門をくぐると、ベトナム最初の大学である「国子監」へとたどり着く。ここでは学問の神様が祭られていたり、古き時代に使われた制服や学問のための道具などが展示されている。
一つ一つの展示物を見てまわるとかなりの時間を要する施設で、訪問時も駆け足気味の見学となってしまったのだが、それでも中国文化の影響の濃さを強く感じられ、ベトナムという国を形成している基盤の一つを見たような思いだ。
ベトナムで1、2を争うフォーや、「オバマ・ブンチャー」などのご当地グルメ
さて、話は変わって、ハノイのグルメ情報を少し紹介したい。ベトナムのグルメといえば、真っ先に思い浮かぶのが「フォー」。ハノイはフォーの発祥の地とのことで、そのハノイでも1、2を争う味と評判のお店「Pho Thin」に案内してもらった。ここのフォーは牛肉を使ったもので、メニューは1種類。料金は5万ドン(約250円)。
Pho Thin
所在地:13 Lo Duc, Ngo Thi Nham, Hai Ba Trung, Hanoi
フォーは入り口のところで(かなり豪快に)手際よくどんどん作られていく。米粉の麺が見えないほど野菜と牛肉が盛り付けられているが、テーブルにはパクチーや唐辛子、ライム、調味料、香辛料も置かれている。それらを使って自分好みに味を調整するのがベトナム流。一緒に置かれた揚げパンにフォーのスープを染み込ませて食べるのもよい。さっぱりしたフォーと、油っぽい揚げパンのコントラストが舌を楽しませてくれる。
朝と昼はにぎわうそうだがとてもローカルなお店で、日本人は現地駐在者やハノイ通が知る程度という。日本円換算で約250円というと安く感じるが、ベトナム人の平均月収は3~4万円ほどとのこと。日本人は平均年収が約400万円なので、ざっくり月収30万円で比較すると、このお店のフォーは1杯2000円を超えるわけで、地元の人たちにとっては高級なお店なのだろう。フォー発祥のハノイで愛されるだけあって、さすがの一言しか出てこない美味しさだ。
麺料理をもう一つ、「ブンチャー」のお店も紹介しておきたい。こちらはいわゆる「つけ麺」で、ハノイではフォーに並んでメジャーな麺料理だという。訪れたのは「Huong Lien」で、先述のフォー・ティンからは徒歩で5分とかからない。
ここは2016年に当時アメリカ合衆国大統領だったバラク・オバマ氏が訪問したことで知名度が急上昇したお店で、タクシーの運転手にも「ブンチャー、オバマ」と言えば連れて行ってもらえる。オバマさんが来日したときに行ったお寿司屋さん(かろうじてお寿司を食べている映像は頭に浮かんだ)の店名も場所も覚えていなかった自分にとって、実際に「ブンチャー、オバマ」で通じている現場を目の当たりにしたときはかなり衝撃だった。
そして、そのブンチャー・オバマさんのお店のなかには、オバマさんが訪れたときの写真が飾られ、そのときに使われた食器類もディスプレイ。オバマさんに食べてもらえたことをとても誇りにしていることがうかがえる。
肝心のお味だが、正直かなり美味しい。ブンチャーの麺もフォーと同じく米粉で作られているが、かなり細麺。これを、焼肉の油がたっぷり出たスープに浸して食べる。スープは酸味と甘みがどちらも口の中に広がる感じで、濃厚さがありながら、酸味がうまくそれを打ち消してくれる。1人前といっても見た目にはかなり多く感じられたが、“濃厚かつさっぱり”がリアルに実現された味わいのおかげで、気が付いたら完食していた。
このブンチャーの料金は4万ドン(約200円、1000ドン=約5円換算)。5000ドン(約50円)で替え玉を追加できる。また、海老や豚肉が詰まった揚げ春巻き(3万ドン、約150円)も人気とのことだ。
Huong Lien
所在地:24 Le Van Huu, Phan Chu Trinh, Hai Ba Trung, Hanoi
このほか、ハノイ市内で訪れたレストランも紹介しておきたい。ここまでに紹介してきたベトナムらしい料理以外にも、和洋中さまざまな料理を味わっている。そうした料理を写真で紹介しておきたい。
Ashima Hoàng Dao Thúy
所在地:Nha N04, Tang 2, toa, Hoang Dao Thuy, Trung Hoa, Cau Giay, Hanoi(地図)
Webサイト:Ashima(ベトナム語)
繁華街からの適度な距離感が魅力。「ホテル プルマンハノイ」
さて、今回の滞在では、ハノイ市内にある「ホテル プルマンハノイ(Pullman Hanoi Hotel)」に宿泊した。元々は国営の宿泊施設だったという同ホテル(こういうエピソードを耳にすると社会主義国にいる気分が高まる)。駐車場には国営時代に建てられたレンガ造りの煙突がそのまま残っており印象的な存在になっている。現在は民営化され、3年ほど前にリノベーション。その際にサービスを拡充したことで人気が高まっているという。
これまでに紹介してきたハノイの主要観光地や、同じく観光地となっている旧市街地からはやや距離がある立地ではある。ただ、とくに旧市街地のまわりは夜間も人通りが多く、少々さわがしい。旧市街地までタクシーを使っても30万~35万ドン(約1450~1600円)ほどなので、移動コストは少しかかっても静かに過ごしたい人にお勧めしたい。
リノベーションから数年しか経っていないだけあって内装は近代的。宿泊したのはもっとも安価なスーペリアルームだが、ユニバーサルタイプのコンセントを備えた電源タップが用意されていたり、ベッドサイドにもコンセントがあったりと過ごしやすい。バスルームにはバスタブがあり、トイレは温水洗浄便座機能を装備。
アメニティもシャンプーやコンディショナーなど一通りそろっているほか、ペットボトルの水も4本無料。有料のミニバーのほかに、無料で飲めるコーヒーなども用意されている。
時期にもよるが、おおむね1泊1万5000円前後から宿泊できるので、ファシリティから見るとかなりコスパのよいホテルという印象だ。
朝食は2階のレストランでビュッフェが用意される。こちらもメニューが多いだけでなく、オーガニック素材を使った料理やデトックスメニューのような健康志向な料理を集めたコーナーもあり充実している。
ぶらぶらするもよし、お土産を買うもよしの「旧市街」を散策
ハノイに行ったら必ず訪れておきたいスポットがハノイ旧市街だ。ホアンキエム湖という小さな湖の北側に広がるエリアで、先述したタンロン遺跡の東側にある、いわば元・城下町な場所だ。
ここには36の通り(ストリート)があり、古くは通りでそれぞれの同業者が集まって商売を営んでいたという。記者は残念ながらベトナム語は分からないのだが、そうした商売や、扱っている商品の名前などに由来する通りの名前も多いそうだ。
現在は、洋服や雑貨といったさまざまな商店のほか、多数の飲食店が並んでにぎわいを見せている。アパレル産業では“世界の工場”になっているベトナムだけに、衣類は品質のよさそうなものが、手ごろな価格で販売されているのが印象的だった。
ホアンキエム湖周辺は金曜日の夜から日曜日まで歩行者天国となり、地元の人が多く集まるナイトマーケットも開かれており、そこでは例えばTシャツが“何枚でいくら”のような売り方もされているので、お土産物の購入に持ってこいだろう。
旧市街のオアシス的存在ともなっているホアンキエム湖には、神が遣わした亀に英雄が剣を返したという伝説があり、実際に数年前まで大亀が生息していたということで、中央の島には「亀の塔」が建っているなど、なにかと亀にまつわるものが多い。また、湖に建つ「玉山祠」へとわたる赤い橋も印象的で、夜は祠とともにライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸し出す。この昼と夜に見せる顔の違いも魅力的だ。
この玉山祠は橋の上までは無料で行け、祠に入る段階で入場券が必要になる。入場券は橋の手前の券売所で3万ドン(約150円)で購入できる。玉山祠はパワースポットとして多くの人が集まっているが、そうしたスピチュアルな面を抜きにしても、18世紀に建てられたという建築物の重厚さや、少し違った角度から見る今のハノイの姿を見ることができる。旧市街散策のときにふらっと立ち寄れる場所なので、ぜひ訪れてみてほしい。
旧市街を訪れたならば、少し足を伸ばしてホアンキエム湖の南側を散策することもお勧めしたい。ここはフランス統治時代に建てられた建物が多く残り、ほんの10分ほど歩いただけで、急に西洋的な雰囲気に様変わりする。
著名なオペラハウスは特に美しい建物だ。ラウンドアバウトに面して建つことから、さまざまな角度で瀟洒な姿を見ることができる。この付近は、東南アジアらしいカオスな雰囲気と、西洋文化の名残りのコントラストを肌で感じられる面白いエリアなのだ。
ただ、ハノイは渋滞が深刻な問題となっているように自動車やバイクの交通量が非常に多い。信号は整備されているところが多いが、それでも何度かヒヤリハットな思いをしたので、注意して散策するようにしたい。
現代に残るフランス統治時代の大動脈「ロンビエン橋」
フランス統治時代の名残りを残すハノイの建築物としては、「ロンビエン橋」が最も有名だろう(異論はあると思うが)。ハノイを流れるホン川(紅川)に架かる市内7つの橋のうちの1つだ。
20世紀初頭にフランス人によって設計されたもので、ハノイとハイフォンをつなぐ鉄道のために建設された。典型的なトラス構造の鉄橋で、同時期に作られたエッフェル塔のように大量の鉄材が使われているのが印象的。エッフェル塔以上に実用品としての性格が強い建築物なので無骨ではあるのだが、それでも現代からの視点では芸術的と感じる十分な美しさがある。
表面は錆色にまとわれており、いつまでこの姿を見られるのか心配になるが、ベトナム戦争などの戦渦をくぐり抜けた歴史の重みもある橋なので、長く留めてほしいと思う。
ちなみに、この橋は現在、鉄道またはバイクのみの通過が認められているため、徒歩や自動車でわたることができない。旧市街の東側で、歩いて行くには少し距離がある。記者はぶらぶらと歩きながら橋の近くまで訪れたのだが、ロンビエン駅にタクシーなどで向かうのがよさそうだった。
海外の鉄道らしくプラットホームまではアクセス自由で、線路の反対側にも出口があるので堂々と線路を横切ることもできる。この駅から見るロンビエン橋は、真っ直ぐ延びる線路のおかげで、1.7kmという長大さを感じることができる。また、ロンビエン駅の正面には、川の対岸から向かってくるバイクの出口があるので、建築から100年以上経ってなお、渡河のための重要なインフラとして活躍しているさまを感じることができるだろう。
国旗の降納が行なわれるホー・チ・ミン廟前に多数の人々
最後に、ハノイの夜で毎日行なわれているイベントを紹介しておこう。それがホー・チ・ミン廟で行なわれる国旗の降納式である。礼装をまとった兵隊によって整然と行なわれる儀式だ。
21時にスタートするこの儀式を見るために同地を訪れたのは平日だったのだが、多くのベトナム人が集まり、子供連れで見に来ている人も多いのが印象的だった。ベトナムでは近年、ベトナム人のアイデンティティを見つめ直す人が増え、愛国心の高まりを見せているという。この人出の多さも、そうした傾向の現われなのかも知れない。
また、ハノイに限らず、社会主義国らしいアイテムやプロパガンダポスターなどで装飾したカフェなども流行っているという。有名なのは「CONG Cafe(コン・カフェ)」で、ハノイ市内にも何店舗かあるそうだ。
店内は少し古めかしく装飾され、店員さんはミリタリー風の衣装で接客。ソ連製の機器やキリル文字で書かれた書籍が並ぶなど、ここだけ時代を巻き戻したような空間になっている。あくまでファッションとしてこのようなスタイルにしているようで、イデオロギーを強く打ち出すわけではなく、お客さんも本を読んだり、カップルが雑談したりと普通の店内だ。
ベトナムを訪れてみると、東南アジアの風が色濃く残る一方で、社会主義国であることは忘れてしまいそうになるほど居心地がよい。そうしたなかで、こうした別の顔に触れてみることも、観光のスパイスとして思い出に残るのではないだろうか。