旅レポ
長崎県北の佐世保、波佐見エリアにある日本遺産を巡る旅(その1)
針尾送信所や佐世保造船所に佐世保の日本遺産群の歴史の重さを感じる
2016年11月19日 00:00
文部科学省の管轄である文化庁が現在行なっているのが「日本遺産(Japan Heritage)」(以下、日本遺産)の選出とその認定だ。この日本遺産とは特定の「もの」を指すのではなく、歴史的魅力や特色を通じて日本の文化、伝統を語れるストーリーが対象になるというもので、日本遺産に認定されたストーリーと関わる建造物、地域などは、そこにある文化財を総合的に整備、活用し、国内はもちろん海外にも情報を発信していくことで地域の活性化を図ることを目的とされている。
日本遺産は2015年4月から認定が始まり現在は37件が登録されているが、「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」として含まれているのが長崎県佐世保市にある旧日本海軍に関わる歴史や施設。これは明治の時代、日本の発展と海防力を高めるために作られた軍港都市の歴史や建造物などが「鎮守府」というキーワードのもと、遺産群とされている。また、佐世保同様に神奈川の横須賀、京都の舞鶴、広島の呉の各軍港都市も鎮守府キーワードの日本遺産である。
佐世保で、もうひとつ日本遺産に認定されたものがある。それが約400年もの歴史を持つ焼き物文化の三川内(みかわち)焼で、東彼杵郡波佐見町との波佐見焼とともに「日本磁器のふるさと 肥前 ~百花繚乱のやきもの散歩~」として認定された。これも作品だけでなく当時の遺跡や技術など含めての日本遺産になっている。
そんな日本遺産が豊富な佐世保、波佐見エリアの魅力を紹介するため、長崎県は佐世保、波佐見を巡る2泊3日のプレスツアーを10月下旬に開催。日程ごとにわけて紹介していこう。
まずは日程の紹介から。1日目は10時10分に長崎空港に到着。ツアーバスにて佐世保市内へ移動し針尾送信所、巨大防空壕「無窮洞」を見学したあと、佐世保市内を巡るバスツアーに参加。佐世保港にあるジャイアントカンチレバークレーン、赤煉瓦倉庫群、SSK第4ドックなどを遠景から見てまわるスケジュールだ。
2日目は旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館であった佐世保市民文化ホールを見学したあと、海上自衛隊佐世保史料館セイルタワーで旧海軍時代から現在までの歴史展示を見る。そのあとは佐世保の港を巡るクルーズ船に乗船して海上自衛隊、アメリカ海軍、佐世保重工業(SSK)などの施設や艦艇を海から見学する佐世保軍港クルーズに参加。午後は三川内焼産地を巡る。
3日目は波佐見地区へ行き、波佐見焼に使われた登り窯や採石場跡、窯元を見学するという内容になっている。
ちなみにこのツアーの起点となった長崎空港だが、ここは1975年に開業した世界初の海上空港とのこと。旅行の行程において空港という場所は発着地以外の意識を持たないものだと思うが、世界初の海上空港という肩書きを持つ長崎空港はそれ自体が見どころ、日本遺産を巡る旅の入り口として相応しいものだろう。
大正時代に作られた高さ約136mの塔が並ぶ針尾送信所
最初に向かったのは佐世保市針尾中町にある針尾送信所(旧佐世保無線電信所)だ。ここは旧日本海軍が1918年(大正7年)から1922年まで4年間をかけて建造したもの。当時、背の高い無線塔は千葉県船橋市と台湾の高雄にも作られたそうだが、現存するのは針尾無線塔のみとのこと。
針尾送信所は3本の電波塔と1棟の電信室で構成されていて、それぞれの塔の高さは約136mもあり、それが300m間隔の正三角の配置で立てられている。とにかくサイズ感が半端ではないので数km距離を取った遠景で見ないと施設全体の感じが掴めないほどだ。
この無線塔は鉄筋コンクリート造りだが、当時、鉄筋コンクリート造りは世界的にも最新技術。それを日本が独自で研究して技術的に昇華させて建造したのがこの塔。戦争時の遺産というだけでなく、当時の日本の技術力の高さを証明する近代文化遺産でもある。
稼働していた時代には塔の頂上付近に1辺が18mもある正三角形の構造物、通称「簪(かんざし)」があり、各塔はアンテナ線で結ばれていた。そして1号塔と2号塔からは佐世保や中国大陸へ。2号塔、3号塔は東京、広島方面。3号塔、1号塔は台湾、沖縄、南太平洋方面へ電波を飛ばす役割だったという。ちなみに針尾無線塔で使用していた電波は大正の時代に主流だった長波。遠くへ電波を飛ばすためには高い塔が必要だったとのこと。
針尾送信所のエピソードに真珠湾攻撃の開始を指示する暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ヒトフタマルハチ)」が、この電波塔からも送信されたというのがあるが、そういったことを記録した重要書類は終戦時に処分されたものが多い。それだけに暗号電文がここから発せられたかどうかはいまだ不明のままだ。しかし、これまで針尾無線塔を訪れた人のなかには、当時ここに勤めていた人の孫や子もいて「祖父や父からニイタカヤマノボレ一二〇八を送信したと何度も聞かされた」という証言も数件あったいう。もちろん、そのことを裏付けるものはないのだが、それが事実だったとしても納得できるだけの存在感が針尾無線塔にはある。
この針尾送信所は2013年3月に国の重要文化財の指定も受けていて、同年6月から一般公開されるようになったのだが、敷地内を勝手に見てまわることはできない。見学に関しては地元の方で構成される「針尾無線塔保存会」の会員の方に案内してもらうことが前提だ。
今回は保存会の田平さんに案内をしてもらったが、歴史や塔の作りなどの解説が詳しいだけでなく、その語り口調は何かの物語を読んで聞かせてもらっているかのよう。あとでお話を聞いたところ、保存会のガイドさんは6名いて、皆さん解説に長けているようなので、現地にいったら塔だけでなく保存会の方々の「語り」も堪能していただきたい。
針尾送信所
所在地:佐世保市針尾中町
TEL:0956-58-2718
見学時間:9時~12時、13時~16時
一魚一会
所在地:長崎県佐世保市針尾東町2371-1
TEL:0956-20-2525
営業時間:11時~22時(オーダーストップ21時30分)
Webサイト:一魚一会
児童の命を守るために児童が自ら掘った巨大防空壕
次に訪れたのは第2次世界大戦中に、旧宮村国民学校の防空壕として掘られた「無窮洞(旧宮村国民学校地下教室)」だ。ここは1943年(昭和18年)8月29日から1945年(昭和20年)8月15日の終戦の日までの約2年間、旧宮村国民学校に在籍していた小中学生によって掘られたもの。当時、無窮洞を掘っていたという84歳になる阿波さんにガイドとして案内していただいた。
この地は大村湾の軍事施設に近いため、戦中はアメリカ軍機の攻撃をよく受けていたとのこと。そこで旧宮村国民学校の池田千秋校長が子供たちの命を守るために学校からすぐに避難できる場所に防空壕を掘ることを発案したのが始まり。無窮洞の名前も「窮しないように(命が極まらない、子供たちの命が続くように)」という意味が込められているという。
阿波さんの先導で無窮洞内へ入る。阿波さんは小学6年生から中学1年生の夏までの期間、無窮洞の掘削に携わっていた。池田校長から「あなたたちの命を守るものだからしっかりやりなさい」という言葉を受け、阿波さんたちは無我夢中で作業をしたという。
その池田校長がこの場所を選んだ理由のひとつに無窮洞周辺の地質があった。この場所への火砕流堆積物が固まった凝灰岩で構成されていたが、この地質なら小学生でも穴を掘ることが可能と判断したのだ。
しかし、そうはいっても掘削機などなく、ツルハシやクワなどで掘るしかない時代、しかも子供である。相当な重労働となったので、作業は午前と午後に交代制。掘削作業は先生の指導の下、高等部男子生徒(現在の男子中学生に相当)が穴を掘り、女子生徒が成型し、掘り出した土や石は下級生が運び出すという役割分担になっていた。
終戦までにすべての設備は完成はしなかったが、防空壕としての機能はあったので空襲警報が鳴れば全校生徒は無窮洞へ避難した。爆撃が直近に落ちても被害が穴の中に及ばないようにする工夫もあったというが、現在、無窮洞が当時のまま残っているところからも、悲劇は起こらなかったことが分かる。
無窮洞内は写真で紹介するが、ここは県内外から小中学生が見学に訪れるところで、その際も阿波さん達が案内する。阿波さんは毎回「みなさんが大人になったときにも平和が続いているように頑張ってください」と伝えているとのことだった。
無窮洞
所在地:長崎県佐世保市城間町
TEL:0956-59-2003(「無窮洞」詰所)
定休日:年末年始
営業時間:9時~17時(見学受付時間:9時~16時30分)
近代化のために作られた遺産見学と佐世保の絶景を眺める
1日目の最後は佐世保市内の名所を巡るクルーズバス「海風」に乗車してのバスツアーだ。このツアーにはアテンダーと呼ばれるスタッフが同乗し、各所の解説を行なってくれる。今回のツアーでは九十九島をパノラマで楽しむ「展海峰」コースに乗車、佐世保駅前にある佐世保バスセンターを発車し、日本遺産である世界最大級を誇った佐世保重工業(SSK)の敷地にある250トンクレーン、赤煉瓦倉庫、戦艦武蔵の艤装を行なったSSK第4ドックを見学したあと、佐世保の絶景ポイントである展海峰からリアス海岸と、208の島からなる九十九島を眺めるというスケジュールだ。
バスの車中は絶えずアテンダーが佐世保について面白い豆知識を交えた解説をしてくれているので、見どころのポイントに着くまで退屈することはない。その例としては佐世保の在日アメリカ軍基地の住所はカリフォルニア州サンディエゴになるということや、海上自衛隊の艦艇では曜日感覚を保つため毎週金曜にカレーを出す風習があることは広く知られているが、そもそもは土曜日に出ていたもので、週休二日制になったところから金曜に変更された、などである。
最初の目的地は佐世保重工業 佐世保造船所(SSK)内にある250トンクレーン。ここは戦時中には軍艦を建造したり、戦いで傷ついた艦の修理を行なっていたところで、戦後は1946年(昭和21年)から再び造船所として稼動。現在は700名もの方が働いているという。
ここにあるのが日本遺産の構成文化財に数えられる「ジャイアントカンチレバークレーン」。このクレーンはイギリスのメーカーが製造して日本へ持ち込まれ、1913年(大正2年)から稼動していて103年経過した現在も現役で使われている。そして吊り上げ最大能力はなんと250トン。日本に同型のクレーンは3基あるというが、そのなかでも最大の能力を持っていてなおかつ現役で稼動しているところがポイントだ。フェンス越しに見るしかないが、それでもその大きさは感じ取れるし、建造物としての美しさも十分感じることができる。
250トンクレーン見学後、バスは造船所が見渡せる停留所で停車。正面に大型クレーンが3基建つドックが見えるが、ここがSSKの第4ドック。サイズは長さ400m、横幅57m、深さは15.6mある大型のドックだ。
これは、日本海軍が対米戦守の切り札として建造を進めていた世界最大の戦艦大和型の艤装や整備を目的に1940年(昭和15年)に作られた。実際に三菱重工業長崎造船所で進水した大和型戦艦の二番艦、武蔵の舵やスクリューの取り付けが行なわれた。武蔵のドック入りは当然秘密裏で行なわれ、裏山には目隠しの塀が建てられた。その一部は道路から見えるところに残っていた。
そしていよいよメインの目的地である展海峰へ。佐世保港外から北へ25km行ったところにある平戸瀬戸までの間に連なる大小208の島々を九十九島(くじゅうくしま)と呼んでいる。ここは日本最西端の西海国立公園にも指定されているところで、佐世保に面している部分は小さい島が連なっている。
この208の島のうち4島は人が住んでいてそのひとつに黒島というところがある。徳川幕府によりキリスト教が禁じられていた江戸時代、平戸島や西彼杵半島の外海地区からキリスト教信者が移り住んだ潜伏キリシタンの島。今はその子孫の方が暮らしているという。この島には当時の教会である黒島天主堂(重要文化財)が残っていて、島全体が世界遺産の候補にもなっている。
SASEBOクルーズバス「海風」
Webサイト:SASEBOクルーズバス「海風」
季節の味処 しぐれ茶屋
所在地:長崎県佐世保市下京町7-8
TEL:0120-751-194
定休日:日曜、祝日は夜のみ営業
営業時間:11時30分~14時、17時~22時30分前後
Webサイト:季節の味処 しぐれ茶屋
と、ここまでで佐世保、波佐見エリアの日本遺産を巡るツアーの1日目は終了。2日目も佐世保の鎮守府にまつわるもの主体になるが、ここも見どころが満載なので楽しみにしていてほしい。