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JAL、初便搭乗客も駆けつけた、韓国・釜山就航50周年記念セレモニー
前日には釜山市内で関係者向けの祝賀パーティ
2017年9月4日 13:53
- 2017年9月2日 開催
JAL(日本航空)は9月2日、1967年の福岡~釜山線開設から就航50周年を迎えたことを記念して、韓国・釜山の金海国際空港で記念セレモニーを実施した。また、前日の9月1日には、在釜山日本国総領事館や釜山日本人会、業務委託先などの関係者が約85名出席して、釜山市内のホテルで祝賀パーティを開いた。
日本と釜山を結ぶ路線は1967年9月2日に福岡~釜山線として開設しており、当時の機材はダグラス DC-6B型機。1967年の初便は22名の乗客を乗せて、釜山広域市海雲台区のセンタムシティにかつてあった水営(スヨン)飛行場へ着陸したという。その後、1971年4月2日に大阪~釜山線(ボーイング 727型機)、1979年7月2日に東京(成田)~釜山線(ダグラス DC-8-62型機)、1991年4月26日に名古屋~釜山線(ボーイング 767型機)が次々と就航して現在に至る。
50周年前日に祝賀パーティを開催
前日の祝賀パーティで登壇したJAL 代表取締役社長の植木義晴氏は、成田~釜山間でダブルデイリー運航している日本の航空会社はJALが唯一であると前置きして、現在の日本~韓国間はLCCの参入で厳しい状況になっているもの、安全性・定時性はもちろんサービス品質を磨き上げ、差別化を図っていくと話した。
さらに「ここからは自慢ですが」と切り出し、JALの釜山空港所は、利用者によるアンケート(デイリー・バリュー・スコア)で日本の主要空港より優れているとの評価を得ていること、現在国際線で就航している41空港の中でも常にトップ3に入る実力があることを明かすと、会場からは大きな拍手が送られた。
また、植木氏はかつてパイロットとして勤務していたころを振り返り、釜山へはダグラス DC-10型機で何度も訪れていたが、久しぶりに空から見た釜山は非常に美しかったと挨拶を締めくくった。
在釜山日本国総領事館 首席領事の中江新氏は「現在日韓では年間740万人の往来があるが、50年前はわずか年間1万人であり、隔世の感がある」と話し、「JALは日韓国交正常化直後から空の往来に率先して取り組んできたが、その信頼性と快適さが両国間の往来増大に大きく貢献した」と賛辞を送った。また、中江氏は「若いころに聞いていた」「個人的な思い入れ」として、番組開始当時からJALが提供を行なっているTOKYO FM(エフエム東京)のラジオ番組「JET STREAM」も、釜山線と同じ1967年に放送が始まったことを挙げ、どちらも50周年の先、次の50周年を目指してほしいと激励した。
2人目の来賓として紹介された大韓航空 釜山旅客サービス支店 支店長のJung Yonggak氏は、「韓国のことわざで『10年の歳月が経てば川も山も変わる』という言葉がある。大韓航空は設立48年を迎えるが、JALが釜山線を50年も維持できたのは、JALの情熱、釜山への愛情、関係者の支援があってこそではないか。
JALと大韓航空は所属しているアライアンスこそ違えど、コードシェア便の提携を深く結んでおり、互いの国の空港でグランドハンドリングを担当するなど、戦略パートナーの関係にある。これからも大韓航空はJALを支援していきたい」と両社の良好な関係をアピールした。
パーティは乾杯の発声のあと歓談の時間を挟んで、第2部を開始。釜山支店の歴史を動画で紹介し、プレゼントの当たるクイズなどを実施した。
そして会場には、釜山線と関係の深い歴代CA(客室乗務員)の制服をまとったJALスタッフ5名が登壇。福岡~釜山線就航当時の使われていた4代目制服(1967年3月~1970年6月)は、スカイブルーの柔らかい色合いが特徴で胸元には真珠をあしらった銀色の鶴丸ブローチが飾られている。
大阪~釜山線の開設やジャンボ(ボーイング 747型機)が就航した当時の5代目制服(1970年7月~1977年9月)は紺色のミニスカートワンピースで、幅の広い赤いベルトを組み合わせている。このときからCAの制服にスカーフが採用されたというが、なによりミニスカートが当時大変話題になったとのこと。
6代目制服(1977年10月~1987年12月)は成田~釜山線を開設したころのもので、紺のワンピースの袖から紅白ボーダーの長袖シャツが覗く斬新なスタイリングが特徴。なお、4代目~6代目の制服はファッションデザイナーの森英恵氏が手がけたものだ。
名古屋~釜山線開設当時は7代目制服(1988年1月~1996年9月)に変わっており、やや肩幅のあるジャケットはウエストを絞ったデザインで、タイトスカートを組み合わせている。デザインは一般から公募されたもの。
2013年に現行の制服が導入されるまで使われていた9代目制服(2004年4月~2013年5月)は、チャコールの上下でジャケットはシングルの金ボタン。スカーフは3種あり、先任客室乗務員には別途2種のスカーフが用意されていた。
そしてここで、50年前の初便に搭乗していたという李敏子(イ・ミンジャ)さんが壇上に呼び込まれ、「19歳のときに父に連れられて初めて祖国を訪れたが、あれが初便だとは知らなかったので、今回声をかけられて大変驚いた」と出席の経緯を語り、「当時はまだ金海国際空港ではなく、おそらくこの辺り、水営(スヨン)に着陸したと思うが、何もない原っぱだった。そこから父方の地元まで何時間もかかってお墓参りをしたことを覚えている。今は高速道路ができて、40分でお墓まで行けるが、そこには今、父が眠っている。明日は父に『釜山行きの初便に乗せてくれたことをありがとう』と伝えたい」と思い出を明かすと、会場から大きな拍手が起こった。
閉会の挨拶を行なったのは、JAL アジア・オセアニア地区支配人室 韓国支店 支店長の姫路貴弘氏。韓国からの訪日客が増えていること、LCCが活況であることに触れてから、「しかしながら、JALがさまざまな困難を乗り越えて路線を守ってきたなかで培ったものは、日韓を結ぶ路線で必要とされ続けると信じている。それは、“よいところは守りながら、お客さまのニーズに合わせて大胆に変化する”ということ。明日のJL958便の出発前に50周年のセレモニーを行なうが、ここからまた新たな50年に向けて、ゼロからスタートする日としたい」と意気込みを話した。
パーティ終了後には植木義晴氏が囲み取材に応じ、パイロット時代の釜山へのフライトを回想した。当時の乗機であるダグラス DC-10型機は国内・国際路線が半々程度で、釜山には月2~3回訪れていたという。金海国際空港滑走路へのアプローチについては、「北風が吹いていると海から(滑走路に)入っていけるが、南風が強くなるとぐるっと回って山側から入らなければならず、難しい空港の一つだった。パイロット泣かせともいえるし、パイロット冥利ともいえるし、腕の見せどころでもあった」と述懐した。
なお、2018年3月に成田~仁川線を運休することを踏まえた韓国戦略については、「非常に厳しい」と一言。現在JAL全体の有償搭乗率は80%程度で、特典航空券(マイル使用)を含めると86%程度だが、なかでも釜山線は80%を超えており、平均より高い方だという。「LCCの参入で需給のバランスが取れなくなっている状況であり、有償座席利用率が80%超でも厳しいのは事実。しかし日韓の架け橋として50年続く路線であり、フルサービスキャリアで日本から乗り入れているのはJALだけであるため、なんとか路線を維持したい。そのためには価格競争に向かうのではなく、どこにも負けない品質で差別化を図っていきたい」と展望を語った。
8番ゲート前で記念セレモニーを実施
翌9月2日、就航50周年の当日は金海国際空港の8番ゲートでJL958便出発前に記念セレモニーを実施した。ゲート前にはこの日フライトするJL958便とJL960便の機内食(軽食)サンプルのほか、ダグラス DC-6Bのモデルプレーンや当時のポスターなどが展示されていた。
冒頭、植木義晴氏が挨拶に立ち、臨席した関係者やJL958便搭乗客へ感謝を述べると、成田~釜山線を1日2便運航している日本の航空会社はJALだけであることや、LCCの参入で厳しいなか、最高品質のサービスで差別化を図っていること、釜山がJAL利用者へのアンケートで日本の主要空港より高い評価を得ていることなどを説明した。そして、「世界一お客さまに選ばれ、愛される航空会社を目指す」とスピーチを締めくくった。
続いて、大韓民国 国土交通部 釜山地方航空庁 管理局長のChoi Bongki氏が祝辞を述べ、「金海国際空港に就航した47の航空会社のうち、平均遅延率は3.7%、欠航率は1%だが、JALは遅延率0.7%、欠航率0.3%であり、これは高い定時性やサービスを実現するためにJALのスタッフが努力した結果」であると賞賛した。
韓国空港公社 釜山地域本部長のCho Hyunyoung氏は、「50年続いた路線は韓国の発展に寄与し、韓国東南部の市民の足としても大きな役割を果たした。JALと金海国際空港がともに歩んできた発展の道を足がかりに、さらなる未来を目指すことができれば、両社の将来は明るい」と祝辞を述べた。
その後、感謝牌の贈呈や50年前の初便搭乗客である李敏子さんのスピーチ、テープカットを経て、JL958便の搭乗が始まり、搭乗客へラゲージタグや搭乗証明書などの記念品が贈られた。