トルコ共和国大使館・文化広報参事官室は、7月5日から9日にかけて、トルコ最大の都市イスタンブル、および同国有数の観光スポットであるカッパドキアを巡るプレスツアーを実施した。
鉄製の武器をはじめて実用化したとされるヒッタイト帝国、マケドニア、東ローマ帝国など、古代からさまざまな民族が流入し、文明が栄えたトルコには歴史的な遺跡も多数残っている。今回はカッパドキアにある遺跡を中心にレポートしよう。
美しいフレスコ画が残るギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館は、カッパドキア最大のキリスト教遺跡だ。ここには迫害から逃れて移ってきたキリスト教徒が造った岩窟教会や修道院が集まっている。
教会にはそれぞれ名前が付けられており、ここには「聖バシル教会」「りんごの教会」「聖バルバラ教会」「蛇の教会」「暗闇の教会」などがあり、こうした教会の内部の天井や壁には「イコン」と呼ばれるキリスト教の宗教画がフレスコ画で描かれている。
フレスコ画とは、石灰モルタル(西洋漆喰)を塗り、乾ききらないうちに水で溶いた顔料で描く技法。水に溶けた石灰=水酸化カルシウムが二酸化炭素と反応して透明の結晶を作り、顔料を包みこんで硬化し、壁と一体化する。そのため高い耐久性を持ち、顔料を定着させるための溶剤を使わないため、発色にも優れるという特徴がある。当時(9~11世紀と言われている)書かれた壁画が今も残っているのはこの技法によるところが大きい。なかでも「暗闇の教会」のフレスコ画は、太陽がほとんど当たらない状況が功を奏し、もっとも保存状態がよいことで知られている(一部は修復されたものである)。
教会内のフレスコ画は目の部分を中心に削り取られているが、これはこうした宗教画が偶像崇拝を禁じたイスラムの教えに反するとされ、厳しく取り締まられた時代があり、人の手で削りとられてしまったのだという。
なお、教会内の壁画は、現在は基本的に撮影が禁止されている。今回は特別に許可をいただいて撮影した。
ギョレメ野外博物館
入り口すぐ脇にあるのは女子修道院だったところ。立ち入りは禁止されていた 敷地内および周辺もかなり起伏に富んだ地形。聖バシル教会の辺りから撮影 敷地の外側の岸壁にはたくさんのハト小屋がある。ハトの糞を肥料として利用するために作られたという。このハト小屋は、カッパドキアの至るところで目にすることができる まだ原形をとどめているハト小屋。扉の上の方が2~3個穴がある 「りんごの教会」。ここも本来は撮影禁止だということだが、今回は許可された 「りんごの教会」内部の壁画。中央は「CRUCIFIXION」(キリストの十字架上での死) 天井には「CHRIST」(キリスト)。目の部分は削りとられている 出入り口付近の壁画は損傷が激しい。左に見えるのは「BAPTISM」(洗礼) 伝統的なイコン「DEESIS」(デイシス)。キリストとマリア、ヨハネが描かれている 「DEESIS」の上には「MICHAEL」(大天使ミカエル) 天井の独特の構造はほかの多くの教会でも共通して見られる このイコンは「THE RAISING OF LAZARUS」(ラザロスの復活) 大蛇と戦う「ST.GEORGE」(聖ジョージ、左)と「ST.THEODORE」(聖セオドア、右) 左から「ST.ONUPHRIUS」(聖オヌフリウス)、「ST.THOMAS」(聖トーマス)、「ST.BASIL」(聖バシル) 教会以外にも岩を掘ってできた小部屋がある。ここは「炊事場」として使われていたという。壁や天井が煤けている 敷地内でも高いところにある「暗闇の教会」を見上げたところ(実際はさらに奥) 「暗闇の教会の出入口」。ここに入るには追加の入場料が必要で、受付でチケットを購入して入る 上が「ANASTASIS」(キリストの復活)と呼ばれるイコン 「CRUCIFIXION」(キリストの十字架上での死) 「TRANSFIGURATION」(イエスの変容) この教会だけは、教会本体に入る手前に小さなロビーのような場所があり、ロビー側にしか窓のようなものがない。これは教会本体の奥側からロビー側を見たところ ロビーにもフレスコ画があった。これは「ASCENSION」(キリストの昇天) 「ASCENSION」以外にもたくさんのフレスコ画が描かれていたが、案内板には名前が記載されていなかった カイマクルで謎に満ちた地下都市に潜る
カッパドキアには地下都市と呼ばれる遺跡が多数ある。今回はそのうちの1つ、カイマクル地下都市を見学した。
見学可能な面積は2.5km 2 に広がるというこの地下都市は、現時点で地下8階まで確認されている。各層は階段や傾斜した通路でつながれており、家畜の飼育場、食糧貯蔵庫、ワイナリー、キッチン、通気口まで、長期間生活するための施設を備えている。多いときで5000人ほどが住んでいたともいわれている(数については諸説あるようだ)。
今回は地下5階まで見学できた。5階といっても、明確な階があるわけではない。内部はアリの巣のような作りで、迷路のように入り組んでおり、場所によっては下層から地上へ直結するような通路なども用意されている。
また、1人分の幅しかない通路や階段を中腰のまま移動しなければならないところも少なくない。このように1人ずつしか通れない場所が多いのは、外敵が侵入してきたときに1人ずつ倒せるようにするためだという。内部からしか開けられない石扉もあり、外敵の侵入を徹底して警戒していたことがうかがえる。
これらの地下都市は、3世紀ごろにローマ帝国の迫害を逃れてこの地に移ってきたキリスト教徒が拡張し、隠れ住んでいたとされている。いつ造られたかについては諸説あるが、ヒッタイト帝国の時代(紀元前16世紀ごろ~)に造られたとする説が有力だ。
カイマクル地下都市
赤い矢印が下へ、青い矢印は上へ行く道であることを示している 上層はSTABLE、つまり家畜の飼育が行なわれていたとされる うっすらとだが、十字架の跡が残っている。壁画などは残っていない ワイナリー。奥の小部屋でぶどうを足で踏んで手前の桶のようなものへ流して貯めたという 石扉(STONE DOOR)。侵入者を防ぐために作られたという トンネル。中はかなり狭く、成人男性ならかがんでやっと通れるくらい トンネルの途中から覗いた通気口。各階を貫通するよう作られている リビングルーム。ここに限らず天井は低いところがほとんどだ この地下都市でどのように生活していたか(あくまでも推測である)が再現されている 家畜の飼育場、食糧貯蔵庫、ワイナリー、キッチン、通気口まで、長期間生活するための施設を備えていた 近くには有料トイレもあるが、ここでは無料できれいなトイレが借りられた こちらも土産物屋。定番のミニ気球や奇岩型の置物などがある 古代を今に伝える巨大な要塞オルタヒサル
カッパドキアには、ヒッタイト時代に使われていた要塞遺跡が2つある。それぞれ、「オルタヒサル」「ウチヒサル」と呼ばれている。ヒサルは「要塞、砦」という意味で、オルタが「中央の」、ウチは「端、先端」といった意味があるという。
オルタヒサルでは要塞とその麓に広がる民家の様子を一望できる高台に上り、その様子を撮影することができた。圧倒的なスケールで展開される絶景は必見といえる。
オルタヒサル要塞
自然の岩と住居がなんともいえない情景を作り出している 民家の屋根にはソーラーパネルやパラボラアンテナが設置されているのが目立つ 洞窟ホテル(洞窟を活かしつつリノベーションしたホテル)へ改装中 この辺りから見ると要塞もまた違った存在感がある。空にそびえる岩の城といった風情だ 堀のようになっている。岸壁には例によって多数のハト小屋がある ウチヒサルでラクダと戯れる
ウチヒサルもまた、ヒッタイト時代に砦として使われていた岩窟の要塞である。ギョレメに近い立地もあり、どちらかというと観光スポットとしてはこちらが有名なようだが、今回は時間の関係で駆け足での見学となった。
カッパドキアの観光スポットではラクダを見かけることはめずらしくないが、ここのラクダはよく手入れされていてお洒落。乗って記念撮影をすることもできる(サービス料は交渉次第のようだ)が、ウチヒサルの要塞や奇岩を背にして撮ることに専念した。
ウチヒサル要塞
2頭入れて撮るとなると勝手にいろいろ動くので難易度が上がる おじさんが引っ張ってくれたが、なかなかいい角度を向いてくれない 脚にもミサンガのようなものを付けていたり、なかなかお洒落