旅レポ
ヨーロッパとアジアの文化が交差する国・トルコの絶景を満喫する(その2)
美しいフレスコ画と地下都市、要塞を巡る
2017年10月27日 00:00
トルコ共和国大使館・文化広報参事官室は、7月5日から9日にかけて、トルコ最大の都市イスタンブル、および同国有数の観光スポットであるカッパドキアを巡るプレスツアーを実施した。
鉄製の武器をはじめて実用化したとされるヒッタイト帝国、マケドニア、東ローマ帝国など、古代からさまざまな民族が流入し、文明が栄えたトルコには歴史的な遺跡も多数残っている。今回はカッパドキアにある遺跡を中心にレポートしよう。
美しいフレスコ画が残るギョレメ野外博物館
ギョレメ野外博物館は、カッパドキア最大のキリスト教遺跡だ。ここには迫害から逃れて移ってきたキリスト教徒が造った岩窟教会や修道院が集まっている。
教会にはそれぞれ名前が付けられており、ここには「聖バシル教会」「りんごの教会」「聖バルバラ教会」「蛇の教会」「暗闇の教会」などがあり、こうした教会の内部の天井や壁には「イコン」と呼ばれるキリスト教の宗教画がフレスコ画で描かれている。
フレスコ画とは、石灰モルタル(西洋漆喰)を塗り、乾ききらないうちに水で溶いた顔料で描く技法。水に溶けた石灰=水酸化カルシウムが二酸化炭素と反応して透明の結晶を作り、顔料を包みこんで硬化し、壁と一体化する。そのため高い耐久性を持ち、顔料を定着させるための溶剤を使わないため、発色にも優れるという特徴がある。当時(9~11世紀と言われている)書かれた壁画が今も残っているのはこの技法によるところが大きい。なかでも「暗闇の教会」のフレスコ画は、太陽がほとんど当たらない状況が功を奏し、もっとも保存状態がよいことで知られている(一部は修復されたものである)。
教会内のフレスコ画は目の部分を中心に削り取られているが、これはこうした宗教画が偶像崇拝を禁じたイスラムの教えに反するとされ、厳しく取り締まられた時代があり、人の手で削りとられてしまったのだという。
なお、教会内の壁画は、現在は基本的に撮影が禁止されている。今回は特別に許可をいただいて撮影した。
ギョレメ野外博物館
カイマクルで謎に満ちた地下都市に潜る
カッパドキアには地下都市と呼ばれる遺跡が多数ある。今回はそのうちの1つ、カイマクル地下都市を見学した。
見学可能な面積は2.5km 2 に広がるというこの地下都市は、現時点で地下8階まで確認されている。各層は階段や傾斜した通路でつながれており、家畜の飼育場、食糧貯蔵庫、ワイナリー、キッチン、通気口まで、長期間生活するための施設を備えている。多いときで5000人ほどが住んでいたともいわれている(数については諸説あるようだ)。
今回は地下5階まで見学できた。5階といっても、明確な階があるわけではない。内部はアリの巣のような作りで、迷路のように入り組んでおり、場所によっては下層から地上へ直結するような通路なども用意されている。
また、1人分の幅しかない通路や階段を中腰のまま移動しなければならないところも少なくない。このように1人ずつしか通れない場所が多いのは、外敵が侵入してきたときに1人ずつ倒せるようにするためだという。内部からしか開けられない石扉もあり、外敵の侵入を徹底して警戒していたことがうかがえる。
これらの地下都市は、3世紀ごろにローマ帝国の迫害を逃れてこの地に移ってきたキリスト教徒が拡張し、隠れ住んでいたとされている。いつ造られたかについては諸説あるが、ヒッタイト帝国の時代(紀元前16世紀ごろ~)に造られたとする説が有力だ。
カイマクル地下都市
古代を今に伝える巨大な要塞オルタヒサル
カッパドキアには、ヒッタイト時代に使われていた要塞遺跡が2つある。それぞれ、「オルタヒサル」「ウチヒサル」と呼ばれている。ヒサルは「要塞、砦」という意味で、オルタが「中央の」、ウチは「端、先端」といった意味があるという。
オルタヒサルでは要塞とその麓に広がる民家の様子を一望できる高台に上り、その様子を撮影することができた。圧倒的なスケールで展開される絶景は必見といえる。
オルタヒサル要塞
ウチヒサルでラクダと戯れる
ウチヒサルもまた、ヒッタイト時代に砦として使われていた岩窟の要塞である。ギョレメに近い立地もあり、どちらかというと観光スポットとしてはこちらが有名なようだが、今回は時間の関係で駆け足での見学となった。
カッパドキアの観光スポットではラクダを見かけることはめずらしくないが、ここのラクダはよく手入れされていてお洒落。乗って記念撮影をすることもできる(サービス料は交渉次第のようだ)が、ウチヒサルの要塞や奇岩を背にして撮ることに専念した。