旅レポ

トルコ北西・国境の町へ旅をしました(その2)

歴史に彩られたトルコ最大の都市イスタンブールで楽しむモスク巡り

イスタンブールを代表する歴史的建造物の1つ「アヤソフィア」

 トルコ共和国大使館・文化広報参事官室が主催する視察ツアーに参加して堪能したトルコの旅。第2弾はイスタンブール市内に点在するモスク(モスク=ジャーミィ=寺院)巡りです。

 さて、多くの日本人にとって最も馴染み深いトルコの都市といえば、日本から直行便で行ける同国最大の都市「イスタンブール」ではないでしょうか。世代によっては1970年代後半の大ヒット曲「飛んでイスタンブール」を思い浮かべる人もいるでしょう。

 そんなイスタンブールの街を歩いていると、どこへ行ってもモスクが目に留まります。観光名所ともなっているモスクの大きさにも圧倒されますが、なにより大小合わせて市内に2000以上もあるというのがその大きな理由でしょう。

 そんなイスタンブールは、街の規模はもちろん歴史も古く、紀元前にギリシャ人によって最初の都市ができて以来、途切れることなく現代に至っています。その価値が認められ、「イスタンブールの歴史地区」として多くの建造物がユネスコ世界文化遺産に登録されています。

 東ローマ帝国の帝都であったり、オスマン帝国の帝都であったりしながら積み重ねてきたその歴史の証とも言える当時の建造物が、これほど多く現存することに感動を覚えます。

歴史地区に隣り合った2つの世界遺産「アヤソフィア」と「ブルー・モスク」

 イスタンブールの歴史的建造物の中でもとりわけ歴史的意義が大きい建築物が「アヤソフィア」です。4世紀、東ローマ帝国時代に建設されたキリスト教の大聖堂です。その後、15世紀からのオスマン帝国時代にはイスラム寺院=モスクに転用され、今は無宗教の博物館になっていますが、4世紀に焼失し6世紀に再建されたものですが、当時の巨大建築物が内観も含めて現存し、今日でも利用されていることにはただただ驚くばかりです。

 また、アヤソフィアの向かいに建っている、これまた巨大な建築物が17世紀に建てられた「スルタンアフメト・モスク」です。ちなみにこのモスクは内装が青く「ブルー・モスク」とも呼ばれています。実はこの2つの世界遺産は、旅の行程の都合で中に入る時間が取れず、外観を眺めるだけになってしまいました。あとで調べてみるるとその内観は素晴らしく、悔しさが込み上げるとともに、再訪を固く誓った筆者でした。

「アヤソフィア」
「スルタンアフメト・モスク」(通称ブルー・モスク)
スルタンアフメト地区にはモスク以外にも古代ローマ都市の競馬場の跡地などがあります
アヤソフィア(写真左)は四角い建造物の上に半球状のドーム、スルタンアフメト・モスク(写真右)は円筒状の建造物の上にドームと、時代の違いを建築物に見るのは面白いものです

天才建築家ミマール・スィナン作「シェフザーデ・モスク」

天才建築家ミマール・スィナン初期の作品「シェフザーデ・モスク」

 モスクのことを調べたり、ガイドさんに訊ねたりすると必ず出てくる名前があります。それがオスマン帝国時代最高の建築家とされる「ミマール・スィナン」です。その後のモスク建築に多大な影響を与えたというスィナンが、本格的に手がけた最初の巨大プロジェクトがこの「シェフザーデ・モスク」だそうです。

 スィナンが活躍した16世紀といえば、日本では織田信長や豊臣秀吉が活躍した頃。そんな時代の巨大建築物が、丁寧な修復を重ねながら現役の寺院として活用され、なお観光客に無料開放されているその現実に、ここでも驚くばかりです。

主ドームの周りに4つの半ドームを配置しそれを4本の柱で支える堅牢な造りは以降のモスク建築に大きな影響を与えたそうです
凝りに凝った細部の彫刻はそこだけ見ていても非常に美しいものです
注意してみると彫刻の緻密さに加え素材の多彩さにも驚きます
車椅子用昇降機が備えられていました

オスマン建築の最高傑作「スレイマニエ・モスク」

同じくミマール・スィナンによるオスマン帝国時代の最高傑作「スレイマニエ・モスク」

 オスマン帝国時代の最高傑作とされるモスクが「スレイマニエ・モスク」です。もちろん前述の天才建築家ミマール・スィナンの作。オスマン帝国の最盛期に帝国の威信をかけて建設したというこの巨大モスクは、なんと建物のほとんどが創建当時のまま現存しているとのこと。さらに、敷地内に建つモスク以外の建物も図書館やレストランとして今でも使用されているそうです。

主ドームの前後に2つの半ドームを配置しそれを4本の柱で支える造り。柱の形状や窓の配置が特徴的です
礼拝堂の北側には墓廟があり、その造りも見事なものです。ほかのモスクにも見られる手法ですがよく見るとアーチを彩る紅白の縞は色の違う石材を組み合わせて造っています

ちょっと休憩して名物「サバサンド」を食す

トルコ名物、サバサンドとピクルス入りの飲み物

 トルコ観光に来た多くの人が「エミノニュ」という船着場で食べるという名物「サバサンド」。要するに鯖の塩焼きをパンで挟んだシンプルな食べ物です。感じ方は人それぞれでしょうが、日本人の多くの方はその味を容易に想像できるでしょう。そして、おそらく想像どおりの味です。ただ、港で潮の香りを感じながら頬張るコイツには異国情緒というスパイスも加わりますので、イスタンブールへ行った際には一度は食べてみることをお勧めします。あっ、焼き魚そのままなのでくれぐれも小骨にはお気を付けあれ。

 ほかにも港では何だか美味しそうな色をした、ピクルスの入ったジュースらしき飲み物も売ってます。実はコレ、漬物の水だそうでこちらは日本ではめったにお目にかかれないパワフルな味でした。

焼き栗も売ってました
エミノニュという船着場。こんな風景を眺めながらサバサンドにかじりつきます

古代ローマの建築技術の影響を色濃く受ける水道橋

イスタンブールにはあちこちに巨大な水道橋があり道路をまたいでいます

 イスタンブールでは、随処に道をまたぐように架けられた水道橋に出会えます。古くは東ローマ帝国時代のものから、16世紀にはその技術に新たな工夫をを加えた水道橋が新たに多数建設され、建築家ミマール・スィナンが手がけた水道橋も多く、イスタンブール郊外の水源から市街地へ水を供給していたとのことです。東ローマ帝国時代や16世紀の橋の下を、自動車が日常的に通り抜ける風景は日本ではなかなか見られない歴史の交差点です。

アーチが2段に積み重なったような16世紀の巨大建造物の下を車が行き来します
上部アーチの側面にトンネル状の通路が開けられている橋もあり、その複雑さに感心します。またてっぺんに登ってみると穴から水の流れが見えましたが今でも使っているのでしょうか
イスタンブール郊外にある特徴的な形状のビュユック・チェクメジェ橋もミマール・スィナン作

ミマール・スィナン自身が最高傑作と評する「セリミエ・モスク」

スレイマニエ・モスクと並びオスマン帝国時代の最高傑作と評されているエディルネの「セリミエ・モスク」

「セリミエ・モスク」は前編でも紹介しました。イスタンブールではなくエディルネの街のモスクですが、イスタンブールのスレイマニエ・モスクと並びオスマン帝国時代の最高傑作と称されているので再度紹介しておきます。なお、前回の紹介時は“ジャーミィ”の表記を用いましたが、今回は“モスク”で統一しています。

 ちなみにスィナン自身はスレイマニエ・モスクを「職人時代の作品」、その18年後に完成したセリミエ・モスクを「熟達者の作」と述べているようです。イスタンブールでモスクを堪能し、なおかつ足を延ばして訪れる価値があるのがセリミエ・モスクだと思います。もちろんここも世界文化遺産に登録されています。

31mを超える大ドームを8本の柱で支える巨大なセリミエ・モスク
その造りから装飾に至るまですべてが最高傑作の名にふさわしく見応え充分です
木製部分も凝った造りです

またまた休憩して街を散策

イスタンブールの街には数カ所のバザールがありどこ楽しそうです

 イスタンブールは、街を歩けば歴史を感じる風景でいっぱいです。また数カ所あるバザールを散策するのも楽しいものです。トルコアイスも売ってます(当たり前?)。総じて、歴史を感じながらも安全で清潔な印象を受ける街なのは、前回触れたエディルネと同じです。

 ちょっと坂が多いけど疲れたらカフェやレストランでチャイでも飲みながら一休み。休日の観光エリアで起こる交通渋滞を除けば、とにかくゆったりと過ごせる街という印象が強く残りました。

バザールにはさまざまなお店が並び、お土産物から日用品、食品に至るまで種類は豊富です。仲間や家族へのお土産、そして自分へのお土産、きっと気に入ったものが見つかりそうな雰囲気。観光客目当てのお店もたくさんあるのでしょうが観光地で時折出くわす胡散臭さを感じないのもマルです
パンは頼まなくても付いてくる場合も多いので料理(おかず?)を頼めばOKです。味付けは日本人の口に合うと思いますので好き嫌いが激しい人でなければ大丈夫!……だと思います
チャイでも飲んで、また街に繰り出しましょう
街のどこにいても、さまざまな形のモスクが見え、ときには水道橋も目に入ります。ご覧のようにイスタンブールの街中もとても清潔で、歩いていてとても気持ちがよいです

 今回紹介したモスクはほんの一部ですが、それでも時代の違い、作者の違いなど、さまざまなところに現われている違いにオスマン帝国最盛期がいかなる時代であったかを感じることができます。また、モスク以外の歴史的建造物も多く、「ローマ帝国」「オスマン帝国」「コンスタンティノープル(=現在のイスタンブール)」「十字軍」など、学生時代に習い、かろうじて頭の片隅に残っていた単語が1本の糸で繋がったような感じを受け、歴史が大の苦手な筆者には新しい興味を掻き立ててくれる刺激的な街でもありました。

 かつて地中海と中国を結ぶシルクロードが通り、ヨーロッパを走ったオリエント急行の始発駅/終着駅でもあったイスタンブール。アジアに暮らす日本人にも違和感のないリズムと欧州の激動の歴史を内包した街。ゆったりと過ごせる雰囲気、それでいて刺激的な街。それがイスタンブールという街でした。

 今回は駆け足で巡ったトルコでしたが、いつかゆっくりと再訪したいものです。

高橋 学

1966年 北海道生まれ。仕事柄、国内外へ出かける機会が多く、滞在先では空いた時間に街を散歩するのが楽しみ。国内の温泉地から東南アジアの山岳地帯やジャングルまで様々なフィールドで目にした感動をお届けしたいと思っています。