旅レポ
ヨーロッパとアジアの文化が交差する国・トルコの絶景を満喫する(その5)
イスタンブルの名所を巡る
2018年6月12日 00:00
トルコ共和国大使館・文化広報参事官室は、トルコ最大の都市イスタンブル、および同国有数の観光スポットであるカッパドキアを巡るプレスツアーを実施した。
最後のレポートとなる今回は、アジアとヨーロッパが交差するイスタンブルの名所を紹介する。
ヨーロッパとアジアを分かつボスポラス海峡をクルーズ
トルコ最大の都市であるイスタンブルは、古くは紀元前7世紀半ばごろに、ギリシア人の植民市「ビザンティオン」として建設され、その後のローマ帝国時代も交易の拠点として栄えた。330年にはコンスタンティヌス1世が「コンスタンティノープル」として遷都を行ない、「第2のローマ」と呼ばれた。
ローマ帝国分裂後も東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都として、1453年にオスマン帝国が征服して以後は、それ以前から別称として使われていた「イスタンブル」に改称され、現在にいたっている。
このイスタンブルは、ヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがる都市としても知られている。ボスポラス海峡を挟んで、ヨーロッパ側とアジア側に分かれており、ヨーロッパ側は金角湾を挟み、南側が旧市街、北側が新市街と呼ばれている。
今回は、旧市街のエミノニュという港町から、ヨーロッパ側とアジア側をつなぐボスポラス大橋がかかるオルタキョイという港町まで、クルーズ船で移動した。ヨーロッパ側沿岸を20分ほどかけて進む内容で、ボスポラス海峡のクルーズとしては小規模なクルーズだが、ドルマバフチェ宮殿、チュラーンパレス・ケンピンスキー、ガラタサライ大学など、歴史のある建造物の景観を開放感たっぷりに楽しむことができた。
スルタンが夏を過ごしたベイレルベイ宮殿
オルタキョイからボスポラス海峡を挟んで向かい側、アジア側にあるのが、ベイレルベイ宮殿だ。オスマントルコの第32代スルタン・アブドゥルアズィズの命によって1865年に建設され、スルタンが夏を過ごす離宮(別荘)として使われたほか、他国からの要人をもてなす迎賓館的な役割も果たしていたという。宮殿としては小規模だが、豪華な装飾品などが置かれ、当時の栄華に思いを巡らせることができる。
宮殿をリノベーションした超高級ホテルで絶景を満喫する
ボスポラス海峡の見どころの1つが、海峡沿いに立ち、絶景を楽しめる高級ホテル。その代表的なホテルが、ドイツのケンピンスキーが運営する「チュラーンパレス・ケンピンスキー・イスタンブル」。19世紀のオスマン帝国時代に建造されたチュラーン宮殿を修復、拡張したホテルだ。
ベースとなっている宮殿は、第32代のスルタンであるアブドゥルアズィズの治世下で完成した宮殿。先のベイレルベイ宮殿もアブドゥルアズィズによるものだが、大変な浪費家だったようである。
その後、議事堂として転用されていたが、1909年の火災で外壁のみを残して大部分が消失。長く廃墟となっていたが、1980年代後半から大規模な修復作業とホテル機能の追加が行なわれ、1990年から「チュラーンパレス・ケンピンスキー・イスタンブル」としてオープン。1992年に新築部分が加わっている。ちなみに、この修復作業には日本の熊谷組がメインコンストラクターとして関わったという。
オリジナルの宮殿の色彩や魅力を残しながら、ホテルとしての最新設備を付加した建造物、そこから見渡せるボスポラス海峡の絶景は破壊力抜群。大統領、首相クラスの要人も利用するのもうなずける。トルコに行くならば、一度は泊まってみたいホテルの1つだろう。
アジア側の老舗ロカンタでトルコ料理を満喫
夕食には「ロカンタ」と呼ばれる大衆食堂でトルコ料理を満喫した。ショウケースに並ぶ、あらかじめ調理された料理から好きな食べ物を選択できる、いわゆる「カフェテリア方式」の食堂だ。
今回訪れたのは、アジア側のウスキュダルという街にある老舗のロカンタ「Kanaat Lokantası」。前菜(メゼ)から、ケバブやキョフテなどの肉料理、デザートまで、トルコの代表的な料理を満喫することができた。
カッパドキアでも似たような料理を食べていたが、個人的には味はさらにこちらが上。特にレバー入りのピラフ「イチ・ピラヴ」は印象に残った。また、水牛のクリーム乗せたシロップ漬けのデザート「エキメキカダユフ」も、強烈な甘さは健在ながら、甘いだけではない、病み付きになりそうな美味しさ。世界三大料理といわれるトルコ料理、トルコスイーツの奥深さを実感させられた。
歴史的記念碑が残る競馬場跡「アトメイダヌ」
イスタンブルの旧市街には、世界遺産に登録されている歴史地区がある。「イスタンブル歴史地区」などと呼ばれており、4つの保護地区が存在している。
今回は、そのうちの1つ、トプカプ宮殿を中心とする「スルタンアフメト地区(遺跡公園地区)」を見学した。
まず訪れたのが「アト・メイダヌ(馬の広場)」。「ヒッポドローム」あるいは「コンスタンティノープル競馬場」とも呼ばれる競馬場跡。東ローマ帝国時代、ビザンティオンと呼ばれていた時代に建設され、コンスタンティヌス1世の時代に整備拡張され、戦車(チャリオット)による競走が開催されていたとされる。
現在は建物は残っておらず、公園になっているが、「蛇の柱」と呼ばれる記念碑や古代エジプト第18王朝・トトメス3世やコンスタンティノス7世のオベリスク(記念碑)などがある。
世界でもっとも美しいモスクの1つ「スルタンアフメト・ジャミィ(ブルーモスク)」
スルタンアフメト・ジャミィは、世界でもっとも美しいモスクの1つとも呼ばれるイスタンブル最大のモスクだ。オスマン帝国の第14代スルタンであるアフメト1世によって1616年に完成された。モスク内部はイズニックタイルで覆われていて、ほんのりと青味を帯びた色調から「ブルーモスク」という別名でも知られる。
礼拝の告知(アザーン)を流す尖塔(ミナレット)が6本あるのも特徴だ(ただし、3本ずつ平行に並んでいるため、6本全部を視認するのは遠目からでないと難しい)。建物の中核となる最大直径23.5mの巨大ドームの高さは約43mにも上るという。かなり駆け足での見学となったが、スケールの大きさ、荘厳さを体感することができた。
キリスト教文化とイスラム教文化が同居するアヤソフィア博物館
ブルーモスクことスルタンアフメト・ジャミィと向かい合うようにして建つのが、アヤソフィア博物館だ。東ローマ帝国時代にキリスト教の大聖堂として建設されて使われてきたが、オスマン帝国時代の占領後も取り壊されず、改築してモスク(イスラム教の礼拝堂)として利用されてきた。そして、20世紀のトルコ共和国の誕生後は、無宗教の博物館として使われている。
現在のアヤソフィア博物館の建物はモスク時代のものを踏襲しており、メッカの方向を示すミフラープやミナレット(尖塔)といったモスクとしての特徴を備えている。一方、館内のところどころにモザイク画によるキリスト教のイコン(宗教画)が残っている。こうしたモザイク画は、あとから持ち込んだものではなく、キリスト教の大聖堂であったときのもの。モスクとして使われていたときには覆い隠されていたものが、博物館として使うために修復する過程で発見されたものだという。
イスラム教の礼拝堂であるモスク(の外観をもつ建物)のなかでキリスト教のモザイク画が見られるというアヤソフィア博物館。古代から民族、文明が交差してきたトルコの歴史を象徴する必見スポットといえるだろう。