旅レポ

ヨーロッパとアジアの文化が交差する国・トルコの絶景を満喫する(その5)

イスタンブルの名所を巡る

イスタンブルはボスポラス海峡を挟んで、ヨーロッパ側とアジア側に分かれており、ヨーロッパ側は金角湾を挟み、南側が旧市街、北側が新市街と呼ばれている。写真はエミノニュに停泊しているクルーズ船

 トルコ共和国大使館・文化広報参事官室は、トルコ最大の都市イスタンブル、および同国有数の観光スポットであるカッパドキアを巡るプレスツアーを実施した。

 最後のレポートとなる今回は、アジアとヨーロッパが交差するイスタンブルの名所を紹介する。

ヨーロッパとアジアを分かつボスポラス海峡をクルーズ

 トルコ最大の都市であるイスタンブルは、古くは紀元前7世紀半ばごろに、ギリシア人の植民市「ビザンティオン」として建設され、その後のローマ帝国時代も交易の拠点として栄えた。330年にはコンスタンティヌス1世が「コンスタンティノープル」として遷都を行ない、「第2のローマ」と呼ばれた。

 ローマ帝国分裂後も東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都として、1453年にオスマン帝国が征服して以後は、それ以前から別称として使われていた「イスタンブル」に改称され、現在にいたっている。

 このイスタンブルは、ヨーロッパ大陸とアジア大陸にまたがる都市としても知られている。ボスポラス海峡を挟んで、ヨーロッパ側とアジア側に分かれており、ヨーロッパ側は金角湾を挟み、南側が旧市街、北側が新市街と呼ばれている。

 今回は、旧市街のエミノニュという港町から、ヨーロッパ側とアジア側をつなぐボスポラス大橋がかかるオルタキョイという港町まで、クルーズ船で移動した。ヨーロッパ側沿岸を20分ほどかけて進む内容で、ボスポラス海峡のクルーズとしては小規模なクルーズだが、ドルマバフチェ宮殿、チュラーンパレス・ケンピンスキー、ガラタサライ大学など、歴史のある建造物の景観を開放感たっぷりに楽しむことができた。

エミノニュ
船内の様子。2階建てで、こちらは2階
売店などもある
1階の様子
旧市街と新市街をつなぐガラタ橋。2層構造で上が車道、下がレストラン街になっている
ボスポラス海峡には多数のクルーズ船が巡航している
イスタンブル現代美術館
こちらはアジア側の眺め
当日は雲が多くガスでもやっとしていたのが少々残念
ドルマバフチェ宮殿
フォーシーズンズホテル
チュラーン宮殿(チュラーン パレス ケンピンスキー)
トルコの名門、ガラタサライ大学
あっという間にオルタキョイへ到着
ボスポラス大橋のアジア側
オルタキョイのランドマークであるモスク「オルタキョイ・ジャーミィ」
乗り場とモスクがすぐ近くにある
オルタキョイから出るクルーズ船も多いようだ
港からボスポラス大橋を
港の近くにはカラフルな建造物が
港近くにはワッフルやオルタキョイの名物「クンピル」を売る店が並ぶ
クンピルは、ベイクドポテトに、コーンやオリーブなど、いろいろなものをトッピングしたものだという

スルタンが夏を過ごしたベイレルベイ宮殿

 オルタキョイからボスポラス海峡を挟んで向かい側、アジア側にあるのが、ベイレルベイ宮殿だ。オスマントルコの第32代スルタン・アブドゥルアズィズの命によって1865年に建設され、スルタンが夏を過ごす離宮(別荘)として使われたほか、他国からの要人をもてなす迎賓館的な役割も果たしていたという。宮殿としては小規模だが、豪華な装飾品などが置かれ、当時の栄華に思いを巡らせることができる。

ベイレルベイ宮殿
ベイレルベイ宮殿は、ボスポラス海峡沿い、ボスポラス大橋のふもとに立つ
ボスポラス海峡を望む開放感がたまらない
すぐ近くをクルーズ船が航行することも
宮殿としてはコンパクトな作り
入り口は裏側にある
入ると豪華なシャンデリアが
よく見ると凝った作りになっている
扉も高級感抜群
プール付きの部屋
豪華な装飾が印象的だ
スルタンの像がある
煌びやかな家具が置かれている
壁や天井の装飾も印象的
年季の入った階段
1876年からスルタンに在位したアブデュルハミト2世の寝室。意外にも女子力を感じる内装だ
アブデュルハミト2世の勉強部屋
階段の様子。茣蓙のようなものの上にレッドカーペットが敷かれている
バスルーム
海が見える
「Blue Hall」と呼ばれるホール。フォーマルな儀式などに使われたという
椅子のあるスペースと広場スペースに分かれている
非常口の階段そばのシャンデリア
通路以外は立ち入り禁止だ
広場スペースの中央に大きなシャンデリアがある
ターキッシュブルーの柱が印象的
柱の上部
天井の造形も凝っている
広場スペースの脇にある棚
装飾が印象的。なかにはグラスやカップ、ポットなどの食器が入っていた
Blue Hallの脇にあるスルタンのプライベートルーム
行政用のサロンだという
時計だろうか
印象的な壺
非常口付近の壺も実に美しい
カフェが併設されている
テラス席でチャイを
池を眺めながらのんびりできる
池にはカルガモが泳ぐ
池の端を猫が歩いていた

宮殿をリノベーションした超高級ホテルで絶景を満喫する

 ボスポラス海峡の見どころの1つが、海峡沿いに立ち、絶景を楽しめる高級ホテル。その代表的なホテルが、ドイツのケンピンスキーが運営する「チュラーンパレス・ケンピンスキー・イスタンブル」。19世紀のオスマン帝国時代に建造されたチュラーン宮殿を修復、拡張したホテルだ。

 ベースとなっている宮殿は、第32代のスルタンであるアブドゥルアズィズの治世下で完成した宮殿。先のベイレルベイ宮殿もアブドゥルアズィズによるものだが、大変な浪費家だったようである。

 その後、議事堂として転用されていたが、1909年の火災で外壁のみを残して大部分が消失。長く廃墟となっていたが、1980年代後半から大規模な修復作業とホテル機能の追加が行なわれ、1990年から「チュラーンパレス・ケンピンスキー・イスタンブル」としてオープン。1992年に新築部分が加わっている。ちなみに、この修復作業には日本の熊谷組がメインコンストラクターとして関わったという。

 オリジナルの宮殿の色彩や魅力を残しながら、ホテルとしての最新設備を付加した建造物、そこから見渡せるボスポラス海峡の絶景は破壊力抜群。大統領、首相クラスの要人も利用するのもうなずける。トルコに行くならば、一度は泊まってみたいホテルの1つだろう。

チュラーンパレス・ケンピンスキー・イスタンブル

Webサイト:チュラーンパレス・ケンピンスキー・イスタンブル(英語)

チュラーンパレス・ケンピンスキー・イスタンブル。こちらは近年新築された方の建物
宮殿風の作りが再現されている
内部も豪華だ
ブランドショップが並ぶショップエリア
海が見えるレストラン
海が見えるカフェ
上方のステンドグラス含め、すべてが美しい
ゆったりとしたときが過ごせそうだ
テラス席の外にはプールが。その先にボスポラス海峡
テラス席の様子
この日はヨットレースが開催されていたということで、ヨットも多数通過した
クルーズ船も時折通過する
トルココーヒー。粉末を入れて煮出して上澄みを飲む
新築ホテル側の建物。この辺りは普通のホテルだ
プールの脇にはリラックスできるチェアが常設されている
中庭は、旧宮殿側へと続いている
19世紀からの外壁が残る旧宮殿側の建物
中庭の門
門の外からはボスポラス海峡がより近くで見られる
よく手入れが行き届いている
1日ずっとここにいても飽きそうもない
大きな木によってリゾートホテルらしさが強調されている
ボスポラス大橋も見える
開放感がたまらない
旧宮殿は19世紀に建てられたオリジナルの外観を残しつつ修復されている
旧宮殿側からの眺め
旧宮殿側の入り口
海が見える会議室
宮殿らしい外観を残しつつ、エレベータ、エスカレータ、モニターなど、最新の設備が導入されている
メインのレセプションカウンター

アジア側の老舗ロカンタでトルコ料理を満喫

 夕食には「ロカンタ」と呼ばれる大衆食堂でトルコ料理を満喫した。ショウケースに並ぶ、あらかじめ調理された料理から好きな食べ物を選択できる、いわゆる「カフェテリア方式」の食堂だ。

 今回訪れたのは、アジア側のウスキュダルという街にある老舗のロカンタ「Kanaat Lokantası」。前菜(メゼ)から、ケバブやキョフテなどの肉料理、デザートまで、トルコの代表的な料理を満喫することができた。

 カッパドキアでも似たような料理を食べていたが、個人的には味はさらにこちらが上。特にレバー入りのピラフ「イチ・ピラヴ」は印象に残った。また、水牛のクリーム乗せたシロップ漬けのデザート「エキメキカダユフ」も、強烈な甘さは健在ながら、甘いだけではない、病み付きになりそうな美味しさ。世界三大料理といわれるトルコ料理、トルコスイーツの奥深さを実感させられた。

Kanaat Lokantası
アジア側のウスキュダルという街にある老舗のロカンタ「Kanaat Lokantası」
店の入り口付近にはデザートが並ぶ
前菜コーナー
サラダなどもある
肉料理のコーナーは一番奥にある
実に美味しそうだ
羊レバー入りのピラフ「イチ・ピラヴ」
中身はこんな感じだ
「ヤプラックドルマス」ぶどうの葉でライス(と少しの挽肉)を包んだもの
トマトソースで調理した肉団子「サルチャル・キョフテ」
肉団子を揚げたもの「カドゥンブドゥ・キョフテ」
トルコのプディング「アシュレ」。「ノアのプディング」とも呼ばれているようだ
サフランライスのプディング「ゼルデ」
エキメキカダユフ。シロップがじゅわーっと染み出ている様子に最初は引いていたが、なぜか強烈に美味しい。上に乗っているのは水牛のクリーム
チャイとの相性も抜群だ

歴史的記念碑が残る競馬場跡「アトメイダヌ」

 イスタンブルの旧市街には、世界遺産に登録されている歴史地区がある。「イスタンブル歴史地区」などと呼ばれており、4つの保護地区が存在している。

 今回は、そのうちの1つ、トプカプ宮殿を中心とする「スルタンアフメト地区(遺跡公園地区)」を見学した。

 まず訪れたのが「アト・メイダヌ(馬の広場)」。「ヒッポドローム」あるいは「コンスタンティノープル競馬場」とも呼ばれる競馬場跡。東ローマ帝国時代、ビザンティオンと呼ばれていた時代に建設され、コンスタンティヌス1世の時代に整備拡張され、戦車(チャリオット)による競走が開催されていたとされる。

 現在は建物は残っておらず、公園になっているが、「蛇の柱」と呼ばれる記念碑や古代エジプト第18王朝・トトメス3世やコンスタンティノス7世のオベリスク(記念碑)などがある。

アトメイダヌは、古代ローマ時代の競馬場跡。現在は公園になっており、古代のオベリスク(記念碑)などが残る
古代ローマ時代に建設され、コンスタンティヌス1世の時代に整備拡張されたという
コンスタンチヌス7世のオベリスク
トトメス3世のオベリスク。テオドシウス1世によってエジプトから持ち込まれたという
ヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)が刻まれている
テオドシウス1世が作らせたという台座のレリーフ(の1面)には、月桂冠を手に持つテオドシウス1世が描かれている
ヒエログリフ、台座レリーフの図柄は4面それぞれ異なっている
テオドシウス1世のオベリスクと刻まれている
蛇の柱。もともとはもっと高さがあり、頭の部分も存在したという
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世からオスマン帝国へ寄贈されたという泉亭
よく見ると豪華な装飾が施されていることが分かる
凝った造形だ

世界でもっとも美しいモスクの1つ「スルタンアフメト・ジャミィ(ブルーモスク)」

 スルタンアフメト・ジャミィは、世界でもっとも美しいモスクの1つとも呼ばれるイスタンブル最大のモスクだ。オスマン帝国の第14代スルタンであるアフメト1世によって1616年に完成された。モスク内部はイズニックタイルで覆われていて、ほんのりと青味を帯びた色調から「ブルーモスク」という別名でも知られる。

 礼拝の告知(アザーン)を流す尖塔(ミナレット)が6本あるのも特徴だ(ただし、3本ずつ平行に並んでいるため、6本全部を視認するのは遠目からでないと難しい)。建物の中核となる最大直径23.5mの巨大ドームの高さは約43mにも上るという。かなり駆け足での見学となったが、スケールの大きさ、荘厳さを体感することができた。

アト・メイダヌからの入場門
入場門もかなりの高さがある
中庭の様子
独特の造形だ
スケールの大きさを感じる中庭周囲の通路
礼拝時間は観光客の立ち入りは禁止されている
アヤソフィア側の入り口
タイミングがわるく礼拝時間だったが、礼拝の様子は撮影しないという条件で入れてもらった
礼拝時間
土足厳禁。脱いだ靴を入れるポリ袋が用意されていた
モスクの内部
観光客は仕切りの内側に入れない
荘厳な雰囲気だ。やや見にくいが、中央下にあるのが、メッカの方角を示すミフラープ
ミフラープを囲むステンドグラスも美しい
天井にはさまざまな美しい文様が描かれている

キリスト教文化とイスラム教文化が同居するアヤソフィア博物館

 ブルーモスクことスルタンアフメト・ジャミィと向かい合うようにして建つのが、アヤソフィア博物館だ。東ローマ帝国時代にキリスト教の大聖堂として建設されて使われてきたが、オスマン帝国時代の占領後も取り壊されず、改築してモスク(イスラム教の礼拝堂)として利用されてきた。そして、20世紀のトルコ共和国の誕生後は、無宗教の博物館として使われている。

 現在のアヤソフィア博物館の建物はモスク時代のものを踏襲しており、メッカの方向を示すミフラープやミナレット(尖塔)といったモスクとしての特徴を備えている。一方、館内のところどころにモザイク画によるキリスト教のイコン(宗教画)が残っている。こうしたモザイク画は、あとから持ち込んだものではなく、キリスト教の大聖堂であったときのもの。モスクとして使われていたときには覆い隠されていたものが、博物館として使うために修復する過程で発見されたものだという。

 イスラム教の礼拝堂であるモスク(の外観をもつ建物)のなかでキリスト教のモザイク画が見られるというアヤソフィア博物館。古代から民族、文明が交差してきたトルコの歴史を象徴する必見スポットといえるだろう。

ブルーモスクと向かい合うように位置するアヤソフィア博物館
きれいに整備されており、噴水などもある
大ドームを中心にしつつも、少し複雑な形をしている
入り口付近は柱の台座などがある
入口(南入口)の様子
内扉の上にはキリスト教のモザイク画が
このモザイク画は「キリストと皇帝」と呼ばれている
上階から見学した。修復中で、半分は足場で覆われていた
メッカの方向を示すミフラープ
芸術性の高い造形だ
門のレリーフなどもたまらない
門を抜けた先では窓のほうへ向いて写真を撮る人々が
窓側にあるのは、キリスト教の有名なイコン「デイシス」のモザイク画
この配置は、窓からの光を利用するためと言われている
円形の文字盤には、イスラムの唯一神「アッラー」の名やコーランの一節などがデフォルメしたアラビア文字で書かれているそうだ
窓の近くにモザイク画が
「聖母子(聖母マリアが赤子のキリストを抱えた様子)、ユスティニアヌス1世とコンスタンティヌス1世」が描かれているという
こちらは「キリスト、皇帝コンスタンティノス9世と皇后ゾエ夫妻」が描かれているという
1階からだとその荘厳さがさらに際立つ
上方に描かれているのは漆黒の翼を持つ天使「セラフィム」だという
ミフラープ上方のドームには「聖母子(聖母マリアが赤子のキリストを抱えた様子)」が描かれている。なんとも奇妙な組み合わせだ

地下宮殿に残る謎のメデューサヘッド

 スルタンアフメト地区には、地下に広がる東ローマ帝国時代の貯水地がある。大理石でできた円柱で支えられた広大な地下空間の様子が荘厳な宮殿のように見えるため、「地下宮殿」と呼ばれている。貯水槽を支える円柱は300本以上もあり、そのなかには台座部分にメデューサの頭部像が使われている円柱や、目玉飾りの円柱もある。

この近隣はトラム(路面電車)も走っている
地下宮殿の入り口はこの左手側
地下へ降りるところ。手前左の明るい場所は、スルタンの衣装で写真を撮ってもらえるサービスで地下宮殿とは無関係
たくさんの柱が聳える様子はまさに宮殿のようだ。水が抜かれていたため幻想感は半減している
柱にはアルファベットと番号が振ってある
通路側からのカット
目玉模様が刻まれた柱。「蛇の柱」「涙の柱」などとも呼ばれているという
柱の台座の下にメデューサの頭がある
メデューサの顔が横向きになっているものもある

鈴木雅暢

フリーランスのライター、時々フォトグラファー。IT系雑誌の編集者を経て独立。主にIT系雑誌やWebメディアへの寄稿を中心に活動している。旅先の写真はさりげないライブ感を大事にしている。