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バニラエア、総飛行2万時間超の機長が引退フライト。「安かろう、下手だろうではいけない」
67歳最後の日にフライトを終え、今後は後進の指導に
2018年9月28日 00:00
- 2018年9月20日 実施
バニラエアは9月20日、67歳の機長 明石哲憲氏が引退フライトを終えたことから、同社オフィスでセレモニーを実施した。
明石氏はANA(全日本空輸)に入社後の1975年に副操縦士(ファースト・オフィサー)としてYS-11型機に乗務をし、パイロットとしてのキャリアをスタート。その後、ボーイング 727型機、ボーイング 767型機、エアバス A320型機、ボーイング 747-400型機と乗り継ぎ、エアバス A320型機の教官を務めたのち、2016年にANAからバニラエアに移籍。同社のエアバス A320型機の機長として、同年5月8日のJW807便(成田発~那覇行き)から乗務を開始した。
総飛行時間は約2万135時間で、パイロットとしての目標とされる2万時間超えを達成。バニラエアに所属したパイロットで2万時間超えは2人目だという。年齢は67歳。9月21日に68歳の誕生日を迎える前日、つまり67歳最後の日にラストフライトを迎えることになった。
最後のフライトとなったのは、成田~石垣線。JW811便(成田10時00分発~石垣13時40分着)とJW812便(石垣14時40分発~成田17時40分着)の往復に乗務した。
このJW812便は定刻より10分ほど早く成田空港に到着。同便に乗務したクルー一同とともに成田空港内の本社オフィスへ顔を見せた明石氏は、クルーからの寄せ書きや、社員からのメッセージカードなどを渡され、満面の笑顔で記念写真に応えていた。
その後、代表取締役社長の五島勝也氏や顧問の石井知祥氏、運航部をはじめとする社員が集まり引退セレモニーがスタート。五島氏は「まことにお疲れさまでした。バニラエアには優秀なパイロットが大勢いますが、なかでもすごく長い間飛んでいただいた」とねぎらい、「今後は、地上に降りてはいらっしゃるが、シミュレータ教官として後輩の指導・育成にも力を発揮していただく」と、引き続きの活躍を期待する言葉を贈った。
明石氏は、「縁があって65歳でバニラエアに呼んでいただいて、すごく楽しく過ごさせていただいた。雰囲気がよくて、気持ちよく働かせていただき、おまけに2万時間を超すことができて、まわりの援助があって無事に過ごせた。皆さんのおかげ」と感謝の言葉を述べた。
最後の着陸は自身の手で。自己評価は「95点」
セレモニー後、明石氏にインタビューする機会を得たので紹介したい。
――最後のフライトを終えられての率直な感想は?
明石氏:普段から快適な着陸を目指してきた。「安かろう、下手だろう」ではいけない。安くてもお客さまには「快適な着陸で、安心感があるな。じゃあバニラエア乗りたいな」となればよいなと思ってずっとやってきた。
最後は、それなりに普通どおりと思ってやったが、95点ぐらいは取れたかな。ちょっと寂しくなった。これから(乗務に必要な)審査もなくなるので肩の荷が下りた気もする。
――最後の着陸は自分でやると言ったとのことだが?
明石氏:石垣と成田への着陸を操縦した。普段は指導者として副操縦士に任せることも多いが、今回は本当に最後だと思い、操縦桿を握った。
――68歳を迎える前日までパイロットを続けるうえでの苦労はあったか?
明石氏:苦労と思ったことは幸いなことにない。
飛行機を操る技量、飛行機のコントロールスキルが伸びるのは39歳までがピーク。スポーツでも同じだと思う。そういう伸びていく時期に、私はたまたま議論する同僚たちがいた。30歳前後はボーイング 727型機に乗っていたが、難しい飛行機で着陸が難しかった。上空ではスピードが出て、それをどう操って、どのように着陸するかを議論した。
一般に若い人はやれば徐々にうまくなっていく。ただ、どうしたらより飛行機をうまく操っていけるかには、技術を裏付ける知識が必要。そういう時期に先輩に恵まれた。40歳からは身体的、感性・感覚で腕が落ちていく。頑張っておいて、一定のハードルを超しておくと、(40歳以降に)技量が落ちるのが緩やかになる。偉そうに言うわけではないが、自分はそこ(ハードルを超えるところ)までやれたので、ここまで航空局の審査などに合格してこられた。
身体面では、たまたま健康に産んでくれた両親に感謝している。仲間たちとよく遊んで、そこでストレスも解消して、身体検査をクリアし続けられたと思う。ストレス解消と、技量を伸ばすところで、よい人たちに恵まれた。
――身体面では、あまり気を遣わないかなでも節制したことはないのか?
明石氏:60歳ぐらいの身体検査で再検査の必要があるといわれて、結局なにもなかったが、それをきっかけにタバコはやめた。そういうなにかがあったときはウォーキングもした。
――40歳を超えてからの機種移行訓練なども、それまでに培った知識が活きる?
明石氏:原則としてジェット機はほぼ同じ。40歳前にボーイング 767型機、そのあとにエアバス A320型機、50歳を超えてボーイング 747-400型機を取った。どうしても身体的の衰えは感じる。昔ならこんなの簡単にできたのに、というのはあるが。
――それはどのような場面で感じる?
明石氏:計器のクロスチェックが遅い。飛行を修正するのに、いったん飛行機の動きをとめて、どうしたらどう動くかといったことを、計器を瞬時に見ていかないといかない。例えば1つの修正で3つのチェックを瞬時にやる、という点で若いときよりも難易度が増す。これまでの経験と知識で合格レベルを維持できた。
エアバス A320型機のようにやさしい飛行機が増えてきた。だから、こうやってやれていると思う。
――思い出に残る飛行機は?
明石氏:それぞれに思い入れがあるが、ボーイング 727型機は思い出深い。自分が若くて技量が伸びているころで、自分自身も30歳ぐらいの人生が面白いときで、ジェット機を動かすのが面白いときだった。シルエットもきれいで、よい飛行機。
ただ一番難しかった。アナログなので、全部人間が計器を見て、計算する。うまくいったときと、わるいときの差もあるし、うまい人と下手な人の差も歴然と出る機種だったので、うまく操れるようになるのがうれしかった。
――フルサービスキャリアのANAと、LCCのバニラエアの違いを感じたことは?
明石氏:30~40年前のANAはアットファミリーだった。組織が大きくなると仕方ないが、20年ぐらい前から人が増えて、顔を知らない人や、乗務で1度しか顔を合わせないという人も増える。バニラエアに来てみたら、そんな40年前のANAのような雰囲気。明るくて、いろんな職種の人がみんなで会社を盛り立てようとしている。とくにうれしかったのは、みんながあいさつしてくれること。
ANAでは必要な書類などは各部署がそろえてくれて、我々は運航するだけだったが、バニラエアは整備さんも含めて現場の人が少ないなかで、ディスパッチや書類なども自分で携わって見落としがないようにしている。
――バニラエアは楽しかった?
明石氏:楽しかった。自分もこうやって飛べたし、後輩育成にも携わっている。自分が必要とされていると感じるのもうれしいし、発揮できる場でもある。
――後輩の若い人たちに期待することは?
明石氏:副操縦士には、「明るく、楽しんで」やれるよう自信を持ってほしい。そのためには技量を伸ばすしかない。そうやって技術を伸ばすためには知識の習得が必要。(若い人は乗務の際の操縦を)やるだけでも伸びるが、2~3年で「キャプテンよりうまくなったぞ」という人が増えてくればよい。そういう勉強、努力が必要。
そして、そのようなことをキャプテンや教官が教えてあげてほしい。副操縦士だけでやると1だけだが、そこにキャプテンや教官が教えるというプラス1が加わって2になれば。そうすると自信がついて、伸びるのがうれしくなると思う。そうすれば明るく楽しく仕事に向かえて、相乗効果でよい雰囲気、よい人間関係にもなる。「おまえと飛んでて楽しい」と信頼してもらえる人になる。
副操縦士たちも、イエスマンじゃなくて、意見を言えるようになってほしい。理不尽なことに意見を言える人になって、技量も伸びればよい。機長になるのは、会社の方針で決まる。バニラエアは今、機長がほしい。必要となったときにいつでも機長になれるように備えてほしい。若いから腕はぜったいよくなる。
――若いころに技術の議論などをしたとのことだが、バニラエアの若い方ともする?
明石氏:もちろんする。そのためにバニラエアに呼ばれたと思っている。いままで先輩たちに習ったことを、なるべく伝えようとしている。
――若い方からの意見や提案は?
明石氏:まだ、そこまでには達していない。みんなで集まって遊んで、議論するという機会がない。でも、食いついてくる人もいる。「話をしてくれ」と言ってくれるような人が増えれば、その会社はよくなると思う。
――最後に、明日からなにをしたい?
明石氏:幸いなことにゴルフ仲間、宴会仲間がいてリフレッシュしている。そうやって一緒に仲間と遊べる機会があると楽しみになる。いろんなフライトがあったが、難しいことはもう考えなくてよいのかな、と。引退してこれをしたい、というよりは、これからもゴルフ仲間と元気に飲めていければよいかな。