旅レポ

豊かな自然と歴史に彩られた匠の技を一気に味わう山口県の旅(その3)

新幹線の最先端を支える職人と伝統工芸を伝える職人

室町時代から続く山口県の伝統工芸品「大内人形」

 本州最西端、九州側から見れば本州の玄関口といえる山口県。関門海峡を挟んで南に瀬戸内海、北に日本海と性格の異なる2つの海を有し、豊かな海の幸にも恵まれ、内陸部には日本最大のカルスト台地「秋吉台」、日本最大級の鍾乳洞「秋芳洞」を持つ観光資源に恵まれた県です。一方で、その多様さゆえか、いま一つ全体像というか、県のイメージがはっきりしないなぁ、なんて思う筆者の不勉強さを払拭すべく参加した、山口県主催のプレスツアーレポートの3回目です。

 今回紹介するのは瀬戸内沿いの街、下松市にある日本が誇るハイテク製品を支える職人の会社「山下工業所」と、山口県の県庁所在地の山口市にある室町時代の伝統工芸品を今に伝える職人の会社「中村民芸社」です。

歴代新幹線の複雑かつ流麗なフォルムを人の手で仕上げる「山下工業所」

山下工業所の玄関に飾られた0系新幹線の製作風景の写真(左下に写っているのが創業者の山下清登氏)。この写真の車両は試作機として作られた1000形の先頭構体で、1963年3月に当時の世界最高速度256km/hを記録し、のちに改造され922形電気検測車(ドクターイエロー)として活躍したそのものだそうです。
玄関には半世紀以上前の写真から現代の写真まで飾られていました

 東海道新幹線が開通し東京オリンピックが開催された記念すべき1964年。近代国家として大きくステップアップしたこの年を象徴する夢の超特急「新幹線」は、山口県東部に位置する工業都市、下松市で生まれました。この地で0系と呼ばれる初代新幹線の製作を行なったのが日立製作笠戸工場(現・笠戸事業所)です。

 そして新幹線の顔というべき先頭構体を納めるべく生まれた板金加工会社が、今回うかがった山下工業所(当時は山下組)です。創業は新幹線開通の前年にあたる1963年。そして今なお最新の新幹線を世に送り続ける日立製作所 笠戸事業所や、今回紹介する山下工業所のある海沿いの工場帯から見える島こそが、前回紹介した美しい夕日と美味しい笠戸ひらめで有名な笠戸島です。

 下松市と新幹線はその生まれから今に至るまで、切っても切れない関係なんです。そんな“新幹線の故郷”下松市において、新幹線に代表される鉄道車両先頭構体の「打ち出し板金」による三次元流線形曲面成形に関して、全国有数の製造経験を持つ山下工業所が関わった鉄道車両は、試作車から量産車まで多岐にわたり、もうそれだけで鉄道ファンにとってこの一帯は「聖地」とも言えそうです。そのホンの1部を紹介すると……初代新幹線0系、200系試作車、同量産車、100系から現在のE7系まで、リニアモーターカーML100/500、MLU001/002/002Lの車体、さまざまな在来線特急、台湾向け新幹線、沖縄のゆいレールなど、もう挙げればキリがありません。

 我々プレスツアー一行を迎えてくれた山下工業所 社長 山下竜登氏は会社の沿革を説明したあと、我々に「テレビなどで扱っていただくと、やたら職人による匠の技という部分が強調されますが、昔と違い今は7割くらいが機械で製作します。今でも手作業で行なっているのは3割程度なんですよ」「そんなわけで、これからこの道を目指す人に対してあまりハードルを上げないでほしいなぁ」と穏やかな笑顔で語ったのが印象的でした。

 でもその3割を支える匠の技なしに新幹線の顔は完成できないわけで、実はそこに新幹線の顔を作る打ち出し板金の技術を次世代に伝え残していきたいと願う社長の想いがこもっているのは、聞いている誰もが感じたことでしょう。それにしてもその穏やかな笑顔と語り口調は実に印象的で、話のすべてが心にしみました。

 そんな社長が率いる山下工業所は、かつて工場見学を行なっていた時期もあったそうですが、人気がありすぎて仕事に支障が出てしまうので今は行なっていないと残念なお知らせもありました。ちなみに、いただいた資料に目を通すと同社の従業員数は39人。なるほど、と納得すると同時に世界に誇る日本の工業製品がいかなるものか、という片鱗が見えた訪問となりました。

会議室に並ぶ同社の技術で作られたさまざまな作品
打ち出し板金の高い技術で製作されたオブジェ
打ち出し板金により生み出されたアルミ合金製MacBook用ケース
ブラスト処理されたアルミ合金と革のコンビネーションが美しい
穏やかな口調で我々に説明してくれた山下工業所 社長 山下竜登氏
鉄道ファンならすぐに分かるであろうこんなモノが出てきました
なかなか見ることのできない裏側
アルミ製のバイオリンやチェロは、職人の卵を探す山下工業所の取り組みの一つなのだそうです
笠戸島の国民宿舎 大城のロビーの椅子は700系新幹線のグリーン席。新幹線の街 下松市の国民宿舎ならではの風景です
山下工業所の原点ともいえる工具

地元の主婦がお母さん目線で情報発信するカフェ・食堂「発信キッチン」

公園内の敷地にあるので広い窓から見える緑も気持ちいい発信キッチンの店内

 職人魂をしっかり感じたあとはお昼ご飯。下松市のお隣にあり、まるで新幹線の名前のような街、光市のカフェ・食堂「発信キッチン」でいただきました。光スポーツ公園の敷地内にあり、長らく休眠状態だったレストハウスを再活用し2016年にオープンしたのがこちらです。地元の主婦たちのグループが運営しているだけあって、子育てを通じて感じた「家族が安心して食べられるものを」との想いを込め、普通のものを普通に出す食堂、そして女性が気軽に子供と遊びに行け、ちょっと遊んで、ちょっと休んで、そんな時間が過ごせるカフェ、そんな2つの顔を持つのがこちらのカフェ・食堂「発信キッチン」なのです。

 毎日地元の農家や漁師から届く食材は、目を引くような珍しいものではないものの、その新鮮さや安全において、実は地元民にも普通には入手しにくいものも多いとのことです。里芋のコロッケや地元の味噌、いりこダシの味噌汁、ひじきの煮物、とその奇をてらわない料理の一品一品は、今や一番の贅沢品なのかもしれません。

 そんな食事をいただき、お母さんたち手作りのシフォンケーキとハーブティーで一息ついたツア一行は次の目的地、県庁所在地の山口市へ向かいました。

里芋のコロッケ、玄米、人参の葉が入った卵焼きなど地元食材にこだわり母親目線で提供される素朴で安全な食事が特徴です
人参と大根のピクルス
お母さんたち手作りのシフォンケーキはマロン、紅茶、抹茶の3種
素材にこだわったハーブティー
米麹から作られた甘酒に豆乳がブレンドされた完全無添加飲料「米のおっぱい」など県内産の素材にこだわった食品が店内で販売されている
山口県産素材100%の手造りジュース(手造り工房のーた)
子供が考えた、子供にも食べやすいピーマンやかぼちゃの「やさいジャム」
山口県産ハバネロの柚子胡椒
毎日地元の農家や漁師が旬の食材を届けてくれるそうです
小上がりの席もあり小さな子供連れでも安心
母親が使いやすいようゆとりをもったトイレ
発信キッチン

所在地:山口県光市光井540-1
TEL:0833-72-7772
営業時間:10時~17時(ランチ11時~、月曜定休・土日不定休)
Webサイト:発信キッチン

室町時代の伝統工芸品を今に伝える職人の会社「中村民芸社」

室町時代の伝統工芸を今に伝える「中村民芸社」の大内塗

 400年もの歴史を持つ萩焼とならび、山口県の伝統工芸品として知られるのが大内塗です。こちらはさらに古く600年前、室町時代にそのルーツを持つ漆器で「大内 朱」と呼ばれる朱色の塗りとかつてこの地を治めた大内家の家紋、大内菱を基とする菱形模様が美しい伝統工芸品です。

 一般的な漆器と同じように生活に根付いた、お椀やお箸、お盆などももちろんありますが、まん丸な姿、丸顔におちょぼ口のかわいらしい大内人形は特に有名で、お土産物としてとても人気があるそうです。今回うかがった中村民芸社は大内塗の漆器や大内人形を下地から蒔絵付けまで一貫して生産していて、我々が見学した大内人形の顔を一筆一筆手作業で書き込む作業は、まさに一体一体に命を吹き込む作業のようでした。

 長い歴史を持ち、家紋を基としながらもその菱形のパターン模様にモダンな雰囲気さえ漂う大内塗。どこか現代的でやさしい表情と愛らしいフォルムの癒し系大内人形、どちらも今の時代に非常によく馴染む伝統工芸品だと感じます。

伝統ある大内菱の直線的なデザインはどこかモダンな感じもします
大内塗のギター
山口県の萩焼に大内塗を施した山口陶漆器
大内人形のお雛様
五月人形
金魚
けん玉
今回うかがった「中村民芸社」ではエゴノキの原木から完成まですべてを行なっています
磨きの作業と表情を書き入れる作業は別々の職人が担当します
表情を書き入れれば大内人形の完成です
夫婦円満の象徴としても広く愛されてきたという男女一対の大内人形をオーダーメイドで作る「Ouchi夫婦」
帰り際、大内人形のようなガスタンクを発見。巨大なのになにかほっこり癒し系。ちゃんと対になってます
中村民芸社

所在地:山口県山口市大内御堀4138
TEL:083-927-0619
Webサイト:有限会社中村民芸社

下松市~光市~山口市、すべて海沿いの街なので移動中車窓から見える穏やかな瀬戸内の風景はとても美しいものでした

 匠の技で現代のハイテク製品を支える職人の会社を訪ね、600年もの長き伝統を現代に伝える職人に会い、自然に恵まれた環境を活かした地元産の食材にこだわり、食を提供するカフェで食事をいただいて過ごす1日。日頃は決して表舞台に立つことのない職人の方々の話や、素朴だけど現代社会においては実はとても贅沢な食事をいただいて、山口県の魅力に触れられたような気がする旅でした。

高橋 学

1966年 北海道生まれ。仕事柄、国内外へ出かける機会が多く、滞在先では空いた時間に街を散歩するのが楽しみ。国内の温泉地から東南アジアの山岳地帯やジャングルまで様々なフィールドで目にした感動をお届けしたいと思っています。