旅レポ
山口県東部の観光地や名物料理を堪能してきた(後編)
山口市周辺で幕末を中心とした歴史に触れる
(2016/5/31 12:48)
山口県といえば、なんといっても歴史に関する見所の多さが魅力となっています。戦国時代から幕末まで、長い歴史の見所が数多く存在するという点は国内有数と言ってよいでしょう。前回は山口県東部、岩国市周辺の食を紹介しましたが、今回は山口市周辺で巡ってきた歴史を感じられる名所などを紹介します。
瑠璃光寺と香山公園
山口市には大内氏や毛利氏などの有力戦国大名ゆかりの名所が数多く存在します。そして、「やまぐち歴史浪漫街道」と銘打ち、市内を散策する感覚でゆかりの名所を巡るルートも紹介されています。まずはじめに、大内氏、毛利氏双方にゆかりのある「瑠璃光寺」と「香山公園」に訪れました。
大内氏の第25代大内義弘は、現在瑠璃光寺のある場所に香積寺を建立しました。その後、関ヶ原の合戦の後に毛利輝元が萩に移封された時に、香積寺も萩に引寺したのですが、その後、もと香積寺のあった場所に仁保(現在の山口市仁保)から瑠璃光寺を移築しました。これが現在の瑠璃光寺の姿となっています。
瑠璃光寺の最大の見所は、なんといっても国宝の五重塔です。この五重塔は、大内義弘の弟、大内氏第26代の大内盛見が戦死した義弘の菩提を弔うために建立したものです。盛見も、その五重塔造営中に戦死したのですが、五重塔は1442年頃に落慶しました。
瑠璃光寺の五重塔は、その美しい姿から日本三名塔の1つとして数えられています。下層から上層に向かって少しずつ狭まる屋根は、すべてが檜皮葺で、緩やかな傾斜と、四隅がやや上に反り返った美しい姿からは、荘厳さだけでなく優雅さも感じられます。また、周囲が日本庭園となっていて緑の木々に囲まれている姿も非常に美しく、長時間眺めていてもまったく飽きることがありません。春は桜、秋は紅葉に囲まれるそうで、四季折々移り変わる姿も大きな見所でしょう。山口市を訪れたら絶対に外すことのできない名所と感じました。
この瑠璃光寺の境内は、香山公園と呼ばれています。桜や梅、つつじなどの名所になっていて、山口市民の憩いの場でもあるそうです。日本の歴史公園100選にも選ばれています。
香山公園には、毛利氏ゆかりの史跡があります。それが「香山墓所」です。香山墓所は、山口県にある毛利氏の墓所のうちの一つで、毛利氏第13代毛利敬親とその夫人、第14代毛利元徳(定広)とその夫人、元徳の子元昭とその夫人、毛利本家歴代諸霊の墓と7基の毛利氏の墓があります。墓所ということもありますが、瑠璃光寺五重塔とは打って変わって荘厳な雰囲気となっています。静けさもありますので、心静かに幕末に思いをはせるのもよさそうです。
また、香山墓所の手前には、石段とともに石畳が拡がっていますが、この石畳は「うぐいす張りの石畳」と呼ばれていて、こちらも外せないスポットとなっています。石畳の中央付近で手を叩いたり足踏みをすると、なぜか美しい反響音が返ってくるのです。そのことから、うぐいす張りの石畳と呼ばれているそうです。もともと、反響音が返ってくるように計算されて作られたものではないそうで、たまたま石畳や石段の配置が絶妙のバランスとなっていることで発生するものと考えられているそうです。実際に手を叩いてみると、綺麗な反響音が響いて、とても神秘的な気分となります。
香山公園には、幕末好きにとってもうひとつ外せない名所があります。それが「枕流亭」です。元々は山口市道場門前にあったものですが、修復されて香山公園内に移設されたそうです。
枕流亭は、1867年(慶応3年)に薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)などが集まり、薩長連合の密議を行なった場所と伝えられています。実際に中に入って見学も可能となっていて、薩長連合の密議が行なわれた2階にも上がれますし、2階からは五重塔も眺められます。幕末の歴史的建造物の中から美しい五重塔を眺めるのも、また一興です。
このように、瑠璃光寺と香山公園は、歴史好きにとって、これ以上ない名所と感じました。
龍福寺本堂
次に向かったのが龍福寺本堂です。龍福寺はもともとは山口市白石にありましたが、1557年に毛利隆元が大内義隆の菩提を弔うために現在の場所に再興しました。ただ、当初の本堂は、1881年(明治14年)に火災で焼失してしまいました。そこで、吉敷郡大内村(山口市大内氷上)にあった大内氏の氏寺、興隆寺の釈迦堂を移築したのが今の本堂です。
この本堂は、1479年に建立されたそうで、桁行5間、梁間5間で、屋根は入母屋造りの桧皮葺と、室町時代の代表的な建築手法によって建立された寺院となっています。国の重要文化財にも指定されています。本堂の姿は迫力があってかなり見応えがあります。境内も綺麗に手入れされていて、気持ちよく散策できるのも魅力と感じました。
また、参道から境内にかけては、紅葉の名所としても親しまれているそうです。秋から冬にかけて紅葉した木々に囲まれた姿もまた非常に素晴らしいそうです。
萩往還
山口市には歴史的な街道があります。それが「萩往還」です。萩往還は萩から山口市を通り、防府市の三田尻に至る街道で、毛利氏が萩に移封されたあとに参勤交代で利用する重要な道として江戸時代に整備されたものです。萩往還の全行程は12里(約53km)と長く、中国山脈を縦断するように整備されたために、かなりきつい坂が続く場所もあるそうです。そして、途中には石畳が敷かれている部分が多くあるのですが、その石畳の道が萩往還の魅力を大きく高めています。
萩往還跡は山口市内中心部にもありますので、萩往還を歩いて歴史を感じるだけなら比較的簡単に体験できます。ただ、どうせ萩往還を体験するなら、中国山脈につながるきつい坂道や、石畳の道を体験したいところです。そこで今回は、山口市側から萩市との境にある「国境の碑」に向かう石畳の道を見学してきました。
石畳の道が始まる場所は国道から少しそれた所にありますが、石畳の道の左右は石垣で固められ古民家風の民家も数軒立ち並んでいて、山里のような趣のある雰囲気です。しばらく石畳を進むと、民家もなくなり、うっそうと木々に囲まれた、いかにも山道といった雰囲気となります。そして、坂も急激にきつくなってきます。実際に歩いてみると、石畳に整備されているとはいえ、かなりきつく、少し歩いただけでも結構体力を消耗します。
実際に歩いてみて感じたのは、敷き詰められた石畳の道の素晴らしさです。びっしりと敷き詰められた石畳は一部苔がむしていて、見た目にも非常にきれいです。そして、人里離れた山道といった雰囲気からも、整備された当時が忍ばれますので、その点でも非常に趣があるという印象です。
今回萩往還の石畳の道を訪れた当日はあいにく雨模様でした。石畳の道は、雨水に濡れると非常に滑りやすくなって、非常に急な坂道と合わせてかなり危険な状況でした。そのため、ごく一部を歩くだけに留まりました。それだけでも十分に雰囲気を感じ取れましたのが、次は晴れた日にじっくりと歩いてみたいと思いました。
なお、萩往還の石畳の道をじっくり歩いてみたいと考えている場合には、急な坂道などに備えて、最低でもスニーカーなどの歩きやすく滑りにくい靴を履いていくことをお勧めします。とくに女性の方は、ハイヒールなど歩きにくい靴は絶対に避けた方がよいでしょう。
山口市菜香亭
菜香亭は、1877年頃に山口市上竪小路で創業した料亭です。菜香亭の名付け親の井上馨や、伊藤博文をはじめとした山口県出身の総理大臣をはじめ、多くの山口県出身政治家や文人に愛されたそうです。料亭としては1996年まで続いたそうですが、その後、2004年に現在の場所(山口市天花)に移築され、「山口市菜香亭」の名で山口市の歴史を伝える観光施設としてオープンしました。
山口市菜香亭の見所は、その建物自体や中庭の庭園など数多くありますが、何より中の大広間です。大広間は、料亭当時の姿をそのまま保っています。そして、菜香亭ゆかりの所蔵品が多数展示されています。必見なのが、伊藤博文をはじめとした山口県出身の歴代総理大臣の書です。山口県出身の、ほとんどの歴代総理の書が展示されていて、もちろん現総理大臣の安倍晋三氏の書もあります。内容や書体に違いがありますので、それぞれを見比べるだけでも楽しいひとときを過ごせると感じました。
そのほかに、幕末の志士に関する年表やパネルの展示などもあります。幕末の志士たちや明治時代の高官たちも、この菜香亭の大広間に集って宴会を開いていたそうですので、大広間に座って歴史に思いをはせるのもよさそうです。
十朋亭
十朋亭も幕末の志士にゆかりのあるスポットです。もともとは、醤油製造業者として栄えた萬代家の離れとして建てられた建物です。幕末に長州藩主の毛利敬親が藩庁を萩から山口に移転した際に、役人用の屋敷の用意が間に合わなかったために、民家を役人の宿泊所として利用したのですが、そのうちの一つがこの十朋亭でした。
そういった経緯から、十朋亭には大勢の幕末の志士が集い、出入りしていたそうです。実際に、桂小五郎、高杉晋作、周布政之助、久坂玄瑞、大村益次郎、伊藤博文などの面々が、十朋亭に宿泊したり出入りしたりしていたという記録が残っているそうです。
細い通路を進むと、十朋亭の建物と中庭が現れます。建物は、当時の姿をほぼそのまま残した状態で、一般に公開されています。もちろん室内にも入れますし、室内には、ゆかりのある志士の写真や掛け軸なども飾られています。幕末の志士が会合したり、くつろいでいたと思われる部屋に座っていると、非常に感慨深いものがありますし、落ち着いた気持ちにもなりました。また、中庭も趣がありますので、必見です。なお、十朋亭は、2016年9月下旬から2017年12月末まで改修工事のため公開中止となるそうです。
湯田温泉で疲れを癒し、中原中也記念館へ
山口市内で歩き疲れたときにお勧めなのが湯田温泉です。山口市中心部からすぐの場所にある温泉郷で、温泉宿や日帰り温泉施設、気楽に立ち寄れる足湯施設などが用意されています。山口市を訪れるときの宿としてはもちろん、疲れた身体を癒すにも最適です。もちろん、幕末の志士ゆかりの温泉宿もありますので、幕末の歴史好きにとっても外せない場所となっています。
そんな湯田温泉の観光拠点施設が「狐の足あと」です。2015年3月に開設されたばかりの新しい施設で、湯田温泉の情報を発信する拠点として、観光情報などを提供しています。湯田温泉エリアのイベント情報なども教えてもらえますので、観光時の拠点として最適です。
なぜ狐の足あとなのかというと、湯田温泉の由来に白狐が関わっているという伝説からだそうです。その昔、寺の境内にある池に、毎晩のように足を浸けに来る白狐がいたそうです。それを不思議に思った住職が水をすくってみると暖かったので池を掘ってみると、温泉が湧き出すとともに、薬師如来の金像が現れたというのです。それ以来、白狐の湯と呼ばれ栄えたのだそうです。この伝説から、湯田温泉には狐がなくてはならない存在になっているのです。
施設内には足湯やカフェも備えています。足湯は、屋外の露天風呂のような大きなものから、カフェのメニューをいただきながら浸かれる室内の足湯など、3種類を用意。特に、室内の足湯では、庭や露天の足湯を眺めながらゆっくりできますので、かなりお勧めです。足湯に浸かる時には、無料で借りられる足湯用の浴衣も用意されていますので、衣服を気にすることなくリラックスして足湯に浸かりたい場合でも安心です。足湯の入浴料は、大人200円、子供100円となっています。
もう一つ、面白い趣向としては、地元湯田温泉で生まれた詩人の中原中也になりきれる衣装を貸し出している点です。中也の写真でおなじみのマントやハットを貸し出していますので、中也になりきって記念写真を撮影できます。中也は近年人気が高まっていますが、こういった趣向も観光客にとって魅力と言えるでしょう。
もちろん、カフェのメニューも見逃せません。コーヒーやカフェラテなどのカフェらしいメニューはもちろんですが、そのほかに夏みかんやりんごなどの山口県産の果物で作ったジュース、山口県の地酒を味わえる利き酒セットなどが用意されています。そして、カフェメニューを頼んだ人には、山口の名物菓子の外郎(ういろう)が試食として提供(数量限定)されます。
山口の外郎(ういろう)は、わらび粉を使って作られていて、ぷるんとした食感が特徴です。米粉を使った外郎(ういろう)とは食感が大きく異なっていて、やさしい味わいでとても美味しくいただけます。この他に、白狐を模したアイスクリームなども用意されていますので、子供から大人までゆっくりくつろげるでしょう。
狐の足あとでゆっくりしたら、次は向かいにある「中原中也記念館」へと足を運びたい。湯田温泉で生まれ育った中原中也は、特に近年人気が再燃しているそうで、記念館へ足を運ぶ観光客も多いそうです。館内には中也ゆかりの品が多数展示されています。作品の展示はもちろんですが、中也の直筆原稿なども展示されていますので、中也好きなら外せないスポットです。
入館料は、一般320円、学生210円、70歳以上と18歳以下は無料となっていますが、狐の足あとで足湯を利用したレシートを提示すると100円引きになりますので、狐の足あとに寄ったあとに訪れるのがお勧めです。
女性創業支援で事業化されたカフェでランチをいただく
今回のツアーでは山口県が支援する女性起業家が経営しているカフェにも足を運びました。そのカフェは「cafe KOTI」というお店で、山口市中心部から車で30分ほどの山口市徳地堀にあります。山口県と山口銀行や県内企業が共同出資して設立された「女性創業応援やまぐち(WISやまぐち)」の支援によって起業されたお店です。
近年、女性の起業熱は高まっていますが、起業したとしても1年以内に40%ほどが倒産してしまうという現実があって、なかなか足を踏み出せないと感じていたり、不安を感じている人も多いそうです。WISやまぐちは、そういった起業を目指している地元山口県の女性起業家に対して、運営資金の提供に加えて、経営・運営ノウハウを伝授して経営を軌道に乗せる手助けをするために設立されたそうです。そして、今回訪れたcafe KOTIは、WISやまぐちが第1期の支援事業として選ばれたお店です。
経営しているのは江藤マミさんで、地元徳地で居宅介護支援事業など福祉の仕事をされています。そんな中、徳地で地元の人たちが集い、談笑できるような場所が欲しいと考えて起業したのが、cafe KOTIだそうです。徳地は高齢化の進んだ過疎の町だそうで、カフェの運営は難しいのでは、と言われることが多かったそうですが、地元の特産品である徳地和紙を活用した商品を紹介したり販売したりすることを同時に行なうなどの特徴を持たせたことで、WISやまぐちの支援が受けられ開業にこぎ着けたそうです。
提供しているメニューでは、地元山口や徳地で採れた野菜や卵など地元食材を積極的に使っているそうです。訪問時のランチメニューでは、ハンバーグやドライカレーなどカフェらしいメニューが並んでいますが、どちらも地元食材をふんだんに使っているそうです。また、田舎プレートというメニューは、地元食材を使った和食風のプレートとなっていて、若者から高齢者まで楽しめるラインナップとなっています。どれも素朴ながらしっかりとした味わいで、過疎の町にあるカフェとは思えないほど完成度が高いと感じました。地元食材を使っているため、料理の内容は季節によって異なるそうです。
観光客が山口市内から足を運ぶには、やや不便かもしれませんが、奈良の東大寺大仏殿を再建した責任者として知られている重源上人ゆかりの地で、お寺などの見所もありますので、徳地に足を運んだ際には、cafe KOTIにも訪れてみてほしいです。
重田木型で木のおもちゃに触れる
ランチをいただいて次に向かったのが、木で作ったおもちゃを製作している「重田木型」の工房です。山口市徳地藤木という、山深い場所に工房を構えて、主人の重田秀徳さんが1人で木のおもちゃを製造、販売しています。木のぬくもりを感じられるおもちゃとして、全国的に人気が高いそうです。
重田さんは、もとは自動車メーカーのマツダでエンジニアとして働いていたそうです。その時に、開発用エンジンの鋳造用木型を製作する部門に配属されて、木を使う仕事に出会いました。そして、退職後に山口に戻り、鋳物用の木型を作る仕事をされていたそうですが、その傍ら、子供用に木でパズルなどのおもちゃを作ってみたところ、近所の子供達にも人気となって、鋳造用の木型を作るだけでなく、本格的に木のおもちゃ作りも始めたそうです。現在では、山口県を中心に各地のイベントに参加したり、ギャラリーなどに作品が展示されたりするなど、幅広く活動されています。
作っているおもちゃは、すべて重田さんがデザインから製作、着色まですべて1人で行なっているそうです。最大の魅力は、オリジナルのパズルを注文して作ってもらえるところです。例えば、子供の名前などを使ったパズルなども作ってもらえるので、おもちゃとしてだけでなく、記念の品としても重宝されているそうです。また、木で作られていますので安全ですし、手触りも柔らかく心が安まります。小さな子供にも安心して渡せると感じます。
作品の販売は、基本的には通信販売で、なかでもオリジナルパズルの受注での販売が中心になっているそうです。オリジナルパズルは受注を受けてから製作しますので、完成までには多少時間がかかりますが、ネットを通して注文者と写真などを使って細かな部分まで調整するそうですので、想像通りのパズルが手に入るといえます。
また、工房にはおもちゃやパズルが多数展示されていて、その場で購入も可能となっています。実際に手に取って遊びながら、気に入ったおもちゃを購入できますので、できれば子供連れで訪れたい場所です。なお、重田さんは常に重田木型の工房にいるわけではないそうなので、訪れる場合には注意してほしいそうです。
毛利氏庭園で毛利氏の歴史に触れる
今回の山口県ツアーで最後に訪れたのが、防府市にある毛利氏庭園です。国指定名勝にも指定されている、約2万5000坪の広大な敷地の庭園で、四季折々、木々や花の姿の移り変わりを楽しめる、人気の庭園となっています。
また、庭園内には、1916年に完成し、国の重要文化財にも指定されている公爵毛利邸「旧毛利家本邸」や、毛利氏に伝わるさまざまな美術工芸品などを展示する「毛利博物館」もあります。日本庭園を楽しむだけでなく、その昔優雅を極めていた毛利氏の歴史にも触れられます。庭園の入園料は大人400円、小・中学生200円、毛利博物館の入場料は、企画展で大人700円、小・中学生350円、特別展(国宝)で大人1000円、小・中学生500円となっています。庭園と毛利博物館双方に入る場合には、共通券がお得となります(詳しくは下部リンクを参照してください)。
庭園に足を踏み入れてまず驚かされるのが、その規模です。約2万5000坪という広大な敷地の庭園は、現在は公益財団法人 毛利報公会が管理していますが、これが毛利氏本家の邸宅の一部とは驚きの限りです。しかも、隅々まで手入れが行き届いて素晴らしいの一言です。もちろん、四季それぞれに移り変わる姿を楽めますので、どの時期に訪れても、素晴らしさを体感できるはずです。
また、旧毛利家本邸も、その規模と贅沢な作りに驚かされます。旧毛利家本邸の建坪は1212坪、部屋数が60あると言われているそうですが、個人の邸宅としては日本随一の規模と言えるでしょう。旧毛利家本邸が完成したのは1916年と、その時点で毛利家は大名という立場ではなく、公爵という身分になっていました。つまり、大名としての毛利家の邸宅ではなく、公爵としての毛利家の邸宅というわけです。そして、その建築当時の建物がほぼ完全な形で残されています。
豊かな富を背景に、旧毛利家本邸は非常に贅沢な作りとなっています。例えば、日本建築の建物ですので、建材にヒノキが使われているのはもちろんですが、それ以外にも、鏡板戸の板に無垢の屋久杉が使われていたり、廊下には幅1.5mほどあるケヤキの1枚板が使われていたりと、隅々まで贅沢な作りとなっているのです。
また、完成当時には、まだ電気が届いていなかったそうですが、邸宅内に自家発電施設を備えて全館で電気が使われ、シャンデリアやインターホンなども使われていたそうです。とにかく、どこを見ても贅を尽くした作りにため息が出ます。
屋敷から続く毛利博物館には、毛利家が収集した宝や美術品などを展示しています。収蔵点数は約2万点で、そのうち国宝、国の重要文化財に指定されているものだけで約9000点もあるそうです。年に7~8回ほど展示品を入れ替えているそうですが、今回訪れた時には、毛利元就の直筆の書状や、毛利元就が身につけていた鎧、国内現存最古の古今和歌集(写本)などが展示されていました。もちろん、ほとんどの展示物が本物です。歴史好きなら、必ず足を運ぶべきでしょう。
今回ツアーに参加して、さまざまな山口県の魅力を体験できました。独特な食文化はもちろん、歴史に触れられる名所が多いというところはほかの観光地にはない大きな魅力と感じました。まだまだまわっていない名所も多くありますし、次はプライベートでじっくり名所を堪能したいと思います。食と歴史、双方に興味があるなら、山口県はうってつけですので、みなさんもぜひ足を運んでみていただきたいと思います。