旅レポ
ザルツブルクでモーツァルトとサウンド・オブ・ミュージックを感じる
名曲が生まれた「きよしこの夜」礼拝堂と国境の不思議な風景
2018年12月31日 00:00
ヨーロッパの鉄道などが一定期間乗り放題となる「ユーレイル グローバルパス」を使って旅するプレスツアー。今回はベートーベンが活躍したウィーンを離れ、同じオーストリアでも反対側の西端にあるドイツとの国境に接する街、ザルツブルクを訪ねる。
高速鉄道を利用すれば片道およそ2時間半。早朝に出発して日暮れまで街を散策し、夜に再びウィーンに戻るという日帰り観光も可能だ。
音楽を巡るユーレイル旅
ザルツブルクといえば、音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの出身地。彼はベートーベン、ハイドンと並ぶ三大巨匠とも言われるうちの1人だ。アイネ・クライネ・ナハトムジークやトルコ行進曲(ピアノソナタ11番第3楽章)、きらきら星などはあまりにも有名で、多くの人が子供のころに耳にしたことがあるはず。軽快で、どことなく愉快な調子の曲が多いのがモーツァルトの特徴だろう。
ところで、ウィーンにVienna City Cardがあったように、ザルツブルクにも「Salzburg Card(ザルツブルクカード)」がある。こちらも市内の公共交通機関が乗り放題となり、博物館やその他施設の利用料金が割引、もしくは無料になるので、観光するなら購入しておいて損はない。駅もしくは観光案内所などで購入でき、価格は24時間25ユーロ(約3200円、1ユーロ=128円換算)から。ハイシーズンとローシーズンとで価格は若干上下するが、2019年以降は1ユーロほど値上がりするようだ。
モーツァルトゆかりの地、サウンド・オブ・ミュージックのロケ地がそこかしこに
モーツァルトがザルツブルクで生まれたのは1756年とされている。幼少のころから楽器演奏や作曲など音楽の才をいかんなく発揮し、25歳にウィーンへ移住するまでこの地で暮らしながら音楽活動に勤しんだ。
列車で到着したザルツブルク中央駅からほぼ徒歩圏内にある、1606年建立の代表的なバロック建築と言われているミラベル宮殿の近くでは、モーツァルトが17~25歳まで住んでいたとされる家を目にすることができる。宮殿ではかつてモーツァルトがコンサートを開いたという記録も残されており、そのためか宮殿のすぐそばには本人の名前を冠するモーツァルト音楽大学が隣接している。
ミラベル宮殿の庭園は、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」のロケ地としても知られている。ザルツブルク自体が映画の舞台となっているので、登場する風景はもちろんほかにもある。とはいえ、ミラベル宮殿は物語の中盤、子供たちが父親を驚かせるために歌を学び、ドレミの歌を歌いながら駆け抜ける印象的なシーンだけに、見覚えがある人もいるのではないだろうか。
ちなみに筆者も子供のころに何度か映画を見ているのだが、現地では残念ながらそこまで詳細に思い出すことができなかった。帰国後に改めて映画を見直したところ、ミラベル宮殿だけでなく、それ以外のいくつかのシーンでもザルツブルクの見知った風景があることに気付けたのだった。
Concerts at Mirabell Palace Salzburg
所在地: Mirabellplatz 4, 5020 Salzburg, Austria
Webサイト: Mirabell Palace(英語)
ザルツブルクを一望できる「崖」と、不屈の大聖堂
ミラベル宮殿の庭園から遠くに望むホーエンザルツブルク城の方角に向かって歩き、川を渡ると、高い崖が立ち塞がる。65mもの高低差があるこの崖は展望台にもなっており、エレベータで登ればザルツブルクの街を一望できる。ひとしきり眺めたあとは、再び下に降りて崖伝いに城の方向へ歩いて行くと、崖に埋め込まれたかのように建っている聖ブラジオス教会が現われる。ここでもモーツァルトがコンサートを開いたとことがあるという。
このあたりは歴史的建造物が多く、ユネスコの世界遺産にも指定された旧市街に近い。モーツァルトが洗礼を受け、一時期はパイプオルガンの演奏を担当したというザルツブルク大聖堂もぜひ見学したい。ここの大司教シュラッテンバッハは、モーツァルトのパトロンとして彼の音楽活動を支えたとも言われている。大聖堂のその偉容にはただただ圧倒されるが、774年に初めて建立され、その後何度も火災や戦争の影響で焼失の憂き目に遭い、そのたびに再建を繰り返してきた不屈の建物でもある。
ザルツブルク大聖堂の隣には、こちらもサウンド・オブ・ミュージックで一瞬登場したレジデンツ広場があり、さらにそこから100~200mも歩けば、モーツァルト像と、その妻コンスタンツェが住んでいたという家も見ることができる。歩けば歩くほどモーツァルトや音楽にゆかりのあるものと出会えるのがザルツブルクなのだ。
クリスマスの定番ソング、「きよしこの夜」が生まれた地
クリスマスになると必ずと言っていいほど街で耳にする曲「きよしこの夜」。その始まりの地もオーストリアにある。ザルツブルク市街からクルマで30分ほど北上したところにある小さな街、オーベルンドルフだ。近隣で教師をしていたオルガニストでもあるフランツ・グルーバーが作曲を、1818年当時この地にあった聖ニコラウス教会の神父ヨゼフ・モーアが作詞を担当し、クリスマスイブのミサのときにその教会で「きよしこの夜」が初めて歌われたとされている。現在は教会は取り壊され、きよしこの夜礼拝堂として残されている。
そして、礼拝堂から歩くこと1分で見えるのがこの景色だ。
オーベルンドルフはまさに隣国ドイツに接する街。国境線となる大きく蛇行したザルツァハ川のいわば外側にオーベルンドルフが位置しており、内側となる対岸はもうドイツとなる。ぽっかりと島のように浮かんだ景色は幻想的だが、一切のセキュリティがない近くにかかる一本橋を渡るだけで向こう側に行けてしまう、ごく身近な場所でもある。国境に関係なく付近の住民が当たり前のように橋を行き来している様子を目にするのは、なんだか不思議な気持ちだ。
日帰りでウィーンに戻ったあと、次回はウィーンを発ってチェコのオロモウツへ。劇場でオペラを鑑賞する。