旅レポ

メンデルスゾーンとバッハが息づくドイツ・ライプツィヒ

日本人女性2人が学ぶドイツ最古の音楽大学も訪問

ライプツィヒの音楽大学で学ぶ日本人女性2人の演奏も堪能

 ヨーロッパの鉄道などが一定期間乗り放題となるユーレイル グローバルパスを使って旅するプレスツアー。今回は最終目的地となるドイツ・ライプツィヒ。

 早朝にチェコ・ブルノを出発し、プラハ、ドイツ・ドレスデンを経由して、ライプツィヒ到着は昼過ぎ、およそ7時間かけての大移動となった。

ユーレイル グローバルパスを利用して、ブルノから最終目的地のライプツィヒへ(C)OpenStreetMap contributors
ブルノからプラハ行きの列車に乗車
プラハに到着
プラハで乗り換え、ドレスデンへ
ドレスデン到着
再び乗り換えてライプツィヒに向かう

 ドイツはベートーベンの出身の地でもあるが、「結婚行進曲」「ヴァイオリン協奏曲」などが有名なフェリックス・メンデルスゾーンのほか、「ブランデンブルク協奏曲」や無伴奏チェロ組曲「プレリュード」のヨハン・ゼバスティアン・バッハもドイツ生まれ。この2人は特にライプツィヒで活躍したことで知られ、その足跡はこの地に数多く残されている。

7時間かかってライプツィヒに到着した
駅構内の様子
広大なエントランスと駅前の風景

ベルリンの壁崩壊とも関係する聖ニコライ教会と、バッハの遺骨が眠る聖トーマス教会

ライプツィヒの街並み

 2019年は、東西ドイツ統一のきっかけとなったベルリンの壁崩壊からちょうど30年となる節目。そこから直線距離で150kmのところにあるライプツィヒは、実はベルリンの壁崩壊とも密接なつながりがある。

 旧市街にあるライプツィヒ最古の教会とされる聖ニコライ教会は、ベルリンの壁崩壊の端緒となったデモの出発地点で、近くの広場にはその集団が移動したときの足あとをかたどった金属プレートが埋め込まれているのだ。

聖ニコライ教会と、広場に設置された平和の泉
ベルリンの壁崩壊の端緒となった聖ニコライ教会から出発するデモの足跡
聖ニコライ教会は「ここから撮るとベストアングル」としているマークが地面に描かれている
そのベストアングルスポットから撮ったニコライ教会

 ライプツィヒの代表的なもう1つの教会が、聖トーマス教会。ここはかつてバッハが音楽監督を務め「マタイ受難曲」を生み出した場所とされている。敷地内にはバッハの銅像が建てられ、内部のステンドグラスにも鮮やかな色彩のバッハの姿。彼の遺骨もこの聖トーマス教会に眠っていると言われる。

聖トーマス教会
聖トーマス教会の前に設置されたバッハの銅像
教会の内部へ
鮮やかなステンドグラスがふんだんに使われている
バッハの肖像がステンドグラスに
キリストの十字架も
パイプオルガンが複数
パイプオルガンの演奏もお願いした
夕暮れの聖トーマス教会

 また、教会のすぐ向かいにはバッハ博物館もあり、当時聖トーマス教会に隣接する学校・寄宿舎に住んでいたバッハにゆかりのある品が展示されている。年間5万人が訪れるバッハ博物館は、その1割の来訪客が日本人とのことで、日本でのバッハの知名度と人気の高さがうかがえる。

聖トーマス教会に隣接する聖トーマス学校。ここがかつてバッハの住まいともなっていたという
その向かいにあるバッハ博物館
入口にあるかわいらしいバッハ
楽譜でできた手作り感あふれるバッハのペーパークラフト
独特の記号を使っていたバッハの手書き楽譜を分析
楽譜に使われた紙には特殊な製法で透かしが加えられているという
バッハが使ったことのある、あるいはバッハにゆかりのある楽器たち
バッハ博物館

所在地:Thomaskirchhof 15/16, 04109 Leipzig, Germany
入場料:8ユーロ(約1000円、1ユーロ=125円換算、月初の火曜日は無料)
Webサイト:bach MUSEUM(英語)

現代にも多大な功績を残したメンデルスゾーンの家

 これら代表的な教会のあるライプツィヒの旧市街を歩くときは、足元にも注目したい。石畳のところどころで見つけることができるシルバーのプレート。これは演奏記号を模した矢印で、指し示す方向に進むことで音楽に関わりのある観光スポットを巡ることができるというもの。

石畳の地面のところどころにある矢印プレート。指し示す方向に向かうと音楽関連の観光スポットが見つかる

 例えば、ヨーロッパ最古の歌劇場である「ライプツィヒ歌劇場」、現在はデパートになっている「ワーグナーの生家跡」、作曲家シューマンが通ったという「カフェ・バウム」、その妻であるクララ・シューマンが結婚前に住んでいた家などが見つかる。また、ベートーベンの第九を初めて演奏したとされるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の拠点も旧市街にある。ゲヴァントハウスはメンデルスゾーンが音楽監督を務めていたことでも有名だ。

右に見えるのがライプツィヒ歌劇場
ゲヴァントハウス
本をモチーフにしたというパノラマタワー(左)とライプツィヒ大学(右)
ライプツィヒ大学は建物の一部をテナントとして貸し出すことで運営資金を集めているという
シューマンも通ったとされる「カフェ・バウム」
落ち着いた雰囲気の店内でほっとひと息
クララ・シューマンが結婚前に住んでいた家
1900年まで使っていた旧市庁舎(改装中)と広場
この広場は朝になるとマーケットが開かれる
豊富な食材が所狭しと並ぶ
魚介や菓子類も
日本ではあまり見ないユニークなパンも
クリスマス前の季節だったこともあるのか、クリスマスリースのような飾りも売られていた
ワーグナーとバッハをイメージした近代アート
ワーグナーの生家だったところは現在はデパートになっている

 旧市街の南東の外れまで足を伸ばしたところにあるのが、メンデルスゾーンが晩年を過ごした「メンデルスゾーンハウス」。少なくとも10以上の部屋に分かれた2階部分の1フロアを借り切り、妻と5人の子供とともに暮らした。

 しかしながら引っ越して住み始めてからわずか2年、38歳の若さでメンデルスゾーンはこの世を去る。それからほかの人の手に渡るなどしたあと、1997年に博物館として全体が改装、修復され、現在はメンデルスゾーンが使用していた楽器や楽譜、趣味で描いていた水彩画などを展示している。当時の生活の様子を再現した家具・調度品、家族の定番料理レシピまで紹介している。

メンデルスゾーンハウス。この2階部分が全てメンデルスゾーンの自宅だった
メンデルスゾーンハウスの入口

 時代の片隅に埋もれてしまっていたバッハの作品「マタイ受難曲」を上演してバッハの音楽が再び脚光を浴びるきっかけを作り、現在の「フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ」へと受け継がれる「ライプツィヒ音楽院」を創設するなど、多大な功績を残したメンデルスゾーン。メンデルスゾーンハウスにいると、ナチス政権下の決して平穏ではなかった社会情勢でも、負けるまいと必死に生きた彼の人柄や当時の空気感がひしひしと伝わってくるようだ。

指揮棒を振ると、その動きに合わせて流れる曲のテンポが変わる。ウィーンの「音楽の家」にあったアトラクションと似ている
メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」を演奏中。パートごとのメロディのオンオフが可能になっている
室内のライティングの色も自由自在
調度品が昇降台でゆっくり動いている。手前にあるタブレットで品々の詳細が分かる
1781年に完成したゲヴァントハウスの模型
メンデルスゾーンハウスの2階に設けられていたミニコンサートルーム。現在は毎週日曜日昼にコンサートが開かれている
1つ目のリビング
2つ目のリビング
メンデルスゾーンの仕事部屋
明るいパステルカラーの子供部屋
メンデルスゾーン(下段左から2番目)とその親兄弟の肖像
メンデルスゾーンが12歳の時の肖像画。美少年だったようだ
遺髪も残されている
家族が使っていたカトラリーと料理本
英国風肉料理、ナッツケーキなどのメンデルスゾーンが好きだったレシピ。持って帰ってもOK
メンデルスゾーンが描いた水彩画
存命中に完成できなかった作品も
メンデルスゾーンハウス

所在地:Goldschmidtstraße 12, 04103 Leipzig, Germany
入場料:8ユーロ(約1000円)
Webサイト:Mendelssohn-Haus(英語)

音楽大学でピアノとフルートを学ぶ日本人女性2人

フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒで学ぶ渡辺晴香さん(左)と大井絵理子さん(右)

 メンデルスゾーンが礎を築いた、ドイツ最古の音楽大学「フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ」では、世界中から音楽家を志す人たちが集う。なかには日本人も何人か在籍しており、そのうちの1人である渡辺晴香さんは、現在は作曲も少しずつ学び始めているというピアニスト志望の女性。メンデルスゾーンの作品番号28、「幻想曲 嬰ヘ短調 スコットランドソナタ」などを情感たっぷりに弾いた。

ピアノ演奏を披露する渡辺さん

 もう1人、フルートをメインにしながら、2018年からはバロック時代に使われていたものと同じ構造の古楽器も新たに学び始めたという大井絵理子さん。指使いが全く異なる2つの楽器を巧みに使い分け、バッハの次男であるカール・エマヌエル・バッハが作曲した「無伴奏フルートのためのソナタ」などを演奏した。

フルートと古楽器を使い分ける大井さん。音の出し方も指使いもかなり異なるという

 2人とも卒業後は国内・国外にかかわらず音楽に関わりのある仕事に就きたいと話していたが、例えば各国で活動している楽団への所属は極めて狭き門となっているようだ。ライバルとなるアジアや欧米出身の学生には「自分たちにない創造性がある」とも大井さんは語り、音楽家として成功するには傍目から見ても並大抵の努力ではかなわない世界だと思わせられる。が、いずれ遠くない将来、彼女たちが世界の第一線で活躍している姿を見られることを期待せずにはいられない。

2人でアンサンブルも
学校の内部も案内していただいた
試験にも使われる小ホール
大ホールには大型のパイプオルガンが設置。夜にもかかわらず熱心に練習している中国人学生の姿もあった

 音楽を巡るユーレイル旅は、ひとまずこのライプツィヒをもって終着。次回はポーランド、オーストリア、チェコ、ドイツと4カ国を旅するなかで出会った絶品グルメ5選をお届けしたい。

日沼諭史

1977年北海道生まれ。Web媒体記者、モバイルサイト・アプリ運営、IT系広告代理店などを経て、執筆・編集業を営む。IT、モバイル、オーディオ・ビジュアル分野のほか、二輪・四輪分野などさまざまなジャンルで活動中。どちらかというと癒やしではなく体力を消耗する旅行(仕事)が好み。Footprint Technologies株式会社代表。著書に「できるGoPro スタート→活用 完全ガイド」(インプレス)、「はじめての今さら聞けないGoPro入門」(秀和システム)、「今すぐ使えるかんたんPLUS Androidアプリ大事典」(技術評論社)などがある。