旅レポ

エストニア南部セト地方の知られざる伝統スモークサウナと民謡セトレーロ

ビザなし、入境審査なしでロシアに入国できる足つきNGのエリアも

エストニア南部の瀬戸地方を訪れた

 北と西はバルト海、東はロシア、南はラトビアに面したバルト三国の1つ、エストニア。北欧の要衝ヘルシンキから飛行機で30~40分というアクセスしやすい位置にあり、日本の九州に近い面積に沖縄県ほどの人口が暮らす小さな国だ。しかし小さいとはいえ、その文化は首都タリンや第2の都市タルトゥがある北中部と、南部のセト地方とでは大きく異なっている。

 分かりやすい違いとしては、スモークサウナの有無が真っ先に挙げられるだろう。北中部は低温・高湿度のスチームサウナが中心だが、セト地方にはそれに加えてユネスコの無形文化遺産にも指定されたスモークサウナがある。また、鮮やかな赤とシルバーの装飾で彩られた民族衣装や「セトレーロ」と呼ばれる民謡など、独自の伝統も息づいている。

 ソビエト時代から度重なる国境の変動に翻弄されてきた特殊な事情を抱えるセト地方だが、そのせいか、エストニアのなかでもここにしかないさまざまな文化や習慣が集まる地域となっているのだ。エストニア政府観光局が主催、フィンエアーが機材協力を行なったプレスツアーの第2回は、エストニア南部を訪問した。

秘境のような森の奥でスモークサウナを堪能

エストニア南部、セト地方にある宿泊施設「Piusa Primeval Valley Holiday Complex」

「Piusa Primeval Valley Holiday Complex」は、緑深い森の中、曲がりくねった川に囲まれるようにひっそりとたたずむ宿泊施設。ロシア国境までわずか5kmほどのところにあり、まるで外の世界から隔絶された秘境のような雰囲気が感じられる場所だ。パーティなどの用途で貸切も可能な同施設には、宿泊用の複数の大型・小型ロッジ、食事などを提供する建物、バーベキュー設備、フィッシングができる溜め池、そしてエストニアの無形文化遺産にも指定されているスモークサウナがある。

宿泊したロッジ。シングルルームの宿泊料金は45ユーロ(約5850円、1ユーロ=130円換算)より
バーベキュー用の設備が用意されている

 薪を燃やして5~6時間かけて燻し、室内の壁がすすで真っ黒になったスモークサウナは、一度に10人前後が入ることのできる規模の大きなもの。脱衣所や休憩室として使えるスペースも同じ建物の中にあり、スモークサウナでじっくり汗を流したり、休憩室で軽食やドリンクを補給しながら歓談したりできる。

森の中を50mほど歩くと……
スモークサウナのあるエリアにたどり着く

 高温・低湿度の日本のサウナとは違い、温度はやや低め。しかし、室内の熱せられた石に水やビールをかけることで発生する強烈な熱気で温まるのがスモークサウナの特徴となっている。しっかり身体の芯まで温まったら外に出て涼み、あるいは目の前にある川にダイブして、熱を冷ましたら再びサウナに入って温まる……というのを何度も繰り返す。このあたりはフィンランドにもあるスモークサウナとまったく同じだ。

休憩室、脱衣所、サウナルームの3部屋からなる小屋
暖炉のある休憩室。真冬でも暖かそうだ
軽食のほか、ビール、ノンアルコールなどのドリンクが用意されていた
室内全体が5~6時間かけて燻され、温められている。薪で熱せられた石に水やビールをかければ蒸気で強烈な熱気が
温まったら外にある川に飛び込んでもよし。汗をかいたら冷やす、を何度も繰り返すことで身体の芯からリフレッシュできる

次の世代へと受け継がれるセトの民謡「セトレーロ」と民族衣装

セト地方のとある農家でセトレーロを披露していただいた

「セトレーロ」とは「セトの歌(民謡)」という意味。複数人の女性による合唱で、メインの歌い手の言葉を、ほかのメンバーが繰り返す、というのが基本形だ。時にはステップを踏みながら、「湖の歌」「祭りの歌」「泣き歌」といった曲名で、その地域ならではの事柄や、女性の気持ちを力強く歌い上げる。ここでは、現地でいくつか披露していただいたもののうち「祭りの歌」を以下の動画でご覧いただきたい。

エストニア セト地方の民謡セトレーロ「祭りの歌」

 このとき、歌い手の女性たちが身に着けているのが、セト地方の伝統的な民族衣装。古くは普段着の1つとして使われてきた衣装で、現在も特別な行事の際に着ることが多い。衣装や首から下げたネックレスなどの装飾品は、母から子、あるいは祖母から子へと引き継がれ、修繕やアレンジを加えて使い続ける。伝統文化といえば、世代を経ることで次第に衰退していくものと思われがちだが、この民族衣装やセトレーロは、伝統を重んじる政府の支援もあり、エストニアの子供たちにもしっかり受け継がれているという。

民族衣装を試着できる「Obinitsa Seto Museum」
主に女性用の民族衣装が多数用意されている
手伝ってもらいながら上着、エプロンなどを1枚ずつ着ていく
未婚か既婚かで、頭に被るフードの種類が異なる
完成!……というのは冗談だが、男性用の衣装も少しだけある。日本人の体型にも合うようだ
麻を素材にした衣装は動きやすく快適。このほかに冬用の上着もある

国境画定で分断されたセト地方

 エストニアはかつてソビエト連邦に含まれていた地域であり、第二次世界大戦後の1946年に仮の国境線が引かれ、1991年のソ連崩壊およびエストニア国家独立を機に国境が画定した、という背景がある。そんななか、エストニア南部のセト地方は第一次世界大戦後の1920年当時、現在のロシア領内にまで大きく広がる形で存在していたが、仮の境界線が引かれたことで大きく後退。それでもソ連の1地域として境界をまたいだ自由な往来が許されていたものの、ソ連崩壊・エストニア独立と同時にその境界が(わずかに変更が加えられて)国境として設定され、分断されることとなった。

「Setomaa」とは「セトの土地」のこと。地図ではロシア領内にまで広がる太い赤線内の地域を指す。現在のエストニア内に残るセトのエリアは、地図中央付近に見えるピンク色の細い線(国境)から左側の部分。解説していただいたのはセト地方のツアーガイドをしているヘレン・キルヴィクさん
国境近くのセルガ村にあるロシア正教の教会。エストニアではロシア正教を信仰している人が比較的多い
人口19人のセルガ村の村長を1982年から勤め、この教会の管理も行なっているエービ・リーナマエさん

 これにより、境界付近に居住していた国民は、親戚同士であってもエストニア側とロシア側に分かれてしまった。場所によっては日常的に通っていた目の前の教会に礼拝に行くことが難しくなったり、あるいは離れにあった自宅トイレにすらたどり着けなくなったりした例もあったとのこと。現在、エストニア国内のセトと呼ばれる地域は、もとの1/3ほどの広さにまで縮小している。

 ソ連時代にはコルホーズによってエストニアからおよそ1万人が強制労働に駆り出されたほか、セト地方では土地、水車、家畜などの接収という憂き目にも遭い、貧困にあえぐ家庭も少なくなかった。とはいえ、境界はあっても自由に移動して交流できていたわけで、それが難しくなった現在を考えると、ソ連崩壊やエストニア独立が必ずしもすべてにおいてプラスの影響があったとはいえず、この状況に今も複雑な思いを抱いている人もいるようだ。

教会の内部。1784年に建立され、2007年にいったん分解して傷んでいたところを修繕し、建て直した
毎週日曜日に祈りを捧げる。リーナマエさんによると、この土地でもコルホーズにより水車や家畜などが接収され、ソ連崩壊後に返還されたという

 このようにソ連との直接的な関わりが多かったためか、セト地方の家屋の作りや家具、周囲の風景には、ヨーロッパというよりソ連やロシアに近い雰囲気が感じられる。「この林を越えればロシア」という場所にも簡単に近づくことができ、車両から降りないことを条件にロシア領内を通過できるエリアもある。国境付近で警備が取り立てて強化されているようにも見えない。それでも、もしここを訪れれば、ソ連崩壊とエストニア独立の影響を最も大きく受けた地域の1つとして、ある種の緊張感みたいなものを肌で感じ取ることができるだろう。

ロシア領内に入るには通常ビザの取得と特定のゲートにおける入国審査が必要だが、特別にビザ・審査なしで入境が許されている地域がある。地図でいうと靴のような形をした部分。その形と地名から「サーツェのブーツ」とも呼ばれているという
サーツェのブーツの手前1kmからは、車両を停止することも、歩いて移動することもできない
右側に見えるオレンジとグリーンの縞模様ポールが、ロシア側が設置した国境を示すマーク。その先は歩行禁止となっている
ロシア領内を車両で移動中。停止したり、足を地面につけたりしてはいけないが、車両移動であれば何でもOK。自転車でも問題ないのだとか。ただし転倒したり、足を付けたりするとNG
サーツェのブーツのすぐ北にもう1か所、ロシア領内を走れる場所がある。わずか数十mにも満たない三角地帯となっており、ここももちろん歩行、停車禁止。エストニア警察が監視していた

日沼諭史

1977年北海道生まれ。Web媒体記者、モバイルサイト・アプリ運営、IT系広告代理店などを経て、執筆・編集業を営む。IT、モバイル、オーディオ・ビジュアル分野のほか、二輪・四輪分野などさまざまなジャンルで活動中。どちらかというと癒やしではなく体力を消耗する旅行(仕事)が好み。Footprint Technologies株式会社代表。著書に「できるGoPro スタート→活用 完全ガイド」(インプレス)、「はじめての今さら聞けないGoPro入門」(秀和システム)、「今すぐ使えるかんたんPLUS Androidアプリ大事典」(技術評論社)などがある。