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石井国土交通大臣も出席。新名神 新四日市JCT~亀山西JCT間/東海環状道 大安IC~東員IC間の開通式
2019年3月19日 14:37
- 2019年3月17日 開催
国土交通省 中部地方整備局とNEXCO中日本(中日本高速道路)は3月17日、新名神高速道路(E1A)新四日市JCT(ジャンクション)~亀山西JCT間(延長約23km)、東海環状自動車道(C3)大安IC(インターチェンジ)~東員IC間(延長約6.4km)を開通し、これを記念する開通式典を行なった。
新名神の同区間に新設される鈴鹿PA(パーキングエリア)付近にある鈴鹿市立椿小学校で行なわれた開通式典には、国土交通大臣 石井啓一氏や中日本高速道路 代表取締役社長CEO 宮池克人氏のほか、それぞれの道路建設で尽力した国会議員、自治体関係者、NEXCO中日本や施工会社の社員など約400人が参加して行なわれた。
式典では最初に、主催者あいさつとして石井大臣が登壇。石井大臣は最初に「このように開通の日を迎えることができましたのは、ひとえに用地をご提供いただきました地元の皆さまをはじめ。事業の推進にご支援・ご協力をいただいた多くの関係者の皆さまのおかげと、心から御礼申し上げます」と感謝の意を口にしたあと、「本日の新名神高速道路の開通によりまして、愛知県から滋賀県までのダブルネットワークが完成し、名神や新東名、東名とともに、国土の物流の基軸として機能することが期待されます。また、東海環状自動車道は、本日の開通で約6割の完成となり、企業立地にさらに弾みがつくと考えております。
このように効果が高いプロジェクトへの重点的な投資は、人口減少時代におきましても生産性の向上を通じた持続的な経済成長や、豊かな国民生活の実現に貢献するものと考えております。国土交通省といたしましては、新名神高速道路や東海環状自動車道の全線開通に向けまして、引き続き関係機関や地元のご協力をいただきながら全力で取り組んでまいります」と語り、新名神と東海環状道の全線開通に向けて取り組みを進めていく姿勢を示した。
また、NEXCO中日本の宮池社長からも新名神と東海環状道の整備にあたって土地や家屋などを提供した地権者や地元住民からの支援、協力に対して感謝の言葉が語られ、2つの道路についての紹介が行なわれた。
新名神は2005年までに全区間の事業化が行なわれ、三重県内の新名神はこれですべての区間が開通となった。これまでに東名阪一帯の渋滞対策として、既存路線の暫定的車線増などの対策を実施してきたが、同日の新名神開通により「東名阪の渋滞はほぼ解消する見込み」と宮池社長は説明。高速道路の渋滞解消によって移動時間を想定しやすくなることで、物流の効率化、観光振興に対しての貢献が期待できるとした。
新たに「PIT SUZUKA(ピットスズカ)」の愛称で開設する鈴鹿PAには、一般道側からもアクセスできる「ぷらっとパーク」を整備しており、周辺地域の住民にとっても魅力的な施設にしていると紹介した。
東海環状道については石井大臣のコメントでも取り上げられているように、約6割の完成という状態ながら沿線の企業立地が進み、雇用が増加するといったストック効果が出はじめていると宮池社長は語り、国交省などとも連携して引き続き早期開通に向けて整備を進めていくとしている。
三重県知事の鈴木英敬氏は、「来賓のあいさつというものは、普通は『おめでとうございます』と言うのだと思いますが、今日、私は『ありがとうございます』と申し上げたいと思います。地域の悲願であるこの新名神 三重県全区間の開通。そしていなべ市に初めて高速道路がタッチする東海環状。本当に私たちの地域の悲願でありました。あらためて石井大臣をはじめ国土交通省の皆さん、宮池社長をはじめNEXCO中日本の皆さん、これまでご尽力いただきました国会議員の先生方、また、地元の自治会や地権者の皆さん、仲間として一緒に頑張ってきた地元の市長、町長の皆さん、何よりこの区間の特徴である“進める会”の皆さんをはじめ民間団体の皆さん、そして県議会の皆さん、市議会の皆さん、町議会の皆さん、そんな力の結集によってこの日を迎えることができたこと、あらためて御礼申し上げたいと思います」と感謝の意を述べた。
さらに鈴木知事は「今年は伊勢湾台風から60年、防災にも資するこれらの道路です。また、四日市港の開港120周年を迎えます。この東海環状も新名神も、四日市港を中心とした三重県内の物流を大きく飛躍させる道路であります。また、今年は熊野古道の世界遺産登録15周年です。この道路によって三重県への滞在時間が長くなり、多くのところを回ってもらえる、そんな期待もあります」と語り、新開通する2つの道路が三重県に多くの効果をもたらすことを紹介した。
新名神建設促進議員連盟の副会長である衆議院議員の川崎二郎氏は「名阪国道、名阪有料道路ができましたのは1964年。東京オリンピックの時でございます。当時の建設大臣であり、オリンピック担当大臣でありました河野一郎さんの鶴の一声で『千日道路』としてできあがったと聞いております。私は40年前から政治活動に入りましたが、当時は双方向2車線でよく交通事故が起き、4車線化をしていくことが大きな課題となっていた時代でした。
それから伊勢自動車道ができあがり、また京都や滋賀の国会議員の皆さん方、地域の皆さん方のご努力によって新名神がこちらの方にどんどん延びてまいりした。結果として亀山で3つの道路で6車線がぶつかる状況になり、亀山~四日市間が『日本の中でも最も混んだ高速道路』と言われる時代が続いてまいりました。名古屋からわれわれの地域にお見えになる方が、行きは1時間、ゴルフが終わって名古屋に帰ろうとすると3時間かかる。これで『もう三重県のゴルフ場は行かない』という時代は、これで克服されることになります。
それから、先ほど鈴木知事が言われていたように、平成17年(2005年)に道路公団が民営化されました。また、平成24年(2012年)には笹子トンネルで大きな事故もございました。さらに高速道路の一部無料化という時代もありました。そういったいろいろな波を、今日まで関係者の努力によって乗り越えてきました。少し時間はかかりました。冒頭で申し上げたような『千日道路』から今日までずいぶんと時間はかかりましたが、多くの皆さんの努力に心から敬意を評します。
しかし、まだまだ仕事は続いてまいります。東海環状道路をはじめ、新しい鈴鹿亀山道路など問題を抱えたなかでございます。今日ご参加の皆さんがこれでひと安心ということではなく、前を向いていく一助になりますことを祈念申し上げます」とコメント。これまでの歩みを振り返りつつ、さらに前を向いて活動を進めていくことを参加者に呼びかけた。