ニュース

関西エアポートが4月1日の神戸空港運営開始を控えて、関西3空港の成り立ちを振り返る

2018年2月7日 開催

関西エアポートが関西3空港の成り立ちを振り返る説明会を開催した

 関西国際空港と伊丹空港(大阪国際空港)を運営する関西エアポートは、設立から2年が経過して2018年4月1日から3年目に突入、さらに神戸空港の運営・維持管理を開始するにあたり、報道陣を招いて説明会を開いた。会では「関西エアポートから見る関西3空港の歴史と現在の姿」をテーマに、1960年代まで振り返り、関西エアポート設立までの経緯などを改めて解説した。

 説明に当たったのは、執行役員 企画室長兼海外事業開発室長 三浦覚氏、執行役員 伊丹空港活性化推進ユニット長 小泉惠次氏、執行役員 伊丹空港施設オペレーションユニット長 山本雅章氏、執行役員 技術部長 鈴木慎也氏の4名。

伊丹空港の訴訟から関空建設計画の同意まで

 1964年、伊丹空港にジェット機の乗り入れが始まると周辺住民から騒音に対する苦情が起こり、1969年には国を相手取った訴訟に発展していた。すでにそのころ、伊丹だけでは関西の航空需要をまかないきれなくなっており、「関西国際空港」建設の構想が立ち上がる。建設地として当時は神戸沖が有力候補とされていたが、1973年に神戸市長が建設反対を表明したことで、翌1974年に政府の航空審議会が現在の「泉州沖が最適」との答申を出した。なお、訴訟の進展を受けて、1977年には伊丹の発着枠は1日370回(ジェット機は200回)にまで制限されるようになっていた。

 1981年に泉州地域などの自治体が空港計画を可決すると、運輸大臣が大阪府、兵庫県、和歌山県に対して、関空の建設計画や環境におよぼす影響を評価した資料、地域の発展に対する考え方を示して協力を要請。翌1982年には大阪府と和歌山県が同意するも、神戸市が「神戸沖新空港計画試案」を運輸省に提出し、3県の合意には至らなかった。その後、1984年に兵庫県が同意したことで、第1期と呼ばれる「関西国際空港計画」が正式に決定した。なお、先ほどの神戸市の試案を運輸省は受け取りを拒否したが、兵庫県の同意を受けて「神戸空港の整備のための調査に運輸省も協力する」と態度を改めた。こうして、1984年に「関西国際空港株式会社」が設立する。

関空の開港と伊丹の存続決定、阪神淡路大震災の発生

 1986年になると、訴訟が続いていた伊丹空港はおおむね調停が成立し、一時は廃港を求める訴えもあったが、1990年に伊丹空港周辺自治体と周辺住民による調停団と運輸省の間に「伊丹空港の存続協定」が結ばれる。ちなみにこの協定には、運用時間を7時~21時(14時間)とすることや1日の発着枠を370回に制限すること、国際線を廃止して国内線のみにすることなどが盛り込まれており、これは2018年の現在も有効になっている。

 1991年、国の空港整備計画に神戸空港が組み込まれ、「3000mの滑走路を1本、将来拡張して2本」の当初案が最終的には「2500mの滑走路1本」で落ち着いた。そして1994年、関西国際空港が第1期開港。直後の1995年、阪神淡路大震災が発生し、それを受けて「神戸市復興計画」に神戸空港の整備が盛り込まれ、確定的に計画が進み始める。

米国同時多発テロによる航空需要の低迷

 1996年、関空に2本目の滑走路を作る「二期事業」が着手され、その後同時期に神戸空港も着工。ところが、2001年に米国同時多発テロが発生すると航空需要が低迷し、関空もその煽りを受けてしまう。そこで翌2002年、国による関空への補給金制度が創設され、地元自治体や経済界による「関西国際空港全体構想促進協議会(促進協)」も支援を開始するが、2008年のリーマンショックなどもあり、結局2011年まで影響は続き、関空の取り扱い旅客数(2011年度)は1365万人(国際990万人、国内375万人)という開港以来の最低水準まで落ち込んでしまう。

 そうした環境の悪化のなか、2006年に神戸空港が開港、2007年には関空第2滑走路が供用開始となり、伊丹・関空・神戸の3空港をどのように役割分担していくかという合意を形成するため、「関西3空港懇談会」が開催される。神戸空港の運用時間(7時~22時)や1日の発着回数(60回)などはこのときに決められたものだという。

3空港の一体運営とコンセッション方式の導入

 2009年には民主党への政権交代があり、事業仕分けによって関空の補給金が凍結されることになり、翌2010年に再び関西3空港懇談会が開催された。地元経済界などでは状況がわるいながらも3空港をうまく生かす形で運用したいと思惑が一致し、3空港を一元管理することで検討が進められるも、当時の大阪府知事が伊丹の廃港を主張するなどして文書での合意に至らず、“取りまとめ”という形で3空港の将来の在り方を提言するに止まっている。

 しかし関空の負債はこのときも膨らみつつあり、同年、国土交通省成長戦略会議でひとまず関空と伊丹を一体運営することで存続の道を探ることが決まった。事業価値を最大化したところで、コンセッション方式(土地建物などの所有権を維持したまま運営権を外部に委託・売却すること)で運営を民間に委託するという方針が定められ、2011年に「関空・伊丹統合法」が成立するに至る。

 この関西2空港を一体運営するために2012年に「新関西国際空港株式会社」が発足、政権は自民党に戻るが、前述の方針は引き継がれて2014年に関空・伊丹のコンセッションが募集開始となり、翌2015年、オリックス・ヴァンシコンソーシアムが優先交渉権を獲得して契約を締結する。

 その後はよく知られているとおりだが、2016年4月1日に関西エアポートが伊丹空港と関空の運営を開始。2017年にオリックス・ヴァンシ・関西エアポートコンソーシアムが神戸空港コンセッションの優先交渉権を獲得し、2018年4月1日から関西エアポート神戸が神戸空港の運営を開始する予定になっている。

 業績に目を向けると、2012年度から3空港(特に関空)の取り扱い旅客数は急増しており、2016年度は関空で2572万人(国際1915万人、国内657万人)まで成長し、最低水準だった2011年の倍近くにまで成長、3空港全体では4360万人を記録している。これには2012年のピーチ(Peach Aviation)の関空拠点化に端を発したLCCビジネスの台頭、訪日ビザ緩和などの追い風がもたらしたものだという。