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「安全運航こそがJALグループの存立基盤」、整備部門出身の赤坂新社長が会見

JALの再生を掲げた2012~2016年度中期経営計画を完遂した植木氏からバトンタッチ

2018年1月24日 発表

JALは4月1日以降の社長の交代などについて発表した

 JAL(日本航空)は1月24日、東京・天王洲にある本社で会見を開き、4月1日以降の社長の交代などについて発表した。

 現 常務執行役員 整備本部長/JALエンジニアリング 代表取締役社長の赤坂祐二氏が社長に就任し、現 代表取締役社長執行役員の植木義晴氏は代表取締役会長となる。

 なお、現 取締役会長の大西賢氏は取締役となり、6月開催予定の定時株主総会終了をもって取締役も退任する。

社長に就任する赤坂祐二氏
異動の概要

 赤坂祐二氏は1962年1月3日生まれ、北海道札幌市出身。東京大学大学院 工学系研究科を卒業後、1987年に入社。羽田整備事業部生産計画グループ長、安全推進本部部長などを歴任し、2014年にJAL 執行役員 整備本部長とJALエンジニアリング 代表取締役社長に就任。2016年には執行役員から常務執行役員になり、現在に至る。先々代の大西賢氏が整備部門、植木義晴氏は運航乗務部門(機長)、そして赤坂祐二氏は大西氏に続く整備部門出身の社長となる。

数字を追うだけでなく世の中のお役に立てる会社を作っていっていただきたい

現 代表取締役社長執行役員の植木義晴氏

 会見では代表取締役社長執行役員の植木義晴氏が、赤坂氏について「リーダーシップをいかんなく発揮できる人物と考えています」と紹介し、「会長職に退いたあともこれまでどおり、謙虚な気持ちを忘れず、お客さま、社会に恩返しできるよう赤坂新社長を支え、全社員一丸となって全力を尽くしていきます」と挨拶。

 植木氏は2012年に社長に就任して今年で6年目を迎えていたが、「2012~2016年度 JALグループ中期経営計画」は2010年の経営破綻後最初の中期経営計画であり、JALの再生を掲げたものであり、それを完遂できたタイミングであること、そして新しい社長を会長職として支えられることができるエネルギーが自分にまだ残っているうちにと思い、次世代へのバトンタッチを決断したと語った。

 そして2017年に社内に新社長として赤坂氏を推挙。「なぜ赤坂氏なのか」という報道陣からの質問には、植木氏の社長就任会見でも「なぜ植木氏なのか」という質問があり、当時の会長だった稲盛和夫氏が「『人間性、人格を一番に重んじた』とおっしゃってくださった」と振り返り、「それは今も変わらない」と、赤坂氏の人柄を評価。

 そして「JALフィロソフィ」のなかにある「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という「成功方程式」を紹介し、重要な「考え方」において「赤坂氏だと思った」と語った。

 植木氏は「私の考えを押しつけるつもりはありません。『社長赤坂』を作るのは彼自身だと思う」としつつ、「数字を追うだけでなく、世の中のお役に立てる会社を作っていっていただきたい。社長は孤独なときもありますが、勇気を持って己の信念を貫く、正しい決断をし続けなければならない。それはやはり赤坂さんがふさわしいと思う」と赤坂氏に思いを託した。

安全運航こそがJALグループの存立基盤

「大変重要な時期にバトンを受け取ることになり自問自答し、悩んだ」と語る赤坂祐二氏

 続いて赤坂氏は、1985年の御巣鷹山での墜落事故から間もない1987年にJALに入社したことに触れ、「大学で航空工学を専攻していた自分にとって、あの事故は言葉では尽くせないものがあり、JALへの入社最大の動機は、あのような悲惨な事故を二度と起こさないため、自分の力を尽くしたいと思ったから」と自己紹介。

 そして「整備部門と安全推進部門でこれまでのキャリアのほとんどの時間を過ごしてきて、長く安全の最前線に身を置いてきた経験から、安全運航こそがJALグループの存立基盤であり、社会的責務であることを、その重要性を体中に染み込ませてきました。引き続きこの自分の原点と、培った信念をもとに安全運航を守っていく所存です」と語った。

 新しい2017年~2020年度の中期経営計画では挑戦と成長を掲げており、2020年のオリンピック・パラリンピック競技大会、羽田空港の発着枠拡大などを控え「大変重要な時期にバトンを受け取ることになり自問自答し、悩んだ」と重圧を感じつつも「これまで多くの方々からご指導ご支援をいただいたことに報いるため、お客さまに最高のサービスを提供すること、JALが『世界で一番お客さまに選ばれ、愛される航空会社になる』という目標に、自身が先頭に立って全身全霊を傾ける」と、就任への決意を述べた。