旅レポ
長崎県の名物食材をとことん堪能してきた(その3)
長崎が誇る陶芸の里を巡り、素晴らしい職人の技に魅了される
2016年6月3日 00:00
三川内焼伝統産業会館・三川内焼美術館
九州で焼き物といえば、佐賀県の有田焼や伊万里焼を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、長崎県にも歴史が古く、また世界的にもその名を知られる焼き物があります。その1つが「三川内焼」です。
三川内焼は、白磁が世界的に知られています。非常にきめの細かな地肌と、唐子絵を代表とする繊細な絵付け、透かし彫りなど、高度な技法を駆使した優れた作品が数多く作られています。三川内焼は、平戸藩の御用窯として位置付けられていたことから、作られる陶磁器はすべて平戸藩、そして徳川幕府や朝廷などへの献上品だったそうです。つまり、当初より品質重視の陶磁器が作られていたのです。そして、その技術や品質の高さから、海外からの評価も非常に高くなっています。
三川内焼の歴史は、安土桃山時代にまでさかのぼります。豊臣秀吉が起こした朝鮮の役の際に、平戸藩藩主の松浦鎮信が朝鮮から数十人の陶工を連れ帰りました。そして1598年に、松浦鎮信はその陶工のなかから、巨関(帰化後に今村姓を名乗ったそうです)という陶工に、中野(現在の平戸市)に窯を開くように命じました。これが、三川内焼の始まりとされているそうです。その後巨関は、質のよい陶土を求めて三川内に移りました、それとほぼ同時期に、同じく朝鮮から渡ってきた高麗媼(嫁いで中里姓を名乗ったそうです)という陶工も、三川内に移り住みました。そして、1650年頃に御用窯が三川内に移されて、現在まで続く三川内焼となったのだそうです。
三川内焼伝統産業会館内にある三川内焼美術館では、佐世保市が所蔵している三川内焼や、現代の作家が制作した三川内焼を多数展示しています。見どころはなんといっても明治以前に作られた三川内焼で、高度な技法で作られた陶磁器はどれも見事です。また、白磁の吸い込まれるような白さにも、目を奪われてしまいます。
現代の作家が制作した作品も、素晴らしいものばかりです。そして、三川内焼開窯400周年を記念して作られた、400人の唐子絵が描かれた「三川内焼400人唐子絵大皿」も展示されています。その大きさと、1人として同じ姿のものはない唐子の絵は、見ているだけで圧倒されてしまいます。このほか、三川内焼の歴史や、三川内焼が作られる手順なども紹介されています。三川内焼の窯元に訪れようと思っているなら、その前にまずこちらに足を運ぶことをお勧めします。
三川内焼の里を散策
続いて、三川内焼の窯元が集まっている、三川内の里を散策しました。三川内では、散策しながら、昔使われていた窯の跡などの三川内焼の歴史が分かるようなスポットが多数用意されています。三川内は山の中腹ということで、坂道が非常に多くなっていますが、道は歩きやすいように整備され、案内板も多く設置されているので、安心して散策できます。今回は、そういったスポットを巡りながら、代表的な窯元にもお邪魔してきました。
お邪魔した窯元は、「平戸松山窯」です。平戸松山窯は、寛永時代から平戸藩の御用窯として約400年の歴史を誇る、由緒正しい三川内焼の窯元です。そして、この地区の窯元は、ほぼすべて世襲で受け継がれているそうで、現在の平戸松山窯では、第16代の中里月度務(なかざとつとむ)さんが活躍されています。
平戸松山窯では8割ほどが器で、2割ほどが工芸品を作っているそうですが、得意としているのが、伝統的な唐子絵を施した作品だそうです。ただ、伝統をそのまま受け継ぐだけではなく、技術はしっかり残しながら、現代のニーズに合う様式へと変えていっているそうです。例えば唐子絵の図柄も、かわいらしさを特徴にするなど、工夫を凝らしているとのことです。今後の課題としては、販路をどのように拡げていくか、という部分だそうです。三川内では、問屋機能がほとんどないため、窯元が自ら作品を販売する必要があって、なかなか販路を拡げられないのが悩みだとのこと。三川内焼は、優れた技術をベースとした芸術性の高い作品が中心なので、海外への展開も今後の課題だと中里さんは語っていました。
三川内の里の散策で歩き疲れたら立ち寄りたいのが、江戸時代の旅籠跡「泰平や」です。現在の建物は1882年建造のものだそうですが、こちらでは事前に予約(5名以上で4日前までに予約)することで、平戸藩に江戸時代から伝わる押し寿司「平戸寿司」が楽しめるそうです。ここでは三川内焼の作品を展示しており、一部は購入できる作品もあります。休憩しながら、三川内焼の作品を楽しめる、趣のある施設ですので、こちらも三川内散策で立ち寄りたいスポットです。
焼き物の町、波佐見町の酒蔵を訪ねる
続いて向かったのが、三川内焼に並んで長崎県の焼き物として有名な「波佐見焼」の地元、波佐見町です。波佐見町ではまず、地元の酒蔵「今里酒造」にお邪魔しました。
今里酒造は、1772年頃に創業した老舗の酒蔵です。代表の銘柄は「六十餘洲」というお酒で、昔は日本全国に60あまりの国があったことから、全国の人に飲んでもらいたいとの想いを込めて名付けられた銘柄だそうです。また、蔵には200年ほど経っている建物もあって、いくつかの蔵は国の有形文化財にも登録されているとのことです。
お酒はすべて手作りで、米はほとんどが地元波佐見町で採れたものを使っています。そして、長崎県内で広く親しまれているとのことです。また、2015年に福岡国税局酒類鑑評会、純米酒の部で大賞を受賞するなど、受賞歴も多くあるそうです。残念ながら私は下戸なので、なめる程度にいただいただけですが、純米大吟醸はフルーティな味わいで口当たりがよく、とても美味しいと感じました。
今里酒造では、蔵に併設された売店でお酒を購入できます。忙しい時期などもあるので、事前に問い合わせてほしいとのことですが、基本的には受け入れてくれるそうです。もちろん、試飲も可能なので、お酒好きなら波佐見町を訪れた際に外せないスポットです。
「陶農レストラン清旬の郷」でランチをいただく
今里酒造の次に訪れたのは、「陶農レストラン清旬の郷」です。こちらのレストランでは、地元波佐見町で採れたお米や野菜をふんだんに使ったメニューを提供しています。しかも、料理が盛られる器は、基本的に地元の波佐見焼を使っています。つまり、波佐見焼と波佐見町地元食材を使ったメニューの双方を楽しめるのです。そこで、今回はこちらでランチをいただくことになりました。
いただいたランチは、「清旬の郷 季節の贅沢プレートご膳」です。薪で炊いた釜戸炊きのご飯は、もちろん波佐見町で採れたお米を使っています。また、野菜もすべて波佐見町で採れたものです。それも、季節感を大事にしているそうで、季節の野菜もふんだんに取り入れています。そのほかに、季節の魚やお肉なども使われていて、かなり贅沢なメニューとなっています。
基本的に和食のメニューとなっていて、今回は焼き魚やとんかつもありましたが、野菜の煮物を中心とした、ヘルシーな内容でした。しかも、どれも優しい味付けで、とても美味しくいただけました。
食器には、角形プレートや小皿、小鉢などが使われていましたが、もちろんすべて波佐見焼を使用。なかでも角形プレートは、かなり実用的ながら、シンプルで飽きのこないデザインとなっていて、料理を引き立ててくれます。これも、普段使いの実用的な器が多い波佐見焼ならではといったところでしょう。
陶農レストラン清旬の郷ではこのほかに、イタリアで修行したシェフが作るという、本格的な石窯ピザも提供しています。和食好きから洋食好きまで、満足できる料理が楽しめる、お勧めのレストランです。
また、陶農レストラン清旬の郷の隣には、日帰り温泉「はさみ温泉 湯治楼」があります。食事のあとに温泉でひと休み、といった使い方もできるので、こちらも合わせてお勧めします。
波佐見町の中尾山で波佐見焼に触れる
次に向かったのが、波佐見焼の窯元が集まっている、波佐見町の中尾山です。こちらでも、集落周辺を散策しながら波佐見焼の歴史を垣間見つつ、窯元にお邪魔してきました。
お邪魔した窯元は「一真窯」です。一真窯では、白磁の器を中心に作っています。過去に長崎デザインアワードで大賞を受賞したこともあるそうで、デザイン性に優れる作品を数多く手がけている点が特徴だそうです。
一真窯の看板商品となっているのが、さまざまな形のカンナで彫ってデザインされた器です。例えば、カップを作る場合でも、さまざまなパターンを組み合わせて削ることで、幾何学模様のような独特のデザインができあがります。カップだけでも24を超える削りのパターンがあるそうで、実際にできあがった器を見ると、シンプルながら、その独特なデザイン性が非常に美しく、モダンに感じられます。
もともと波佐見焼では、同じ形状の器を大量生産するのが得意だったそうですが、一真窯では同じ形状でも削りで異なるデザインのものを作ることで、多様性をもたせているそうです。実際に、同じ器でもさまざまなパターンがあって、全部集めたくなるような気分になってしまいます。
波佐見焼では、昔から大量生産を行なうために、分業制が取られていたそうです。そして、器の整形だけでもさまざまな手法があります。そのうちの1つが、石膏型を使った整形です。同じ形の器を大量に作るために、器の型を大量に作って、そこに液体状の土を流し込んで器を作っていきます。現在でも波佐見町には、石膏型を使った器の整形を専門に行なっている職人の方がいて、日々大量の器の整形を行なっています。
石膏型を使った大量生産の手法は、戦前から行なわれていたそうです。石膏型に液体状の土を流し込むと、石膏が水を吸い込んで、型に沿って土が固まります。そして、ある程度水を吸い込んだ段階で入れた液体を抜くと、型に沿って薄く固まった土だけが残ります。これで、器の整形が完了となります。同じ型を多数使うことで、同じ器を大量に整形できるので、大量生産が行なえるというわけです。一度使った石膏型は、乾燥させて何度も再利用するそうです。
続いて、波佐見町中心部にある窯元「中善」にお邪魔しました。こちらでは、無印良品など、有名量販店で扱われている製品などを大量に製造しています。同じ器やマグカップなどが多数並んでいる姿は、大量生産を得意とする波佐見焼ならではの光景です。とはいえ、絵付けなどは職人の皆さんが手作業で行なっています。大量生産とはいっても、きちんと手作りされているという点に驚かされます。安くても値段なりのものとは違い、高い品質を備えているのも納得と感じました。
最後に、波佐見町の「観光交流センター」に向かいました。こちらでは、波佐見焼の歴史を学べます。
波佐見焼の歴史は、三川内焼の歴史とかなり似ています。大村藩の藩主、大村喜前が、朝鮮の役から朝鮮の陶工を率いて帰国しました。そして、波佐見で登り窯を作ったのが始まりとされていて、約400年の歴史があります。そのあと、波佐見で磁器の原料が見つかったことで、磁器の生産を開始。江戸時代後期には、染付の生産量が日本一になるほどの生産量を誇っていたそうです。
波佐見焼は、庶民が使う日常的な器を中心に製造されていました。なかでも、丈夫で割れにくく、筆で唐草模様を描いた「くらわんか碗」は江戸時代に広く使われたそうです。それを支えたのが、大量に器を作る技法と、大量に器を焼ける巨大な登り窯の存在だったわけです。
観光交流センターには、そのような波佐見焼の歴史を記した資料や、江戸時代などに使われていた波佐見焼、くらわんか碗、そして、現代の代表的な波佐見焼の作品などが展示されています。また観光交流センター内には、波佐見焼の直売所もあるので、お土産の購入にも最適です。
西の原でお洒落なお店を巡る
波佐見町で最後に立ち寄ったのが、「西の原」です。ここは、江戸時代から続く窯元「幸山陶苑」が営んでいた製陶所のあったところです。この製陶所が2001年に廃業したのですが、現在ではその跡地と建物を活かして、雑貨店やカフェなどが出店する、お洒落な観光スポットとなっているのです。今回は、その西の原で、雑貨店の「南創庫」と、カフェの「モンネ・ルギ・ムック」にお邪魔しました。
南創庫では、さまざまな雑貨を販売するほかに、波佐見焼を使ったアクセサリーの手作り体験ができます。今回は、波佐見焼を使ったネックレスを作りました。
好きな形とデザインの波佐見焼のパーツを自由に組み合わせて、革製のひもを通して作ります。作業は、パーツを通してひもを結ぶだけですが、ひもの長さを自由に調節できるように結ぶのが少々難しいです。ただ、作り方は詳しく教えてもらえますし、子供でも問題なく作れる難易度なので、心配無用です。私も10分とかからず完成できました。
店内には、海外の雑貨なども多数販売されていますが、この手作り体験は記念にもなってお勧めです。なお、手作り体験は事前の予約が必要なので、早めに問い合わせるようにしましょう。
次に、カフェの「モンネ・ルギ・ムック」でひと休みです。お店のオーナーの岡田浩典さんは、実は東京出身。10年以上前に岡田さんは、日本の陶芸の街を1年半ほどかけて回っていたところ、知り合った陶芸家からの紹介で波佐見町を紹介されたそうです。そして、西の原の製陶所が閉鎖し「ここでお店でもやらない?」と誘われたのがきっかけで波佐見に移住し、カフェを始めたのだそうです。岡田さんは、ここでカフェを始めたのは「たまたま」とおっしゃっていましたが、波佐見の人たちの優しさに惹かれて決めたそうで、波佐見の魅力に魅了されたということなのでしょう。
岡田さんは、東京の赤坂にあるフレンチレストランで働いていたそうで、出されるメニューはどれも本格的です。今回は、カフェラテとスイーツ(私はクレームブリュレ)をいただいたのですが、どちらも非常においしく、あっという間に平らげてしまいました。
ほかにも、西の原には雑貨店やおにぎり屋など、多くのお店が集まっています。波佐見の新たな(といってもオープンして10年ほど経つそうですが)観光スポットとして、見逃せない存在です。
今回は3日間、長崎の名物食材を堪能し、陶芸の里を巡ってきました。これまで知らなかった長崎の美味しい物や、伝統的な陶芸などに触れて、長崎の新たな魅力をいくつも発見できました。出島、グラバー邸、長崎中華街、ハウステンボスなど、有名どころを回るのもいいですが、旅に出るなら、新たな発見を目指すのもまた楽しいはずです。皆さんも、これまで知らなかった長崎を発見する旅に、ぜひとも出かけてみてください。