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56年の歴史に幕! 懐かしの「昭和なGMSスーパー」イズミヤ枚方店に行ってきた

2026年3月1日 閉店
イズミヤ枚方ショッピングセンターの全景

当たり前のようにあった「枚方のイズミヤ」消滅

 京阪本線・枚方市駅の近くにある「イズミヤショッピングセンター枚方」(大阪府枚方市禁野本町1-871)が、3月1日をもって閉店を迎える。

 イズミヤSC枚方は、人口39万人を擁する枚方市の「地域最大級のショッピングセンター」として、1970年の開業から半世紀以上にわたって営業を続けてきた。スーパー以外の店舗の在庫はほとんど売れてしまっているものの、いま店内は閉店を惜しむ人々や、名残を惜しむように最後の買い物に訪れる人々でいっぱいだ。

 かつて全店トップの売上を記録していたという、イズミヤSC枚方の営業も、あとわずか。実際に訪れて、“昭和の薫り”を感じる店内を巡りつつ、閉店を惜しむ人々の姿も追ってみよう。

隠せない老朽化も「楽しみのひとつ」?

エスカレーターと正面階段
2階売り場。見渡す限り大特価
屋上のサイン。メンテナンスの問題もあって、かなり見なくなった
吹き抜けフロア。中階にはトイレがある

 イズミヤSC枚方は、1階がスーパー「イズミヤ枚方店」とフードコート・衣料品、2階が「ケーズデンキ」とドラッグストア・100円ショップ、3階は駐車場になっている。開業から50年以上もたっているとあって、店内の床が波打っていたり、コンクリ部分がくすんでいたり。もはや老朽化は隠せない。

 しかし、この店の見どころは「昔ながらのショッピングセンター」であること。1階から3階までの階段がガラスに囲まれた吹き抜け状になっていたり、エレベーターも軋みながらゆっくり上昇する年季入りのもの。屋上にはイズミヤの太陽マークが入った広告塔が鎮座し、いたるところに独特の「イズミヤショッピングセンター」ロゴを見ることができ……細かいデザインや店の構造に、子供のころに両親に手を引かれて訪れた「昭和のショッピングセンター」の姿を見ることができるのだ。

メッセージコーナーで語られる「懐かしのイズミヤ」

メッセージコーナー
カードを7枚も使って書かれたメッセージ
「生まれたときからあった」

 まもなく閉店を迎える今、全国で11番目の店舗として1971年に開業したという「ミスタードーナツ」や、精肉店「ダイリキ」などの古参テナントも撤退してしまい、閉店1週間前の時点で、店内は空きスペースが目立つ。

 そのなかで、閉店にあたって2000通以上も寄せられたというメッセージの展示コーナーは、ひときわにぎわいを見せている。「記憶する初めての買い物はイズミヤ、子供を初めて連れて買い物したのもイズミヤ」「亡き母やおばあちゃんとの想い出の場所です」など。半世紀以上にもおよぶイズミヤSC枚方の歴史は、枚方市に生まれ育った人々の歴史でもあることを、思い知らされる。

 先にも述べたとおり、イズミヤSC枚方は、大規模な改装で増床した1978年から1990年代まで、全店トップクラスの売り上げを記録し続けていた。その歴史と、閉店にいたるまでの環境の変化を見ていこう。

オープン当時は長蛇の列!「地域一番店」であったイズミヤ

エレベーターホール
当時の新聞記事

 イズミヤSC枚方は、下層階に食品スーパーや衣料品、上層階に家電売り場などを配置しており、かつてほとんどの売場を自前で構成していた。専門外の売場も自社で展開する業態は、業界用語で「GMS」(General Merchandise Store)と呼ばれている。

 GMS形態の店舗は、関西ならダイエー、関東はイトーヨーカ堂などが得意としており、高度成長期の昭和40年代から末期までは、全国各地で爆発的な売上を記録している。イズミヤも例外ではなく、枚方店は1970年に開業した当時(このときは「いづみや」)に「3日間で1億2000万円」という異例の売上を記録し、クルマの待機列で周囲の道路が麻痺してしまうほどのにぎわいを見せていたという。

 枚方市も、イズミヤ開業当時には20万人程度だった人口が倍増し、隣接する寝屋川市とともに「大阪・京都に通勤できるベッドタウン」として発展していく。数キロ圏内にある「くずはモール」や「ダイエー香里店」(すでに閉店)、「寝屋川グリーンシティ」(イオン転換後に閉店)、「ダイエー京橋店」(すでに閉店)などが、いずれも全国でもトップクラスの売上・集客を記録していたこともあり、当時の流通業・都市開発関連の人々は、京阪本線沿いの各店を巡って、開発の参考にしていたという。

イズミヤ枚方の衰退要因「イオン・ライフ包囲網」「GMS退潮」

フードコートのラーメン

 しかしイズミヤSC枚方は、3つの要因によって、2000年以降に勢いを失くしていく。

 まずは、近隣に競合スーパーが増加したこと。イズミヤの前年に開業した「長崎屋」相手には勝利を収めたものの、駅を挟んだ西側の「ビオルネ」内に開業した「枚方ビブレ」(現在のイオン枚方店)や、至近距離の「万代」、枚方市内に5店舗を構えた「ライフ」など。京阪本線から離れたエリアの発展もあり、枚方市駅に出ずとも買い物ができるようになった。

 もう1つの要因は「GMS業態の衰退」。食品スーパーであるイズミヤが作った衣料品・家電などの売り場は魅力に欠けるうえに、売上・仕入規模を武器にしたディスカウント販売も、後発の「ヤマダ電機」「ユニクロ」などの専門店に劣る。

 時代の流れを読んだイオンは、スーパーマーケット(SM)を独立させたうえでヤマダ・ユニクロなどの専門店をテナントとして呼び込み、「イオンモール」として広範囲な集客を実現、業界トップに躍り出る。一方で、イズミヤのGMS店舗やダイエー・イトーヨーカ堂などのGMSチェーンは顧客を奪われ、「1階の食品スーパーだけ激混み、2階から上はガラガラ」状態に。買い物客のニーズを掴む「GMSからSMへ」といった流れに気づけなかったダイエー、イトーヨーカ堂などは、急激に凋落してしまったのだ。

 3点目は、こればかりはどうしようもない「老朽化・売場の陳腐化」。郊外のクルマユーザーが「売り場が古くて、わざわざ駅前に行く必要があって、駐車場が立体で狭い」イズミヤではなく、「売場がいつも活気があって、家から近くて、駐車場は平面で止めやすい」郊外のスーパーで買い物を済ませるようになるのは、当然の話だ。

 こうして振り返ると、時代の流れも激しく競合もあるなかで、イズミヤSC枚方はよく50年以上にわたって生き残ってきた。今はただ、まもなく消えゆくイズミヤSC枚方を見守っていきたい。

今後なるか? 「イズミヤ再出店」

 お別れメッセージを読んでいても、「もういちどイズミヤ再出店を!」といった声が圧倒的に多い。さて、今後のイズミヤSC枚方はどうなるのか?

 まず、イズミヤの各GMS店舗は建設から50年以上経っていることもあり、取り壊し・建て替えを進めているという。枚方店も取り壊される方針だといい、その後の方針は未定だ。

 2014年6月にイズミヤが「H2Oリテイリング」(阪神阪急グループ)と経営統合した際には47店舗あったGMS店舗も、2020年時点で約30店舗まで縮小している。2026年4月に同グループの食品スーパー「阪急オアシス」「関西スーパー」と経営統合するといい、他の2社と同様のSM専業に勝負を賭けていくようだ。もしこの地でイズミヤが復活したとしても、昔ながらのGMS店舗ではなく、SM業態の「デイリーカナート」「イズミヤデイリーマート」などになるだろう。

 そもそも、「イズミヤ」として復活できるのかも不透明だ。大阪府内のイズミヤGMS店舗は「門真」(門真市)、「淡路」(東淀川区)と閉店が続く予定であり、近隣店舗は「今福店」「天六樋之口店」(大阪側)、「八幡店」(京都側)と10Km以上も距離が離れてしまい、あまり配送効率はよさそうにない。枚方店と同様に繁盛店であった「イズミヤ上新庄店」(2021年閉店)のように、マンションへの建て替えが行なわれる可能性もあるのではないか。

 厳しい状況ではあるが、それでもイズミヤの復活を願う声は多い。まずは、枚方のあとに閉店を迎える門真・淡路などに足を運び、「昭和のGMS店舗」を堪能しておきたい。