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素掘りトンネル、崖の連続! 知る人ぞ知る「函館の超・ド級秘境バス」一部消えゆくワケ

日浦を抜けるバス

津軽海峡の海岸線をそろそろ走る! 車窓が迫力の秘境バス

 荒々しく岩がむき出した崖下を走り、車幅ギリギロの素掘りトンネルをいくつも抜けていく。そんな道路から、まもなくローカルバスが姿を消す。

 北海道・函館バスのダイヤ改正によって、函館バス下海岸線(91系統・91A)が3月いっぱいで、旧・恵山町の道道41号区間を経由しなくなる。この区間でバスは海岸線にぴったり沿って走り、荒々しい自然をバスのなかから眺めることができる「絶景・秘境路線バス」として、根強い人気があった。

 まずは、数分で抜ける部分廃止区間を、バスで抜けてみよう。

バスは「柱状節理」の崖を走り抜ける! 随所で見られる道路保守管理、苦心の跡

 この区間の道路は、海にせり出すように突き出た崖を、「日浦洞門」と呼ばれる7つの素掘りトンネルで貫いていく。

 この近辺の崖は、火山活動のマグマが冷却されてできた「柱状節理」と呼ばれる柱状の岩で形成され、のちに蝦夷地を「ほっかいどう」(北加伊道)と命名する探検家・松浦武四郎が「屏風(びょうぶ)のごとき平面なり」と、この景色をほめ賛えた……。安山岩はひび割れやすく脆いため、地元の方々にとっては「きわめてがけ崩れが多い細道」でもある。

 車道はちょうどバス1台分の幅しかなくしかなく、少し天気がわるいと車体に波しぶきがかかるほど、荒れ狂う海沿いだ。バスの車窓からは、柱状節理では独特のロウソク状の岩を眺めることができる。

 車内で聞こえるほどに波の音が「ゴーン!」と響き、ガラスがビリビリ震えることもある。景色を体感する方は楽しいが、運転手さんはかなり気を使う区間のようで、はるか向こうの対向車のために、すぐに退避スペースに入る。この区間は時刻表どおりなら通過に7分、しかし運転手さんによると「対向車によっては7分じゃ絶対ムリ!」とのこと。

 またトンネルも、ごつごつした岩がそのままの「素掘りトンネル」で、落石防止のために金網や「ロックボルト」で固定された形跡が、いたるところで見受けられる。旅行者や“乗りバス”にとっては息を飲む「秘境路線バス」でも、運転される方は本当に苦労が絶えなかったことだろう。

今回の経路変更。黄色部分の区間が廃止となる(函館バス資料より)
「大澗」バス停。この前後は存続する

 なお、今回はあくまでも「経路変更」であり、路線自体は存続する。すでに山側には全長1355mの「サンタロトンネル」が完成しており、トンネルを抜けてすぐ旧道に合流、「上大澗」(かみおおま)バス停で現路線のルートに戻るようになる。

 この区間は長らく、函館から東側の恵山・椴法華へのメインルートであり続けた。なぜ、地形が険しい海沿いの崖に道路を通したのか。かつて国道であったこのルートと、「日浦洞門」の歴史をたどってみよう。

素掘りに“せざるを得ない”? 難工事だった日浦洞門

連続する素掘りトンネルを抜けるバス
バスは崖下を走り抜ける

 江戸時代から明治・大正時代までは、函館から約50kmも離れた恵山町方面への陸路移動は、細い踏み分け道を歩くしかなかった。道中には海沿いの崖路を抜ける汐首岬、立待岬といった難所がいくつもあり、なかでも日浦では海岸線に崖路を付けられず、背後の険しい山を越えるしかなかったという。

 馬車道・道路が徐々にできていったものの、火山活動によってできた柱状節理の安山岩はダイナマイトで吹き飛ばそうものなら、一帯の山ごと崩壊しかねない。ツルハシでコツコツと切り崩しながらトンネル工事を進め、1929年(昭和4年)に7つの素掘りトンネル「日浦洞門」を含めた、いまの県道区間が完成した。2年後にはバスが開通し、それまで「船か徒歩」であった恵山~函館間は、ようやく陸路の交通で結ばれたのだ。

建設が進んでいた「戸井線」の遺構。列車が走ることはなかった

 道路建設と前後して、この地区は軍事色を帯びてくる。日露戦争の際にはロシア艦隊に津軽海峡を突破されたこともあり、海峡の封鎖を可能とする「津軽要塞」建設とともに、恵山に置かれた砲台への人員・物資輸送に、この道路が使われたのだ。

 道路だけでなく、秘密裏に建設が進んでいた「戸井要塞」への物資輸送のために、函館~戸井間での鉄道建設が進められた。このころには戸井の街は「要塞近辺で写真を撮れない」「神社や建物の新設にも許可が必要」(戸井町史より)というものものしい雰囲気に包まれ、さらに戸井~椴法華間への鉄道延伸まで議論されるようになる。数年前までは船や馬車頼みであった海岸線の交通手段は、海峡の要塞化とともに猛烈なスピードで改善されていった。

 しかし敗戦とともに、あとはレールが敷かれるだけであった鉄道施設は放置され、列車が走ることはなかった。ただ一帯は高級な「真昆布」「がごめ昆布」の産地とあって、日浦洞門を含む道路はトラックが多く駆け抜け、バスも一時期は「函館バス」「相互自動車バス」の路線が競合するほどに、人の往来も多かったようだ。

 1970年(昭和45年)には海岸線の道路が「国道278号」に指定され、日浦洞門は1985年(昭和60年)に「サンタロトンネル」が開通するまで、恵山・椴法華へのメインルートであり続けた。そして、沿道にある漁港からの足として、バスはトンネル・新道開通後も日浦洞門を走り続け、いまにいたる。

下海岸線・廃止区間の利用状況。函館バス資料より
この区間は天候による通行規制が設けられている

 ただ、日浦洞門を含むこの区間は、波が高いとすぐに封鎖される。バスやクルマは高波が来るとトンネル内で停止することもあるといい、お世辞にも安全に通行できるルートではない。

 函館バスの資料によると、経路変更の理由は「対向車との離合に支障をきたすなど道路状況がわるい」「荒天時には越波の危険から通行止めが多い」こと。また廃止となる3停留所(下豊浦・豊浦・上豊浦)は「利用実績も皆無」(利用者は平日・休日ともに「ゼロ人」)ことから、この区間の廃止を決断したという。

まだ堪能できる「下海岸線」からの景色 終点から先は……

終点・恵山御崎バス停の先はゲートで封鎖されている

 函館バス・下海岸線は全線にわたって背後に山が迫り、海岸沿いの平地はわずかしかない。バイパス工事は大半の区間で進み、むき出しの自然を車窓から観察できる区間は減少している。

 それでも、バスの終点・恵山御崎の近辺では、自然の厳しさを実感できる。バスは海岸線のちょっとした高台を走り、終点の向こうでは、道路(道道635号・元村恵山線)自体がゲートでふさがれ、途切れてしまうのだ。

 その先は、小さな船着き場があるのみで、踏み分け道も2~3分歩くと途切れる。背後にある「恵山」はいまも監視対象の活火山であり、海岸線は日浦地区以上にそそりたつ崖が続いているせいか、道路建設は止まったままだ。

水無浜海浜温泉。干潮時にはこうなる

 なお、道道635号は2kmほど途切れ、その先の椴法華地区(旧・椴法華村)で復活する。こちら側の道路の終点近くにある「水無浜海浜温泉」は、満潮時は海に沈んでいた温泉が干潮時だけ入浴できるようになっており、「水曜どうでしょう」を見た方なら知らない人はいないだろう。

 ある意味「火山の恵み」とも言えるこの温泉に向かう「函館~椴法華間」のバスも2025年3月をもって廃止となる。それでも温泉に立ち寄り、本当に湯治ができるか、試してみるのもよいだろう。