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JAL、成田空港で東京~ニューヨーク線就航50周年記念イベントを11月12日開催
就航当時から、歴代制服のCAが勢揃い
2016年11月14日 13:40
- 2016年11月12日 実施
日本航空(JAL)は、11月12日に東京~ニューヨーク線の就航50周年を記念したイベントを、成田空港 第2旅客ターミナルで開催した。
JALの東京~ニューヨーク線は、1966年11月12日にDC-8型機で東京の羽田空港とニューヨークを、ホノルル、サンフランシスコ経由で結ぶ定期便として運航を開始。その後に経由地をアンカレッジに変え、1983年にはボーイング 747型機による直行便の運航を開始した。
現在はボーイング 777型機と787型機で1日2便の直行便を運航しており、東京からニューヨークまでの所要時間は就航当時は約19時間を要していたが、航空機の性能が飛躍的に向上して航続距離が延びたために、現在では約13時間にまで短縮。逆向きとなるニューヨークから東京までの就航当時の所要時間は約22時間だったが、現在は約14.5時間まで短縮されている。
成田空港の62番搭乗ゲートには、ニューヨーク路線就航当時のポスターや、就航時のDC-8型機に関する掲示、50年間の歴史に関して展示が行なわれ、搭乗前の乗客たちからも注目を集めていた。
東京~ニューヨーク線の歴史や思いについて語られた挨拶
東京~ニューヨーク線就航50周年記念イベントには、国土交通省 東京航空局 成田国際空港長の木村茂夫氏と、成田国際空港株式会社 上席執行役員の荒川武氏、ニューヨーク市観光局 日本事務所代表である森田千里氏が来賓として参加した。
最初に挨拶に立ったJAL 成田空港支店長の石橋正二郎氏は、「50年前の今日(11月12日)、世界の経済と文化を代表する東京とニューヨークを定期便で就航することとなりました。今では直行便が当たり前となっておりますが、当時はまずハワイに寄り、それからサンフランシスコに寄ってニューヨークへ19時間、帰りはなんと22時間かかりました」と就航当時の状況や、その後の経由地の変更について説明した。
「私が入社した1983年に(ニューヨークへの)直行便がジャンボで始まっています。就航当時はDC-8が飛んでいましたが、同じく1966年にビートルズが来日した時もDC-8でした。東京~ニューヨーク線が始まった頃は週に2便のみの運航でしたが、今は午前に1便、午後に1便と、毎日2便で2つの都市を結んでいます。50年にわたり、このニューヨーク線を飛ばし続けてこられたのは、ひとえにお客さまのおかげです。あらためまして感謝を申し上げます、本当にありがとうございます。私ども日本航空は、世界で一番選ばれ愛される航空会社を目指して、お客さまの利便性の向上に、これからの50年も引き続きチャレンジしてまいりますので、東京~ニューヨーク線、JALグループにいっそうのご愛顧を賜りますようお願いいたします」と語った。
続いて国土交通省 東京航空局 成田国際空港長の木村茂夫氏は「日本航空さんのニューヨーク便が就航したのは50年前。当時、成田空港は開業していなかったので羽田空港から定期便の運航が開始されましたが、1978年に成田空港に移り、1983年には直行便が就航されました。ニューヨークと言えば経済の中心ですし、国連本部などもある都市で観光スポットも多いので、ニューヨーク便を持つことは航空会社としてもステータスなのです」とコメントした。
50周年目のこの日、ニューヨーク行きJL006便の機長を務める木賀孝彦氏は「おかげさまで東京~ニューヨーク便就航50周年を迎えることができました。私が初めて副操縦士として乗務したのが、このニューヨーク便でした。成田空港を離陸して北太平洋、アラスカ、カナダを通過してニューヨークに近づきます。上空から朝霧に煙るマンハッタンを観たときは、非常に興奮したのを今でも鮮明に憶えています。私の常務経験はニューヨーク便の歴史の半分にも及びませんが、日本、アメリカ合衆国、また当社におきましてもいろいろな大きなことがございました。それでも変わらず東京~ニューヨーク便が、日本航空の中でも大切な路線の1つであることは、ひとえにご利用いただいているお客さま、ご支援いただいている皆さまのおかげだと思います」と自身の思い出とともに感謝の気持ちを話した。
懐かしい制服に身を包んだCAも登場
成田空港の62番搭乗ゲートにはニューヨーク線就航当時のポスターなどが飾られ、今では地味に感じられるニューヨーク線就航当時(1966年)のJAL3代目、明るいスカイブルーで世界1周路線就航時(1967年)の4代目、直行便就航時(1983年)の6代目の制服に身を包んだCA(客室乗務員)と、現在のJALの制服のCAが並び、乗客との記念撮影や、ゲートで搭乗客に搭乗証明書などの記念品配布を行なっていた。