トピック
ポルシェ×東大先端研、子供たちの知的探究心を刺激するプロジェクト。四国宇和海に残る段畑を体感してカツオ漁の港を目指せ
LEARN with Porsche 2022に帯同してきた
- 提供:
- ポルシェジャパン株式会社
2022年10月5日 06:00
1つの正解やゴールを求めず、突然の課題に対応していく
「LEARN with Porsche」は、ポルシェジャパンと東大先端研 個別最適な学び寄付研究部門が共同で実施する若者向けのプログラムだ。中学~高校生の若者を全国から集め、夢を持つことの重要性や、各個人に最適な環境で能力を伸ばしつつ、自信を深め意欲を高めていく気づきのきっかけを与えていく、という一連の取り組みになっている。
1つの正解やゴールを求めるタイプのイベントではない。このレポートを読む読者側でも、なんだかちょっとモヤモヤしたり、生徒の動きから若者の考えや行動からハッとさせられる内容があったりするかもしれない。何かのきっかけから生まれる「知りたい」という欲求。それこそが、このプログラムの醍醐味だ。若者向けではあるが、現代の社会や教育のあり方について考えさせられるシーンが多数出てくる。
なお、昨年(2021年)夏に北海道十勝周辺を舞台に第1回を開催しており、その様子はトラベル Watchで詳しくレポートしている。
このプログラムの日程では、進んでいく各地で課題が課せられるのだが、この個別の課題や目的地は生徒たちにはまったく知らされていない。当日の現場や前夜あたりに告知され、自分の地の能力を活かすか、仲間と協力しあってクリアしていく。課題も複数用意され、現場で選択する(もしくは譲る)必要に迫られるシーンもある。
そして、それを克服していくには、次のような決めごとがある。
課題参加は任意
すべての参加は任意だ。やりたくなければ一時棄権もOK。最初のプログラム参加表明から任意なのは当然だが、各地で課せられる課題も条件内で好きに解釈して構わないことになっている。移動時に時間に間に合わなかった場合には、そのまま置いていかれる可能性もあり得る。そういったわがままやトラブル含めてのプログラムだ。グループ内でどのように対処するかも含めて、考えることが貴重な体験になる。
ゴールが目標ではない
課題をすべてそつなくうまくこなしたからといって、特別なご褒美はなにもない。課題のクリアや最終目的地にたどり着くこと自体が第1目標ではない。
スマホ使用禁止
スマートフォンやタブレット、PCといった情報通信機器は、課題中は使用禁止。朝集合時にスタッフに預けることになっている。家族との連絡用に夜には戻してくれる。つまり、行動中にネット検索や地図アプリは使えない。
ポルシェ×東大先端研が実践する新しい学びの場
ここで「LEARN with Porsche」の取り組みを簡単に紹介しておこう。
「LEARN with Porsche」の発端となる「LEARN」は、東京大学 先端科学技術研究センターで中邑賢龍(なかむら けんりゅう)シニアリサーチフェローが率いる「個別最適な学び研究」寄付研究部門の研究室が中心になり、展開している一連のプログラムだ。「LEARN」は「~with Porsche」以外でも「すべての子供の才能を伸ばす」研究を目的に、複数同時並行して随時開催されていて、子供にとって個別最適な新しい学びの場とは何かを、実践から追求する場として機能している。
現代特有の夢を持ちにくい、または夢を持つことをあきらめがちな若者に、出身や社会的なステータスとは関係なく夢を持ち、未来へのイノベーションを起こしてもらう手助けをしていく教育的な解決を模索する取り組みだ。この考えにポルシェジャパンが賛同したプログラムが「LEARN with Porsche」。ポルシェは「夢を持つことに優劣はない」という考えのもとに、「Porsche. Dream Together」というコンセプトによる若者向けの支援を続けていて、その一環にもなっている。
ポルシェジャパンと共同で行なっているため、後半にポルシェの世界感に触れる日程が組まれているが、生徒たちに見せつけるのが目的ではない。日常ではあまり縁のない、技術の粋を結集した高度な工業製品であるポルシェという高性能なクルマを実体験したときに起こる、各個人の感情変化がポイントだ。そのため、プログラムの日程のほとんどはポルシェとは無関係な場所を巡る旅になっている。
プログラム当日までに、書類選考や面接などを経て生徒は11名に絞られている。中学3年~高校3年までの男女で全国各地から集められた。とはいっても、この段階で生徒はお互いの顔やプロフィールは知らされていないまま。初日の集合は、四国の愛媛県にある予讃線宇和島駅の改札と伝えられ、そこまでのチケットが自宅に郵送されているところから始まった。
「LEARN with Porsche」の答えは10年後に分かる
取材は、松山駅から宇和島駅へ向かう電車から始めることにした。この時点でお互いの顔は知らされていないが、指定席にて近い座席が予約されている。隣同士の席でどのように自然と打ち解けていくのかが気になるところだったのだが、なんてことはない。松山駅より前の岡山駅到着の時点で、ある程度自己紹介は終わってしまっている模様。今回は人見知りがない積極的な生徒が多いようだ。
電車内で隣同士の席で打ち解け合って話がはずむうち宇和島駅に到着。初顔合わせの食事会を行なう駅前の食事処に集合する。
「ようこそ宇和島へ! 『LEARN with Porsche』の始まりです」との中邑氏のかけ声でミーティングは始まる。
「明日なにをやるかは、朝にならないと分かりません。現場で感じることがなにより重要です。今回のテーマは『突然と偶然』。誰かがちょっと話しかけるだけでも、世の中が変化していく。宇和島に来る間にも、お互いに声を掛け合ったようだね。このことですでに変化が生まれている」と、プログラムの趣旨や体験重視であることが、改めて告げられる。
よく聞けば、電車内で自己紹介の寄せ書きメモを作っていたそうだ。こういった想定外な動きがあるのもおもしろい。
「このプログラムをした意味と答えが分かるのは、きっと10年後でしょう」と中邑氏が語りかける。
「え! 長い~~!」生徒一同が大声で驚く。若いとムリもない。でも、これはきっと歳を重ねたときに絶対に分かる。自分だって、中学生のときに写真暗室作業にハマっているときの先生に「今やっている経験は将来にわたってやることになるぞ」と言われて、「嘘つけ!」と笑っていた。まさか、40年たっても写真撮影なんかしているとは夢にも思ってもいなかった。でも、当時夢中で“自発的”に作品を作りまくってたのは確か。
ここで、中邑氏の研究室の客員研究員でもある料理研究家の土井善晴さんが紹介される。これからの四国を旅する3日間一緒にいてくれる。有名人の登場に会場は盛り上がる。
「中邑さんとは全然違うことをやっているんですが、なぜか気が合うんですよ。どこでつながっているのか考えてみるのもおもしろいかもしれませんよ」と土井さんが自己紹介。
こうして、目的地を知らされることなく、朝の集合時間だけが告げられ、1日目の顔合わせは終了した。
突然現われる空を突く段畑
2日目の朝からは、行き先も告げられないままタクシーに分乗する。宇和島のリアス式海岸が形成する複雑な海岸線沿いの道を進み続け、とあるなんでもない崖の前で停車した。木々の間をよく見ると、石垣のように石が積み上がっているのが確認できる。
「この石垣みたいな崖を見てほしい。ずっと上まで続いている。これは何だろう?」と問いかける中邑氏。「城跡!? 城壁? 関所を作ったのかな?」と生徒たち。
実は、この石垣は水荷浦の半島全域にわたって広がっている。この辺りはどこもこうなっているのだ。半島全域と聞き、生徒はちょっと圧倒される。
「全体を覆ってる!? 土砂崩れを防ぐためかな?」
「階段? 段々畑を作ってるの?」
なんらかの目的がないとこのような石垣は作られないはずだ。
さらに進み、湾のようになっている漁港に着いた。ここは「遊子水荷浦(ゆすみずがうら)」。NPO法人「段畑を守ろう会」が保全している「遊子水荷浦の段畑」が一望でき、レストランと直売所が併設されている。ここで「遊子を愛する会」代表の松田鎮昭さんからお話をうかがうことに。
この「遊子水荷浦の段畑」は2007年に重要文化的景観に選定されている。一般的には段々畑と呼ぶが、ここでは段畑(だんばた)と呼ぶ歴史がある。急斜面で切り立っていて、平面部分はほぼ畝1つ程度ととても狭い。
この地域の方言「だんだん」は「ありがとう」の意味。とても象徴的な方言だ。「水荷浦」という地名の由来も、水を担いで登ったことに由来すると言われている。長年にわたり天秤を担いだために肩が荷コブとして盛り上がった先祖の写真を見て、生徒たちは圧倒されたようだ。
段畑は江戸時代から作られ始め、石垣になっていったのは明治末期の養蚕にて桑が栽培されてから。昭和のはじめからはサツマイモ栽培になり、昭和30年代にはジャガイモも作られるようになった。このころが全盛期のようだった。
予土歴史文化研究会の宮本春樹さんからも、畑作とイワシ漁の半農半漁の暮らしについて解説をしていただいた。イワシは不漁も多く、段畑では重労働のわりに収穫の少ない宿命の貧困地域。イワシを魚肥としていて、ネズミが大発生し、捕獲したネズミを村役場が買い取ることもしていたそう。
結局、みかん栽培と真珠養殖で生活が安定し、段畑を減らし森にするとネズミも減っていったという歴史があることにも驚く。真珠やハマチの養殖が盛んになり、平成になると段畑は一気に面積を減らして、そのほとんどは林に帰ってしまう。
「こういったすごい歴史も保存をしなければ、いとも簡単に崩れていってなくなってしまう。先ほど見たのは、これの残骸というわけだ」と中邑氏が語りかけると、生徒たちも何かを感じ取ったようだ。先祖たちが天秤を担ぎ肩に荷コブを作ってまで作り上げた半島一面に広がる段畑が、あっという間に自然に飲み込まれてしまったことになる。
段畑での作業を実際に汗をかいて実感してみる
続いて、実際に段畑の作業を体験すべく、天秤に自分たちが飲む飲料のペットボトルを入れて担ぎ上げてみることに。昔とは違い、段畑にはしっかりした階段が整備されているとはいえ、斜度は45度もある急斜面、バランスを崩さないように気をつけて登っていく。
さらに石積みが崩れてしまった部分の補修作業を体験してみる。狭い段畑でつるはしを持っての重労働の体験となった。
次の目的地はカツオ釣り漁が盛んな漁師町
段畑での体験が終わるころ、翌朝にカツオ釣りをすること、今日の宿泊地が土佐久礼(とさくれ)であることが告げられる。この時点で生徒たちは地名の表記すら分からない。ここで、山側と海側のルートに話し合いで分かれ、それぞれのチームで向かうことに。記者は海側のルートに付くことにした。
さて遊子水荷浦からの海側ルートはなかなかのハードな旅程だ。バスで宇和島まで戻り、さらに乗り換えること約3時間程度も山道をバスに揺られることになる。この宇和島からは1時間50分バスに乗りっぱなし。トイレをガマンできず、運転手交代で長めに止まるバス停で難を逃れた生徒もいた。先が読みにくいゆえトラブルもある。
長時間の移動だったので、生徒たちとの会話にも参加してみた。周辺の情景を文章で賢明に散文メモをとっていた生徒に興味を持ったからだ。すると、撮影とライターをしていることに興味を持って逆に質問をしてくれたりして、さらに若いのに70~80年代の洋楽ロックにやたらと詳しい。自分も筋金入りのロックファンなので、かなり突っ込んで話し込んでしまった。そこへ、もう1人が音楽の話題に興味を持ち話かけてきて、もう話題がつきなくなってしまった。その後の道中も2人はずっと話し込んでいたので、かなり親密になったのではないかと思う。こういったちょっとした偶然の声がけから広がっていく縁というのもおもしろい。
バスのあとは、土佐くろしお鉄道の宿毛(すくも)駅で電車に乗り換え、さらに中村駅で特急に乗り換えJR四国土讃線の土佐久礼駅に向かう。土佐久礼駅までたどり着けば、宿の送迎バスが迎えに来てくれている。
無事に土佐久礼駅に到着し、宿へと向かう。立派な温泉宿だが、残念ながらくつろいでいる時間はあまりない。夕食時には、明日早朝から漁に同行できることが告げられる。ただし、全員は乗れない。希望をつのったうえで選抜することになった。
明日は早朝4時半には漁に出ていく。はたして寝坊しないで乗り込めるのか。