荒木麻美のパリ生活

ついに一般公開。予約殺到のセルジュ・ゲンズブールの家を訪問

 フランスの芸能事情に疎い私でも、セルジュ・ゲンズブールのことは知っていました。作詞家、作曲家、歌手、映画監督、俳優、画家、写真家など、マルチなアーティストであったゲンズブールは、1928年にパリで生まれ、1991年、62歳のときに自宅で亡くなりました。そのゲンズブールの家は今も7区にあるのですが、私がパリに来て初めてこの家の前を通ったとき、ファンたちからのオマージュで埋め尽くされた外壁を見て驚いたものです。

 ゲンズブールが22年間住んでいたこの家は、彼の死後に女優で歌手の娘、シャルロットのものとなっています。そして2023年9月、ゲンズブールの死後32年を経て、ついに一般公開されることとなりました。

 予約はオンラインのみで、家と、家のほぼ向かいにある美術館の見学がセットになったチケットと、美術館の見学のみのチケットがありますが、1月上旬時点では、セットのチケットは5月末まで売り切れています。私も最初の予約はすぐにいっぱいになってしまって取れず、次の予約告知が来たときにすぐに予約を入れたところ、12月下旬の予約を取ることができました。

 予約を取った日時となり、まずは美術館に行きました。ここで手の甲にスタンプを押してもらい、音声ガイドセットを受け取ってから家に向かいます。家に着き、荷物を玄関に置いたら音声ガイドをスタート。ヘッドフォンを通して「ドアを開けて」というシャルロットの柔らかなささやき声とともにツアーは始まります。ガイドは仏英語のみですが、どちらもシャルロットが案内を務めています。家のなかの写真と動画の撮影は禁止です。

ゲンズブールの家のほぼ向かいにある美術館
手の甲に押されたスタンプはゲンズブールの横顔

 音声ガイドは30分ほどですが、ゲンズブールの家は1階と2階を合わせて130m2ほどと、スターにしては小さな家で、見て回るには十分な時間です。一度に見学できる人数も最大10人を超えることはなく、思う存分ゲンズブールの住んでいたころを想像しながら見て回りました。

 まずは玄関入って右横のリビングルームに入ります。このリビングルームが家のなかでは一番大きな部屋となります。家のなかはほぼすべて黒で統一されているのですが、リビングも黒い壁で薄暗く、ゲンズブールのこだわりを強く感じる黒のデコラティブな家具、2台のピアノ、写真、絵画、変わったところではクモの標本、人体模型、大量の警察バッジや手錠(ゲンズブールは仲よくなった警官たちからこれらをこっそりもらっていました)、そしてゲンズブールが愛煙していたジタンのタバコの吸い殻などが、不思議な調和をもって共存しています。

 このリビングルームでインタビューや写真撮影が多く行なわれたのですが、当時の映像や雑誌などを見てみると、シャルロットがゲンズブールの死後、ほとんどそのままの状態で家を保存してきたというのが分かります。

 サロンを出ると、向かいがキッチンです。ほとんどの壁が黒い家のなかで、キッチンの壁だけが白いのが印象的です。コンパクトながら機能的そうな木製のキッチン家具には、記念日などに開けたボトルの空き瓶が並び、めずらしい透明ガラスの冷蔵庫、ガラステーブル、そして小さなテレビがあります。シャルロットいわく「キッチンのテレビはいつも点いていた」とか。両親は毎日のように夜になると町に繰り出し、子供たちが起きるころに帰って来ていたようですが、シャルロットが大好きだったというこのキッチンで、家族はどんなふうに食卓を囲んでいたのだろうと、ゲンズブールがキッチンで子供たちに語りかける声がヘッドフォンから流れるのを聞きながら、当時の様子を想像しました。

 家族といえば、シャルロットの母はロンドン生まれの女優、歌手、モデルであったジェーン・バーキンです。ゲンズブールとジェーンは、官能的な内容で物議を醸しだした曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」のヒットで一躍時のカップルとなり、ジェーンの連れ子のケイト、のちにゲンズブールとの間に生まれたシャルロットの4人で、この家に10年ほど住みました。カップルが破局したあとは、シャルロットは週末を父親と過ごすためにこの家に通うことになります。

 さて、このキッチンの裏に子供部屋があったそうですが、そこだけが賃貸だったため、ジェーンが家を出たときに扉はふさがれてしまい、今は子供部屋だったところを見ることはできません。

 キッチンを出て2階へ上がります。廊下にはゲンズブールの小さなワードローブがあります。お気に入りの服が数着あれば、ゲンズブールには十分だったようです。その横には小さな洗面所、そしてゲンズブールの仕事部屋となっています。コンパクトな仕事部屋は、さまざまなジャンルの本であふれています。シャルロットは「家族で美術館や映画館に行くことはなかったけれど、ここでたくさんのことを学んだ」と言っていました。

 仕事部屋を出ると、「人形の部屋」があります。ジェーンが住んでいたときはジェーンの部屋だったのですが、彼女が去ったあと、ゲンズブールが古い人形を集めて置いたという、私には悲しい気持ちにさせる部屋です。

 人形の部屋の横が浴室です。大きなバスタブと洗面台、扉の横にビデがあります。ゲンズブールがバスタブを使うことはほとんどなく、ビデと洗面台で体をきれいにしていたというので少し驚きました。

 浴室の隣、2階の一番奥が寝室です。テラスに面してはいるものの、やはり薄暗く、壁の一面は鏡張りです。室内にはロールスクリーンが設置されており、シャルロットは父親と米国映画をよく見ていたと言っていました。そしてここで、ゲンズブールは数回目の心臓の問題を起こして亡くなっているのを発見されることとなります。

 ゲンズブールの家の見学を終え、美術館に戻ります。館内は家と同じテイストで薄暗く、ゲンズブールの仕事と人生を多くの音声、ビデオ、写真、衣装とともに紹介しています。美術館を抜けるとカフェバー、そしてブティックを経て終了です。

ゲンズブールがアルバムのジャケットにも使ったキャベツ頭の男の彫刻と、トレードマークの服装でジタンのタバコを持ったゲンズブール人形
カフェバー
カフェバーとそのトイレの鏡は、ゲンズブールの家の寝室にあったもの、トイレの洗面台は浴室に、床のタイルは家にあったものと同じようなデザイン
ブティックでは、ゲンズブールが愛用した衣類や靴も売っています

 シャルロットはゲンズブールの死後、父親が恋しくなるといつもたくさんの人が来ている墓地ではなく、この家に来ていました。父の死後、2013年には異父姉ケイトの謎の事故死、そして去年は母ジェーンの死という辛い時期を経て、長年の願いだったこの大切な家の一般公開を果たせたことで、少しは心の整理ができているといいなと思います。

 ゲンズブールのようなスキャンダラスな人は、今の時代で認められるのは難しいかもしれません。でも公に見せるスキャンダラスさは彼の一面であり、孤独が嫌いなのに孤独で、自分の容姿に自信がなく、几帳面で、慎み深く、繊細で、周囲にいたら大変だったことは想像できますが、私にはとても興味深く魅力的な人物に感じました。

荒木麻美

東京での出版社勤務などを経て、2003年よりパリ在住。2011年にNaturopathie(自然療法)の専門学校に入学、2015年に卒業。パリでNaturopathe(自然療法士)として働いています。Webサイトはhttp://mami.naturo.free.fr/