荒木麻美のパリ生活

セルビアの首都・ベオグラードで過ごした2週間(その1~観光編)

観光名所巡りやバレエ鑑賞などをのんびり堪能

 メリベルを訪れた際のコラム(関連記事「フランス・サヴォワ地方、初冬のメリベルへ」)にも書きましたが、私の夫はフランスの映画業界で働いています。今回もある映画の撮影のため、東欧の国・セルビアの首都ベオグラードに、11月の2週間行くことになったので、私も同行しました。そこで、ベオグラード滞在記を3回に分けてレポートしたいと思います!

 まずはセルビアの日本語でのガイドブックはないかと探したのですが、どれも情報量の少なそうなものばかり。仕方がないのでフランス語のガイドブックを買おうかなと思ったのですが、「セルビアン・ウォーカー」という、ベオグラートを中心としたコンテンツが大充実の日本語Webサイトを見つけました。このサイトはセルビアの首都・ベオグラード在住の旅行ガイド兼コーディネーターであるアキコ M. ヨルダノビッチさんがコツコツと作っているサイトです。コンテンツが多いので見る時間がないという人には、重要ポイントをまとめたガイドブックもオンラインで販売しているので、日本から短期で来る人にはこれで十分だと思います。

「セルビアン・ウォーカー」からデータをダウンロードして自分で印刷したガイドブック。ベオグラード滞在中大活躍でした

自炊を求めてホテルから短期貸しアパートへ

 パリからは飛行機で2時間ちょっとでベオグラードに到着です。ベオグラードの空港からホテルまではクルマで20分くらいでした。

ベオグラードのニコラ・テスラ空港。預けた荷物が出てくるところがなぜか車

 最初に宿泊したホテルは「ハイアット リージェンシー ベオグラード」。1990年開業だそうで、全体的に少々古い感じは否めません。でも部屋の作りも含めてすべて大きいのが、勝手なイメージですが旧社会主義国風。広い部屋でゆったりと過ごし、私の大好きなサウナ(ジムとプールもあります)も地下にあったので毎日行っていました。

ハイアット リージェンシー ベオグラード(Hyatt Regency Belgrade)

所在地:Milentija Popovića 5
Webサイト:Hyatt Regency Belgrade

ハイアット リージェンシー ベオグラード

 普段パリでつつましく暮らしている我が家には、このホテルになんの不満もありませんでしたが、私はどこにいてもとにかく自炊がしたいのです! 私にとって、外食をできるだけ控えることが体調管理に一番大切なことなので、セルビアに到着してすぐ短期貸しアパートを探してくれるように映画の現地スタッフにお願いし、3日目に引っ越しました。

 引っ越した先のアパートがこちら

 部屋に入るには、入り口を入って続く長~い廊下の一番奥まで行ってから上へ進みます。1階奥に謎の薄暗いスペースがあったのですが、看板を見ると恐らく弁護士事務所なので、ちょっとした待合室みたいな感じなのでしょうか? エレベータも古くて趣があるといえばあるような。

 建物自体は大通りに面しているのでうるさいと嫌だなと思っていましたが、部屋が建物の奥にあったおかげで静かに過ごせました。

アパートの窓からは向かいのビルでバレエのレッスンをする女の子たちの姿も

 ハイアット リージェンシー ベオグラードは新ベオグラード(ノヴィ・ベオグラード)という、ベオグラードの旧市街地(スタリ・グラード)からは川を挟んだ向こう岸にありました。移ったアパートは旧市街地の中心にあるので、実際のアパートはWebサイトにある写真よりも古ぼけていますし、調理器具が最低限しかないのにはガッカリしましたが、それでも引っ越したのは大正解でした。

バラエティに富んだベオグラードの観光スポット

 ベオグラードに着いて3日目、そろそろ観光もしようかなと、観光案内所に行きました。日本語のガイドブックに足りない地図やパンフレットなどはないかと見ていると、「Free Belgrade Walking Tours」と書かれたパンフレットが。

 パンフレットを開いてみると、一番人気だという「Free Downtown Walking Tour」以外にも、無料・有料合わせていくつものツアーがあります。私は無料のツアー2つに参加しましたが、最後に好きな額のチップをガイドさんに渡すシステムでした。

Free Belgrade Waking Tours

Webサイト:Free Belgrade Waking Tours(英語)

 こうした無料・有料のツアーはこの団体以外にもいろいろあるようです。ツアーの内容に希望があれば、観光案内所で問い合わせてくださいね。

 私が参加したツアーの内容は、どちらもたくさんの場所を歩きまわるというよりも、ガイドさんの話を楽しく聞くことがメインの約3時間です(英語のみ)。参加した2つのツアーと個人で訪ねたところから、私の印象に残ったところをいくつかご紹介します。

旧市街地

共和国広場(Trg Republike)

 旧市街地の中心であり、ベオグラードの待ち合わせスポットのようです。ほとんどのツアーは共和国広場集合です。私の参加したツアーの待ち合わせもここで、ガイドさんは黄色の傘をさしているのですぐに分かりました。

国立劇場(Narodno pozorište)

所在地:Francuska 3
Webサイト:Narodno pozorište(英語)

 一番高い席でも1000ディナール(約1000円、1ディナール=約1円換算)というすてきな価格設定なのに内容の質が高いというので行ってきました。パリのオペラ座みたいな感じを想像していたのですが、もっと小さな劇場なので舞台が近い! こういうときは言葉が分からなくても楽しめるバレエですね。演目は「ジゼル」で、優雅な時間を楽しみました。チケットは直接窓口またはオンラインでどうぞ。

 コソボ紛争を理由とする、1999年3月から5月にかけて行なわれたNATO(北大西洋条約機構))からの空爆中も、この劇場は上演を続けたそうです。衣装や舞台セットの準備もままならないなか、入場料1ディナールで上演を続けたとは、舞台人の強い気概を感じます。

スカダルリア(Skadarlija)

 フランス人の知り合いに両親がベオグラード出身の人がいるのですが、彼女が勧めていたのがこのエリア。彼女いわく「パリのモンマルトルみたいなところよ」ですが、別名「ボヘミアン・ストリート」とも呼ばれ、芸術家たちが集った場所だそう。道自体は400m弱しかないのですが、有名なセルビア料理のレストランなどが並んでいます。ガイドさんの説明によると、昔は貧しい人が住むエリアだったことなどから再開発されず、さらに戦争の被害もほとんど受けなかったために、このような古い街並みが残ったのだとか。

 このエリアの道端で、ガイドさんが自家製のラキアという飲み物を飲ませてくれました。アルコール度数60%くらいらしいです。私は下戸なので香りを嗅いだだけですが、このラキアはアプリコット(ほかの果実でもよい)を蒸留させたものにハチミツを混ぜて作ったとかで、甘くてよい香りでした。

ヴク・ドシテイ博物館(Muzej Vuka i Dositeja)

所在地:Gospodar Jevremova 21
Webサイト:Muzej Vuka i Dositeja(英語)

 このバルカン様式のヴク・ドシテイ博物館で重要なのは、ヴーク・ステファノヴィチ・カラジッチという人に関する展示だそう。彼がセルビア語の文章語を整えたそうで、私はセルビア語が分からないので入りませんでしたが、特にセルビア人には意味のある博物館なのでしょう。

ヴク・ドシテイ博物館
カレメグダン公園(Kalemegdan)にあった、セルビア語のキリル・アルファベットについて解説しているらしいパネル。これだけだと私はお手上げなのですが、ベオグラード市内のほとんどの表示はラテン文字でも表記してあるのでよかったです
ベオグラード要塞(Beogradska Tvrdjava)

Webサイト:Beogradska Tvrdjava(英語)

 ベオグラード市民の憩いの場であるカレメグダン公園にあります。ベオグラードの名前の意味は「白い街」。要塞を見る前は「どちらかというと灰色の街よねー」と思っていましたが、この要塞が遠くから見ると白く見えたことからベオグラードと呼ばれるようになったのだと聞いて納得です。

 要塞の先端にある「勝利者の像(Pobednik)」はもともと旧市街地内に設置される予定でした。しかしヌードであることからベオグラート市民の反対を受け、ここに落ち着いたのだとか。

勝利者の像
勝利者の像を要塞の反対側から見るとこうなります

 ベオグラード要塞から見える橋はブランコ橋(Brankov most)といい、旧市街地と、サヴァ川を挟んで向かい側に位置する新ベオグラードを結んでいます。NATOからの空爆中、ベオグラード市民たちがこのブランコ橋と、もう1つのベオグラードの重要な橋であるガゼラ橋(Gazela most)を守るために集まりました。結局NATOはこの橋を攻撃せず、橋は破壊を免れたそう。

聖サヴァ大聖堂(Hram svetog Save)

所在地:Krušedolska 2a
Webサイト:Hram svetog Save(英語)

 セルビア正教会の大聖堂。まだ完成しておらず、中は絶賛大工事中です。しかし驚くのは地下の礼拝堂。ここには金ぴかの世界が広がっていて圧倒されました。とにかく金ぴかなのですが下品な感じはせず、ベオグラードに来たら必見の場所だと思います。上も完成したらすごいことになるでしょうね。セルビア人の8割以上が正教会の信者だそうで、聖堂への出入りの際、ほとんどの人がきちんと十字を描いていたのも好印象でした。

 聖堂に関連して、ベオグラートでもう一つ好きだったのは聖マルコ聖堂(Crkva Svetog Marka、所在地はBulevar kralja Aleksandra 17)の隣にある「Ruska crkva Svete Trojice」という小さな教会です。お菓子でできたような教会ではないですか?

Zemun(ゼムン地区)

 ベオグラードは3つの地区――旧市街、新ベオグラード、ゼムン地区――から成っています。ゼムン地区は新ベオグラードのさらに先にあり、旧市街地からはバスに乗って30分もあれば着きます。

 ゼムン地区には石畳の路地が多く残っており、古い街の景観が保たれています。旧市街と新ベオグラードとはまったく違う雰囲気です。それもそのはず、18世紀から第一次世界大戦まではゼムン地区はオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあったため、旧市街と新ベオグラートでは街の成り立ちが違うのです。

ガルドシュ塔(Gardoš Tower)

Webサイト:Gardoš Tower(セルビア語)

 シビニャニン・ヤンコの塔、ミレニアムタワーなど、いろいろな呼び方があるようです。ゼムンで一番の名所。ハンガリー人により1896年に建てられました。塔に登るのは有料で200ディナール(約200円)。

 上がってきた道の反対側を下っていくとドナウ川岸に到着です。岸に沿っておしゃれなレストランやカフェが並んでいました。初冬だからか人通りもまばらでしたが、静かに散歩をできてよかったです。気が付かぬうちにベオグラード市街地の人とクルマの多さに疲れていたようです。ドナウ川岸でしばし風に吹かれていたらよい気分転換になりました。

ドナウ川岸
川岸からまたバス停に向かって歩いていると市場が店じまい中でした

 歴史的背景を考慮して、ガイドさんにデリケートな質問をしないようにしていました。でもガイドさんの一人、20代半ばくらいのベオグラード生まれの女性が自ら、生まれてからこれまで国の名前、国土の大きさ、それに伴い道の名前も4回変わったと言っていました。

 そのほか祖父母の時代には物資が常に不足しており、インフレもすごかったそうで、コーヒーを飲んでいる数時間の間にコーヒーの値段が変わるなんてこともあったという話や、ここ10年の経済状況はよくなっている感じがあり、まだまだ貧しい国ではあるけれど、自分は前向きな気持ちであるとも言っていました。

1990年代前半のハイパーインフレ時代に発行されたという最高紙幣500000000000(500億!)ディナール札のコピーをガイドさんが記念にくれました
ベオグラードの絵葉書もくれました

荒木麻美

東京での出版社勤務などを経て、2003年よりパリ在住。2011年にNaturopathie(自然療法)の専門学校に入学、2015年に卒業。パリでNaturopathe(自然療法士)として働いています。Webサイトはhttp://mami.naturo.free.fr/