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雨のセントレアで行なわれたボーイング 787飛行試験1号機「ZA001」の贈呈式
今後の展示方法などについては未定
(2015/7/8 00:00)
- 2015年7月7日 実施
ボーイングから中部国際空港(セントレア)へ寄贈されることが決まり、6月22日に最後のフライトを行ないセントレアへ到着したボーイング 787型機の飛行試験1号機「ZA001」。その贈呈式が7月7日に行なわれた。あいにくの雨模様となったが、セントレア28番スポット付近に設営されたテントに、約140名の関係者を集めて盛大に開かれた。
今回寄贈されるボーイング 787は、到着時のニュースでもお伝えしているとおり、2009年に初飛行を行なった飛行試験1号機の「ZA001」と呼ばれる機体。飛行試験1号機としての最後のセレモニーが雨になったが、2009年のZA001初飛行の際もシアトルは雨だった。ある意味、“らしい”空模様とも言えるだろう。
主催者として挨拶したボーイング ジャパン社長のジョージ・L・マフェオ氏は「皆様方とここに集い、この特別な日を共有できることは私の喜びとするところ。ZA001は最初に組み立てられた787の初号機。この飛行機には、ボーイング全チームと、世界の我々のパートナーと、お客様の、愛と希望、そして夢が詰まっている。だからこそ、航空機史上においても、我々全員の心の中でも、特別な位置を占めるものだと思う。
最初の飛行の時から、本当の意味で、この飛行機に対して我々が約束した、これからの夢を載せた“ドリームライナー”になり、パートナーやお客様に本当に使っていただけると証明した。2009年12月、ここに集う多くの皆様とともに、エバレットでその初めての飛行を目の当たりにした。そして、多くの皆様は、この場所において、6月22日のラストフライトを目の当たりにした。この航空機の最初と最後の飛行を、皆様方と一緒にこの目に刻めて、本当にうれしく思っている」と、臨席した人々への感謝と、ともに過ごす時間に喜びを表わした。
また、ボーイング 787型機は「未曾有の国際的な協調によって生まれた産物」であるとし、特に機体の35%を占める日本の貢献を高く評価。川崎重工業、富士重工業、三菱重工業、新明和工業、ジャムコ、GSユアサらの名前を挙げ、感謝の言葉を述べた。そして、「だからこそ、ZA001が名古屋に里帰りし、機体の35%を作ってくださった皆様方のところに戻るのが一番適切だったと考えている」とした。
このZA001の今後について「新世代の初号機としての役目を終えた787は、さらに航空宇宙のパイオニアとなる新しい世代の方々に夢を与えるという新しい仕事に就くことになる。それは、航空機を作りたい人、設計するビジネスに携わるエンジニアになりたい人、飛ぶという喜びを共有したいと思う方々に対し、夢を与えるという使命を提供できると思っている。
七夕の記念すべき日に集い、ZA001がさらに皆様方の夢と願いをこれからも届けてくれること、そして、この航空機に私は願いたい。これから何年も、何十年もの間、私どもを力づけてくれること。そして、何世紀にも渡って私達の心の支えとなってくれることを願っている」と、展示を通じた次世代の人材育成に期待を寄せた。
このほか、ボーイング 787型機の生産計画についても言及。現在、月産10機の体制を、間もなく月産12機に。そして、2010年代末までに月産14機とする計画であることを明らかにした。
最後にマフェオ氏は「ワタシタチノ タイセツナZA001、タイヘン オツカレサマデシタ。ヒキツヅキ ヨロシク オネガイシマス」と日本語で述べ、挨拶を締めくくった。
もう1人の主催者である中部国際空港からは、代表取締役社長の友添雅直氏が挨拶。ちなみに、6月22日にZA001がセントレアへ到着した際は、川上博氏が社長を務めていたが、予定どおり6月24日付けで友添氏が新社長に就任している。
友添氏は「セントレアは今年10周年という節目の大事な年を迎えている。この年に、歴史的にも大変貴重なボーイング 787の初号機を贈呈いただいて、心から光栄に思うし、誇りに思っている。また、日本の航空産業を代表する中部地域の結晶となる787。こちらが里帰りし、列席の皆様と一緒にお祝いできるのは大変うれしく思う。皆様のご支援とご理解、ボーイングジャパン社長のマフェオさんのご尽力に感謝したい」と謝辞を述べた。
そして、「セントレアはドリームリフター・オペレーションズ・センターを通じて、ボーイングと中部、日本の航空産業の架け橋という役目を果たさせていただいた。そして、今度は里帰りした初号機が、空に対する思いを強く持っている多くの方、特に子供達の未来への架け橋になるのではないかと、今から楽しみにしている」と、マフェオ氏と同じく、展示を通じた次世代の人材育成に意欲を見せた。
なお、贈呈式典後の記者会見で友添社長は、「いま具体的にどのような形で(展示をするか)と話せる段階にはないが、本日も列席された関係者、いろんな人と相談しながら決めていく。主旨として、この787が、いろんな意味で教育的な活用ができる、そしてそれを皆様が楽しんでいただける、そんなコンセプトに基づいて、何を具体的にできるかは、いろんな方の知恵をお借りしたい。787は多くの関係者がいる、製造の上流で35%の部品を作る方、シアトルでボーイングで全体をまとめる方、実際に使う方、旅客の方、こういう方々が夢と情熱を持って作り、活用しているので、長く皆さんから愛されるような情報の発信の仕方、展示の仕方をこれから詰めていく」と、具体的な計画については時期も含めて未定であるとし、唯一、以前から挙げられている「空港島内に展示する」という方針だけは不変であることの表明に留まった。
式典の挨拶では最後に、「今日は7月7日。語呂合わせかも知れないが、ダブルラッキーセブン。とてもよい日だと思う。そして“8”という数字は名古屋のシンボルマークに書かれた数字であり、日本では幸せを呼ぶ数字。8が真ん中に入ることによって787が完成するとも言えるのではないかと思う。
また、七夕の日でもある。ボーイングのアメリカから来られた方がどこまでご存じか分からないが、空に王子様の星、お姫様の星があり、1年1度だけデートをするロマンチックな日。日本人にとって大変重要な日であり、この日に短冊に願いを書くと、願いが叶う日である。今日は、ここにお集まりの皆さんに力添えを頂きながら、“ドリームライナー”の初号機が未来への架け橋となって、子供達の夢が、皆さんの夢が叶うよう祈念する」と締めくくった。
来賓として挨拶した愛知県知事の大村秀章氏は、「愛知はボーイングと縁が深い地域で、60年に及ぶ歴史がある。1956年に三菱重工の小牧南工場において、ボーイングとの共同事業として戦闘機のライセンス生産が始まり、1960年以降は民間航空機の部品供給が始まった。こうして今日まで積み重ねてきた長年の信頼関係を踏まえ、787は航空機の主要部品である主翼の設計・生産が委託された。また、製造割合を35%、日本の3重工が担うという、かつてないほどの関わりを持って製造され、ボーイングからは“Made with Japan”という評価をいただいていると聞いている。今までの共同事業の集大成、そして愛知とボーイングの絆を象徴する期待であると考えている」と愛知県とボーイングの関わりを紹介。
さらに、「この地域は現在、アジアの航空宇宙産業クラスタトップの使命を国から受けて、航空機産業を次世代の産業の柱として、地域一丸となって航空機製造の世界的拠点であるシアトルを目指し、取り組んでいる。今後、この初号機が航空機を愛する人達のみならず、この地域の航空機産業を象徴するランドマークの1つとなること。そして787が世界の空で一層活躍することを期待する。また、2016年5月には伊勢志摩でサミットがある。世界の首脳がすべてこのセントレアへ来るので、このZA001も、オバマ大統領はじめ、皆さんに見ていただけると期待している」とした。
このほか、「アメリカと日本の共同プロジェクトの1つでもあると思うので、787試験機がこちらに来ると聞いて、『それなら機体に日の丸をペイントできないか』と申し上げたが『それはイカン』と言われた。『日の丸と星条旗を両方並べてもイカンか』と言ったら、『それもイカンと言われた』。それはぜひ検討していただきたい」と笑いを誘う一幕もあった。
同じく来賓として、最後の登壇者ともなった名古屋市長の河村たかし氏は、英語でスピーチ。「これがプラスチックではなく本物など信じたい。心からのプレゼントに感謝を申し上げる。サンタクローズが、名古屋セントレアにやってきた。ありがとう。ボーイング 787を手に入れた名古屋は、日本でもっとも強い都市になった」と持ち前のキャラクターを発揮した楽しいスピーチを展開。
最後には、「歓迎の気持ちを込めて、私が最もお気に入りの曲である(エルビス・プレスリー)のCan't Help Falling In Loveを歌う」と壇上でアカペラ歌唱を開始。最後のフレーズを「I can't help falling in love with boeing 787」と置き換え、会場を沸かせていた。
このあと式典は、ZA001の贈呈契約書へのサインと、記念鍵の贈呈を実施。飛行機のエンジンは鍵を回してかけるわけではないが、ボーイングでは、特別なイベントで、このような鍵を渡すのが伝統になっているという。
そして、最後にボーイング 787の開発からZA001の初飛行、6月22日のセントレアへのラストフライトまでの軌跡をまとめた映像を上映。今後、YouTubeなどで公開されるという。