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JAL、羽田~広州線の就航20周年を祝うセレモニー。広州は「エネルギーを感じる場所」と植木会長
式典には駐日本中国大使館の宋公使も出席
2019年4月4日 20:48
- 2019年4月4日 実施
JAL(日本航空)は4月4日、東京~広州線の就航20周年記念式典を羽田空港にて開催した。
広州に初めて就航したのは1999年4月5日であり、当時は統合前の日本エアシステム(JAS)が運航を担当。また、就航当初は羽田ではなく、成田空港から広州までの路線であり、マクドネル・ダグラス DC-10-30型機でフライトしていた。本来なら4月5日が就航記念日なのだが、中国では休日である清明節にあたることから前日の4月4日に行なわれた。
セレモニーの冒頭では主催者代表としてJAL 代表取締役会長の植木義晴氏がマイクを前にし「就航当初はDC-10型機で週2便の運航でしたが、現在はボーイングの最新モデルである787型機で毎日運航しております」と20年前と現在を紹介。自身は1975年にパイロットとして同社に入社し、以来35年間フライトをしてきたが最初に担当した機体がこのDC-10型機であった。「この機体を20年間飛ばしましたが、なかなかの暴れん坊で操縦が難しい部分もありましたが、逆に腕の見せ所でパイロット冥利に尽きるのを憶えています」と思い出を語った。
広州については、「昨年、20年ぶりに訪れましたが、まったく様変わりしていたのに驚きました。超高層ビルが所狭しと立ち並ぶ姿を見て、そのエネルギーを肌で感じました」と、現在の中国のなかでもとても活気のある場所だと話し、自身が大好きな飲茶を含む広東料理の本場であることも紹介した。最後に「近くにある近代的な都市の深センも含めた活気のある華南地方は当然として、日本航空としては中国全土に路線網を広げ、架け橋として、日中関係の促進に努めて行きたいと思います」と抱負を述べた。
続いて、国土交通省 東京航空局 東京国際空港長の森本園子氏が祝辞を述べた。自身はまだ訪れたことがないそうだが、広州は北京や上海と並び、中国三大都市の一つに数えられ、華南地方の経済、文化、教育、観光の中心地であることを紹介。先に植木氏が話していたように「食は広州にあり」という言葉があるとおり、広東省の食文化の中心であることにも触れた。
羽田空港としては「2010年に再国際化して以降、羽田空港の国際線の利用伸び率は右肩上がりで成長を続けていますが、いよいよ来年に迫りました東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会やその先に向けて、羽田空港は成田空港とともにアジアのハブ空港の一つとしてさらなる発展を期待されています。その羽田空港にとって、この広州線はまさに欠かせない路線だと思います。これからも東京と広州を結ぶ架け橋になっていただきたいと思います」と、期待を寄せていることを語った。
セレモニーには駐日本中国大使館の公使である宋耀明氏も出席し、流暢な日本語でお祝いの言葉を述べた。広州については先に植木氏が述べていたように、中国のなかでも活気にあふれた場所であることを紹介。また、古くから外国に対して開放政策を取ってきた都市の一つであるとし、日本でいうと長崎に近いイメージであると話した。その広州がある広東省については「中国でももっとも人口の多い省であり、1億1000万人を抱えるうえに、広州や深セン、香港、マカオといった都市があります。そして、これらの主要な都市を含めた大都市圏構想『広東・香港・マカオグレートベイエリア(粤港澳大湾区)』計画が今後は控えています。日本にも広東省の省長や香港の行政長官が訪れてプロモーションを行なうと思います」と、さらなる発展に向けた計画が進んでいることも紹介した。
最後にJL87便の機長を務める山田氏がマイクの前に立ち「広州空港はこれからの季節、積乱雲の発達や秋の台風など、私たち運航乗務員を悩ませる空港の一つですが、開設以来、安全運航を堅持してまいりました。これから先、年号が令和に変わりますが、10年、20年と安全運航に努める所存でございます。本日はご搭乗いただき、誠にありがとうございます」とあいさつをした。
セレモニーの終了後は乗客に対し、ボールペンやメモ帳、ポストカードの入った記念品が配られた。また、お見送りには植木会長も立ち、気さくに記念撮影にも応じていた。