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JAL、成田空港の旅客便初便出発から40周年を記念しグアム行き便でセレモニー

“オーダーメイド型航空会社”設立など成田でのJALブランド強化推進

2018年5月22日 実施

JALが成田空港での旅客初便出発から40周年を記念してセレモニーを実施

 JAL(日本航空)は5月22日、1978年5月22日に成田空港から旅客便初便の運航を開始してから40周年を迎えたことを記念したセレモニーを、第2旅客ターミナル3階 SKYRIUM(スカイリウム)で実施した。また、グアム行きJL941便の搭乗ゲートでもセレモニーを行ない、成田市観光キャラクターのうなりくんも登場した。

 成田国際空港(旧・新東京国際空港)が1978年5月20日に開港してから40周年を迎え、5月18日にその記念パーティなどが行なわれたことは既報のとおり(関連記事「成田空港開港40周年。成田山新勝寺 大僧正による法楽厳修で安全祈願」)。

 成田空港が開港した1978年5月20日には式典のみが行なわれ、翌5月21日に最初の到着便となる米ロサンゼルス発~アンカレジ経由の貨物機、JL1047便が到着。続いて、旅客機の到着初便となる独フランフルト発~モスクワ経由のJL446便が到着した。機材はいずれもDC-8-62型機で前者が貨物型、後者が旅客型となる。この5月21日にはJAL便が13機到着した。

 そして、5月22日に旅客便の出発初便となる、成田発~サイパン経由~グアム行きのJL947便が運航された。機材はDC-8-61型機で、乗客111名、運航乗務員3名、CA(客室乗務員)7名を乗せての出発となった。当時のJL947便と折り返し便のJL948便ほか、現在も同じ便名で運航している成田~グアム線直行便のJL941/JL942便も当時から存在した。1978年4月~6月の時刻表によると、ダイヤは下記のようになっている。

1978年4月~6月の成田~グアム線(いずれもDC-8-61型機で運航)

JL947便: 成田(09時00分)発~サイパン(13時10分)着/(14時00分)発~グアム(14時35分)着、月・水・金・土曜運航
JL948便: グアム(15時25分)発~サイパン(16時10分)着/(17時00分)発~成田(19時15分)着、月・水・金・土曜運航

JL941便: 成田(21時55分)発~グアム(翌02時25分)着、月・木・金・土曜運航
JL942便: グアム(04時05分)発~成田(06時40分)着、火・金・土・日曜運航

 成田空港開港年度のJALは、国内線、国際線合わせて35都市へ運航。当時は経由便が多かったが、現在は直行便が主流。国際線41路線、国内線6路線(いずれもコードシェア含まず)を運航している。2017年度は年間500万人が成田空港でJAL便を利用。利用者の比率は日本人55%、外国人45%と均衡。日本発の海外旅行が伸び盛りだった成田開港当時とは、こうした点でも変化が生まれている。

セレモニー開始前に、保安検査場入り口脇のディスプレイでJALの成田空港における歴史を紹介するビデオを上映
日本航空株式会社 代表取締役副社長 藤田直志氏

 第2ターミナル3階スカイリウムで開かれたセレモニーでは、JAL代表取締役副社長の藤田直志氏が登壇。成田空港開港40周年への祝辞を述べるとともに、JALの旅客初便が40年前の同日に運航したことを説明。そして、「成田空港の歴史はJALの成長の歴史でもある」と述べたほか、藤田氏自身にとっても「開港当時、大学生だった私は旅行会社でセンディングのアルバイトをしていた。ずらっと並ぶ外国の航空機、そして出発する日本のお客さま、日本に来られる外国のお客さまをお世話しながら、航空会社に勤めていこうと決意した」と、自身がJALに入社するにいたるルーツが成田空港にあったことを明かした。

 40年を迎えた成田空港とJALの関わりについては、「成田空港40周年を機に、成田でJALブランドの強化を進める。新しいスタイルの航空会社を中長距離をターゲットに2020年に向けて開設する。5月21日には観光農園の設立を発表した。第2ターミナルの2階にはアニメツーリズムのアニメ聖地88の0番札所が設置されている。さまざまな取り組みを踏まえて、地域の皆さま、千葉県の皆さまの発展にお役にたっていきたい。こうした取り組みで、さらなるサービスの進化、スマート化も空港会社とともに進めていきたい。さらに成長する成田空港にJALもますますの貢献をしていく」と述べた。

 この成田空港での今後の取り組みについて、藤田氏はセレモニー後の囲み取材で、「空港周辺では例えば騒音問題などがあり、私たちも協力を得て飛行機を飛ばさせていただくことになる。空港を作った皆さんの思いを理解したうえで、地域の人たちに空港ができてよかったと思ってもらうためには、お客さまがたくさん来たり、地域の農産物が飛行機を通じて運ばれたりといった活動していくことが大事」とし、5月21日に設立を発表した農業事業会社のJAL Agriport(関連記事「JAL、農業事業に参入。『JAL Agriport株式会社』設立会見」)もその一環であるとした。

 また、新しいスタイルの航空会社の設立も発表しているとおり、これからも積極的に成田空港を使ったネットワーク、旅客の拡大を図るとも説明。ちなみに新しい航空会社について藤田氏は、「LCCと報道されているが、我々がやろうとしているのは、ベースのハードウェアはしっかりとしたよいプロダクトを用意し、お客さまのニーズで機内食や荷物の搭載個数を有料化する、“オーダーメイド型の航空会社”」と説明。「これが成功すれば成田でもっと路線拡大できるし、外国の航空会社の中長距離線が入ってくる。日本の課題になっている欧米からの観光客増加に寄与するのではないか」と話した。

 NAA(成田国際空港)が発表している成田空港側での取り組みに対しては、「NAAと一緒にチェックインカウンターや到着のIT化、スマート化を進めたい」としたほか、第2滑走路の南側に建設予定の第3滑走路や運用時間拡大については「大変ありがたい。広げていただいた枠を、どうやってJALが路線を成長させ、お応えしていくかは大きな課題。新しい航空会社も、その答えの1つになる」とした。

国土交通省 東京航空局 成田国際空港長 石井靖男氏

 セレモニーでは、藤田氏に続いて、国土交通省 東京航空局 成田国際空港長の石井靖男氏が登壇。初便の運航について触れるなかで、使用されたDC-8型機について「藤田副社長は開港のころ大学生とおっしゃっていたが、私は小学生でDC-8には乗ったことがないが、飛行している風景はかすかに記憶にある」との思い出を紹介。

 開港当時について、「開港にあたり、運航を支える整備士、運航管理者、グランドハンドリング、カウンタースタッフの方々は、新しい空港での運航に向けてさまざまな準備、調整など大変なご苦労があったのではないかと思う。航空局の立場で、これまでの航空会社の空港での新規基地開設を見てきたが、どんな頑張って準備しても、就航当日あるいは出発直前までいろいろなことが起こる。大変さはよく分かる」と苦労を乗り越えての運航へのねぎらいの言葉を述べ、「(JALから)成田空港で新たな航空会社を立ち上げるとの発表があった。40年前の1番機を送り出した気持ちを忘れることなく、安全で快適な空を旅を提供してほしい」とリクエストした。

 続いて、先述した旅客機到着初便、独フランフルト発~モスクワ経由のJL446便が1978年5月21日に到着した際、セカンドオフィサーとして乗務していた山田不二昭氏がゲストとして登場。「当時は金線が2本で、20台後半。ダブルキャプテンといって管理職の機長2名が乗務し、私がセカンドオフィサーとしてフライトエンジニア席に座って成田空港に着陸した。早朝に到着したロサンゼルス発アンカレッジ経由のDC-8の貨物機がいただけで、4000mの滑走路のほかに飛行機はなにもいない、緑のきれいな空港に着陸した」と当時の思い出を語った。

成田空港への旅客便到着1番機にセカンドオフィサーとして乗務していた元パイロットの山田不二昭氏

 山田氏は、6年前に制服を脱ぐまでの間の大半の着陸は成田空港からであったと話し、「特に思い出深いのはDC-8の貨物機、そしてボーイング 747-400型機の貨物型に定年前には乗務していた。私ごとだが、私の飛行機人生も40年。このような節目に(再び)制服を着られて感謝している」と述べた。

 セレモニーはその後、JALから空港関係者へ感謝の気持ちを表わす花束を贈呈。成田市の銘酒「長命泉」の樽酒を用意し、一同で鏡開きを行なった。

JALから空港関係者への花束贈呈
JAL、国交省、千葉県、成田市、成田国際空港の代表者による鏡開き
記念撮影。左から元JALパイロット 山田不二昭氏、現在の制服を着用したCA、6代目制服を着用したCA、成田国際空港株式会社 代表取締役社長 夏目誠氏、千葉県 総合企画部 部長 今泉光幸氏、日本航空株式会社 代表取締役副社長 藤田直志氏、国土交通省 東京航空局 成田国際空港長 石井靖男氏、成田市長 小泉一成氏、3代目制服を着用した地上旅客スタッフ、現在の制服を着用した地上旅客スタッフ

 この長命泉はセレモニー終了後、JALの鶴丸ロゴが入った升を使って、空港利用者に提供した。また、セレモニー会場では、1978年当時に使用されていた6代目CA制服と、3代目地上スタッフ制服を着用したスタッフも同席したほか、40年前の時刻表や当時の写真、DC-8型機のモデルプレーンなどを掲示して当時を振り返るコーナーを設置。JALスタッフ主体のジャズバンド「シルバーウィングス」の演奏が会場を盛り上げた。

鏡開きした樽酒を、鶴丸ロゴと成田40周年記念ロゴが刻印された升に入れて来場者に振る舞った
升酒の振る舞い
鶴丸ロゴや成田40周年記念ロゴなどが升も持ち帰りOK
シルバーウィングスの演奏
JALの成田線の歴史
成田空港開港当時の写真
向かって右が1978年5月21日の旅客初便到着時、左が5月22日の旅客初便出発時の写真
1978円4月~6月の成田空港版の国際線時刻表
こちらは同期間の羽田版時刻表。「新東京国際空港(成田)開港までは東京国際空港(羽田)発着となりますのでご注意ください」との注意書きがある
1970年10月1日のグアム線開設時のポスター(右)も
成田空港開港記念のFFC(ファーストフライトカバー)。サイパン経由グアム行きのJL947便(写真左)、サンフランシスコから到着したJL45便(写真中央)、台湾で運航していた日本アジア航空の初便(写真右)のもの
地上旅客スタッフの3代目制服。冒頭の写真は上着を着用しているが、ブラウスもたくさんの鶴が舞う、目を引くデザイン

うなりくんが登場して盛り上がった搭乗ゲートでのセレモニー

JL941便搭乗ゲート前でのセレモニーには、成田市観光キャラクターのうなりくんが登場

 40年前の成田発初便がグアム経由サイパン行き便だったことにちなみ、この日のグアム行きJL941便(成田10時40分発~グアム15時20分着)の搭乗ゲート前でもセレモニーが行なわれた。

 あいさつに立ったのは現在JAL 執行役員 東京空港支店長を務める屋敷和子氏。屋敷氏は40年前の開港当時にJALの地上旅客スタッフとして成田空港に勤務。2014年4月から2016年3月までは成田空港支店長も務めた、成田空港に縁のある人物。

日本航空株式会社 執行役員 東京空港支店長 屋敷和子氏。成田空港開港時に勤務したほか、2014年4月から2年間、成田空港支店長も務めた

 屋敷氏は「私は成田空港開港直前の4月にJALに入社し、グランドスタッフとして成田空港に配属になった。成田の近くの千葉県印西市の出身で、成田山新勝寺が設立した成田高等学校に通っていた。高校時代はJALのグランドスタッフとして働くのが夢だった」とし、会場にいた3代目地上スタッフ制服を「夢がかなって、その第一歩がこの制服だった」と当時の思いを明かした。

 開港当時については、「第1ターミナルの北ウイングで運航していた。開港当日かどうかは覚えていないがチェックインを担当しており、今日のような明るい陽射しのなかで、一番最初にチェックインされたのはハネムーンのお客さまだった。グアム行きではなかったかなと覚えている。お客さまに『私にとって成田空港で一番最初にチェックインをさせていただいたお客さまです』とごごあいさつさせていただいたことを覚えている」とのエピソードを紹介。

 最後に、「第2ターミナルに引っ越し、成田空港で通算27年間働いた。縁があって成田空港支店長として成田に戻って2年間働いたが、その間に第3ターミナルがオープンし、成田空港がさらに発展すると感じてうれしかった。引き続き成田空港が発展するなか、JALがその一端を担えれば」とあいさつを締めた。

5月22日のJL941便に乗務する末吉健志機長

 続いて、同日のJL941便に乗務する末吉健志機長が、「いまからちょうど40年前、JL947便としてサイパン経由グアム行きが、成田空港最初の旅客便として出発した。それから今日でちょうど40年。今日のJL941便の乗務を担当することをうれしく思う」と述べ、利用者に「今日のフライトが皆さまの思い出深いものとなるよう、乗務員一同努めていく」とあいさつした。

 その後の記念撮影では、成田市観光キャラクターのうなりくんが登場。セレモニー終了後、搭乗が始まるまでの間は利用者との撮影にも応じ、家族連れの利用者も多いグアム便ということもあって次々に記念撮影を求める姿が見られた。

この日のグアム行きJL941便は64番ゲートを使用。うなりくん登場で記念撮影会となった。JALグループスタッフによる生演奏も
この日のJL941便の搭乗者には記念品やメッセージカードを配布した

 JL941便は現在、SKY SUITE仕様のボーイング 767-300ER型機(SS6)で運航。この日はビジネスクラスは満席24席に対し18席、エコノミークラス175席に対し173席が使用され、幼児8名を含む199名が搭乗。地上から整備士や地上旅客スタッフ、新旧制服を着用したCAらが横断幕を持って見送るなか、グアムへ向けて出発した。

出発を待つJL941便。SKY SUITE仕様のボーイング 767-300ER型機(SS6、登録記号:JA606J)を使用
PBB(旅客搭乗橋)が外れプッシュバックを開始。JALグループスタッフが地上から手を振ってお見送り
トーイングカーが外され滑走路へ向かう際も地上から多くのJALグループスタッフが見送った