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JAL、徳島就航60周年記念行事を徳島空港で実施

就航当時はDHC-2などの水上機で吉野川橋から離陸

2017年6月20日 開催

日本航空株式会社 徳島支店長 栗山俊久氏(中央左)と徳島県のマスコットキャラクター すだちくん(中央右)。左は東亜国内航空時代の制服を着用したCA(客室乗務員)、右は阿波藍のブラウスを着用した空港スタッフ

 JAL(日本航空)は6月20日、徳島へ就航して60周年を迎えたことを記念して、徳島空港(徳島飛行場)において「徳島就航60周年記念行事」を開催した。

 就航当時の様子を紹介した展示が行なわれたほか、羽田行きのJAL456便の搭乗客は東亜国内航空時代のCA(客室乗務員)の制服姿で迎え、JALのスタッフが記念品を手渡した。

水上機で吉野川に離着陸した60年前

 徳島への就航は、JALと経営統合したJAS(日本エアシステム)の前身である日本観光飛行協会が1957年6月20日に徳島~大阪間を不定期路線として運航したことが始まり。日本観光飛行協会は日東航空へと商号変更、合併して日本国内航空、東亜国内航空となり、日本エアシステムに商号変更、そしてJALと経営統合して現在に至っている。

1958年から導入したデハビランド DHC-3型機(アッター)。吉野川に着水している(写真提供:日本航空株式会社)

 1957年6月20日に運航を開始した徳島と大阪を結ぶ路線は、徳島側は吉野川大橋南詰から水上機で水面に離着陸していた。大阪側も堺の港を使っていた。当時の飛行機はデハビランド DHC-2型機(ビーバー)で、座席数6のところ初便の乗客は5名だったという。また、翌年の1958年3月1日には商号を日東航空に変更、4月には座席数11のデハビランド DHC-3型機(アッター)を導入、以後、使用機材を進化させながら、空港も大阪側を八尾空港、伊丹空港と変更、徳島側も現在の徳島空港に変更してきた経緯がある。

 セレモニーは、JAL456便の出発前に、JAL 徳島支店長の栗山俊久氏が登壇し、「当時の滑走路はここではなく、皆さんよくご存知の、旧吉野川橋のちょうど四国大学の対岸です。水の上から離着陸していました」と60年前を説明。

「それから約60年間、1度も休むことなく、この徳島で運航を続けられたのは、徳島県民の皆さんがこの飛行機を利用してくださったおかげと、本当に心から感謝しています。本当にありがとうございます」と挨拶をした。

日本航空株式会社 徳島支店長 栗山俊久氏
阿波藍のブラウスを紹介
以前の制服を着用したCAと約60年前の写真を紹介

 栗山氏はさらにJALと徳島の関わりについても説明。「日本航空では、徳島の藍を国内外に広めていこうと、藍の服をJALの空港の人たちが着ています。それから、今日、皆さんがお乗りになる、飛行機。この飛行機の中の照明も、徳島が世界に誇るLEDの照明を採用しています。

 このように、徳島路線と日本航空は密接な関係があります。これからも、この路線を愛していただき、そして、ご利用いただければと思います」と語り、空港の旅客スタッフが着用する「阿波藍」ブラウスについても紹介した。

 セレモニーの司会は、JALのCAが過去の制服を着用して務めた。栗山氏によれば、就航当時は乗員はパイロット(運航乗務員)だけでCAがいなかったため、就航当時の制服というものは存在しない。今回司会のCAが着用したのは、日本エアシステムに商号が変わる前、東亜国内航空の2代目制服である。

手書きのメッセージを添えた記念品を手渡し

 セレモニーのあとはいよいよ搭乗。ボーディングブリッジでは、JALのスタッフが記念品を手渡し、修学旅行の団体を先頭に242名と乳幼児1名の乗客が乗り込んだ。

 この便の乗客のなかには、吉野川を使って運航した時代に徳島から飛行機に乗った経験のある乗客がいた。91歳の男性で、徳島支店長の栗山氏に話しかけたことから分かったという。記念の日に素敵な偶然だ。

 羽田行きのJAL456便は11時46分にブロックアウト、11時56分に離陸、羽田へ向かった。

機内へ案内する時刻となった
ボーディングブリッジで記念品を手渡す
記念品を受け取った乗客は機内へ
手渡された記念品。乗客全員分の手書きのメッセージカードが添えられている
風が強い日だったが、横断幕を掲げて見送った
プッシュバック中のJAL456便
11時56分に離陸
この日は曇りの天候で、羽田へ雲の中に消えていった

徳島空港の歴史を振り返る資料を展示

 搭乗口前の搭乗待合室では、吉野川や徳島空港に就航した飛行機の写真や、歴史的資料を展示した。

60年前の就航当時の新聞や資料
徳島空港に飛来した機材のモデルプレーン
展示された資料
日本国内航空、日本エアシスムの時代の搭乗券
日本エアシステム時代に作られたジオラマ。「昭和30年代に今のJASを想像しなかったであろう……」と書かれているが、さらに時代は変わっている
JALの徳島線の歴史

 これまで就航した飛行機のモデルプレーンと写真をはじめ、空港の一部ジオラマ、搭乗券、パンフレットなどが展示された。

 なお、この日の展示のほか、展望ホールへ向かう通路にはこれまで徳島空港に飛来した飛行機の写真が飾られている。

展望ホールへ向かう通路にも説明が付いた写真が展示されている

徳島阿波おどり空港は2017年度中に新たなボーディング・ブリッジが完成

 今回、セレモニーが開かれた徳島空港は正式名が「徳島飛行場」で、愛称が「徳島阿波おどり空港」となっている。徳島市内からのリムジンバスや路線バスの行き先も「徳島阿波おどり空港」となっているほか、道路の案内標識なども「徳島阿波おどり空港」され、愛称が浸透している。

徳島阿波おどり空港
空港を出ると阿波おどりがお出迎え
3基目のボーディング・ブリッジ完成後の予定図

 空港自体は2017年2月で50周年。現在、JALが東京~徳島線を1日7往復、ANA(全日本空輸)が4往復運航している。また、徳島~福岡線をJALが1日1往復運航。さらに、季節によってこのほかの区間を運航する便もある。ANAは便がない時期やスカイマークが就航していた時期もあるが、JALは前身の航空会社も含めて60年間、途切れなく徳島便を運航している。

 空港施設は現在、ボーディング・ブリッジが2基あるが、2017年度中に3基目が完成する予定となっている。

3基目のボーディング・ブリッジの予定地。国際便への本格対応を含めた拡張もされる
空港開港50周年の顔出しパネル
出発ロビーには阿波藍の展示コーナーもある