旅レポ

熊本県荒尾市・万田坑で産業革命時の炭鉱の歴史をたどる

世界文化遺産に登録された三池炭鉱の中心的存在である竪坑跡から石炭産業の勃興を感じる

万田坑

「いま行ける熊本」の第2弾は、すでに閉山している炭鉱跡。熊本市中心部から北へ40kmほど移動した有明海近くの荒尾市原万田にある「万田坑(まんだこう)」を紹介する。

 明治時代初期に国内最大の炭鉱として発展を遂げた三池炭鉱において最大規模だった竪坑として、現在もその姿を残す万田坑。このエリアに数多くある坑口のなかでも、竪坑櫓(たてこうやぐら)やレンガ造りの関連施設が当時の姿そのままに残っており、観光地として多くの人を呼び込んでいる。今回は2015年の7月に、「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録され、より注目度を増したこの万田坑を紹介していこう。

有明海エリアに位置し、佐賀・福岡側からのアクセスも良好

 万田坑までのアクセス方法は、JR鹿児島本線の荒尾駅から産交バスで8分ほどで到着するが、運行本数が少ないのと、駅から2kmほどと比較的近いので、タクシーを利用するのもアリ。レンタカーで旅行する場合でも駐車場が完備されているので安心だ。また、福岡県との県境近くに位置しているので、佐賀県や福岡県南部を旅行する際の見学ポイントとして、プランに追加してみるのもよいだろう。

 現地に到着すると、入場券の販売や、資料室が用意されている万田坑ステーションという施設がある。映画「るろうに剣心・京都大火編」の撮影地としても使用されており、劇中に使用された衣装が展示され、違った見どころもあるのでステーションの中は、くまなく見てまわっていただきたい。

チケット売り場になっている万田坑ステーション。屋内の資料部屋も見学しておきたい
顔ハメパネルで記念撮影

レンガ造りの建物や残された道具達がタイムスリップした気分にさせてくれる

入場ゲート。中には施設内を案内してくれるガイドが常駐している

 万田坑ステーションから、万田坑の入り口までは徒歩数百mの距離がある。複数のレンガの建屋が立ち並んでいるが、こちらに常駐しているガイドが推奨している順序で紹介していくことにする。

 2016年の5月より、フリーWi-Fiスポットを利用したスマートフォンやタブレットによる画像付きの音声ガイドも利用できるようになった。日本語のほかに、英語、中国語、韓国語に対応している。

 それでは、各施設を見ていくとしよう。

第二竪坑巻揚機室

 入場口正面にある「第二竪坑巻揚機室」。炭鉱マンや機材を載せるケージ用のウインチが設置されている。1909年(明治42年)に建設された。

第二竪坑巻揚機室は2階建となっており、入場後すぐに階段で上階へ上る見学コースとなっている
建物の中に入るとすぐに階段が現われる。奥にワイヤーらしきものが確認できる
階段を上ると、頭をぶつけてしまうくらいの距離でワイヤードラムが迫ってくる
さらに折り返しの階段を上りきると、その全貌が確認できた。巨大なウインチシステムだ
別の角度から見ると、一番大きな歯車の直径は2mをゆうに超えていることが分かる
反対側に移動して上方から見たところ
当時のままの看板。モーターの出力値などが記載されている
つながっている隣の建屋に移動すると、もう一つ巨大なウインチが出現する
手前にある制御部
右手前がモーター
こちらも2mはあろうかというドラム径
さきほどの制御部とドラムの間に位置する補機類
当時のままの電気の開閉器
壁面に掲示されていた第二竪坑巻揚機の仕様表
実は最初の階段の途中に、小型の巻揚機が固定されているが、こちらは蒸気で動くジャックエンジン。電気モーターが主流になっていくに連れ、姿を消していった
蒸気であることの証明でもあるシリンダーがドラム脇に確認できた
ジャックエンジン仕様表

第二竪坑櫓

 1908年(明治41年)に完成した高さ18.9mの鉄製の櫓。炭鉱マンたちはここからケージに乗って現場まで移動していた。坑口から坑底までは264mという深さだが、そこまでの所要時間は約1分ほどを要していた。さらに坑内の換気や排水の役割も担っていた。

櫓を後ろから見たところ。この下にトロッコが通る横穴がある
入場口
トロッコ
内部を覗いたところ
櫓の真下は閉鎖された坑口がある
当時のまま残されている坑口信号所
坑内は閉坑とともに埋め立てられている
建物脇から確認すると、最初に紹介した「第二竪坑巻揚機室」とワイヤーでつながっていた当時の風景を想像しやすいだろう

安全燈室と浴室

 1905年(明治38年)頃は、扇風機を動かすための機械室だったが、閉坑された1951年(昭和26年)に安全燈室となり、炭鉱マンのヘルメットに装着される安全燈の充電器などが備え付けられていた。浴室は、仕事終わりですすだらけになった炭鉱マンたちのリフレッシュする場だった。

中に入ることはできず、外からの見学のみとなる
建物脇には、各種タンクが配置されている
浴室は屋外から中の様子を見ることが可能

事務所(旧扇風機室)

 1914年(大正3年)頃、坑内の換気を行なう巨大な扇風機が備え付けられていた。閉坑以降は事務室と監視室として使われていた。

こちらも中に入ることはできない
建物裏側

職場

「職場」という、分かりにくい名称が付いているが、坑内で使用する機械類の修理や工具の作成が行なわれていた平屋の建物だ。当時使用されていた旋盤やドリル盤が残されている。

施設入り口の右手奥にある「職場」。写真左側の建屋の中を見学できる
当時の面影を残す「職場」内。ここで機械の修理など、さまざまな作業が行なわれていた
実際に使用されていた工具が、数多く残されている

山ノ神祭祀施設

 炭鉱マンが入坑する前に必ず拝礼していた山ノ神祭祀施設は、大山祗神(おおやまづみのかみ)から分祀された。

山ノ神祭祀施設

汽罐場(きかんば)跡

 1898年(明治31年)当時、各所へ蒸気を送っていた汽罐場があったが、現在は建屋は残っていない。

汽罐場(きかんば)跡。現在は建屋も残っていない
日付入りで撮影できる記念撮影スポットとなっている

配電所(発電所)

 建設当時はイギリスのトムソン社製タービン排気発電機が置かれていた発電所。出力は800kWあったという。蒸気から電気化が進み、のちに配電所となった。

配電所(発電所)

デビーポンプ室跡

 建屋は残っておらず石の土台だけとなっているデビーポンプ室跡。当時は3階建てのレンガ造りで、イギリスのデビー社製の排水ポンプが4基設置されていた。

デビーポンプ室跡

第一竪坑坑口

 1899年(明治32年)当時、東洋一とされた大型の櫓が建設されてていた坑口跡。櫓の高さは30.7mと、第二竪坑の櫓よりも巨大だった。1954年(昭和29年)には、北海道の三井芦別炭鉱に移設された。現在は櫓の基礎部分だけが残っている。

基礎部分の上には30.7mの巨大な櫓が建っていた
残された基礎
当時の様子

選炭場跡

 第一竪坑から搬出された石炭を大きさや品質でより分けていた選炭場。三池炭鉱の専用鉄道で九州鉄道万田駅(現JR荒尾駅)などを経由して全国に石炭が運ばれていた。丘から見下ろす草原には引き込みの線路が走っていた。

選炭場跡

土産屋や資料室にも立ち寄り、時間が許せば周辺グルメも

 万田坑にいるあいだは現代の建築物が視界に入ってこないので、没入感のある歴史体験ができる。子供向けのアトラクションはないが、小学校高学年以上の家族構成であれば、社会科見学として見ごたえのある施設であることは間違いない。明治から昭和にかけて日本の産業革命を支えてきた国内最大の炭鉱跡を、熊本旅行のポイントに加えてみてはいかがだろうか。

 繰り返しになるが、万田坑ステーション内には歴史年表が元号ごとに掲示され、映像コンテンツによる万田坑ストーリーが楽しむことができるので、立ち寄ることを強くお勧めしたい施設だ。

万田坑ステーションから、場内入り口までの間には土産店がある
万田坑ステーション内には歴史資料室がありジオラマやミニシアター、パネル展など、充実した資料を見学可能
パネル展やミニシアター、ジオラマなど充実している
万田坑への道のりはJR荒尾駅から2kmと、それほど離れてはいない。駅前から万田坑前までは、産交バスが運行している。バスの時刻が合わなければタクシーもお勧めだ

 万田坑を中心とする周辺エリアでは、「石炭ゴロゴロ万田焼」という石炭をイメージした料理を提供するグルメスポットが数多く存在する。店ごとにメニューはまったく異なるが、その分、自分好みの店舗を選びやすいはずだ。提供されている店舗は全部で12店舗。荒尾市の公式Webサイトにてパンフレットがダウンロードできるので、万田坑に訪れる際には事前に荒尾市公式Webサイトの「石炭ゴロゴロ万田焼の認定店が12店舗に!」を確認してほしい。

熊本市へ向かうルートの追加ポイントにも

 万田坑は世界文化遺産に登録される前から、日本国内においても重要文化財と国史跡に指定されており、機械や建造物が比較的良好な状態で保存されている。クルマで移動していると、のどかな田舎の風景のなかに突如として現われるレンガ造りの一角は、迫力満点で出迎えてくれる。

 さらに周辺のグルメも充実しているので、熊本市中心部から、あるいは近隣県から熊本市へ向かうルートの立ち寄りポイントに万田坑を追加してみてはいかがだろうか。

赤坂太一

福岡市在住のライター。トラベルWatchでは、九州・山陽エリアの取材を担当することが多い。自動車誌をはじめとする乗り物系媒体に寄稿しているが、最近では一般紙から新聞の取材も。東京から福岡に移住して5年目をむかえた札幌生まれ。ブログはhttp://taichi-akasaka.com/