旅レポ
歴史に残る遺産や名所がいっぱいのバルカン半島3カ国探訪(その3)
断崖の修道院やアドリア海屈指のリゾート島など秘めたる魅力に満ちたモンテネグロ
2018年3月9日 00:00
前回、セルビアでの旅を紹介したバルカン半島3カ国視察ツアーのレポート。今回はモンテネグロへと舞台を移す。モンテネグロはセルビアの西側にある旧ユーゴスラビアを構成した国の一つで、長野県や福島県ほどの大きさだ。
モンテネグロは、旧ユーゴスラビア崩壊後にセルビアと歩みをともにし、各国が独立していくなかセルビア・モンテネグロとして連邦国家を形成。その後、2006年にモンテネグロとして独立した。文化や宗教など、民族的にはセルビア人とほぼ同じだが、地元のガイドさんによれば、モンテネグロ人の間ではセルビア人とは別の民族としてのアイデンティティが高まっているという。
また、セルビアもモンテネグロも2006年に現在の体制になったという点では同じなのだが、旧ユーゴスラビアのイメージが残るセルビアに対して、セルビア・モンテネグロからの“分離独立”という形だったこともあって、モンテネグロにはなんとなく新しい国のイメージがある。ちょうどそのころ、ユーゴスラビア成立前のモンテネグロと日本が、日露戦争の講和条約が結ばれていないことから交戦状態にあったことも話題になった。10年ほど前に日本のニュースをにぎわせた国なのに、日本人にとって馴染みがあるような、そうでもないような、面白い距離感の国のように思う。
観光という視点でモンテネグロ最大のポイントは、なんといってもアドリア海に面していること。モンテネグロの独立でセルビアは海を失ったわけで、この差は大きい。アドリア海の観光地はイタリアのヴェネツィア、クロアチアのドブロブニクなど、非常に人気が高いことから、これはモンテネグロを訪れる大きな動機になるのではないだろうか。一方で、モンテネグロの国名はモンテが「山」、ネグロが「黒」、すなわち「黒い山」を意味しており、内陸部にも美しい観光スポットがある。国名からすれば、彼らの誇りはそちらにこそあるのかも知れない。
通貨はユーロが流通している。“流通している”という表現にしたのは、EU(欧州連合)に加盟しておらず、正式にはユーロ圏の国ではないからである。ユーロ導入国なら欧州旅行の周遊地に組み込みたい! と思うところだが、陸続きのセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アルバニアはユーロを導入しておらず、事実上の独立国となっているコソボが唯一のユーロ流通国とあって、これをモンテネグロ訪問の理由にできるかはちょっと悩ましい。
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そんな、いろいろな意味で好奇心をかき立てられる要素が多いモンテネグロ。まず訪れたのは、北部の「ドゥルミトル国立公園(National Park Durmitor)」だ。この公園で立ち入るには、入園料として3ユーロ(約420円、1ユーロ約140円換算)を支払う必要がある。キャンプなどでの滞在は別途料金がかかる。
ユネスコの世界自然遺産に登録されている国立公園で、ドゥルミトル山脈を中心とする一帯。標高2522mのボボトブ・クク山を中心に40座以上の標高2000m超の山が連なり、その山間を縫うように流れる川の渓谷や、湖や湧き水のスポットが非常に多い、起伏に富んだ美しい地形が特徴だ。今回は訪問していないが、欧州で最も深いというタラ渓谷などが知られている。また、動植物についても固有種や希少種が数多く生息しており、夏にはトレッキングやキャンプ、冬にはウインタースポートを目的に訪れる人も多いという。
このドゥルミトル国立公園随一のスポットが「黒湖(Black Lake)」。その名のとおり、その深さや周囲の針葉樹の反射などにより、あたかも黒い水を湛えているかのように見える、大小2つの湖が連なった形状の湖だ。時期によって2つの湖をつなぐ細い水路から水が流れ込む美しい光景も見られるという。
この訪問時は、下の写真のように見事な雪。風も多少あったため、黒々とした水面というわけにはいかなかったのだが、透明度の高い美しい湖が、雪化粧の山に包まれる様は印象的で、これも季節によって変わるさまざまな顔の一つなのだろうと思う。
ドゥルミトル国立公園(National Park Durmitor)
Webサイト:National Park Durmitor(英文)
この黒湖に近く、ドゥルミトル国立公園を楽しむ際の拠点となるのが、近隣のジャブリャク(Žabljak)の街だ。ジャブリャクの街には、ドゥルミトル国立公園の情報センターもあるほか、同地のオペレータにより夏季、冬季問わずいろいろなアクティビティが提供されている。
黒湖へ行く前日の夜は、このジャブリャクの街にある「スキー・ホテル(Ski Hotel)」に滞在。雪のおかげで“スキー・ホテル”という名前のイメージそのままの外観になっているが、こちらも黒湖と同様、夏には緑に包まれた別の顔を見せるのだろう。
客室も充実しており、日本円で1万円台前半から泊まれるダブルベッドルームも部屋は十分な広さがあり、バスタブも備えている。今回宿泊したスタジオ・アパートメントタイプの部屋は、ベッドルームとリビングが分かれた長期滞在に適応できる部屋。
サウナやプール、ジムなどの付随施設もしっかりしており、ドゥルミトル国立公園観光の拠点としても、のんびりとリゾート的滞在をするホテルとしても活用できそうだ。
断崖に建つ聖なる場所「オストログ修道院」
ドゥルミトル国立公園を訪問したあとは、クルマでおよそ2時間ほどのドライブ。周囲を山に囲まれた牧歌的な風景が広がり、標高によって白から緑へと色が移り変わっていく。この山の雄大さを見ると、“モンテ”が国名に付けられるのも理解できる。
そして、しばらく南下し向かったのは、そそり立つ断崖絶壁に、埋め込むように建てられている「オストログ修道院(Ostrog Monastery)」だ。17世紀に現在のボスニア・ヘルツェゴビナから訪れた聖バシリエによって建てられた修道院で、その遺体もここに眠っている。
年間10万人を超える多くの人が訪れるというこの場所は、カトリック、正教会の信者にとってバルカン半島で最高の聖地であるのみならず、イスラム教徒の訪問者も多い、神聖な場所として扱われているそうだ。
内部に立ち入ることもでき、壁に描かれたフレスコやモザイクは美しく、上層階に上がっての眺めもよい。17世紀という時代にどうやってこのような場所に建てたのだろう? そもそもなぜここに? など、歴史の想像が膨らみ、信心深くはない記者だがなんとも不思議な感覚に包まれる空間だった。
オストログ修道院(Ostrog Monastery)
Webサイト:Ostrog Monastery(モンテネグロ語)
オストログ修道院のあとは、一気に山を下りて、モンテネグロにあるユネスコ世界文化遺産の一つである「コトル」に向かった。アドリア海から複雑に入り込む「コトル湾」沿いにある街だ。
ここへ向かう途中、そのコトル湾の美しい光景に出会えた。山の方からP11道路を通って海の方へ向かうと、徐々に視界が開け、山の隙間を縫うように入り込むコトル湾を眼下に望める。すぐ近くには「リサン」の街があり、白い壁に赤い屋根という、いかにも欧州らしい家々の街並みを俯瞰できる。
また、このコトル湾周辺に点在する街には、このあとで紹介するコトルのほかにもペラストという街から見える海に浮かぶ教会など、見どころが多い。
リサンの街とコトル湾
そのコトル湾の最深部にあるのが、コトルの街である。城壁に囲まれた旧市街がユネスコの世界文化遺産に認定されている。今回はセルビアから陸路で向かったわけだが、モンテネグロの首都にあるポドゴリツァ空港と並ぶ同国の主要空港の一つであるティヴァト空港から4kmという至近距離にある。また、クロアチアの人気観光地であるドブロブニクからもクルマで国境を越えて2~3時間。ドブロブニクからの日帰り観光バスツアーなどもあるとのことで、観光ルートに組み入れやすいスポットだ。
ユネスコ世界文化遺産に登録されているコトル旧市街は、9~19世紀に使われた城砦都市で、周囲が城壁で囲まれている。現在は12~14世紀に建てられた教会や修道院、
16~17世紀に作られた城壁などが多く残る。市街地が平地に広がるほか、山を上ったところにある要塞跡なども見どころ。山の上の要塞跡からは、コトル旧市街とコトル湾を見下ろす美しい風景が広がるという。
この地はオスマン帝国による支配が断続的で、現在残る遺跡はヴェネツィア共和国統治時代のものが多い。西方で生まれた文化の影響が強く出ており、ロマネスク様式、ゴシック様式、バロック様式など、さまざまな建築様式が融合している。
なかでもシンボル的存在になっているのが、1166年建築のカトリック教会「聖トリプン大聖堂(Cathedral of St. Tripun)」。ロマネスク様式の建物だが、バロック様式の要素も取り入れられているのが特徴。訪問時刻が夜だったため内部に立ち入ることはできなかったのだが、2本の高い鐘楼がライトアップされた外観だけでも一見の価値があったと感じられた。
そのほか、同じ12世紀末期の建築で、元々カトリック教会だったものが、のちの東ローマ帝国期に正教会に使われるようになったという「聖ルカ教会(Church of St. Luka)」。19世紀に火災で焼失したあと20世紀に入って再建されたビザンチン様式の正教会「聖ニコラス教会(Church of St. Nicholas)」など、10を超える教会がある。
そもそも、海側の入り口となっている門(コトル旧市街は入り口が3つあるうちの一つ)からして、16世紀にロマネスク様式とバロック様式を取り入れて建てられたもので、そこを抜けてすぐの広場にはロマネスク様式の古い時計台があるという、まさに歴史旅への玄関口となっている。
この日は1時間程度の滞在だったので限られた範囲を見たに過ぎないが、もっと時間をかけてじっくりと見て回りたいスポットだ。中世から近世の建築物に囲まれて、欧州旅らしさを満喫できるだろう。
コトル(Kotor)
Webサイト:KOTOR TOURIST ORGANIZATION(英文)
そのコトルからクルマで南下し、アドリア海に沿って南へ向かうとたどり着くのが「ブドヴァ(Budva)」の街だ。コトルからは30分ちょっとの所要時間となる。
アドリア海に面し、夏のハイシーズンには欧州からの旅行客を中心に多くの人が訪れる主要な観光地となっている。海岸にはヨットハーバーがあり、カジノなどのナイトスポットも多い。
また、この街にもコトル同様にヴェネツィア共和国統治時代の城壁に囲まれた旧市街が残っている。地震で崩れたものを20世紀に再建した建築物が多いそうだが、石造りの赤い屋根の建物が並ぶさまに中世の雰囲気を感じられる。古い建物を利用したレストランやバー、スーベニアショップなども並んでいる。コトルもそうだったが、旧市街でお茶をしたり、買い物をしたりと、中世にタイムリープしたような感覚を味わえるのも魅力だ。
ブドヴァ(Budva)
Webサイト:Budva(モンテネグロ語)
ブドヴァは観光地ということで、ちょっと調べるだけでも多数のレストランがあるが、この日はヨットハーバーのすぐそばにあるシーフードレストラン「ヤドラン(Jodran)」を訪れた。
海に面した街だけに絶品のシーフードを堪能でき、特にエビと貝のブイヤベースは見た目も豪快。船をイメージした店内の装飾も楽しめる。
ヤドラン(Jodran)
所在地:Slovenska Obala, Budva
Webサイト:Jadran(英文)
さらにこの日は、夜もブドヴァで過ごした。旧市街のすぐ隣にある「ホテル・モグレン(Hotel Mogren)」で、白い壁に青い窓枠の外観は、まるでバルカン半島を一気に南下して別の国に来たかのような雰囲気の建物だ。部屋によっては海や旧市街を見渡すこともできる。
旧市街はビーチリゾートとしての繁華エリアからは少し離れていることもあって、近隣はそれほど賑やかではなく、静かに過ごせる。1934年創業という歴史あるホテルで、客室は49部屋。うち4部屋がスイート、6部屋がトリプルルームで、残る39部屋がダブルルームとなっている。
客室も白と青を基調としたさわやかなデザイン。いまどきのホテルと比べるとコンセントの位置なども含めて設備の古さは否めないが、清潔感があるので居心地がよい。館内はWi-Fiインターネットサービスも提供されている。
低層階の共有エリアには、広めのレストランやビリヤード台が並ぶプールバーもあり、周囲の観光地を巡る拠点としてだけでなく、リゾートホテルとしての過ごし方もできそうだった。
アドリア海屈指のリゾート「スベティ・ステファン」
ブドヴァからアドリア海に沿ってクルマで20~30分ほど南下したところにあるのが「スベティ・ステファン島」だ。モンテネグロだけでなく、アドリア海のなかでもリゾート地として屈指の存在だという。「Sveti」は現地語で「Saint」つまり「聖なる」を意味しており、日本語風に言えば「聖ステファン島」といった表現になる。
クルマで同地へ向かうと、赤い屋根の家々が所狭しと建ち並ぶ小さな小島がアドリア海に浮かぶさまを望むことができる。以前は潮が満ちると完全に島になったそうだが、現在は砂浜と橋がつながっている。島とも陸続きとも言い切れない絶妙な距離が異世界への入り口を面白く演出しているようにも感じられる。
その歴史は中世に始まり、15世紀に要塞が築かれたのち、統治国の変遷を経て小さな集落が生活を営む漁師の村となったという。20世紀のユーゴスラビア時代にはティトーがリゾート地とし、西側の有名人も多く訪問するほどアドリア海のリゾート地として人気を博す島となった。
ユーゴ崩壊に伴って一時衰退したものの、モンテネグロ独立直後となる2007年に民間資本を取り入れ、アマンリゾーツによる再開発が始まり、現在は「アマン・スベティ・ステファン」として島全体が宿泊施設となっている。東南アジアのリゾート企業として知られるアマンリゾーツにとって、初めての欧州進出でもあった。2014年にはセルビアの回でも触れた男子テニス元世界ランク1位のノバク・ジョコビッチ選手が結婚式を挙げるなど、高級リゾート地として名を馳せる。
また、対岸にある周囲を森に囲まれたビーチには「ヴィラ・ミロチェル(Villa Milocer)」がある。英国王室が別荘として利用したこちらも、アマン・スベティ・ステファンの施設として宿泊が可能になっている。
アマン・スベティ・ステファンは、15世紀から受け継がれてきた建物や街並みをそのまま活かした宿泊施設となっている一方で、そうしたデザインに溶け込むようにリゾート感のあるテラスや客室が整備されている。先にコトルやブドヴァの旧市街を中世へのタイムリープと表現したが、こちらはもう少し洗練された雰囲気で、中世と近代が交錯した空間に入り込んだような感覚だ。
そうした海沿いからアドリア海や山の稜線を眺めているだけでもリラックスできるし、島内に残る古いものは15世紀建築といういくつかの教会を見るなど島内を散策するのもよい。スベティ・ステファン島は1万2400m2と1~2時間もあれば回れる大きさで、癒やしを求めるには最高の場所だ。
ちなみに、スベティ・ステファン島内への宿泊は夏期のみの季節営業。その期間しか島に立ち入ることもできない(ヴィラ・ミロチェルは通年営業)。島内の客室はすべて異なるデザインの50部屋で、石造りの建物をそのままにリノベーション。室内は石がむき出しだが、高級感のあるリゾートホテルそのもの。安い部屋でも日本円で1泊あたり10万円を超えるが、それに見合った得がたい思い出を残せるだろう。
また、南北に延びるモンテネグロのアドリア海岸のちょうど中央付近に位置しており、先述のブドヴァやコトル、後述するバール、今回は立ち寄れていないが有名なシャコダル湖国立公園など、主要観光地へのアクセスにもちょうどよい場所であるのもポイント。高級リゾートでの滞在を楽しみつつ、ここを拠点にして観光地をまわれば、最高に贅沢なモンテネグロ観光になるだろう。
樹齢2000年のオリーブの木も。太古のモンテネグロを見られるバール
そのスベティ・ステファン島からさらに南下すると、バール(Bar)の街にたどり着く。港町として栄えており、対岸のバーリ(イタリア)などとの定期航路が結ばれている。ただ、今回の目的地は現在栄えている海沿いではなく、内陸に入ったところにある「バール旧市街」だ。
ここはモンテネグロのなかでも古い時代の遺跡となる。この地の歴史について正確な起源は分かっていないそうだが、紀元前のものなども発掘されており、要塞への入り口近くの小さな博物館に展示されている。
要塞は10世紀以前に作られたとみられているそうで、11世紀以降にモンテネグロ人による独立国家が作られたあと、東ローマ、オスマン、ヴェネツィアと支配者が交代。要塞内にはいまも正教会の聖堂が残る一方、要塞の外壁のすぐ脇にはオスマン帝国統治時代に建設された大きなモスクも建っている。
要塞内は多くが破壊されているが、これはオスマン帝国の支配からの脱却を目指したモンテネグロ人による攻撃のため。また、ユーゴスラビア建国につながった1941年7月のパルチザン蜂起を記念した碑も建っている。ここまで、統治者が次々に移り変わってきたさまをセルビアとモンテネグロでさんざん見てきたが、そうした歴史の流れが凝縮されているかのようだ。
バール(Bar)
Webサイト:Bar(モンテネグロ語)
バール旧市街にある「スピリア(Spilja)」は、そんな次々に統治者が入れ替わった歴史的背景を考えながら訪れたいレストラン&バーだ。
店名の「Spilja」は「洞窟」の意味。その洞窟のなかは、オーナーの趣味でコレクションしているという世界各地のさまざまな小物や紙幣などが飾られている。いろいろな民族の帽子もあり、気軽にかぶらせてもくれる。なんともボーダーレスで、平和を感じられるお店なのである。
ここでいただいたランチはシーフード。豪快に炭火で焼いたタイや、中東感のあるデザートが印象に残る。旧市街は内陸に入ったところにあるが、現在のバールは海の街として栄えている。そうした街の発展の歴史にも思いを馳せることができる。
スピリア(Spilja)
Webサイト:Spilja(モンテネグロ語)
このように深い歴史を刻んでいるバールだが、もう一つ、歴史ある街であることを示すスポットがある。世界最古の樹齢2000年以上という「オールド・オリーブ・ツリー(Old Olive Tree)」である。2000年前といえばバルカン半島がローマ帝国の版図に組み入れられていた時代である。
バール周辺ではオリーブの栽培が盛んで、クルマで走っていても頻繁にオリーブの木が目に入るのだが、多くのオリーブの木は、子供が書く木の絵のように幹にもっこりと葉が付いているイメージそのもの。しかし、樹齢2000年ともなると幹も分かれ、横への広がりも大きい。直径10mの囲いが作られているのだが、一部はすでにそれを越えてしまっているほど。ちなみに、この囲いを反時計回りに3周すると願いが叶うというおまじないもあるそうだ。
モンテネグロを北から南へ向かったこの旅。自然あふれる山間のスポットからアドリア海のリゾート、そして長い歴史を感じられる旧市街群まで、観光地としての奥の深さを感じる国だ。
さて、次回はこのバルカン半島3カ国探訪で最後に訪れた、モンテネグロの南側で国境を接するアルバニアの旅を紹介する。