旅レポ
歴史が彩る地中海の島国・キプロスを巡る(その4)
愛と美の女神アフロディーテの伝説が残る悠久の街・パフォス
2018年1月24日 00:00
キプロス観光のレポート第4回目は、2017年にEU(欧州連合)が「欧州文化都市」に選定した都市、パフォス(Pafos)を中心に紹介する。パフォスはキプロスの南西部に位置し、港町として繁栄。ハイシーズンやチャーター機の運航が中心だがパフォス国際空港もあり、西の玄関口となっている。
キプロス島がヘレニズム時代からローマ帝国の統治下にあったころにかけては、パフォスに首都機能が置かれていた主要都市であり、その時代から東ローマ帝国時代にかけての数多くの遺跡が状態よく残されている。そうした遺跡をまとめて「パフォスの古代遺跡群」としてユネスコの世界文化遺産に登録されているほどで、歴史的価値の高いものを目の当たりにできるエリアとなっている。
歴史が彩る地中海の島国・キプロスを巡る 記事一覧
パフォスという地名については、欧州文化首都のオープニングセレモニーの記事「キプロス共和国・パフォスで欧州文化首都『Pafos2017』オープニングセレモニー開催」でも触れているとおり、ギリシャ神話に愛と美の女神として登場するアフロディーテ生誕の地とされるスポットがあることに関係する。
さらに、このパフォスという地名もアフロディーテに関連する。キプロス島の王であったピグマリオンは、理想の女性を彫刻したガラテイラ像を製作、そしてその像に恋をする。その思いを受けたアフロディーテによって彫刻像に命が吹き込まれ、結ばれたピグマリオンとガラテイラとの間に生まれた子が“パポス”。パフォスという地名の由来となった。
そのアフロディーテ誕生の地とされているスポットが「ペトラ・トゥ・ロミウ(Petra tou Romiou)」だ。アフロディーテはこの地で生まれ、貝に包まれたとされている。よく知られるボッティチェッリの絵画「ヴィーナスの誕生」はここを描いたものというわけだ。このビーチでハート型の石を見つけると愛が叶うという伝説もある。
ちなみに、記者がそうだったのだが、おそらくここを訪れるとアフロディーテ誕生にゆかりがあるとされる岩を間違えると思う。というのも、この場所にあるもっとも大きな岩ではなく、その隣が“アフロディーテの岩”なのである。では、もっとも大きな岩はただの岩なの? というと、こちらにも別の伝説が残されており、東ローマ帝国時代にアラブ人に侵略されそうになったキプロスを守った英雄、ディゲリス・アクリタス(Digenis Akritas)が投げ込んだものとされている。
ペトラ・トゥ・ロミウからクルマで1~2分のところには絶好のビューイングスポットも用意されており、2つの岩に加えて、パフォスに向けての美しい海岸線を望むことができる。
ペトラ・トゥ・ロミウ(Petra tou Romiou)
Webサイト:Petra tou Romiou(英文)
ちなみに、このペトラ・トゥ・ロミウは、現在「パフォス」と呼ばれる市街地からはかなり東方に位置する。ローマ帝国時代まではペトラ・トゥ・ロミウにほど近い「パレパフォス」という地域にも人が多く住んでいたそうだが、現在は「パフォス」というと、一般的には西端に近い市街地エリアを指している。そして、この現在のパフォスと呼ばれる市街地の海沿いに建つランドマークのような存在が「パフォス城(Pafos Castle)」とも呼ばれる「要塞跡(Medieval Fort of Pafos)」である。
パフォス城はもともと東ローマ帝国統治時代に建てられ、海からの侵攻を防いできた。幾度かの地震によって破壊される一方、フランク人による統治が行なわれた時代までは修復や増築が繰り返されたものの、ヴェネツィア共和国が2つの塔を残して破壊。現在はフランク人統治時代に作られた塔を16世紀にオスマン帝国が修復したものが残されている。よって、「パフォス城」と呼ばれることもあるが、正確には城壁の構造物の一部が残されているだけなので、「要塞跡」という方がより実情に近いというわけだ。
この要塞跡は入場料は2.5ユーロ(約340円、1ユーロ=約135円換算)で中に入ることもできる。訪問時は欧州文化首都「Pafos2017」のイベントの一環として、キプロス出身の映画監督であるミハリス・カコヤニスにちなんだ展示が行なわれていたが、要塞らしい無骨さや、上階からの眺めが見もの。
陸側はマリーナになっており、要塞跡へ向かう道すがら、カフェやお土産物屋さんめぐりなどもできる。天気がよければ、海沿いの遊歩道を散歩するのも気持ちよいだろう。
要塞跡(Medieval Fort of Pafos)、パフォス城(Pafos Castle)
Webサイト:Pafos Castle(英文)
さて、パフォスの古代遺跡群がまとめてユネスコの世界文化遺産に登録されていることは先述のとおりだが、その中心を成しているのが「モザイク遺跡(Kato Pafos Archaeological Park)」だ。要塞跡とは歩いて移動できるほどの近い場所にある
これまた先述のとおり、ヘレニズム時代から古代ローマ帝国時代にかけて、欧州との交易にも便利な西部の港町であるパフォスに首都機能が置かれていた。しかし、4世紀後半にこの地を大津波が襲い、海に近い場所には人が住まない時期が長く続いたそうだ。
そして20世紀に入り、1960年にキプロスが独立した直後、市民の一人が開墾中に発見したのをきっかけに調査されたのがモザイク遺跡である。ローマ帝国時代までに作られたモザイク芸術が数多く残されており、津波に襲われて土砂に埋もれた状態が続いたおかげで、状態のよいものも多い。より重要なモザイクについては劣化を防ぐため、非公開で保存しているという。
モザイク遺跡へは料金4.5ユーロ(約610円)で入場でき、「ディオニソスの館(The House of Dionysos)」「テセウスの館(The House of Theseus)」「エイオンの館(The House of Aion)」といった、ローマ帝国統治時代の貴人の館跡に残るモザイク芸術を見ることができる。
ディオニソスの館は、2000m2の敷地のうちの556m2、数十の部屋の床がモザイクで作られている。その図柄はギリシャ神話や当時の生活、幾何学模様をモチーフにしたもの。おそらくギリシャ神話の知識が深い人であれば描かれている絵の内容も分かってより楽しめるのだろうが、そうでなくとも天然石で作られたモザイクの美しさと、それが作られた古代に想像を膨らますことができる場所だ。
テセウスの館やエイオンの館も、そうしたモザイクが残されている。テセウスの館は損壊が激しく、上屋がない状態なのだが、そこに残されているモザイクは立派なものだ。円形の模様の中心にテセウスとミノタウロスが戦う姿が描かれている。テセウスの館は広大で、そのほかの部屋の跡地にもさまざまなモザイクが残されている。
今回はこの3つの館を中心に見学したが、そのほかにも「オルフェウスの館(The House of Orpheus)」や神殿跡などのスポットが広い敷地内に点在している。時間をかけてじっくり見てまわることをお勧めしたい場所だ。
モザイク遺跡(Kato Pafos Archaeological Park)
Webサイト:Kato Pafos Archaeological Park(英文)
そして、このモザイク遺跡から北へ行ったところにある重要な遺跡が、「王族の墓(The Tombs of the Kings)」だ。ヘレニズム時代からローマ帝国時代となる紀元前2~3世紀の古墳群で、「of the Kings」とはなっているものの、キプロス島自体に王制国家があったわけではないので、貴族など高位にあった者が眠っていると予想されているという。
この王族の墓へは2.5ユーロ(約340円)で入場が可能。8基の墓が公開されており、Tombs 1~8と番号が振られている。日本の古墳とは異なり、一つのお墓に石造りの部屋がいくつも設置されるような構造になっており、場所によってはギリシャの神殿のような柱が建てられているところもある。古代欧州の建築文化を垣間見ることができる点でも興味深い場所だ。
この王族の墓も、モザイク遺跡(Kato Pafos Archaeological Park)と同じく非常に広大な敷地なので、じっくり時間をかけて見てまわりたいスポットだ。
王族の墓(The Tombs of the Kings)
Webサイト:The Tombs of the Kings(英文)
パフォスの観光スポットとして最後に紹介するのが「聖パウロの柱(St. Paul’s Pillar)」だ。この場所はいろいろ複雑で、4世紀ごろという初期の礼拝堂の跡地や、東ローマ帝国時代にギリシャ正教会の教会として建てられたものがモスクに転用され、現在は教会として残されている建物がある。
そうした遺跡の注目ポイントの一つである「聖パウロの柱」に名を残す聖パウロは、西暦45年にキリスト教の布教のためにキプロス島を訪れた際、その説教のためにローマ帝国により鞭で39回打たれたとされている。その磔にされた柱が聖パウロの柱だ。信仰心の厚いキリスト教徒にとって重要な巡礼の場所とされ、聖パウロの柱の石を削って“お守り”とする人が多かったことから、いまでは「柱」と言われてもピンとこないほど低くなっている。
その聖パウロの柱がある場所は、4世紀にキプロス島で最初期の礼拝堂が作られた場所でもあり、当時は7本の通路があったが、地震で崩れたのちに5本の通路へと縮小。その跡地の床にはきれいなモザイクも残されている。
さらに、オスマン帝国統治時代にはモスクに転用された歴史も持つという13世紀の東ローマ帝国時代の教会が残されており、石造りの建物に正教会らしいイコンが飾られた立派な聖壇が祭られているさまを見ることができる。
いろいろと歴史的に深いストーリーが刻まれた場所であり、キプロス島の歴史の最初期から繁栄していたパフォスという街らしさを感じられる。先に紹介したモザイク遺跡(Kato Pafos Archaeological Park)からは徒歩で15分程度なので、遺跡巡りのルートとして気軽に訪問できる場所だ。
聖パウロの柱ほか
Webサイト:Early Christian Basilica-St. Paul’s Pillar-Chrysopolitissa / Agia Kyriaki Church(英文)
さて、パフォス市街地での食事についても紹介しておこう。昼食に訪れたのは、「キングス・アフロディーテ(Kings Aphrodite)」というレストラン。お店の看板に“TAVERN(タベルナ)”とあるとおり、レストランよりも気軽に立ち寄れるお食事処だ。
港町として栄えたパフォスの街らしいシーフードが充実したお店で、調理法としては、前回紹介したリマソールのレストラン同様に、フライにボイルにグリルにと、素材の味そのままのシンプルなもの。しかし、そのどれもが美味しい。また、フィッシュメゼ(メゼは地中海料理で軽食として出される料理)と聞いていたのだが、“軽食”にはほど遠い料理の数々に、ランチなのに食べ過ぎなボリューム。
せっかくの機会なので、キプロス名物の一つを紹介しておきたい。それがヤギとヒツジの乳で作られたチーズ「ハルミ(ハルーミとも)」だ。熱しても溶けないので、焼いて食べられる。モッツァレラのような食感だが、塩味がよりしっかりしており、単品で食べても美味しいし、パンやサラダと一緒に食べても合う。
現在では欧州などでもキプロス人が同じ製法で作ったものを「ハルミ」として販売していることもあるそうだが、それを「ハルミ」と呼ぶことには議論があるという。キプロスに来たなら紛うことのない“本物のハルミ”を味わえる。必食だ。
キングス・アフロディーテ(Kings Aphrodite)
Webサイト:Kings Aphrodite(英文)
ディナーは、パフォス城にほど近い、マリーナ沿いのレストラン「エムパニア(Ta Mbania)」へ。海を望むカフェ&バーといった雰囲気のお店で、アルコールドリンクも豊富に取りそろえている。店内も明るい雰囲気なので、気の置けない人たちとわいわい楽しみたいお店だ。
また、お店が立地するマリーナ沿いの遊歩道は夜の散策も魅力。遊歩道はパームツリーが浮かび上がるように照らされ、パフォス城(要塞跡)のライトアップも雰囲気がある。賑わっているエリアを少し離れると途端に周囲が暗くなるので、あまり広範囲に動きまわることはお勧めできないが、夜のパフォスを楽しむ場所の一つとして魅力だ。
422客室の広大なリゾートホテル「コーラルビーチ・ホテル・アンド・リゾート」に宿泊
さて、パフォスでは、市街地から北へ10kmほど行ったところにある「コーラル湾(Coral Bay)」にある「コーラルビーチ・ホテル・アンド・リゾート(Coral Beach Hotel & Resort)」に宿泊した。
このホテルは名前のとおり、スパやプール、ホテル直結のビーチのほか、マリーナも持つ大型リゾートホテルで、スポーツやレジャーのアクティビティ施設も充実。レストランもテーマ別に6施設を備えているという、典型的な長期滞在型リゾートホテルだ。
客室は422部屋で、もっとも数が多いのが「シー・ビュー(Sea View)」という海に面した部屋。西向きのバルコニーからは、美しいサンセットを望むこともできる。
パフォス市街地からは少し離れているわけだが、むしろ喧噪から離れてゆっくりしたい人にはぴったりだ。また、次回お伝えする予定の、パフォスから北上した先にあるアカマス半島へ向かうアクティビティツアーなどに参加しやすいメリットもある。ホテルでものんびりしつつ、パフォスを中心に観光する際の拠点にしたいホテルだ。