旅レポ

歴史が彩る地中海の島国・キプロスを巡る(その2)

ムハンマドの養母や、キリストの奇跡で蘇った聖ラザロスが眠るラルナカ

今回からキプロス観光をスタート。まずは玄関口のラルナカから

 EU(欧州連合)が2017年にパフォスを選定した「欧州文化首都」のオープニングセレモニー取材ツアー(関連記事「キプロス共和国・パフォスで欧州文化首都『Pafos2017』オープニングセレモニー開催」)に参加した際の観光レポート。第1回目はキプロスへのアクセスについて触れたが、今回よりキプロス国内を紹介していく。

 キプロスへはラルナカ国際空港から入国したことは前回お伝えしたとおりだが、まずは、その空港のある街「ラルナカ」を紹介する。

 まずは、空港からほど近い「ラルナカ塩湖(Larnaka Salt Lake)」と、モスク「ハラ・スルタン・テケ(Hala Sultan Tekke)」だ。ラルナカ塩湖は空港から目と鼻の先といってよい距離にある湖で、10月~3月ごろにオオフラミンゴが多数飛来する。キプロスでは、イギリスの軍事施設がある統治領“アクロティリ”にある「リマソール塩湖」への飛来も含め、全体で1万羽程度のオオフラミンゴが冬を過ごすという。

 訪れた1月もそんな季節で、ラルナカ塩湖を埋め尽くすピンクのフラミンゴが目の前に! のはずが、思ったよりも少なくて、遠くの方にパラパラといる程度。ガイドさんによれば普段はもっと多いとのことなので、かなり運がわるかったようだ。こればかりは生き物相手なので仕方ない。

 これまた仕方ないとはいえ、愛想もなかなか。湖に顔を突っ込んでエサを探しているか、寝ているかのどちらかで、ほとんど顔を見せてくれない。到着直後のこの撮影のためだけに持ち込んだ望遠レンズの出番が……という個人的な事情もあって、ちょっと悔しい思いだ。

 そんなわけで写真は残念な結果に終わったのだが、フラミンゴといえば動物園やラスベガスのホテルでしか見たことがなく、野生のフラミンゴを見るのは初めての経験だったので、そんな愛想のわるいフラミンゴにも気持ちが沸き立つ。

ラルナカ塩湖(Larnaka Salt Lake)

Webサイト:Larnaka Salt Lake(英文)

ラルナカ塩湖と、その湖畔に建つハラ・スルタン・テケ
湖に浮かぶ、ピンクというか白っぽく見える点々がオオフラミンゴ
食べたり寝たりで、なかなか顔を見せてくれないフラミンゴ。足が長くてかっこいいのだが
一瞬の隙をついてシャッターを切る。くちばしが大きくてやっぱりかっこいい

 そして、次の目的地であるハラ・スルタン・テケは、そんな湖を眺めるように建っている。もちろんそのように見えるだけで、礼拝所がメッカの方角を向くように設計されている。

 最初に建立されたのは、キプロス島が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の統治下にあった7世紀のことで、その後、オスマン帝国統治下となった19世紀、そしてUNOPS(国際連合プロジェクトサービス機関)によって再整備された。

 ムハンマドの養母と言われているウム・ハラムが眠ることから、イスラム教徒にとっては重要な地の一つであるという。モスクのなかに眠るウム・ハラムの棺は、宙に浮いた状態で安置されている。

 極めて神聖な場所ではあるが、古いイスラム遺跡としての価値もあり、必見のスポットだろう。

ハラ・スルタン・テケ(Hala Sultan Tekke)

Webサイト:Hala Sultan Tekke(英文)

ハラ・スルタン・テケ
ハラ・スルタン・テケの入り口。真っ直ぐに通路が伸びる
ムハンマドの養母と言われているウム・ハラムが眠るハラ・スルタン・テケ
目の前には礼拝に訪れた人の待合所。日本の東屋のようにも見えるデザインだ
裏にまわると7世紀建立という歴史を感じさせる遺跡
修道のための学校の跡地も

 このあとはラルナカの中心部へ。中世ヨーロッパの雰囲気が残る一方で、海岸沿いにはパームツリーが並ぶ遊歩道がビーチリゾート感もあるのが印象的な街並みだ。

ラルナカの街並み
パームツリーが並ぶ海沿いの遊歩道

 そんな海岸沿いに建つのが「ラルナカ城(Larnaka Castle)」。当初の建築年は明らかではないそうだが、キプロス島がイングランド王国の統治下にあった14世紀、ジェームズ1世の治世(1382~1398年)よりも以前のものとされており、ラルナカが港として重要な地であったことから、要塞として建てられた。

 当初の、と書いたのはその後、オスマン帝国らの統治下に入った際に増築、改築が行なわれているから。以下に掲載した写真の左寄り(こちらが南側となる)にある城壁のような建造物は14世紀のもので、右寄り(北側)の2階建ての建物はオスマン帝国の統治下にあった時代のものだという。また、19世紀後半からのイギリス統治下では囚人の収容所として使われたそう。さまざまな国が入れ替わり立ち替わり統治してきたキプロス島の歴史を体現しているような建物だ。

 現在は「ラルナカ中世博物館(Larnaka Medieval Museum)」として公開されており、入場料は2.5ユーロ(約340円、1ユーロ=約135円換算)。14世紀に建てられた要塞部分にのぼることもできる。不活性化した大砲が並べられた雰囲気を楽しめるだけでなく、眺めもよいのでビューイングスポットとしてもお勧めだ。

ラルナカ城(Larnaka Castle)

Webサイト:Larnaka Castle(英文)

海外沿いに建つラルナカ中世博物館(旧ラルナカ城)
現在は博物館として公開されており2.5ユーロ(約340円)で入場できる。14世紀から20世紀までさまざまな歴史に触れられるほか、要塞跡地からの眺めも最高だ

 ラルナカ市内にある、もう一つの歴史的に重要な観光スポットが「聖ラザロス教会(Agios Lazaros Church)」だ。死後4日後にイエス・キリストの奇跡により蘇ったとの伝説を持つ聖ラザロスの名を冠する教会。聖ラザロスはキリストによって蘇ったあとキプロス島に移り住み、30年間布教活動を行なったあと、この地で終焉。その聖ラザロスが眠るとされる地に建てられたのが聖ラザロス教会となる。

 案内板によると、キプロスではもっとも古い教会とされており、建立は9世紀、890年のことだそうだ。当時のキプロス島は東ローマ帝国の統治下で、この教会もギリシャ正教会の教会。18世紀に増築がなされたほか、19世紀にはトルコ人(つまりオスマン帝国)の侵攻によって、鐘楼の一部が破壊され、少し低くなってしまったようだ。内部の天井にはその痕跡として、一部が木製になっている部分がある。

 なかでは聖ラザロスが納められていたという石棺や、遺体の一部を見ることができる。正教会の教会らしい聖人のイコンが祭られた聖壇も印象に残る。

聖ラザロス教会(Agios Lazaros Church)

Webサイト:Agios Lazaros Church(英文)

聖ラザロス教会
入り口
隣の建物も教会の施設でお土産者屋などが入っている
教会の内部
聖壇には聖人のイコンが飾られる
天井の一部が木製になっていることがオスマン帝国に侵略された歴史を伝えている
聖ラザロスが納められたという棺。現在はこの棺の下に眠っているという
聖ラザロスの遺体の一部が納められ、展示されている

 こうした街巡りをしつつ、この日の昼食はラルナカ市内でいただいた。訪れたのはスト・ルシャ(Stou Roushia)」というレストラン。ホームメイドなキプロス風料理をいただけるレストランで、気さくな店主が笑顔で対応してくれるアットホームなお店だ。

 豆類のペーストやミルクベースのソースを付けていただく前菜や、グリルされたさまざまな肉類など、どれも美味。ホームメイドらしい豪快な盛り付けも気軽に食事を楽しめ、ランチとしてはちょっと食べ過ぎのような気がするほどに食が進んだ。

スト・ルシャ(Stou Roushia)

Webサイト:Stou RoushiaのFacebookページ(ギリシャ語)

ラルナカの街中にあるスト・ルシャ
店内の様子
ビールを手に笑顔の店主。ランチ時だが……
「聖ニコラス」の名を冠した、キプロス産のミネラルウォーター
写真上から前菜、メインのグリル料理、デザート。デザートは「ハルバ」というセモリナ粉の焼き菓子

首都ニコシアの日本人御用達ホテルへ。夜は自家醸造のビール

 さて、ラルナカを訪問したあとは、クルマで北に進み、首都のニコシアへ向かった。現在のキプロスに鉄道がないことは前回触れたとおり。その代わり、都市間を結ぶ高速道路はしっかりしており、ニコシア、ラルナカ、アヤナパ、リマソール、パフォスといった主要都市の間は「A」で始まる番号が振られた高速道路が整備されている。ラルナカからニコシアへは、ニコシアに近づいたところで短い渋滞があったものの、1時間とかからずに移動できた。

 ちなみに、キプロス旅行において、クルマは不可欠な存在だ。個人旅行の場合はレンタカーが便利だろう。幸い、キプロスはイギリス統治時代があり、現在もイギリス連邦に加盟しているという歴史もあって、左側通行かつ右ハンドルという日本人には馴染みやすい交通ルールだ。実際、日本の中古車もかなり流通しており、日本ではほとんど見かけなくなった古い車種も何度か見かけた。ジュネーブ交通条約も締結しているので、国外運転免許証(いわゆる国際免許証)があればOKだ。

 現地では自身で運転していないので実体験に基づくものではないと前置きしたうえでの印象を記すと、細かい交通ルールの違いはあるだろうが、ラウンドアバウト(円形の交差点)がある以外は、例えばアメリカの「赤信号でも右折はOK」のような特筆するような違いはなく、わりと常識的に安全な運転を心がけていればよさそうに感じられた。ただ、都市部は路上駐車が多く、一方通行の道路も多かったので、注意を要しそうだった。

ラルナカから首都のニコシアへ向かう高速道路
市街地には通常の十字路交差点だけでなくラウンドアバウトもある

 ニコシアでは、ひとまずこの日宿泊するホテルにチェックイン。「ザ・クラシック・ホテル(The Classic Hotel)」という3つ星ホテルで、日本人の利用者も多いという。ニコシアはヴェネツィア共和国統治時代の16世紀に築かれた城壁を境に、内側が古い建築物などが残る“旧市街”、外側が現代のダウンタウンとして栄える“新市街”と区分されており、このホテルは旧市街側に建つ。

 旧市街に建つとはいえ、3年前に客室と公共スペースを改装したばかりとのことで近代的な雰囲気。57室の客室と、8つのカンファレンスルームを持ち、観光拠点からビジネス用途まで幅広く活用できる。

 1階にはレストランとワインバーもあるが、次回紹介する予定の「キプロス考古学博物館(Cyprus Archaeological Museum、キプロス博物館/Cyprus Museumとも呼ばれる)」や、ニコシアの目抜き通り「レドラ通り」が徒歩数分の圏内。夕食などは外で食べるのもよいだろう。

ザ・クラシック・ホテル(The Classic Hotel)

所在地:94 Rigenis Str, 1513 Nicosia
Webサイト:The Classic Hotel(英文)

ニコシアの旧市街に建つザ・クラシック・ホテル(The Classic Hotel)
ホテル前の通り。目抜き通りの「レドラ通り」へは、この写真の奥方向へ歩いて10分とかからずに着ける
レセプションの奥に広いロビー
ビジネスセンターも。客室へはWi-Fiインターネットサービスを提供している
カウンターに多数のワインが陳列されているワインバー
朝食はビュッフェスタイル
宿泊した客室
ワーキングデスク
タオルウォーマー
バスルーム
バスタブ付きのシャワーブース
アメニティ

 そんなこの日の夕食は、旧市街地内にある「ピボ・マイクロブリュワリー(πίβο microbrewery)」へ。「πίβο」はラテン文字で表記すると「Pivo」となる。マイクロブリュワリーの名が示すとおり、店内で自家醸造したビールが自慢で、さまざまなスタイルのビールを提供している。

 例えば、レギュラーメニューでは、「ΣITARENIA(SITARENIA)」はバイエルン風のヴァイスビール、「NOIR」はチェコ風のラガービール、「BLONDIE」がボヘミア風のピルスナービールなどを用意している。価格は0.4Lで4ユーロ(約660円)から、0.25Lで2.5ユーロ(約340円)から。また、年やシーズンごとに限定メニューも提供しており、何度いってもいろいろな味を楽しめるだろう。バリエーションが豊富なので、大人数で行って飲み比べるとより楽しめるお店だ。

ピボ・マイクロブリュワリー(πίβο microbrewery)

所在地:Asklipiou 36, 1011 Faneromeni-Nicosia
Webサイト:πίβο microbrewery(英文)

ピボ・マイクロブリュワリー(πίβο microbrewery)
旧市街のど真ん中にお店を構える
ピボ・マイクロブリュワリーの店内
コースターは陶器製でおしゃれ
さまざまなビールを自家醸造している
ランチョンマットの代わりに元素周期表のような「ビールの周期表」をプリントした紙が各席に敷かれている
レギュラーメニューに載っていない限定メニューなどは黒板で紹介
いろいろなスタイルのビールを提供。写真は「ΣITARENIA(SITARENIA)」(左)と、「NOIR」(右)
写真のような豪快な料理からヘルシーな料理まで、食事のバリエーションも豊富だった

編集部:多和田新也