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「タウシュベツ川橋梁」ついに消えゆく? 秘境の鉄道橋が“SNS映えスポット”になるまで

2023年6月のタウシュベツ川橋梁。タイミングがよいと、水鏡のように湖面にアーチが映る

「水没→凍結→湖上に現われる」の80年。タウシュベツ川橋梁、ついに途切れる?

 2024年6月、北海道・道東の鉄道橋「タウシュベツ川橋梁」のコンクリート外壁の一部が、大きく崩れ落ちた。まだ橋としてはつながっているものの、建設から八十余年、さらなる風化で、ついに橋が途切れてしまうかもしれない。

 橋上にはすでに列車は通っておらず、ダム湖の湖面に佇むアーチ橋(半円形の部材で橋を支える形状。「めがね橋」とも)は著しく風化し、独特の雰囲気を醸し出している。その佇まいは「まるで古代ローマの遺跡のよう」と表現されるほど独特の雰囲気があり、SNS映えするスポットとして訪れる人々も多い。

十勝川水系・タウシュベツ川。夏を過ぎるとこの一帯はダム湖に沈む

 この橋は1939(昭和14)年、音更川の支流・タウシュベツ川をまたぐ鉄道橋として完成した。上部を走っていた国鉄士幌線は1987年に全線が廃止されているが、タウシュベツ川橋梁の前後は道東(北海道の東部)最大級の「糠平ダム」の建設によって1955(昭和30)年8月にルートが変更され、その月のうちにダム湖に沈んだ。

 その後、ダム湖の水位が下がる春先に湖面から姿を現わし、水位が上がる夏にはダム湖に沈み、冬には氷に閉ざされて春を待つというサイクルが、80年以上も続いてきた。長らく「水没→凍結→湖上に現われる」を繰り返したため、タウシュベツ川橋梁はほかのアーチ橋よりもはるかに速いスピードで腐食し、風化が進んだのだ。

 ダム湖に沈み、凍結と湖上への出現を繰り返し、何より取り壊されなかった。今や国の登録有形文化財・北海道遺産にも指定されているタウシュベツ川橋梁の眺めは、いくつもの奇跡が重なって誕生したといえるだろう。

 この「タウシュベツ川橋梁」は深い山の中にあり、2023年には年間7404人(過去最高)の方々が、専用ツアーのガイドの案内でタウシュベツ川橋梁を訪れたという。

 ツアーを手がける「NPO法人ひがし大雪自然ガイドセンター」理事長・河田充さんによると、外壁の崩落に気づいたのは6月30日。しかし前日の写真を確認するとすでに崩壊が起きており、28日にはすでにひび割れや落石が生じていたそうだ。

 こういったコンクリート外壁の崩落は2017年、2023年にあったものの、いずれも橋が水上に姿を現わす冬季に発見されたもので、今回のように6月に崩壊が起きるケースは初めてとのこと。長らく「そろそろ崩れて橋が途切れるのでは?」と言われ続けてきたが、河田さんは「いつアーチが崩壊し、橋が途切れてしまうか、いよいよ分からなくなってきた」と、実感を込めて話していた。

 この「タウシュベツ川橋梁」の周囲は険しい山の中にあり、今や上流の集落に暮らすのは2世帯のみ。なぜここに、11連のアーチ橋をかけてまで鉄道を通す必要があったのか。鉄路とともにあった沿線の歴史と、タウシュベツ川橋梁が廃墟として知られるようになるまでの歴史を辿ってみよう。

秘境に鉄道を通した“風倒木バブル”

旧・幌加駅跡。転轍機を手動操作できる

 士幌線・糠平駅~十勝三股駅間(18.6km)は、「三股カルデラ」と呼ばれる原生林の針葉樹や、自然災害で発生した多量の風倒木(風で倒れた樹木)の搬出を目的として建設された。さらに十勝三股駅から先には約30kmの森林鉄道網(音更森林鉄道)が伸び、戦前には軍用の木材、戦後には復興に使われる木材を載せた列車が、士幌線を駆け抜けていたという。

 ただ、鉄道建設を進めていた時期はすでに、鋼材が貴重なものとなりつつあった。タウシュベツ川橋梁を含む橋は資材を節約するために、鉄筋を入れるのは側壁だけという「無筋コンクリート構造」のアーチ橋として建設。コンクリート壁の中に詰め石を入れ、蒸気機関車が走れるような強度を保った。

 その後、1954(昭和29)年に襲来した「洞爺丸台風」によって、さらに膨大な風倒木の処理が生じ、林業によって沿線のにぎわいが全盛期を迎える。いまは2世帯が居住するのみの十勝三股駅周辺には約1500人が住み、街には小学校や郵便局・神社までもあったという。また飲み屋街では、スナックの女性を巡る労働者の刃傷沙汰まで発生していたのだとか。裏を返せば、それだけ活気と営みがある街だった、という証明だろう。

士幌線の廃線跡。草も刈られてラクに歩けるが、熊鈴は必携だ

 しかし、このにぎわいは10年少々しか続かなかった。風倒木の処理が落ち着き、さらに並行する道路の開通で、木材輸送はトラックに替わってしまう。木材産業の衰退と急激な過疎化も重なって木材輸送も旅客輸送も減り、1978(昭和53)年には糠平駅~十勝三股駅間がバス代行、その9年後には全線が廃止となった。

 その後、駅があった十勝三股・幌加の近辺は国有地であったがゆえに、林業撤退とともにほとんどの建物が撤去され、街の痕跡はほとんど残っていない。

 一方でタウシュベツ川橋梁は、地元をよく知る釣り人が中央部で釣り糸を垂れるような活用はされていたものの、ほぼ忘れ去られた状態が長らく続いたという。前述の河田さんが2001年に橋の見学ツアーを立ち上げた際も年間利用者は95人、いまの80分の1程度の参加者しかなかったのが、インターネットやSNSの普及、鉄道ファンの口コミや産業遺産・インフラツーリズムの浸透で存在を知られるようになり、参加者は2010年には1000人を、2013年には2000人を突破、いつしか道東有数の人気ツアーに成長していった。

NPO組織で開催されているツアーは長靴を貸してくれる

 地元NPOが開催するツアーはほかにもさまざまな内容があるものの、やはりタウシュベツ川橋梁の見学ツアー参加者が多いそうだ。

 今回のコンクリート壁の崩落で、ちょうど中央部のアーチがじかに水に沈み凍結するため、長らく橋を見守ってきた河田さんでも、いつアーチが落ちるか、日々気にかけている。だからこそ、「できればアーチ橋がつながっている今のうちに、訪れてほしい」とのことだ。

今やタウシュベツは「貴重な産業遺産」。でも「朽ちるのを見守るしかない?」

2019年8月末のタウシュベツ川橋梁。この季節まで冠水がまったくないのはめずらしい

 今や北海道の貴重な産業遺産でもあるタウシュベツ川橋梁は、倒壊する前に保存を求める声もあるという。しかし、現実的にはかなり難しいようだ。

 この橋の保有者はダムを管理する「電源開発」ではあるものの、その管理状況は「ダム湖の中に大きな石が転がっている」ようなもので、問題がなければそのまま放置する、というスタンスのようだ。まず電源開発が工事許可を出さないことにはどうしようもなく、そもそも橋が湖面から現われる短期間での補修は、現実的には難しいだろう。

 以前に上士幌町が試算した際には、補修に約5億円を要するうえに、色合いや風化具合が変わる公算が大きいとのこと。皆が納得できる補修の手立てはなく、河田さんも「朽ちていく姿を見守るしかないのではないか」と話していた。

糠平ダムの下流にある「第三音更川橋梁」。タウシュベツ橋梁と同時期の建設・同じ工法にもかかわらず、大きく劣化していない

 しかし、アーチ橋の一部が崩落したからといって、タウシュベツ川橋梁の魅力はそう落ちない。橋の眺め方・楽しみ方はこれまでも同様で、むしろ工学的には貴重な「凍結と解氷を繰り返してきたコンクリート橋」の断面を見ることができる、と考えるとワクワクしてこないだろうか。

 またタウシュベツ以外にも、戦前に29橋、戦後20橋も建設された大型アーチ橋のうち、12橋は今でも残されている。なお、上士幌町はアーチ橋を順次取得したうえで、直接の寄付金2500万円と、ふるさと納税で得た1.1億円を活用し、補修やレールバイクの設置などを行なっている。この町はほかにも移住政策で人口増加・町税の税収大幅増を成し遂げており、めずらしく行政のフットワークが軽いことも、アーチ橋の保存・観光資源化=雇用確保・収入増につながっているといえるだろう。

 ツアーの拠点である糠平の街にある「ぬかびら温泉郷」は道内有数の歴史を誇り、少しトロっとした重曹泉はお肌に優しく、飲用泉としても胃腸によいという。さらに十勝三股の先にある三国峠の展望台の見晴らしは抜群によく、峠の喫茶店で出るソーセージカレーがやたらと美味しい。

 そしてもう一つ、タウシュベツ川橋梁は道内の有名観光地にしてはめずらしく、インバウンド(訪日客)の比率が1%程度(年間数十人)とのこと。道内の観光地にしてはめずらしく、オーバーツーリズム(過度な混雑)とは無縁。“見つかっていない”状態で静かに観光できるのもよい。

 こうしてパッと挙げただけでも、なかなか楽しめそうではないか。朽ちる橋を静かに見守りつつ、橋が途切れたあとも変わらず、さまざまな魅力に触れてほしいものだ。