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ANAHD新社長・芝田浩二氏、相互理解を深める「互尊」でアフターコロナの経営の舵取り。第3ブランドの航空会社は「近々」案内

2022年2月10日 実施

ANAホールディングスは代表取締役社長の交代に伴う記者会見を実施した(写真提供:ANAHD)

 ANAHD(ANAホールディングス)は2月10日、4月1日付けでの代表取締役社長の交代に伴う記者会見を開催した。

 会見には、現代表取締役社長の片野坂真哉氏と、4月1日から就任する新社長の芝田浩二氏が臨席。

 2015年4月から代表取締役社長を務め、4月1日からは代表取締役会長に就任する片野坂氏は、社長就任直後の5年間は国際線路線網の拡大や、LCC事業であるピーチ(Peach Aviation)とバニラエアの統合、大型フレーター(貨物機)の導入、旺盛な訪日旅客需要の取り込みなど、安定した利益と株主還元を実現した一方、直近2年間は新型コロナウイルス感染症の戦いに没頭したと振り返った。

 そして、2月1日に発表した2021年度第3四半期決算で8四半期ぶりの黒字を達成。ポストコロナにおいても持続的な成長を果たすために経営体制の新陳代謝、世代交代が不可欠であり、加えてANAグループが創立70周年を迎えるタイミングでの社長交代であることを説明した。

 新社長の芝田氏に対しては、「肝が据わっている」と評価したほか、新型コロナウイルス感染症拡大後の経営戦略を担当していることから「コロナと戦う戦略が共有できていること」、ANA AvatarやANA NEOなどの新事業も手がけていること、海外駐在経験も豊富でグローバルなマインドを持つ人物であることを後任に選んだ理由として挙げている。

ANAホールディングス 現・代表取締役社長 片野坂真哉氏(写真提供:ANAHD)

 芝田氏は、鹿児島県 加計呂麻島出身で、1982年にANAに入社。アライアンス室室長やロンドン支店長などを努めたほか、ANA入社前には北京大使館で勤務するなど海外経験が豊富な人物。

 社長就任にあたって、「一刻も早く業績を回復させ、持続的なANAグループの成長軌道を描くことが私に課せられた課題と認識している。ANA、ピーチ、間もなく立ち上がる第3ブランドの3つの航空会社で航空旅客事業を担っていく。加えて貨物事業、既存の関連事業、新しく立ち上げるANA NEO、ANA Avatarといった新規事業領域もあり、グループ事業全体の成長を促し、強靱なANAグループへの変革を目指していく」とコメント。そのために、「企業理念とビジョンが従業員と等しく共有されることが大切。それを具現化するためのアクションプランに対する共感を得ることが大切。私自身、現場に足を運んで、対話を重ね、フロントラインの声をできるだけ経営に活かしたい」と話した。

 芝田氏は会見のなかで、「互尊」という言葉に何度か触れ、「お互いの理解を深めて率直な対話を深めるキーワード」として、日ごろの業務、取引先やパートナーとの関係、海外パートナーなどとの関係構築において意識したいとした。

 今後の経営については、現在2022年度の黒字化予算策定に向けて検討を進めており、「現在はまだ足下の需要が読みにくい。需要をもう少し見極めて予算策定を実行に移したい。確たるところは申し上げにくいが、この2年間を通じて我々のコスト削減が相当進んでおり、損益分岐点がすごく下がっているので、前年第3四半期の国内旅客の回復が見込めれば、一定程度の黒字を確信できるのではないかと考えている」とし、ある程度の確証を持てる段階で中期の経営戦略を示したいとしている。

 航空ネットワークについては、「ANA、ピーチ双方の得手があり、ホールディングスの立場から、扇の要としてお互いの長所が発揮できるようなコーディネートができればよいと思っている。特段、大きな変更は現時点で検討していない」とした。

 一方、第3ブランドの航空会社については、「(コロナの影響で)当初よりも遅れると思うが、担う役割は同じ。近々、もう少し詳しい開発状況を案内できる機会があると思う」と期待を持たせた。

4月1日付けでANAホールディングス株式会社 代表取締役社長に就任する芝田浩二氏(写真提供:ANAHD)

 非航空事業については、2022年度には、ANA Avatarや夏のサービスローンチを目指すANA NEOの事業化を進めるほか、ドローンや空飛ぶクルマも、日本国内の法整備に伴って2事業を追いかけているとの状況を説明したうえで「航空事業を周辺から支える事業になってほしいと期待している。これは個別の事業が育つだけでなく、ANAの経済圏が広がり、グループ全体の底上げにつながる」と期待した。

 また、質疑応答では出身の鹿児島や奄美群島についても話が及び、「離島では交通インフラが生活に直結する極めて大切なインフラ。奄美は鹿児島と主に船で生活物資などが行き来しているが、代替インフラとして航空機に対する期待は大きい。中学卒業まで奄美に住んでいたが、飛行機に乗るのは夢のまた夢だった。バニラエア就航にあたっては“我田引空”と言われて社内の非難を浴びたこともあったが、結果的に皆さんハッピーな結果になった」と紹介。

 鹿児島の観光誘致についても、ベトナム航空やタイ国際航空の要人を鹿児島に案内したことがあり、「いつか飛ばしたいという話もいただいたが、コロナ禍になってしまった。私としてはコロナが収束したら、再びそのような動きをしたい」としたほか、「avatarと航空が一体となった活躍を見せる場所ではないかと期待している。リアルな交通の旅と、avatarで行く遠隔での旅を重ねる、新しい旅の形態が提供できれば」との考えを述べた。