トピック
ポルシェ×東大先端研、行き先の分からない旅 第3弾は北海道・礼文島へ。移動しながら体験する学びとは?
LEARN with Porsche 2023レポ前編
- 提供:
- ポルシェジャパン株式会社
2023年10月4日 00:00
「LEARN with Porsche 2023」始動
「LEARN with Porsche(ラーン ウィズ ポルシェ)」は、ポルシェジャパンと東大先端研「個別最適な学び研究」寄付研究部門が共同で実施する若者向けのプログラムだ。中学~高校生の若者を全国から集め、夢を持つことの重要性や、各個人に最適な環境で能力を伸ばしつつ、自信を深め意欲を高めていく気づきのきっかけを与えていく、という一連の取り組みになっている。
プログラムは主に例年8月の後半に開催され、今回ですでに3年目になる。2021年に北海道十勝周辺を巡り、2022年には四国を縦断している。さらに今年は別に、ものづくりに興味がある若者向けのプログラムも追加で開催されるなど、これまでの手応えを感じながら、さらに積極的に進められている。
テストのように難問を解いて正解が提示され、点数を付けたりするのではなく、教えられたコースを進んで行けばゴールが見えてくるわけでもない。本レポートを読み進めていっても、行程にどういう意図があるのか分かりにくかったりするのではないかと思われる。
若者の自主性が強く出ているので、こちらが想像しているように進まないことも多い。逆に今の若者はこういう考え方をするのかと、大人が新たな発見をすることもある。もちろんプログラムでは、ある程度の仕込みはされているが、突発性から生徒の思考や行動を引き出す、というところを見ていただければと思う。
今回のテーマは、スマホ1台あれば何でも検索結果が出て、現地に赴かなくても学べてしまう時代に、あえて「移動」しながら学び、考えてみようと設定された。
現地で移動しながら体験することをきっかけに、さらに知りたいという欲求が生まれるか。今知っている知識に疑問を持てるか。これこそが、LEARN with Porscheの醍醐味だ。
今回も、170名を超える応募者から東大先端研とポルシェジャパンが10名を選抜して実施した。
正解のない行程をスマホを使わず自分で解決していく
プログラム中は、進んでいく各地で課題が課せられるのだが、その内容や目的地は生徒たちにはまったく知らされていない。例えば今回は北海道に向かうのだが、このことすら知らずに集まってきている。保護者にも伝えていない。当日の現場や前夜あたりに告知され、自分の地の能力を活かすか、仲間と協力しあってクリアしていく。課題も複数用意され、現場で選択する(もしくは譲る)必要に迫られるシーンもある。
そして、次のような決めごとがある。
課題参加は任意
すべての参加は任意だ。やりたくなければ一時棄権もOK。各地で課せられる課題も条件内で好きに解釈して構わないことになっている。移動時に時間に間に合わなかった場合には、そのまま置いていかれる可能性もあり得る。そういったわがままやトラブル含めてのプログラムだ。グループ内でどのように対処するかも含めて、考えることが貴重な体験になる。
ゴールが目標ではない
課題をすべてそつなくうまくこなしたからといって、特別なご褒美はなにもない。課題のクリアや最終目的地にたどり着くこと自体が第1目標ではない。
スマホ使用禁止
スマートフォンやタブレット、PCといった情報通信機器は、課題中は使用禁止。朝集合時にスタッフに預けることになっている。家族との連絡用に夜には戻してくれるので、夜のみ使える。つまり、昼の行動中にネット検索や地図アプリは使えない。
自身で考えて集団行動をする
重要なのは、自宅を出発して集合する当日から、生徒だけで自ら考えて、グループの方向性をコントロールしつつ行動することだ。やらされるのではなく、自ら行動を起こしていく。集合場所までの移動を含め、父兄や友人などが付きそうことは禁止されている。
東大先端研「LEARN」は個別に最適な学びを実践から
「LEARN with Porsche」の発端となる「LEARN」は、東京大学 先端科学技術研究センターで中邑賢龍(なかむら けんりゅう)シニアリサーチフェローが率いる「個別最適な学び研究」寄付研究部門の研究室が中心になり、子供にとって個別最適な新しい学びの場とは何かを、実践から追求する一連のプログラムとなっている。
出身や社会的なステータス、マイノリティかマジョリティかなど関係なくみんなが夢を持ち、未来へのイノベーションを起こしてもらう手助けをしていく教育的な解決を模索する取り組みだ。今回の「LEARN with Porsche 2023」では、同じ研究部門の特任助教 赤松裕美氏が主体になって実施している。
ここになぜポルシェジャパンが加わっているのか、という疑問が湧いてくるかもしれないが、ポルシェは若者向け支援を一貫して続けている希有な自動車メーカーでもある。「Porsche. Dream Together」と銘打ち、「夢を持つことに優劣はない」という考えで支援を続けている。
東京駅八重洲口のマクドナルドから南千住へ
プログラムに参加する10名の生徒は、お互いの顔や性別、プロフィールなど一切知らされないまま、集合時間と場所となる「東京駅八重洲口のマクドナルド」だけが事前に伝えられ集まった。記者もここに集合することにしたが、すでに生徒たちは積極的に声をかけていて、お互い参加者と分かり、ひとかたまりのグループになっていたのが印象的だった。
集合時間を過ぎるとスタッフが声をかけ、プログラムが始まる。あいさつもそこそこに動きやすいよう3つにグループ分けを行ない、まず最初の移動は「南千住駅」と告げられ、スマホや大きめの荷物を預けたうえで電車で移動を開始した。南千住と聞いてピンとくるのは、常磐線沿線で生活している人くらいだろう。生徒はなんだかよく分からないまま、ホームに向かっていく。
小塚原刑場跡と山谷地区を見て何を考えるのか
南千住駅に着くと、すぐ近くにある「回向院(えこういん)」に向かう。「小塚原刑場」での刑死者を供養するために創建され、安政の大獄で刑死した橋本左内や吉田松陰など幕末の志士も葬られていることで知られている。
また、杉田玄白らが刑死者の解剖に立ち会い、後に蘭学書「ターヘル・アナトミア」を「解体新書」として翻訳したことから、記念碑があり、表紙のレリーフなども見ることができる。すぐ近くには、刑死者を弔う大きな首切地蔵もある。
ここは常磐線敷設時に「延命寺」として分けられているが、元は同じ墓地。詰まるところ、この一帯は江戸時代に日光街道から江戸に入ってくる人が最初に目にする刑場で、はりつけ、斬罪(首切り)、獄門(さらし首)などが行なわれていた跡地を見ていることになる。
希望に燃え遠路はるばる江戸周辺にたどり着いて、最初に見せつけられるのが小塚原刑場の刑死者というワケだ。たった144年前までは、実際に行なわれていたこと。この時代、敗者は文字どおり切り捨てられていた。
はたして生徒たちがどこまで想像力豊かに考え、どういった心境で見たのかまでは分からないが、ここは単なる文化財ではない。刑場で埋葬された人は20万人とも言われているが定かではなく、付近の工事では人骨が見つかることもしばしばあるようだ。寺院前の道路は「南千住コツ通り」と呼ばれる(小塚原と骨をかけている)。
そしてこの道は、地名としてはなくなってしまったが、ドヤ街の「山谷(さんや)」地区に続いている。その近辺の「泪橋(なみだばし)」交差点に向かって歩みを進める。泪橋や涙橋といった地名は、かつての刑場跡地の近くによくある地名で全国で見られる。処刑される罪人との別れで涙する場が由来になっていることは、想像に難くない。
泪橋と言っても、もはや川はなく暗渠になっていて、見た目は単なる交差点だ。ここで近辺エリアの地図が渡され、散策し住民などから成り立ちや現状などをリサーチしてくるようにミッションが伝えられる。
生徒たちは「ドヤ街(※)」や「日雇い労働者」「簡易宿泊所」「出稼ぎ」なんていうキーワードは、理解していない。耳にしたことはあっても、実際に目にしたことはないだろう。そのせいか、散策してもあまりピンとこないようだ。
ヒントは、ボクシングマンガのヒーローの存在、安過ぎる旅館が密集、たばこの自販機が妙に多い、コインロッカーやクリーニング店が多い、林立する慈善団体や市民団体の施設、行き交うのは高齢男性ばかり、などとかなり濃厚な特徴が感じられるのだが、いわゆるスラム街とは違って、新しいマンションなども混在してきていることもあり、ほかの街との区別がなかなかつかないよう。商店街の古い薬店の店主にお話をうかがい、ようやくこの地区の成り立ち、高度経済成長期の様子を具体的に聞き、少し納得したようだった。
※ドヤ街はヤド(宿)の逆さ言葉で、日雇い労働者向けの簡易宿泊所(旅館業法では簡易宿所。宿泊する場所を多数人で共用する構造の宿泊施設)が集まるエリアを示している。その日暮らしの人が多くいるが、高度経済成長期やバブル期の日当は意外と高額だったりする。この記事の東京山谷以外に、大阪西成(あいりん)や横浜寿町が有名だ。
最終的に集合し、調査したことを皆で共有したが、あとは各自の想像力や、後ほど深く調べてみる作業に任せて、現地では深く追求することまではしない。こういったエリアの片鱗を実際に見聞きすることまでにとどめ、興味の扉を開くかどうかは委ねられる。
実際ドヤ街の存在はそんなに昔の話でもない。バブル末期の1990年代前半までは、日雇い仕事をあっせんする寄せ場の近くに並んだバンとともに、全国各地でよく見かける光景だった。刑場とは異なり、世界各地に労働者がたむろするエリアは現存する。興味が沸いたら、実際に訪ねてみればいい。山谷地区とは違った刺激を得られるはず。何年も経ったあとでもいい、既存教育ではない、個人の気持ちを揺さぶる影響を与えることが目的になっている。
北海道の中心・旭川から最北端・稚内への鈍行旅
この日は、飛行機で旭川に向かい、駅前のホテルに泊まった。翌日の朝は早い。宗谷本線6時3分発の各駅停車の気動車に乗って、最北の駅・稚内を目指す。特急なら3時間42分で行けるが、各駅停車だと6時間4分かかる。到着は昼頃だ。生徒たちはどう感じたか分からないが、ジックリと鈍行列車の旅での長時間の移動を堪能してもらおうというわけだ。しかも途中の音威子府(おといねっぷ)駅では、特注の駅弁(通常は販売されていない)を予約済みだったりする。
旭川発の2両編成キハ54形は、夏休み中ということもあり鉄道ファンが多く乗り合わせている。しかも名寄より先に行くのは1両のみだ。我々もそうだが、ほとんどの乗客がこの1両に集中している。宗谷本線は名寄から北の多くの駅が廃止されるため、ファンが訪れているのだろう。このキハ54形はJRに民営化される前の車両で、ボックスシートとロングシートが混在しているめずらしい座席パターン。生徒たちは、ロングシートにまとまって座った。
冷房はなく、窓を開けて扇風機を回すのが涼をとる手段。旭川の街を抜ければ、すぐにむせるような牧草と自然の匂いが車内を駆け抜ける。この夏は、北海道とはいえ、かなりの暑さで長時間はこたえる。単線なので、ときどき駅で長めに停車すると車内は暑い。生徒たちはこういった電車通過待ちの状況がめずらしいようで、ホームに出て待ち時間を思い思いに楽しんでいるようだった。
こうして列車でゆっくりと長い時間を肌で感じながら移動することは、あとから考えれば贅沢な時間の使い方で、その間に体験することは貴重な経験として記憶に残る。道中には思わぬ出会いがあり、知らない人でも一緒の空間にいると、なぜか仲よくなれてしまうものだ。今回はたった6時間、生徒たちは退屈な移動と感じているかもしれないが、はたから見れば急速に親密度を増しているのが分かる。
異質な盲目の旅人と生徒の出会い
天塩川温泉駅に停車すると、ひとり大きなザックを担いだ盲目の旅人が乗ってきた。白杖をつきながら周囲を触って確認しながら歩を進めていくので、否が応でも目立つ。生徒が座っているロングシートは優先席ということもあり、率先して誘導するという気づかいまでにはいたらないが、気がついて席を譲った。鉄道に乗るのが好きで、時間があればひとり各地を旅しているとのこと。
隣になった生徒と自己紹介など軽く会話をするが、周囲の生徒もどう接していいのか困惑気味の様子で会話はあまり続かない様子。今まで生徒たちがグループとして親密度が上がっていた分、異質な人が放り込まれ、ちょっとしらけた雰囲気になった。
ときどき、盲目で生活に不便なことなどの会話をする。例えば、白杖は折りたたみ式、腕時計はアナログでガラス部がフタにように開いて、針に触れて確認できる触読式を使い、スマホはスクリーンリーダーの音声案内(※)で器用に操る。驚いたのは、一度会話した生徒の名前を声だけで、恐ろしく正確に判別できること。
※スマートフォンには、視覚障害者向けの機能が標準搭載されている。発声される音や声を聞きながら、操作することができる仕組みになっている。iOSでは「VoiceOver」、Androidでは「TalkBack」という機能をオンにすることで利用可能になる。
実はこの盲目の旅人は、スタッフがあらかじめ仕込んだ登場人物。東京大学先端科学技術研究センター バリアフリー分野 特任研究員 大河内直之さん。視覚障害者はもとより盲ろう者(視覚と聴覚の双方に障害)の支援技術、バリアフリー化といった研究を行なっていて、メディアに出演する機会も多い人物。
大河内さんは、とても会話好きで明るく受け答えしてくれるのだが、生徒たちからどんどん声をかけていくという会話ではなく、少し距離を感じる。障害者の人と交流する経験が少ないようで、どう接していいのか分かりかねている様子でもある。後にネタバレはするが、ここからしばらくは盲目の旅人と生徒がどう接していくかを見届ける。
音威子府駅では、予約を入れていた特製の駅弁が生徒たちに振る舞われた。また、雄信内(おのっぷない)駅で東大先端研 客員研究員/料理研究家の土井善晴さんが合流する。生徒たちは、土井さんをちゃんと知っている人も数名いたが、なんとなく有名人かなというおぼろげな反応ではある。「ほら、よく料理番組に出てる人だよ!」と言われて、「あ~確かに」と気がつく。
話題豊富な土井さんとの会話は途切れず、みんなで一緒に駅弁を食べながら談笑しながら進む。頭脳明晰な生徒とは、料理と化学の話題で弾み、熱心に激論していたりもした。
生徒たちは稚内駅に着いたあと、宗谷岬にバスで向かう予定が告げられている。大河内さんは「このあと宗谷岬から礼文島に向かってみようと思う」と言っているのだが、「一緒に岬まで」と声をかけることはなかった。歩くときに肩を貸してはあげてはいるのだが、もう一歩踏み込むことに躊躇するのか、プログラム行程に気をつかっているのか。
稚内駅から宗谷岬までは、バスの本数が少ないのでチャーターしておいたバスを使って移動する。道中バスは気を利かせてくれて、宗谷丘陵のなかにある細い道を通ってくれたのだが、生徒たちはあまり景色に興味はない様子。
宗谷岬に到着すると、そこには中邑氏と大河内さんの姿がある。「みんな冷たいなぁ。同じ行き先なんだから、船までのバスに乗せてってあげなよ」と大河内さんを生徒に託す。
旅先で出会った人と行き先が同じなら「一緒に巡ってみません?」と声をかけてみる、そういう他人のプライベートに突っ込むなれなれしさのような行動は、けっこう勇気がいるものだ。だけども、そのちょっとした声かけが、人生を分けるターニングポイントになることだってある。
北限の離島で鮮やかなポルシェと出会う
稚内港に着くと、「利尻島と礼文島のどっち行こうか」と言う中邑氏。「どっちがいいだろう」と面食らう生徒たち。「いろいろ楽しかったです。お弁当までいただきありがとうございました!」とここで別れようとする大河内さん。紆余曲折ありつつ、北側にある礼文島行きの船に大河内さんとともに乗り込むことになる。
礼文島に着くと、鮮やかなシャークブルーのポルシェ「911GT3」とカーマインレッドのポルシェ「タイカンGTS」が待ち受けていて、出口で一同は驚く。
港から夕日がきれいな丘の桃台猫台展望台まで、ジャンケンに勝った生徒はポルシェに同乗体験できる。ポルシェはしばし島内にあるので、生徒たちが触れる機会を設けているのだ。島内ではさほど速度は出せないが、それでも加速時のスタートダッシュの力強さは体感できる。丘まで短い距離を乗っただけだが、口々に「加速がスゴイ」とか「宇宙船みたいで気持ちイイ」という言葉が出た。精密感高い作りのスポーツカーというのは、低速域でも体験するとよさはすぐに分かるものなのだ。
その後、桃台猫台展望台からさらに近くの海岸まで走り、ここで海岸線に落ちる夕日を眺めることになった。生徒たちは、時間を忘れて楽しんでいた。
島にあるのは最高のガソリンエンジン車と電気自動車
ポルシェ「911GT3」は、4リッター水平対向6気筒自然吸気ガソリンエンジンをリアに積むスポーツカー。ポルシェの基本・原点と言えば、このリアエンジン+リアドライブの911だ。
一方、ポルシェ「タイカンGTS」はバッテリーとモーターで動作する高性能BEV。GTSは円熟した1つの完成形と言えるグレードとなっており、1回の充電での航続可能距離は504km(WLTPモード)。
ちなみに礼文・利尻島含め、EVを急速充電できる場所はない。ここから後半の記事を含め、島内で体験するポルシェはすべてこの2台となる。今回のプログラム用に、ポルシェジャパンが最高のガソリンエンジン車と電気自動車を都内から礼文島まで持ってきている。
宿泊先の夕食時には、明日体験作業でお世話になる、礼文島在住の岡本さん、齊藤さん、三浦さんが紹介された。ウニや昆布漁を中心に仕事をしていて、その手伝いを体験することになっている。中邑氏から「明日は漁師の手伝いをする」と聞かされると、生徒たちは「船に乗りたい!」と声が出ていたが、実際にどのような作業ができるかは、天候次第で班分けでも変わってくる。明日にならないと分からない出たとこ勝負になる。
ウニと昆布漁が基本だが、岡本さんチームはホッケ漁などにも使う大きめの船があり、齊藤さんはハーブ園もあり、三浦さんは島の素材を活かした海に優しい雑貨店を経営していて、みな漁をベースにしつつ、仕事は画一的ではなくバリエーションがある。多くの生徒たちにとっては、オフィスワーカー以外にこのような自由な職業で、日によって最適な違う作業をするというのが、なかなか想像しにくいようだ。