旅レポ
福島第一原発周辺の現状を体験してきた。視察ツアー検討や夜ノ森駅の桜まつり全面開催など今後の展望も
「JATAの道プロジェクト」
2022年3月31日 06:00
JATA(日本旅行業協会)は、東北地方太平洋沿岸地域の長距離の自然歩道「みちのく潮風トレイル」を活用した 東北復興支援活動「JATAの道プロジェクト」の総括を2日間にわたって行なった。
1日目は閖上エリアのトレイル体験と名取トレイルセンターへの訪問、みちのく潮風トレイルを活用した取り組みなどを発表するシンポジウムを行なった。
2日目は福島第一原子力発電所近辺の視察と福島第一原子力発電所についての説明会、帰還困難区域に指定されている富岡町の方が事故があった過去から現在までの過程、そしてこれからについて説明した。
原子力災害を伝える東日本大震災・原子力災害伝承館
最初の目的地は津波や原子力災害を未来に伝える「東日本大震災・原子力災害伝承館」で、双葉郡双葉町に2020年9月20日にオープンした。福島第一原子力発電所からは直線距離で3kmほどの距離にある。
双葉町も大熊町や浪江町と同じく帰還困難区域がいまだに多く残されているが、放射線量が少ないエリアは復興への道を歩み始めている。2015年に常磐自動車道が全線開通したのを皮切りに、2020年3月7日には「常磐双葉IC」も設置された。鉄道では、2020年3月14日にJR常磐線が全線で運転を再開している。近隣は移動制限されてはいないので、双葉駅からは徒歩で20分ほど歩いても行ける。
入館料は大人が600円、小中高生が300円(学校教育に基づく申請があれば無料)となっている。
見学の流れとしては、1階から2階にかけて設置されているシアターで当時の状況を視聴したあと、2階の常設展示室を見て回る。常設されている展示物には「災害の始まり」「原子力発電所事故直後の対応」「県民の想い」「長期化する原子力災害の影響」「復興への挑戦」があり、それぞれが使用された実物や詳細に説明されたボードが掲げられており、改めて事故の重大さと津波の怖さを知ることができる。
国道6号線から見る福島第一原発のタンク群
本来の日程では東日本大震災・原子力災害伝承館を見学したあとは、福島第一原子力発電所の構内に入ってALPS処理水について視察する予定だったが、新型コロナが蔓延している状況下のため中止となった。
そのため、経済産業省の関係者によるALPS処理水についての説明を聞くために、富岡町のホテルまで移動した。その際、幹線道路である6号線からALPS処理水を貯蔵したタンク群が見えるとのことで、バス内からそれらを見ることになった。
林の切れ間から数秒間だけその姿を現わすのだが、遠目に見てもズラリと並ぶ異様な光景はなんとも形容しがたいものがある。また、双葉町から富岡町までの6号線沿いは帰宅困難区域に指定されている場所が多いことから、被災当時そのままに廃屋になってしまった商店や住居も数多く残されているのが印象的だった。
バスガイドさんの話によれば、以前は通行が認められていたのは四輪車のみで、窓を閉めてすみやかに通過するように指導されていたそうだ。現在は自動二輪車や原動機付自転車の通行もOKとなっているが、自転車や徒歩は不可となっているエリア(一部例外あり)がまだまだ残されている。
一般の視察受け入れを検討している福島第一原子力発電所
午後からは富岡町に場所を移して、ALPS処理水や福島第一原子力発電所の視察受け入れに対する説明会が開かれた。
経済産業省からは資源エネルギー庁で汚染水対策官を務める木野正登氏が出席した。2011年3月11日に起きた東日本大震災では、津波により電源設備が損傷。その結果、原子炉を冷却することができずに水素爆発を起こし、1号機、3号機、4号機の建屋が損傷し、運転中であった1号機と2号機と3号機では炉心溶融が起こったことを冒頭に説明した。
そのなかで「廃炉とはリスクを下げていく取り組み」であり、計画では2051年までに使用済み核燃料の安全な場所での保管、核燃料デブリの回収、汚染水対策を行なう予定だ。水素爆発で建屋が骨組だけになった映像に誰もがショックを受けたが、現在はカバーで覆われたり新しく壁やクレーンを取り付けるなどして見た目も変わりつつあることを報告した。
2022年度中には2号機から核燃料デブリの回収に取り掛かる予定だが、実際は安全性や作業工程を見直しながら進めるため、回収は数グラム程度になるだろうと予想している。1号機、2号機、3号機の格納容器内に残されている核燃料デブリは880トンに上ると見られ、まだまだ時間がかかる作業になるとのことだ。
そのようななかでも大量の熱を発する核燃料やデブリは冷却する必要があり、今なお冷却水を用いて温度管理を徹底しているが、震災や水素爆発による設備の損傷により雨水や地下水が侵入することとなり、放射線を帯びた汚染水が日に日に増えている状況だ。2021年9月にJATAが行なった「福島の復興と被災地域の観光促進」勉強会においても説明されたが、1日に140トンの汚染水が増えていることもあり、敷地内にところ狭しと建設された1070基ほどのタンクも空き容量がわずかで、喫緊の課題になっている。
次に、福島第一原子力発電所の視察の受け入れについても説明した。
2015年から核物質防護上のセキュリティ確保(事前に参加者名簿の提出、当日のチェック)、現場での作業を第一優先としつつ、構内への視察の受け入れを実施している。しかし、誰もが入れるわけではなく、福島県内の住民を対象とした福島第一原発の視察・座談会と、東京電力の利害関係団体(漁業組合など)に限定されている。
視察は1班あたり40人(コロナ禍では20人に制限)とし、平日は最大5班まで、土曜は2班までとなっている。参加者は専用バスで構内を移動し、処理水エリア、多核種除去設備(Advanced Liquid Processing System:ALPS)、1~4号機を見渡せる高台などへ案内され、構内を自分の目で見て体験するというものだ。
現在、除染作業が進んだおかげで、防護服や全面マスクの着用を必要としないエリアは構内の96%まで拡大しており、参加者は一般的な服装(マスクと手袋の着用は必須)で見学できる。ALPS処理施設では、ALPS処理水が入ったペットボトルを手に持つこともできる。現在のところ、前述したように限られた人しか受け入れていないが、今後は旅行業者が企画する視察ツアー向けにも門戸を開くことを検討しており、その際は「交流人口の拡大で風評被害を払拭してもらえるよう、皆さまにお力添えいただきたい」と述べた。
語り部が富岡町の今を伝える復興への厳しい現実
福島第一原子力発電所に近い場所としては富岡町もある。その富岡町の昔と今を語り継ぐのが「富岡町3・11を語る会」で、語り部として活動を続けている渡辺好氏が登壇した。
震災当時の富岡町は1万6000人ほどが住んでおり、1967年に福島第一原子力発電所の1号機が着工する前は1万2000人ほどだったので、原子力発電所の発展とともに人口が増えてきた町であることを冒頭に説明した。震災を経て現在の人口は1万2000人ほどになってしまい、富岡町に実際に住んでいる人はそのなかでも1800人ほどで、ほとんどが復興や廃炉関係の産業従事者であるとのことだ。
渡辺氏も現在は避難先である郡山市に住んでおり、福島県のほかの地域に避難している人は7000人ほどおり、ほとんどの人が富岡町に戻ってきていない状況であるという。原子力以外の地場産業としては、古くから農林水産業の町であったが、農業はいまだに放置されている圃場も多く、林業は試験的に里山の除染を始めているが課題は多く進まず、漁業は風評被害に悩まされている厳しい現実があるとのこと。
そのようななかでも、明るい話題が少しずつ聞かれるようになったことも紹介した。現在、富岡町の帰還困難区域はJR夜ノ森駅周辺の約1割ほどだが、震災前は人口の3割が居住する栄えている場所でもあった。2022年1月26日には区域内の特定復興再生拠点区域(復興拠点)として立ち入り規制が緩和され、バリケードも撤去されていったそうだ。
今後は試験的に準備宿泊(自宅の修繕や庭の手入れなど)を許可し、町の再生につなげていきたい行政の考えを説明した。また、夜ノ森は桜並木の名所としても有名で、今年は全面開催で桜祭りが復活するそうだ。従来までは許可を得てバスで通り抜けるだけといったシーズンや一部だけの開放だったのが緩和され、「少しずつですが、楽しみも増えてきました」と渡辺氏は話してくれた。