旅レポ
米国は入国15分、日本は待機所まで8時間。落差に驚いたコロナ禍の日米入国事情
2022年1月24日 12:15
年始に米国ラスベガスで行なわれる世界最大のデジタル家電関連の展示会「CES 2022」に参加するため、筆者は渡米し、1月中旬に帰国した。実は海外の取材に行くのは2020年のCESに参加して以来、約2年ぶりで、コロナ禍になってからは初めての海外渡航と帰国を経験した。そこで、米国での入国やコロナ禍での米国での生活、そして帰国しての空港での検疫体制など、普段の海外渡航ではなかなか体験できない体験をしてきたのでその模様をお伝えしたい。
なお、本記事はあくまでコロナ禍が終わった時に、コロナ禍における海外渡航がどんな形だったのかということを「記録」として残す目的での記事となるので、今現在でもコロナ禍で意見が分かれるところである新型コロナへの政策に対して何かを言ったりするつもりは一切ないので、できるだけ第三者的な目線でどうだったのかをお伝えしていきたいと考えている。
結論から言えば、米国への入国プロセスはわずか15分で終わり、日本では待機所の部屋に入るまで8時間以上という、その時間の落差に驚かされたというのが正直な感想だ。
ワンワールド系の米国へのフライトへは「VeriFLY」というアプリを使うと申告などがデジタルで完結
米国への渡航だが、筆者が米国に渡航した2022年1月1日時点での通常に付け加えられている条件は、米国政府への宣誓書の提出、カレンダーでフライトの1日前に検査して取得したPCR検査で陰性となった証明書(診断書)、ワクチン接種証明書(地方自治体が発行する紙ないしはデジタル庁のアプリによるデジタル)が必要という3点だけだった。
現在多くの国際線で課せられているPCR検査陰性証明書は、フライトの24時間前、72時間前に行ったPCR検査で陰性であるという証明書が必要になるというのが一般的だ。しかし、米国の場合にはカレンダーで1日前という条件になっており、筆者のように2022年の1月1日のフライトは、12月31日の午前0時~1月1日のフライトの搭乗に間に合う時間に検査した結果が必要になるということになる(いずれも時間はフライト出発地の時間)。
このため、12月31日にも営業していて、検査結果を当日ないしは翌日の午前中には受け取れるPCR検査の病院を検索し、12月31日に検査を行ない、結果を1月1日の午前中に渡してくれる病院で検査を受け、翌日無事陰性の証明書を受け取ることができた。料金は2万円で、そこにさらに5000円を上乗せすると当日中に証明書を受け取ることができるとなっていた。筆者のフライトは18時だったため、フライト日の午前中にもらえれば十分だと判断したため、翌日渡しで申し込んでおき、無事受け取ることができた。
この証明書は直接紙を空港のチェックインカウンターで見せることも可能だし、筆者が渡米に利用したアメリカン航空、そして同じワンワールドアライアンスに所属するJAL(日本航空)の場合にはVeriFLY(ベリフライ)というオンラインアプリを利用して、書類をデジタル化してアップロードし、それをVeriFLYの担当者が雲の向こう側でチェックし、その審査を通ると、デジタル書類と同じ扱いをしてもらえるという仕組みになっている。
・新型コロナウイルス感染症関連デジタル証明書アプリ「VeriFLY」について(JAL)
実際、VeriFLYを利用してワクチン接種の証明書、PCR検査の陰性証明書という2つの書類を提出してみた。最初に提出したのはワクチン証明書のアップロードで、デジタル庁のワクチン接種証明書アプリでQRコードを表示させて読み込ませたのだが、1つは認識もしてくれず、もう1つは認識はしてくれたのだが「解読できない形式」と言われてしまい、いずれも読み込むことができなかった。このデジタルの接種証明書アプリ自体が12月20日にリリースされたばかりで、VeriFLY側が対応していないのだろうと考えて、地方自治体から発行されている紙の証明書をアプリの指示通り写真でとって送ったところ、時間はかかった(1時間ぐらい)が、認証されて無事手続きは完了した。その次には同じようにPCR検査の陰性証明書をアップロードし、こちらは4時間ぐらいかかって認証された。
VeriFLYアプリでの手続きが完了すると、グリーンのマークが表示され、これですべての手続きは準備完了。すべてがオンラインで完結し、その後は普通にアメリカン航空のWebサイトでオンラインチェックインを完了することができた。こういうすべてをオンラインで完結できるユーザー体験を提供するというのはさすが米国、素晴らしいなぁと正直言って感心したことを覚えている。
空港でのチェックインもVeriFLYアプリで事前に申告を済ませておくと非常に早く終わる
VeriFLYアプリでの手続き完了後にチェックインしておくと、ボーディングパスなども発行されるが、空港に到着後、もちろん通常のようにパスポートチェックがあるし、VeriFLYアプリのグリーンマークの確認が行なわれるので、いつでも出せるように準備しておくといいだろう。なお、アメリカン航空にはVeriFLYで手続きが終わっている搭乗者専用のラインも用意されており、VeriFLYの利用者を優遇するという仕組みにもなっていた。
この日のアメリカン航空の成田発米国行きのフライトは筆者が乗ったダラス・フォートワース行きの1便のみ。そうしたことも影響しているのか、以前はあったアメリカン航空自社ラウンジは閉鎖されていて、ワンワールドの上級会員である筆者はJALのラウンジを使うようにカウンターで指示された。JALのラウンジは、従来ファーストクラスラウンジとして運営されていたラウンジだけが営業しており、そこをフライトまでに利用することができた。
コロナ禍になってから初めて国際線のラウンジを利用したが、JALのラウンジの名物といってよいビーフカレーなどはもちろん用意されていた。ただ、以前と大きく違っていたのは自分で料理を取り行くいわゆる「ビュッフェ形式」ではなくなっており、スマートフォン用の専用アプリをダウンロードして、そこから注文する形式になっていた。また、今回は利用しなかったがシャワー利用もそちらのアプリから予約する仕組みになっているようだ。こういうご時世でも、感染症対策を行ないながら、デジタルの力をうまく活用してラウンジを運営している航空会社の皆さんの努力には心から頭が下がる。
この日は1月1日の元旦ということもあって、おせちなどのスペシャルメニューもあり、おいしいお食事を堪能させていただいているとあっという間にフライトの時間。一路ダラス・フォートワースへ。
米国の入国はコロナ前と何一つ変化なし、特に特別な検疫などもなし
久しぶりの国際線搭乗だったが、エコノミークラスだがバルクヘッド席(壁の前など前の席がなく足元が広い席のこと)を指定することができ、機内ではとても快適に過ごすことができた。機内の混み具合だが、3列シートに1人という列も結構あるなという程度の搭乗率で、おそらくエコノミーは半分ぐらいというところだろうか。そんなフライトも、あまり寝ないで乗ったことも影響して、ずっと寝ていることであっという間にダラスに到着した。
ダラス・フォートワース空港は、アメリカン航空の本社がある空港で、まさに本拠地という名にふさわしいアメリカン航空の飛行機だらけの空港だ。最終目的地のラスベガスにはやや行きすぎて戻ってくる形になるが、ここの入国審査や税関はいつも優秀で、非常に短い待ち時間で入国させてもらえるので、コロナ禍になる前はよく使っていた。確か2020年にラスベガスに行ったときもダラス・フォートワース経由で行った記憶がある。
さて、コロナ禍の米国入国どうなるのか、厳しいチェックとかあるのかと身構えて入国審査に臨んだのだが、聞かれたことはいつもと同じで「何しに米国に来たのか?」と聞かれて「コンベンションに参加しに来た」と答えたら、そのままオッケーと言われて通してもらえた。あとは、税関の前に荷物を一度受け取って税関を通過したあとで預け直すという、いつもの米国の入国審査、税関検査だった。特にスペシャルなことは何もないし、PCR検査とかそういうことは何もなかった。本当に通常の米国の入国プロセスだった。降機してから空港の到着ロビーに着くまで、その時間はわずかに15分だった。
あとは、やはりいつもと同じように荷物検査を受けて、国内線の制限エリアに入れば、そこにはいつもの通りの米国の空港そのものだった。ただし、以前との大きな違いは、そこにいる旅行者が全員マスクをしている、それだけだ。コロナ禍になる前の米国では、率直にいってマスクをしている人は誰もいなかった。逆にマスクをしていると、「変な病気にでもかかっているのか?」という目で見られるので、日本ではマスクをしていた人も米国ではマスクはできない、それが我々日本からの旅行者の常識だった。
だが、その常識はコロナ禍で180度覆ったようで、少なくとも空港にいる人は誰もがマスクをしていた。航空会社や空港がそれを要求しているからということだと思うが、本当以前を知る人が今米国にいくと本当にその違いに驚くことになるだろう(少なくとも筆者は驚いた)。
街中はコロナ前とあまり変わっていなかったが、屋内ではマスク着用を徹底
ラスベガスに到着しても、空港でも、そして宿泊先のホテルについても多くの人はマスクをしたままだった。特にホテルでは、マスクの替えが無料で配布されており、館内に入る人にはマスク着用を義務づけていたからだと思うが、皆がマスクをしていた。3年前にそんなラスベガスがあるといったら誰も信じてくれなかったと思うが、今はそれがリアルだ。また、Uberを利用して移動する場合にも、マスクの装着が義務づけられている。日本に住んでいる我々からすれば当たり前の話だが、以前の米国を知ってる身からすると本当天地がひっくり返ったようだ。
ただ、それもカジノホテルなどだけの話で、例えばちょっと郊外のレストランなどに行ったりすると、今度は逆に誰もマスクをしていなかったり、マスクもしないでゲホゲホ言ってる人が平気で席に座っていたりと、感染症対策が結構厳しく行なわれている日本でのレストランに慣れていると、自分はここに座っていて大丈夫なんだろうかという気持ちになったのは否定できない(結局は大丈夫だったので気にしすぎな訳だが……)。このあたりは郷に入れば郷に従えで、さっと食事を終わらせてお店を出るようにした、自分の身を守るのは自分自身というのは、日本にいようが海外にいようが一緒だ。
なお、米国では筆者が入国する直前の12月29日(現地時間)には1日で48万人の陽性者が出たと話題になり、さぞ現地は混乱しているのだろうと思って行ってみたが、ハッキリ言って現地はコロナってなんですか?という雰囲気で、とても平穏だった。カジノにはお客さんが一杯いたし、レストランも人であふれていた。ただ1つだけの違いは既に述べたように建物の中ではみんながマスクをしている、それだけが大きな違いだった。
もっともアメリカも州によって全然違うので、そうした様子はネバダ州だけかもしれず、他の州に行ってみるとまた様相は違うのかもしれない。
帰国に向けたダンジョン、最大のハードルは日本政府フォーマットのPCR検査陰性証明書の入手
そんなこんなで取材も終え、帰国日が近づいてくると、今度は日本への帰国プロセスが始まる。率直に言ってその準備は一種のダンジョンのようだった。1つをこなすと、別の問題が浮上してくる的な……日本に帰国するフライトに乗るためにやっておかないといけないことは以下の2つだ。
(1)フライト72時間前のPCR検査で陰性である証明書
(2)厚生労働省の質問票Webへ回答し、回答後発行されるQRコードを入手すること
この2つは最低限満たさないと、そもそもフライトには乗せてもらえないので注意が必要だ。なお、行きは使えたVeriFLYアプリだが、筆者の帰りのフライトはアメリカン航空の便名がついたJALのロサンゼルス~成田便で、なぜかこの便は対象になっていないため、利用することはできない。なお、アメリカン航空の国内線からJALの国際線に乗り継ぐ場合も現状は利用できない。行きはとても便利だっただけに、帰りの便で利用できないのはとても残念だった。
(2)の質問票Webに答えるのはオンラインで完結するので非常に簡単で、特に難しいことはない。ただ1つ注意したいのは、QRコードが時間が経つと消えてしまう(Webサイトとの通信が切れると表示できなくなるから)ので、忘れずに画面キャプチャしておこう。空港ではその画面キャプチャーしたQRコードをみせるだけでオッケー。エアラインの職員が実際にアクセスできるかなどを確認したりはしなかった。
最大の難関は(1)のPCR検査の陰性証明書だ。というのも、厚生労働省の帰国時PCR検査陰性証明書に必要な要件の説明を読んでも、何が必要で、何が必要でないか、非常に難解だからだ。それを母国語ではない言語で説明するのはほぼ不可能に近いレベルだ。
最大の課題は日本政府指定のフォーマットに、医師の署名などを入れてもらう必要があり、かつ海外では一般的ではない「印影」(つまりははんこで押した朱肉の跡のこと、海外で使われる例はほとんどない)を押せとかなり無理な要求が入っているのだ。医師の署名までは理解できるのだが、印影は不可能に近く外国人には理解不能だろう。なお、Q&Aには「この他、医療機関・医師名、印影については、必ずしも各国で取得できない事情があることから、検疫官の判断により、有効な証明とみなすことがあります」と書かれており、印影はなくてもヨシとする場合があると曖昧な書き方で、印影がなくてもいいようなことは書いてある。正直これを読んで「印影は無くていい」と理解できる外国のお医者さまは何人ぐらいいるのだろうか……もう少し外国側の事情に判断した合理的な要求をお願いしたいところだ。
日本と韓国だけはスペシャル対応というPCR検査、日本政府フォーマットへの記入が求められる
このため、正直日本に帰る便に乗る場合には、日本フォーマットの文章作成に慣れたPCR検査場などにお願いするのがもっとも無難だ。なお、このPCR検査の書類は、日本では一瞬検疫検査官が見るものの、ほとんどスルーで通される。この書類を厳しく検査するのは、搭乗地のエアラインで、筆者の場合は乗り継ぎ地になるロサンゼルス空港でのJALの地上職員だった。その職員がオッケーと言えば乗れるし、これじゃダメですと突っ返されると乗れない、そういうスキームになっている。筆者の場合には、JALの職員が1項目ずつ色つきペンでマーカーを引いていき、書式が正しいかをチェックして、問題ないと判断されると日本行きのボーディングパスが発行された。
今回筆者はこのPCR検査をCESの主催者が無償で提供する参加者用PCR検査で行なった。検査は外部の業者に委託されており、その業者が行ない、結果はPDFの形式で、検査後24時間以内に送られてくる形になっている。CESの会期最終日だった日(元々4日間だった予定が3日間に変更されたため、実はその日はイベント終了の翌日)に会場の一部に設置されたPCR検査場に並びに行くと結構な人が並んでいた。一応予約した時間の15分前に来たのだが、そうした予約時間とかはあまり関係なさそうなので、そのまま列に並んだ。
並んでいると係の人が「日本と韓国に行く人は声をかけて」と言ってきたので、係の人に「日本に行くんだけど」というと、係の人は「日本へ行く人は特別な手順があるから看護師さんにその旨を伝えてくれ」と言われる。後ろに並んでいた韓国人の方も申し出るとやはり「韓国に行く人は特別な手順が……」と同じことを言われていた。その後ろの韓国の方に「普段は政治がいがみ合ってる日本と韓国だけどこういう時は仲良しだね」とアメリカンジョークをかますと結構ウケ、日韓友好に貢献できたと思う。まぁ、それはいいのだが、要するに日本と韓国は他の国よりも基準が厳しくて特別対応する必要があるのだと係の人は説明してくれた。
そして自分の検査の順番が回ってくると、パスポートの番号などが控えられたほか、検査のキットも他の人とは違うキットで行なわれた。それが何であるのかまではわからなかったが、鼻に綿棒のようなものを入れて検体を採取する「鼻咽頭ぬぐい液」という採取方法であることはわかった。
その検査終了後18時間ぐらいで、検査結果が送られてきた。最初に送られてきたのが他の国用と共通のフォーマットで日本と韓国以外では有効な書類になる。その後数時間後に日本政府フォーマットの向けの書類がPDF形式でメールにて送られてきた。
このPDF形式をそのまま持って行っても有効だと、厚生労働省が公開しているQ&Aには書かれていたのだが、念のため印刷して持って行くことにした。印刷にはホテルのビジネスセンターに置いてあったプリントマシン(日本のコンビニにあるようなコピー複合型プリンターのこと)で印刷して持って行ったところ、結局それで問題なく受け入れられた。
日本への機内では3つの書類に記入しておく、必要な書類は機内で配布される
それらをしてようやくボーディグパスを発行してもらい、成田行きの便に乗り込んだ。そして日本へ向かう機内で配られたのが3枚の書類だ。
(1)誓約書
(2)質問票
(3)健康カード
これらの3つの書類は、成田空港での検疫所で提出することになり、そのうち健康カードは最後に返却され、14日間(1月15日以降は10日間に短縮された)の待機期間中はキープしておくことになる。
誓約書は、厚生労働省のWebサイトでも公開されており誰でも閲覧することができる。機内で渡されるのはそのプリントアウトしたバージョンになる。
・検疫所が確保する宿泊施設での待機・誓約書の提出について(厚生労働省)
要するに決められた期間、待機施設や自宅で待機すること、アプリを利用して健康状態の報告をすること、位置情報を提供すること、保健所からの指示があればそれに従うことこと、3密回避などの感染対策を行なうことなどを誓約する形になる。この誓約書を出さない場合には、検疫所が確保する宿泊施設で14日間待機すると書かれており、誓約書に違反するとその氏名などが公開されるとされている。まずこの誓約書に必要事項を書いて署名する。
2番目の質問票はPCR検査で陰性になってその証明書をもっているか、スマートフォンのMySOSというアプリをインストールしているかなどが聞かれる。これも帰国時に要求されていることなので、どちらも「はい」と答えておけば完了。
・検疫法第12条の規定に基づく質問(厚生労働省、PDF形式)
3つめの健康カードは過去14日に健康を崩していないかなどに関する質問に答え、もう1つ待機場所が自宅になるか、待機所での待機になるかの分かれ目となる過去14日間に滞在していた地域を申告することになる。筆者の場合はCESの開催地であったラスベガスからの帰国となるので、米国ネバダ州に滞在と申告することになる。
今回のフライトはカリフォルニア州のロサンゼルスで乗り換えになるし、行きはテキサス州であるダラス・フォートワース空港で入国しているので、カリフォルニアとテキサス州には滞在したことにならないのかという指摘が来そうだが、飛行機の乗り継ぎだけで空港にいたところは滞在としないのがルールだ。このため、今回筆者はネバダ州のみに滞在ということになり、3日間の待機という決定になった(念のため係官に乗り継ぎでこことここの空港に行きましたと申告したが、それは滞在にはならないと言われた)。
ゲート到着から、3日間待機の待機所の部屋に入るまで8時間以上かかった
16:45 ゲート到着
そうした書類を準備していると、フライトは成田に到着し、16時45分ごろにゲートに到着した。しかし、以前とは異なり、到着したからすぐに飛行機から降りられると言うことはなく、検疫の準備が整うまでは機内待機となる。この時に、国際線に乗り継ぎの乗客は先に降ろされ、飛行機を降りていった。言うまでもなくそうした乗客は日本に入国しないので、検疫の必要がないためだ。
17:05 降機許可、降機
ゲート到着から20分後にようやく降機の許可が出て飛行機から降りることができた。出たところで、係の人が「ミリタリー、ソーファー」と呼びかけている。ミリタリーというのは英語で軍人さんのことで、この場合は米軍の軍属ということだろう。ソーファーとはSOFAのことで軍属の関係者という意味になり、要するに米軍人の家族などになる。要するにアメリカ軍の関係者が先に呼ばれ、列の先頭に並ぶ形になった。どこの国であろうと、軍属が優先されるのは当然のプロトコルで、特に米国軍は同盟国の軍隊なのだから、気持ちよく前に並んでもらう。
そうして列を作ってから、係の人に引き連れられて検疫へ移動する。到着したゲートは第2ターミナルの本館側だったのだが、係の人はサテライト側のブリッジへ向かう。どうやらサテライト側に検疫所が設けられているようだ。そのサテライト側の検疫所に椅子が並べられた即席の待合室が用意されており、そこに17時半に到着した。
17:30 検疫所で待機
そこでは係の人が書類に記入漏れがないかなどをチェックするなどして、検疫の順番が回ってくるのを待つことになる。結局筆者の乗ったフライトの検疫が始まったのは18時20分、検疫所に到着してから既に50分が経過していた。そこで筆者と同じフライトに乗っていた軍属の人を除く日本への入国者は数えてみたら20人しかいなかった。ボーイング 777のような数百人が乗れる飛行機でわずか20人だ。これがほぼ鎖国といってよいような日本の厳しい国境封鎖の状態を示した数字ということか。
18:20 検疫審査開始
検疫の順番が回ってくると、先ほど記入した検疫の書類を検疫官がチェックする。PCR検査の陰性証明書は提出するのかと思いきや、検疫官が一見しただけで戻された。要するに、PCR検査の陰性証明書は飛行機に乗る人をふるい落とすための書類であって、日本に帰国した日本人には意味がある書類ではないということなのだろう、ちょっと拍子抜けだ。
その時に検疫官に滞在地など厳しく聞かれるだろうと思って、Google Mapsの履歴などをすぐに出せるように準備していたのだが、滞在地を聞かれただけで、特に根掘り葉掘り聞かれるでもなく、空港以外はネバダ州だけに滞在していましたと自己申告したらそれで終わりだった。確かに1人1人調べていたら時間もかかるし、現実的ではないだろう。
18:30 抗原定量検査
検疫官の調査が終わり書類を提出すると、次は抗原定量検査になる。これは唾液の採取による抗原定量検査で、用意されている容器の中に唾液を入れれば終了だ。なお、検査前30分間に飲食をしてしまった場合には正しい検査結果がでないため、鼻に綿棒を入れる形の鼻咽頭ぬぐい液の採取方法になる。痛いのが嫌な人はこの検査30分前からは飲食しないようにしたい。
18:40 MySOSアプリの設定確認
待機所での待機、自宅での待機期間中に、健康状態の申告や居場所確認などに利用するMySOSアプリが正しく自分のスマートフォンに導入され、設定などが完了しているかを確認する。このMySOSアプリがインストールされていないと、ここのプロセスが完了せず、いつまでもここでひっかかることになる。筆者はあらかじめインストールしておいたので、設定などをちょっとするだけであっという間に通過できた。その間に何組か抜いていたので、できるだけアプリは外国にいる間にインストールぐらいは終えておいた方がスムーズに通過できる。
19:00 質問票の確認
日本行きのフライトに乗る前に作成しておいた質問票WebのQRコードを係の人が読み込み、飛行機の座席などの確認が行なわれる。筆者は乗り継ぎ地のロサンゼルスで、日本行きのフライトの座席位置を変更していたため、そのことをここで申告する。ボーディングパスをみせて、係の人がその情報を修正する。なお、ここで座席を申告するのは、機内にいた他の人が抗原定量検査で陽性になった場合、濃厚接触者として認定されるためだ。こればかりは誰が悪いわけではなく、運が悪いだけなので、そうなってしまった場合には検査などに協力することになるが、今回は特に連絡はなかったのでそういうことはなかったようだ。
19:05 検疫プロセス完了し、抗原定量検査の結果と待機所の割り当て待ちに
先ほどの座席の申告などで、検疫のプロセスは完了し、あとは抗原定量検査の結果を待ちつつ、待機所へ向かうバスの割り当てを待つことになる。待機所は、サテライトと本館をつなぐブリッジ上に並べられている椅子で、そこにアルファベットでエリア(AとかBとか)が指定され、さらにその中に椅子の番号がつけられている。なお、ようやくこのエリアでは飲食が可能になっており、「黙食」という会話がなければ飲食ができるような表示がされている。
というのも、待ち時間が相当長くなっているため、途中で検疫所から菓子パン、おにぎりと水などの差し入れがあるからだ。逆に言うと、それまでは何も出てこないので、お腹が空いても、喉が渇いても我慢するしかない。筆者はそれを聞いていたので、米国で飛行機に乗る前にチョコレートや水など日本に持ち込んでも問題のないお菓子や飲み物を買っておき、小腹を満たしたりしたので特に問題はなかったが、それに気がつかなかった人はちょっと苦しい思いをしたかもしれない。
21:25 菓子パン、おにぎり、水などの差し入れ
実際に、菓子パンなどが差し入れられたのは、19時過ぎに待機を開始してから2時間半近くが経過した21時25分だった。それまでやや暗い待機所でどんよりとした気持ちで待機していたので、大人は疲れ果て、子供はハイテンションで騒ぐというちょっとしたカオスになっていたので、その差し入れでだいぶ雰囲気はよくなった。
22:30 番号が呼ばれる
待機を開始してから3時間半、ようやく呼び出しがかかる。ここからはパスポート裏に貼られている番号で呼ばれる。なんだか番号で呼ばれるとか囚人みたいだが、確かに名前で呼ぶのもプライバシー的にどうなのということもありそうした仕組みになっているのだろう。人生でそうなった経験はなかったので、ある意味よい経験だ。
番号が呼ばれると、次のプロセスへと移る。まず、抗原定量検査の結果が通知され、筆者は無事陰性だったと告げられ、陰性証明書が手渡される。そこから次のプロセスとしては入国審査、そして預け入れ手荷物を受け取ってからの税関申告となる。通常であれば入国審査は、顔認証や指紋認証などの機械でやることになるが、今は陰性証明書を入国審査官が確認した上で入国を許可する形になるため、入国審査官が1人1人確認する。筆者はいつも入国も出国も機械を使用していたため、帰国というはんこを押されたのは記憶にないぐらい前になる(パスポートの記録を見たら2015年以来だった)。
22:40 税関通過して、到着ロビー、バスで待機所へ
税関で申告書を提出して税関検査が終わると、到着ロビーへ出てくる。通常の入国であれば、ここで晴れて解放され、あとは電車に乗って自宅に帰るだけだが、この筆者が帰国した時点ではネバダ州滞在から帰国した場合には、検疫所が用意する待機所で3日間の待機を事実上の強制されることになっており、そのままバスに乗って検疫所が用意する待機所へ向かうことになる。到着ロビーに到着後、結局40分ぐらい経ってようやくバスに乗れ、待機所へ向かう。
24:40 待機所へ到着
最終的に待機所についたのは、日付が変わった後の24時40分。筆者が連れて行かれた待機所は、埼玉県の和光市にある税務大学校 和光寮というところで、ここで3日間の待機になった。入所の手続きを終えて部屋に入ったのは25時過ぎ。飛行機がゲートに到着してから8時間以上かかった計算になる(思い出して欲しいが、米国での入国のプロセスはわずかに15分だった……)。
なお、3日間の待機の様子は別途僚誌PC Watchにレポートしているので、ぜひそちらもお読みいただければ幸いだ。