旅レポ

運航休止が迫る宇高航路に乗ってみた。高松育ちの記者が見た現状と再開への期待

運航休止が決まった宇高航路に乗ってきました

 2019年11月11日、個人的に衝撃的なニュースが飛び込んできました。四国フェリー(運航は子会社の四国急行フェリー)が、岡山県の宇野港と香川県の高松港の間で運航している宇高航路を、12月15日を最後に休止するというのです。

 筆者は、現在は東京に住んでいますが、高松で生まれ育ったこともあって、宇高航路は非常に思い入れの強い航路です。そのため、ニュースを聞いて居ても立ってもいられず、休止前に帰省して乗船しておこうと考えたのでした。

最盛期には1日に150往復以上運航も、瀬戸大橋の開通以降衰退

 まずはじめに、宇高航路について簡単に紹介します。

 宇高航路は、岡山県の宇野港と香川県の高松港の間で運航されてきた航路です。1910年に鉄道省が宇野港と高松港の間で「宇高連絡船」の運航を開始したのが始まりと言われています。宇高連絡船だけでなく、民間が運航するカーフェリーも続々と就航しました。それ以降、宇高航路は本州と四国を結ぶ重要な航路として栄えていき、最盛期には国鉄の宇高連絡船と民間3社のカーフェリーを合わせて1日に150往復以上が運航されていたほどです。

 単純計算で1時間あたり6往復以上ですから、いかに多く運航されていたか簡単に想像できると思います。しかも、民間3社のカーフェリーは24時間運航していました。そして、宇高航路以外にも、小豆島や直島などの離島への航路もありますから、それこそ5~6分に1便といた頻度で大型のカーフェリーを中心とした船が港を出入りしていたのです。これだけの頻度で船が出入りした港は、日本でもなかなかなかったのではないでしょうか。

 筆者は、よく高松港に船を見に行っていましたが、ひっきりなしに港を出入りする船を見ているだけでまったく飽きることがありませんでした。もちろん、見るだけではなく、国鉄の宇高連絡船や、離島へのフェリーを利用することも多かったので、まさに日常生活に船は欠かせない存在でした。

 その宇高航路に転機が訪れたのが、瀬戸大橋が開通した1988年です。まず、鉄道省から国鉄、JRへと受け継がれてきた宇高連絡船が、瀬戸大橋の開通前日となる1988年4月9日の運航を最後に廃止となりました。

 ただ、民間のカーフェリーは、瀬戸大橋の通行料金が高かったこともあって、瀬戸大橋開通後も便数を大きく減らすことなく運航が続けられました。それでも、1998年に「明石海峡大橋」、1999年に「瀬戸内しまなみ海道」が開通して本州四国連絡橋の3ルートが完成するとともに、各ルートの通行料金の値下げが実施されたことで宇高航路のカーフェリー利用客が減少し、便数も年を追うごとに減っていきました。

 その後、運航会社の1社が宇高航路から撤退。残る2社も便数を減らしたり、終夜運航を取りやめたりしながら運航を続けていましたが、さらに1社が2012年に運航を休止。最後に残ったのが、現在まで運航を続けてきた四国フェリーです。

 その四国フェリーも、2014年に終夜運航を終了するとともに、2017年に1日5往復まで減便。以前は複数のカーフェリーを同時に運航していましたが、1日5往復まで減ってからは、「第一しょうどしま丸」1隻のみでの運航となりました。

 そして、12月15日の運航をもって四国フェリーの宇高航路が休止になると発表され、約109年の歴史に終止符が打たれることになったのです。

現在の高松港の様子。昔と比べて雰囲気は大きく変わりましたが、今でも四国の海の玄関口として、多くの船が行き来しています
こちらは、宇野港に今でも掲げられている、在りし日の宇高連絡船の土佐丸の写真です。筆者は、この宇高連絡船を主に利用していました
こちらは現在の宇野港の様子。宇野港も昔とは大きく雰囲気が変わっています
宇野港には、瀬戸内国際芸術祭の作品がいくつか設置されています。こちらは、宇野周辺で収集された漂流物などを使って作られた「宇野のチヌ」という作品です
12月15日まで四国フェリーが運航している宇高航路のカーフェリー「第一しょうどしま丸」
高松港からは、宇野港だけでなく、小豆島や直島など離島への船がたくさん運航されています

たくさんのクルマや乗客が乗船する様子は、全盛期を彷彿とさせる雰囲気

 今回筆者が乗船したのは、11月23日と24日の便。高松港を出発して宇野港へ渡り、また高松港へと戻る往復を2回、合計4便に乗船しました。

 まずはじめに乗船したのは、23日の高松港発13時05分の便です。四国フェリーの宇高航路は基本カーフェリーですし、瀬戸大橋開通以降は宇野から先の公共交通機関がかなり不便になっていますので、通常は徒歩で乗船する人はかなり少ないのが実情でした。また、1時間ほどの休憩が取れるという観点からトラックなど長距離輸送車両の利用は普段からもそこそこあったようですが、本州四国連絡橋の通行料金が値下げされてからは、そういった車両の利用もかなり少なくなっていました。

 しかし、出発の30分ほど前に港に到着したところ、すでにかなりのクルマや人が乗船を待っていました。11月11日の運航休止発表以降、最後に乗船しておこうと考えた人たちが、地元だけでなく全国から集まっていると聞いていたのですが、当日は日曜日といこともあって、想像以上に混雑しているという印象でした。

 乗船が始まると、徒歩の乗客はよい座席を確保しようと、我先にと船内へ向かって行きました。景色のよい前方や窓際の座席を使いたいと考えるのは当然です。徒歩の乗客の多さや乗船時に座席を確保するために走って乗船する様子は、全盛期の宇高航路でよく見られた光景で、懐かしさを感じました。また、積載される車両もかなり多く、客室の下層にある車両甲板は、大型のトラックや乗用車、バイクなどでほぼ満杯といった状態でした。

 船内の客室は満席とまではいかなかったですが、それでも前方や窓際の座席はほぼすべて埋まって、とても盛況という印象です。さらに、船室の座席は利用せず、船室後方や屋上のデッキで過ごそうという人も多く見られました。そして、定刻の13時05分に、静かに桟橋を離れ、宇野港へと出港しました。

こちらが、高松港のきっぷ売り場です。宇野港行きや小豆島、直島行きのきっぷはこちらで購入します
宇野港行きのきっぷ窓口です。毎日5往復と、全盛期に比べると便数は大幅に減りました
今回は往復切符を購入。復路が70円引きになっています
こちらは、10時20分に高松港に到着した宇野港発の便です。大勢の乗客に加えて、クルマもかなり多く積載されていました
筆者が乗船した13時05分発の便も、大勢の乗客が乗り込みました
乗用車が中心
第一しょうどしま丸の船内の様子。ゆったりとしたソファが多数設置されています
窓側の座席は人気が高く、当日はすぐに埋まってしまいました
こちらは前方の座席です。こちらも眺めがよいので、すぐに埋まる人気の座席です
このように、横になってくつろげるスペースも用意されています。長距離ドライバーが身体を休められる貴重なスペースとなっています
自由に漫画が読めるコーナーも設置されています
こちらは屋上のデッキです。当日はこちらで終始過ごす乗客が多く見られました
屋上のデッキには、船室中央の階段からアクセスします
客室後方の船尾付近にも、このようなデッキが用意されていて、潮風を感じながら船旅を楽しめます
定刻どおり、15時05分に静かに高松港を出港しました

船内の売店で売られているうどんも大人気!

 筆者としては、宇高航路といえばうどんが欠かせない、という思いがあります。筆者が主に使っていたのは国鉄時代の宇高連絡船でしたが、その宇高連絡船のデッキにはうどんコーナーがあって、宇高連絡船のデッキで瀬戸内海の景色を眺めながらうどんを食べる、というのが宇高連絡船に乗船するときの楽しみの1つでした。

 そして、四国フェリーの宇高航路のフェリーでも、客室の売店でうどんが売られています。乗船前から楽しみにしていたのですが、ほかの乗客も同じ考えだったようで、乗船直後から多くの乗客が売店に並びました。全盛期の宇高航路ではよく見られた光景ですので、こちらもとても懐かしい印象です。

 ちなみに、売られているうどんは、きつねうどんと、ワカメをトッピングしたわかとろうどんで、どちらも320円です。うどん自体はゆで麺を使っていますので、高松のうどん屋で食べるうどんとはかなり違いますが、それでも船の中で、瀬戸内海の景色を眺めながら、またデッキで潮風を感じながら食べるうどんは、その状況だけで美味しいと感じさせてくれます。それだけで、今回実際に乗船してよかったと実感できました。

第一しょうどしま丸の船内には売店があって、そちらでうどんが売られています
乗船当日は、このように売店に行列ができるほど大盛況でした
うどんのメニューは、きつねうどんとわかとろうどん。どちらも320円です
きつねうどんを注文。船で食べるというだけで、味わいが増す気がします
船室中央には、うどんを食べるコーナーがあります
うどんは、もちろん屋上デッキでも食べられます。潮風を感じ、瀬戸内海の景色を見ながら食べるうどんは、それだけで美味しく感じられます

船から見る瀬戸内海の景色は、とても懐かしい印象

 定刻どおり出発した第一しょうどしま丸は、高松港内は比較的ゆっくりとしたスピードで進み、高松港玉藻防波堤灯台、通称「せとしるべ」の横を通過して外海に出ると、加速して宇野港へと進みます。外海とはいっても、そこは波の穏やかな瀬戸内海です。当日は風も弱く穏やかな天候だったこともありますが、ほとんど揺れを感じることなく進みます。

 高松港を出ると、進行方向右側に女木島、通称「鬼ヶ島」が見えます。船は女木島の横を通過しながら、船は香川県の沿岸とほぼ平行に西北西方向へと進みます。

 高松港を出て20分ほどすると、進路を北へと変えます。この先はしばらく島がありませんが、天気がよければ進行方向左側に瀬戸大橋が見えます。当日は曇で薄いモヤが出ていたこともあって、瀬戸大橋が見えなかったのはちょっと残念でした。

高松港を出港する、第一しょうどしま丸。港のなかはゆっくりと進みます
左に見える灯台は、高松港玉藻防波堤灯台、通称「せとしるべ」です。ガラスでできためずらしい灯台です。その奥に見える島が女木島です
船は、女木島を右舷に見ながら西北西へと進みません
当日は曇でモヤがかかっていましたので、残念ながら瀬戸大橋は見えませんでした
よく晴れていれば、このように瀬戸大橋が見えます(2012年1月撮影)

 進路を北に変えてしばらく進むと、前方にやや大きな島が見えてきます。直島です。筆者が香川に住んでいたころは、現在の三菱マテリアルの工場がある島という印象でしたが、福武書店(現在のベネッセコーポレーション)と福武財団が中心となって開発が行なわれて、現在では世界的に人気を博しているアートの島へと変貌を遂げています。近年は、3年に1度開催されている「瀬戸内国際芸術祭」の開催地としてもおなじみです。船は、その直島や宮浦港のすぐ西側を進みますので、宮浦港に設置されている草間彌生さんの作品「赤かぼちゃ」もしっかり見えます。

 ところで、船から見える直島の海岸線は、むき出しの岩がゴツゴツとした崖という雰囲気です。また、直島のすぐ西側には、直島と同じように岩がゴツゴツとした海岸線の小さな島、荒神島があります。直島と荒神島の間は、わずか200mほどしかない、非常に狭いところなのですが、船はその間を進みます。この場所を過ぎると、あと10分ほどで宇野港へと到着です。昔、筆者がよく宇高航路を利用していたころは、この岩場が見えてくるともうすぐ宇野港に到着するな、と思ったものでしたが、今回久しぶりに宇高航路を利用して、その思い出が鮮明によみがえってきました。

 そのあと、前方に宇野港が見えて、船は静かに着岸しました。

高松港を出発して20分ほどで進路が北に変わり、さらにしばらく進むと前方に直島が見えてきます
船は、右舷に直島を見ながら進みます。見えている港は、高松港や宇野港からフェリーが到着する宮浦港です
宮浦港に設置されている、草間彌生さんの作品「赤かぼちゃ」も船内から見えます
直島付近を通過するとき、船の左舷には荒神島が見えます
右が直島、左が荒神島ですが、その間は200mほどと非常に狭いですが、船はこの間を進みます
分から見える直島や荒神島の海岸線は、岩がむき出しの崖のようです。昔、宇高連絡船をよく使っていた頃は、この岩肌が見えると、もうすぐ宇野港に到着するな、と思ったものです
直島と荒神島の間を抜けると、もうすぐ宇野港です
前方に宇野港が見えてきました
船は静かに宇野港に到着しました

 次に乗船したのは、宇野港を出発して高松港へと向かう、宇野港発15時45分の便です。高松港行きの便は、直島と荒神島の間ではなく、荒神島の西側をとおりますが、それ以外は宇野港行きとほぼ同じ航路です。こちらは夕方にさしかかる時間帯ということと、雲の切れ間から夕日が覗いてきたこともあって、行きとはまた違った雰囲気が楽しめました。昼の瀬戸内海もよいですが、夕日に照らされてオレンジ色に輝く海や、夕焼けに浮かぶ島が眺められる夕方の瀬戸内海はとてもきれいです。

 また、船から見る高松港も印象深いものがあります。筆者が東京に出てきて以降、高松港は再開発され、高松シンボルタワーをはじめとする高層ビルもいくつか建ったことで雰囲気は大きく変わりました。それでも、屋島から高松にかけての景色を見ると、とても懐かしく感じます。そして、片道約60分の船旅は、長いようであっという間に過ぎ去ったのでした。

こちらは宇野港の乗り場です
高松港からの便ほどではありませんでしたが、こちらも普段より多くの人が乗り込みました
ちょうど夕方の便で、行きと比べて雲も切れてきて、夕焼けのなかを進みます
このように、瀬戸内海の夕方の雰囲気は格別です
夕方で晴れていればこのような景色が楽しめます。瀬戸大橋の手前に写っている船は、2012年10月に運航を休止した宇高国道フェリーの船影です(2012年1月撮影)
船から見る高松港。昔と面影は大きく変わりましたが、感慨深いものがあります
せとしるべの横を通って高松港に入ります
ゆっくりと高松港に到着しました
到着した第一しょうどしま丸は、17時05分発の宇野港行きとしてすぐに折り返します。この便には、筆者が乗船したとき以上の乗客や車が乗り込みました
全盛期は、満載のため乗れずに次の便を待つクルマが多く見られましたが、それと同じように1台の乗用車を積み残して出発しました
宇野港へ向けて出港していった、第一しょうどしま丸

国や自治体の補助で、運航の再開を期待

 今回、実際に四国フェリーの宇高航路を利用しましたが、12月15日を持って休止する路線とは思えないような盛況ぶりでした。もちろんこれは、名残を惜しむ乗客が殺到していたからで、そういったことがなければ、利用客は非常に少なかったはずです。実際、宇高航路は巨額の赤字となっていることを考えると、休止もやむを得ないでしょう。

 ただ、宇高航路が四国にとって非常に重要な航路という位置付けは今も変わっていません。確かに本州四国連絡橋を利用する人が多いのは事実ですが、もし橋が通行止めになってしまうと、宇高航路がないという点が大きな問題です。そこは四国フェリーも同じ考えのようで、航路は休止となるものの、状況が整えば再開できるように船や設備は維持する考えだそうです。

 とはいえ、再開するには四国フェリー単独では難しいでしょう。これまでも、地元の香川県と高松市、岡山県と玉野市が財政支援を行なってきましたが、それでも燃料費の高騰などから巨額の赤字となっていました。そのため、もし再開するとしたら、地元だけでなく国の補助も必要になってくるでしょうし、第三セクターでの運航という形も視野に入ってくるでしょう。ただ、巨額の赤字となっている航路を、税金を投入してまで維持することに疑問を感じる人もいるでしょうから、再開にこぎつけるのはかなり難しいかもしれません。感傷だけで再開してほしいと言うつもりはありませんが、可能なら今後いい方向に進んでほしいと思います。

平澤寿康

うどん県生まれ。僚誌PC Watchなど、IT系の執筆を中心に活動。旅&乗りもの&おいしいもの好きで、特に旅先でおいしいものを食べるのに目がない。ただし、うどんにはかなりうるさい。