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かつては「バス経営の優等生」。梅田のド真んなかを100円で走る「うめぐるバス」なぜ消えゆく?

ヨドバシカメラ・マルチメディア梅田(LINKS UMEDA)をバックに走る「うめぐるバス」

「あの緑色のバス、どこの会社?」梅田でよく見かけたバスが廃止へ

 ひと口に「大阪・梅田」と言っても結構広く、端から端への移動は、場所によっては20分近くの徒歩移動を要する。そんなエリアで、2013年から10年以上にわたって走り続けた循環バス「UMEGLE-BUS」(うめぐるバス)が、2025年12月31日の最終運行をもって廃止となる。

 このうめぐるバスは、阪急電鉄・大阪梅田駅の1階乗り場を起点に「ちゃやまちアプローズ」「済生会中津病院」「グランフロント大阪」「JR大阪駅」「JR北新地駅」「阪神大阪梅田駅」などをぐるっと巡り、約4kmのコースを1周27分で戻ってくる。

 そんな「広過ぎる梅田」の移動を担っていたうめぐるバスは、路線を開設する前には徹底的なマーケティングがなされ、開業当初は「想定の3倍」というほどに、利用者でにぎわったという。各地ではうめぐるバスを成功事例として仰いだバス会社も多く、「市民団体が自主運行する路線バスの優等生」として、もてはやされていた時代もあるほどだ。

 それがなぜ、10年少々で廃止に追い込まれてしまったのか。沿線を歩きながら、利用者が離れていった「やむを得ない原因」を考えつつ、消えゆくうめぐるバスの歴史をたどってみよう。

「梅田ダンジョン」をすり抜ける! 意外と便利なルート

「うめぐるバス」路線図(Webサイトより)
廃止告知

 新たなバス路線としてうめぐるバスを開業させたのは、2013年4月に一部開業した商業施設「グランフロント大阪」の運営を一体的に担う「グランフロント大阪TMO」だ。

 梅田のなかでもかなり北側にあるグランフロント大阪エリアは、10ヘクタール以上の面積を擁する「梅田貨物駅」跡の更地であった。地上180m、2棟のビルは遊歩道で直結されたものの、依然として残っていた「梅田貨物線」で東西を分断されていたうえに、同じ梅田エリアでも、東側にある「茶屋町」南西にある「西梅田ハービスプラザ」などへの移動ルートが、かなり分かりづらかった。

 同じ街なのに、短距離移動がきわめて不便。そんな悩みを解決するために、グランフロント大阪TMOは、東京駅エリア「大丸有(大手町・丸の内・有楽町)」の無料バスを参考に、同エリア内を結ぶバス路線の開設を思い立ったのだ。

 ただ、この地域は「ビルが2棟だけ」と未開発で、協賛金を出してくれる企業も少なく、東京と違ってバスを無料にできない。かつ採算が絶望視されていたため、どのバス会社も運行に興味を示さなかったという。

グランフロント大阪

 それでもあきらめなかったグランフロント大阪TMOは、各担当者がグランフロントに限らず梅田エリアを歩き尽くし、「どこに停留所を置けば採算がとれるのか」と、徹底的に検討していったという。

 こういった地道な調査の結果、「中心部から遠い場所に買い物に行く人々」の需要をくみ取りつつ、グランフロントを経由するという、梅田エリア全体の移動需要を少しずつくみ取った循環路線の素案ができあがり、最終的には阪急バスが運行主体として関わることになった。

 いわば、グランフロント大阪TMOと阪急バスが一体となって、利益を獲れるバス路線を作り上げていったようなもの。事前のリサーチやマーケティングに基づいて、徹底的に調査を行なったからこそ、うめぐるバスは実績を挙げ、「模範的な路線バス」として、多くのバス会社や自治体の参考として名前が挙がるようになったのだ。

想定1日500人が実際は1500人。ここからうめぐるバスが衰退した理由

「うめぐるバス」車内
「うめぐるバス」ロゴ

 うめぐるバスは2013年の開業から1か月で2万人に利用され、1日の乗客数も当初想定の500人を3倍を上回る「1500人」を記録。小型バスで1時間3本では積み残しが続出するほどに、運行を担った阪急バスも想定していないにぎわいを見せた。これがなぜ、10年少々で廃止に追い込まれたのか?

 要因としてはまず、「梅田エリアの移動が便利になった」こと。うめきた(梅田エリア北側・JR大阪駅の北側」)最後のピースであった区画が「グラングリーン大阪」として2025年3月に開業、各地をつなぐ遊歩道や公園があり、バスに乗らずとも近距離移動できるようになった。

 東西移動のネックであった「梅田貨物線」も、2023年の地下化とともに、地上部が廃止された。いまも細長い鉄道用地は残っているものの、東西を結ぶ広い都市計画道路の整備がすでに予定されており、「目の前の場所にも移動しづらい」状態は、ほぼ解消されたといっていい。さらにJR大阪駅を挟む南北移動も、グラングリーン大阪の地下にある「うめきたホーム」(扱いは大阪駅・21~24番線)周辺の地下通路で、大幅に移動しやすくなった。

 グランフロント大阪が開業した2013年と比べると、梅田エリアの移動事情は大きく変わり、便利になってしまった。うめぐるバスの利用者も減少しつつあったところにコロナ禍が直撃、利用者は「1便5人程度」にまで低迷。さらに、新しい施設の駐車場に出入りするクルマや、新しい道路を行き交う業務用車が多く、うめぐるバスはほとんど定時運行ができなくなってしまった。

 周辺で再開発が進むなか、2024年3月に「JPタワー大阪」、2025年3月のグラングリーン大阪が開業してもバス停新設・名称変更などの対応が行なわれなかった。バス路線としての晩年を振り返ると、うめぐるバスは長らく“死に体”であったのかもしれない。

もはや「100円バス」採算は不能? うめぐるバスを惜しむ

阪急・大阪梅田駅駅直下の乗り場

 阪急・大阪梅田駅の高架ホームを降りてすぐの「阪急大阪梅田駅」バス停は、阪急沿線から済生会病院への治療・お見舞いに行ったり、阪急側からの移動だと“地下ダンジョン”に巻き込まれる阪神百貨店に移動するような人々で、時間帯によっては今もにぎわう。

 また、このバス停は高速バスの「阪急三番街」バス停と併設されており、地方から来た人々がグランフロント・グラングリーンに迷わず移動する手段としても重宝されていた。バスが走るルートは、約2000万人が住む関西2府4県の中心地であり、人が途切れることはまずない……はずだ。

 しかし、ここまで徒歩移動の事情が改善されてはうめぐるバスの出る幕はない。そもそも、運転手不足による人件費上昇や、燃料費の高騰といった問題を、たった100円の運賃で担えるわけがないのだろう。

茶屋町界隈を走る「うめぐる」

 この年末は、梅田の界隈をちょこまかと走り抜けるうめぐるバスに乗り込み、かつての路線バスの成功例を惜しむのもよいだろう。車窓から高層ビルのてっぺんを見渡せないが、適度に空いた小型バスの座席から、年の瀬の梅田を眺めるのもよい。