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阪神バス北大阪線、なぜ消えゆく? すぐ乗れる路面電車→超頻発代行バス→休止の変遷を追う

阪神バス北大阪線が2024年1月に休止

ドル箱路面電車の転換バス「北大阪線」、110年の歴史に幕

 戦後には「すぐ乗れる路面電車“ゲタ電”」、50年前は「3分に1本は来る代行バス」、平成末期には「来るのは週2本だけ」、そして令和のいま、休止により消滅。

 鉄道(路面電車)から路線バスに形を変え、運行を続けていた「阪神バス・北大阪線」(野田阪神前~天神橋筋六丁目間)が、2024年1月についに休止する。

梅田・茶屋町エリアを走行する阪神バス。かつての路面電車は、道路中央部を走行していた
2024年1月ダイヤ改正で、北大阪線の休止が告知された(阪神バスWebサイトより)

 バス路線の原型でもある路面電車「阪神北大阪線」は、昭和40年代には7~8分に1本の高頻度で運行、1975(昭和50)年に廃止となるまで黒字経営を保ち続けたという。バス転換後も道路上の同じルートを走り続け、平日朝は3分に1本という高頻度運転で移動手段としての役割を担い続けた。

 しかし運行本数は徐々に減少し、2018年には一部区間が、2021年には全区間が「土日祝日・1日1往復」(基本的に週2往復)に。そして、ついに全面休止となったのだ。鉄道廃止後の役割を担う「転換バス」は数あれど、ここまで極端に衰退をたどったバス路線は、なかなかないだろう。

 なお北大阪線は、JR大阪駅から1~2kmほど離れた地域を縫うように結び、沿線には密集した宅地が広がる。かつては路面電車・路線バスとしてしっかりと収益を挙げ、母体である阪神電気鉄道に貢献してきた北大阪線は、なぜいま消えゆくのだろうか。

 阪神バスから発表された休止の理由は「運転手不足」だ。しかし実は、その前から、北大阪線の「野田阪神前~中津~天神橋筋六丁目」という移動経路そのものが時代の流れに呑まれ、役割をなくしていたのだ。

北大阪線の開業は「阪神本線の次」。発展は超・計画的

大淀地区を走る阪神バス。まだこの頃は、野田阪神前~中津間の区間運転があった

 阪神北大阪線の鉄道(路面電車)としての開業は1914(大正3)年。阪神電鉄の鉄道路線としては、1905(明治38)年に開業した「阪神本線」に次ぐ歴史があり、路面電車の本線扱いであった「阪神国道線(野田阪神前~東神戸間)」より11年も先に開業している。

 とはいえ、沿線のうち淀川南岸の大淀地区は、川の増水で玄関先にウナギが飛び込んでくるような場所だったという(1988年発行・大淀区史より)。一帯の土地は阪神電鉄の関連企業が一括で買収し、道路も一部区間は最初から路面電車を通す前提で建設された。

昭和45年の地図(大阪市図書館所蔵)。北大阪線の沿線には工場が連なっていた

 そして、北大阪線の開業から5年後、電車通りと淀川に挟まれた地帯に、最新鋭の巨大印刷工場が完成。市田オフセット→精版印刷→凸版印刷(現在のTOPPANホールディングス)と経営元が変わり、いまも朝日新聞・日刊スポーツなどを印刷しているという。

 この巨大な工場への通勤・アクセス手段として、利用者が急増。さらにメリヤス工場、製紙工場、伸銅品の加工工場などが次々と近隣に進出し、路面電車は工場街への移動手段として欠かせない存在となっていった。

 また、路線の両端である天神橋筋六丁目(天六)停留所の前には、1925(大正14)年に京都からの直通電車(現在の阪急京都線 千里線)の高架ターミナル駅(新京阪電鉄 天神橋筋駅。現在は地下化、阪急・大阪メトロ 天神橋筋六丁目駅)が開業。京都からの直通列車や大阪市電、そして北大阪線が集う要衝として、天六には映画館や飲み屋街が立ち並ぶようになった。さらに戦後には、ここから南側に、全長2.6kmのアーケード街(天神橋筋商店街)が建設されるほどのにぎわいを見せる。

 一方で野田にも、関西最大級の量販店「シロ野田店」(のちのジャスコ野田店・本社)が戦後に開業し、バーゲン期間中の野田方面の電車は、買い物客で埋め尽くされていたという。

 路面電車としての北大阪線は、沿線の住民に重宝されるだけでなく「工場への通勤手段」「歓楽街への移動」などさまざまな役目を持っており、ゲタ履きで電車通りに出ればすぐ乗れる「ゲタ電」と呼ばれるほどの運行頻度を必要としていたのだ。路面電車としての北大阪線が廃止された原因も、乗客の減少だけでなく「本線格である阪神国道線の廃止で、車庫への入庫ができなくなる」というやむを得ない理由だった。

 沿線では当然のように廃止反対の声が上がるが、阪神電鉄側は「平日朝の転換バスは3分に1本」という異例の態勢で応えた。運行本数は徐々に減少するが、乗客が多い野田阪神前~中津間の区間運転などで、バスでも「すぐ乗れるバス・北大阪線」を維持し続けてきたのだ。

バスとしても消えゆく北大阪線。原因は?

天神橋筋六丁目停留所の跡地。(写真右側)道路用地となり、まったく面影はない

 さて、ここまでにぎわっていたバス路線「北大阪線」は、なぜ消えゆくのか。それは、「沿線住民の足」以外の役割が、時代の流れでほとんど消滅したことにある。

 まず、北大阪線の沿線に立ち並んでいた各社の工場は、昭和末期から次々と郊外に移転。通勤での利用が激減してしまった。また、野田の商店街や量販店(現在のイオン)も、今となっては郊外の量販店よりコンパクトで、全盛期ほどのにぎわいはない。

 さらに、1989(平成元)年には大阪市の区域変更で、天六の停留所から徒歩数分の場所にあった区役所が移転、「行政手続きで天六に行く」という需要そのものが、ごっそりと消滅してしまった。この時点で中津~天六間は、かなり乗客の減少が目立ち、2013年にはすでに「1日2本のみ運行」となっていた。

「梅田貨物駅」跡地。写真奥側が北大阪線の用地だが、再開発で往来しやすくなる予定だ

 そしてJR大阪駅近辺、梅田エリアの発展によって、天六は目的地となるような繁華街としての求心力を徐々に失っていった。ほか、さまざまな分野で大阪駅・梅田エリアへの一極集中化が進み、広い敷地が街の寸断の要因となっていた梅田貨物駅は「グランフロント大阪」として生まれ変わり、沿線全体が「自転車で気軽に梅田に行けるエリア」となりつつある。こうして、梅田に行かない北大阪線は、今一つ使いどころがない移動ルートと化してしまったのだ。

大淀地区を走る大阪シティバス・58号系統

 さらに、野田阪神前~中津間は、1974(昭和49)年に開業した大阪市営バス(現在の大阪シティバス・58号系統の原型)と並行していた。このバス路線は沿線最大の医療機関「済生会中津病院」にも行きやすく、なにより大阪駅・梅田エリアに直接乗り入れる。

 北大阪線と大阪シティバスが競合するエリアの住宅街は、梅田への近さもあって、古い街にも関わらず、人口がさほど減少していない。この「58号系統」も、市営バスの民営化でデータ非公表となる以前の平成28年度のデータで「営業係数67(100円を稼ぐためにかかる費用。少ないほど費用対効果がよい)を記録、市内でも1、2を競うほどに収益を取れている。北大阪線が取りこぼした「対:梅田エリア」の移動需要を、いまの58号系統が持っていってしまったのだ。

 さらに阪神バスは大阪市の敬老パスが使えないこともあり、沿線の高齢者も市営バス便を選んで乗車していたという。阪神バスが移動手段として果たせる役割は、徐々に薄れていた。

 こうして北大阪線は、時代の流れによる需要の消滅や競合の出現で、削り取られるように乗客が減少していった。それでも運行を続けていたものの、何度かの大幅減便で「週末のみ、1日1往復」に。そして、路面電車からバスにバトンタッチして運行を続けてきた北大阪線は、まもなく110年の歴史に幕を閉じる。

 なお今回のダイヤ改正では、兵庫県尼崎市内から野田阪神前への乗り入れるバス路線(尼崎浜田甲子園線)も休止となるため、阪神バスは大阪市内から完全に姿を消す。

 いま世間では、バス運転手の不足による公共交通の消滅が社会問題となり、おなじ大阪府内の「金剛バス」のように、会社ごと閉業を選ぶケースまで出てきた。しかし阪神バス・北大阪線の場合は、早々に役割自体が終わっていた、と言えるだろう。

小刻みに続く阪神バスのダイヤ改正。路面電車の転換バスも「風前の灯」?

阪神本線・野田駅近くの阪神電鉄本社には、路面電車の敷石を使ったモニュメントがある
尼崎市内の国道2号線を走る阪神バス。道路中央部に路面電車「阪神国道線」が走っていた

 阪神バスの今回のダイヤ改正では、大阪市内だけでなく兵庫県内でも減便・休止が行なわれ、北大阪線と同様に路面電車にルーツを持つ「阪神国道線」(野田阪神前~東神戸)の代替バス路線にも減便が生じる。

 阪神バスの路線はもともと、この「阪神国道線」をトレースしたような「駅~駅」路線(阪神尼崎駅~阪神西宮駅、阪神西宮駅~三ノ宮駅など)がメインとなっている。バスのルートは、「国道線」の名前のとおり国道2号をまっすぐ進むため、大きな病院や学校へ乗り入れておらず、あまり今の時代の動線に合っていない。

 かつ、比較的駅間が短い阪神電鉄の本線も併行し、なにより周囲を阪急バスのエリアに囲まれ、拡大路線がとれない。今回の減便対象となる「尼崎西宮線」も、2022年末に20分間隔から30分間隔に、さらに2023年11月、そして今回(2024年1月)と小刻みに減便を繰り返している。この区間は平成中ごろまで、尼崎市内~神戸市内で直通、1時間に5~6本程度は運行していたのだが……。

 阪神バスの運転手不足も深刻であり、このままいくと阪神電鉄の路面電車の転換バスは、いまも頻繁に運行している「浜甲子園線」(JR甲子園口~浜甲子園間)を除いて、大きく再編されてしまうかもしれない。

 現在は同じ「阪急阪神ホールディングス」傘下である阪神バス・阪急バスは、エリアをまたぐ路線の開設(現在は休止)など、会社の垣根を越えたサービスを模索している。将来的には会社の垣根を取り払った再編につながる可能性も有り得るのではないか。

今のうちにプチトリップを! ディープな「阪神の路面電車・転換バスの旅」

阪神の路面電車線の車両。現在は尼崎市内で倉庫として利用されている

 阪神バスによると、ダイヤ改正は1月13日から適用されるものの、土日祝日のみ運行の北大阪線ならびに、野田杭瀬甲子園線の“府県境またぎ区間”は、1月8日(成人の日)が最終運行になるという。また「土日祝日のみ・1日1本運行」の各路線は、2023年12月30日~2024年1月3日が休日ダイヤであるため、この期間中は運行するとのことだ。

 気軽に乗車できる「ゲタ電」の名残を残す北大阪線だけでなく、路面電車の経路を受け継ぐ「転換バス」としての使命を果たしてきた各路線を、この機会に乗り継ぐ“プチ・バス旅行”もよいかもしれない。

 沿線を大阪から神戸に乗り継いで行けば、味のある商店街や銭湯、芝居小屋や映画館、立ち呑みの名店や、芸人さん・元プロ野球選手の方などのお店……関西屈指のディープな空間をぶらぶらと迷えば、バス待ちの乗り継ぎ時間など、あっという間だ。