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赤い看板、黒い天津飯……違う“王将”だけど縁あり? 「鹿児島王将」を食べ歩く

鹿児島王将の天津飯。色の違いにお気づきだろうか?

もうひとつの「王将」、鹿児島にあり!

「餃子の王将」といえば、国内外に551店を展開、年間1014億円を売り上げる、国内最大の中華料理チェーン店だ。また、350店を出店する「大阪王将」や、近畿圏ではラジオCMで知られる」「大阪王」など、さまざまなチェーン店がある。

 そのなかで、「鹿児島王将」は一味違う。看板は「餃子の王将」と見分けがつきにくいが配色が異なる。そして餃子、唐揚げ、天津飯などは……ほかの王将とはまったく違うのに、旨さが強烈にあとを引く。鹿児島を出たあとに食べたくなって、また引き返すほどに、魔力がある逸品が揃っているのだ。

「鹿児島王将」の看板。「餃子の王将」との配色の違いにお気づきだろうか?

 さっそく鹿児島入りしたうえで、県内の鹿児島王将を食べ歩きながら、その魅力を読み解いていこう。もう空港を出た時点で「鹿児島王将の口」になっているので、先を急ぐ。

黒酢使用の天津飯、バリっとサクサクの餃子……これはこれで「アリ」!

 まず、最も違いがはっきりしているのが「天津飯」だ。餃子の王将は酸味がほんのりした甘酢あんを玉子にかけているのに対して、鹿児島王将のあんかけは黒酢ベース。酸味もしっかり効いており、ふわふわとした玉子とのコンビネーションに「剛と柔」感があって、ビタビタに相性がよい。

 見た目も単なる黒を通り越した「漆黒」と言ってもよい黒さで、店員さんが持ってくる少し前から黒光りしている感じが分かる。レンゲを入れる前から匂いで酸味が分かるほど風味が強烈なのに、いざ食べると、意外と酸味が柔らかい。それでいて、黒酢のコクがしっかり効いているという……。

 鹿児島王将の天津飯は、黒酢の一大産地である鹿児島県ならではの独自色が強く、ここでしか食べられない逸品だ。

 もう1つ、餃子も「京都王将」とそうとうに違う。本家・餃子の王将は脂多めなのに対して、鹿児島王将の餃子は皮が薄目でパリッと感が強く、脂と赤身のバランスがよいせいか、野菜の食感も引き立ってあっさりしている。あっさりバリバリ食べられるせいか、持ち帰りコーナーでもひとり数十個単位で、餃子をテイクアウトする人々がやたらと多い。

 そのほか、中華丼はやたらとあんに粘り気・旨味があったり、唐揚げは衣がバリバリとしていたり、エビチリのエビを鶏に変えた「鶏チリ」、野菜とにんにくソースが抜群に合う「スタミナ丼」などオリジナルメニューがあったり……。何から何まで、餃子の王将と同じようで、かなり違って、これがうまい。

 看板も似ているようで違う。赤字に抜き文字で「王将」と書かれているのは同じではあるものの、まわりの〈〉囲みの配色は、餃子の王将が黄・オレンジ・黄緑、鹿児島王将は黄・黄緑・水色。「鹿児島」の文字があるから見分けがつくものの、餃子の王将とほぼ同じ柄の皿で商品が出てくると……。たまに「いつもの王将にいるのかな?」とばかりに脳がバグってしまいそうになる。

鹿児島王将 伊敷店

 そんな鹿児島王将は、県内各地に8店を展開している。鹿児島市電で行くなら中町店・騎射場店(中央駅前店は2021年に閉店。残念!)、バスで行きやすいのは伊敷店・笹貫店、駐車場が広くてクルマで行きやすいのは田上天神店・卸本町店・国分店など。鹿児島を訪れることがあったら、ぜひ訪れてみたい。

鹿児島王将は「しっかり公認!」。のれん分けを許された理由とは

鹿児島王将 笹貫店

 似ているようで看板が違って、提供メニューも同じようで異なる鹿児島王将。無断でここまで寄せれば、何か文句が付きそうなものだが、これはパクリなの? それとも……。

 正解は「しっかり公認」。餃子の王将はこの地域に出店しておらず、のれん分けのような形でしっかりと許可を得ている。しかもその陰で、あの「経営の神様」が動いたという。その経緯を書き記した「稲盛ライブラリー」2023年1月19日アーカイブを中心に、鹿児島王将誕生の経緯をさかのぼってみよう。

 もともと創業者は餃子の王将でアルバイトをしており、独立を希望していたという。そこに、この方の義理の兄にあたり、京セラ創業者にして経営の神様として名を知られる稲盛和夫氏が餃子の王将の仲立ちに入り、「のれん分け」のお願いをしたことから、鹿児島県では別会社として経営することになったという。

 もともと稲盛氏は牛丼、餃子といった気安い食事が大好きで、餃子に至っては1個づつ食べる社員に「2個ずつ食わんか!」とアドバイスしたり、タレを余計目にもらって、つける前からたっぷりかけて食べるなど、独特のこだわりと愛着を持っていた様子。餃子の王将からしても、不類の餃子好きで、かつ京都財政の大立物である稲盛氏の「親族を独立させてやりたい」という願いは、聞くべきものだったのかもしれない。

 1978年、稲盛氏の義弟と実弟が共同で「鹿児島王将株式会社」を設立。天文館の裏路地に構えた1号店(中町店)では、開店初日から稲盛氏が餃子を焼いたり食事を出したり、呼び込みをしたり……。この地は商店街だけでなくオフィス街でもあり、「まさか! 京セラの稲盛社長が餃子を焼いている!」と驚く人々も多かったのだという。

 稲盛氏はその後も、財布にスタンプカードを忍ばせて、幾度となく鹿児島王将を訪れた。経営に直接口出しはしなかったものの、かなり気にかけていたようで、あるときには講演会でこんな話をしている。

「私の一番下の弟は鹿児島で餃子屋をやっております。(中略)そこは本当にささやかな餃子屋です。それでもたくさんの従業員を雇って、彼らの生活を守ってあげて、素晴らしい収益を上げているのです。経営というのはそれで十分だと私は思うのです」

「地元の特色を活かし、そして人一倍努力をする。人に負けない努力をするのです。そうすれば、事業というものはそんなに難しいものではありません。いいアイデアがあったから、いい技術があったから成功するのではありません。どこにでもありそうな仕事、些細な仕事をしていても成功できるはずだと、私は思っています」(1994年3月25日 盛和塾長崎開塾式講話より)

 地域に根ざした企業として鹿児島王将の事例を上げながら、働く人の生活を守る堅実経営の大切さを説いている。そういわれると「鹿児島王将」各店では、基本的なあいさつや、店内の暑さ・寒さへの気配りなどのホスピタリティがしっかりしていて、かつ提供までの作業も機敏そのもの。店内の雰囲気もよい。

ヤサイイタメには、お酢をたっぷりかけて食べたい

 こうしてみると鹿児島王将は、「どこにでもありそうな仕事、些細な仕事をしていても成功できる」象徴でもあり、美味しいだけでなく「経営」として見習うことも多いのかもしれない。独特のメニューを擁する鹿児島王将、訪れた際にはまた行きたいものだ。