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【グローバル・ツーリズム・サミット】ハワイ報知社 吉田社長が「ハワイ日系人の歩み」と題した基調講演

「2018年は『元年者』がハワイに渡って150年」

2017年9月19日~21日(現地時間) 開催

ハワイ報知社 社長 吉田太郎氏

 米国ハワイ・オアフ島で9月19日~21日(現地時間)の3日間で開催された「グローバル・ツーリズム・サミット」。開催2日目には日本の旅行業者が対象の「ジャパンサミット」が行なわれた。

 ジャパンサミットでは、ハワイ州観光局 局長 エリック高畑氏による「2018年日本マーケット戦略」についてのプレゼンテーションのほか、ハワイ報知社 社長の吉田太郎氏とフリーペーパー「aloha street」編集長の松本律子氏による基調講演が行なわれた。

 ハワイ州観光局 エリック高畑局長の基調講演については、関連記事「ハワイ州観光局、日本の旅行業界向け「ジャパンサミット」開催」を参照していただきたい。本記事では、ハワイ報知社 吉田社長の基調講演についてお届けする。

基調講演「ハワイ日系人の歩み~2018年は『元年者』がハワイに渡って150年。ハワイと日本にまつわる歴史を日系移民より学ぶ」

ハワイの概況

 基調講演の前半は、ハワイ報知社 社長の吉田太郎氏が「ハワイ日系人の歩み~2018年は『元年者』がハワイに渡って150年。ハワイと日本にまつわる歴史を日系移民より学ぶ」と題し、ハワイの概況や日本とハワイの歴史を織り交ぜながら講演を行なった。

 吉田氏はまずハワイの概況、経済概要、観光市場などのデータを紹介。ハワイ州の人口は約143万人で、そのうちの約70万人がオアフ島に居住しており、そのなかでも「日系人は31万人で、約25%を占めている」と発表した。

 経済については、ハワイ州内の国民総生産が797億ドル、そのうちハワイの一番の産業となる観光業は145億ドルほど。世界からの観光客数883万人のうち、日本人は149万人で全体の約17%を占めるという。また今年は2016年に比べて約7%増加しているそうだ。

 さらに観光客の総消費額は156億ドルで、うち日本人の消費額は21億ドル。吉田氏は「細かいデータになるが1日当たりの消費額では全体平均が195ドルに対し、日本人は240ドル。結構使ってくれています」とコメント。消費額も前年に比べ17%増加していると紹介した。

ハワイの経済概況

 また日本からの直行定期便数については、エアアジアXが2017年2月にLCC初のホノルル便を就航したほか、9月15日にJAL(日本航空)が成田~コナ線を就航したことにより、全部で25便、6400席を運航している。ちなみに25便の内訳は、成田発12便、羽田発5便、関空発4便、セントレア(中部)発2便、新千歳(札幌)発1便、福岡発1便となっている。

ハワイの政治概況

2018年は日系移民150年の記念の年

 次にハワイと日本の歴史について説明。ハワイ日系移民の歴史は、1868年に元年者(がんねんもの)149人の日本人がハワイに上陸したことに始まる。元年者とは明治元年にハワイに来たことに由来しており、2018年は移民して150年の記念の年になる。

 当時ハワイを治めていたカメハメハ4世が労働者を求めていたことにより、ハワイへ渡った149名の日本人は、3年契約でサトウキビ畑での労働を行なっていた。しかし「元年者の人たちは、横浜などの都心部の人たちが多く、農業をする経験がなかった。1年後には42名が帰国し、契約終了の3年後には、最終的には43名しか残らなかった」と当時の状況を説明した。

ハワイと日本の歴史1

 その後、カラカウア大王が日本を訪問した際、ハワイへの移民申請を行なうとともに、政略結婚の申し出をしたが日本側がこれを拒否したエピソードを紹介。これについて吉田氏は「もしこの申し出を受け入れていたら、今のハワイは日本だったかもしれないし、アメリカではなかったかもしれない」とコメントした。

 さらに1885年には、政府同士が契約を結び「官約移民」が開始。当時の労働条件は、1カ月26日労働(週休1日)、1日の労働時間は屋外10時間、屋内12時間、賃金は月に男性が15ドル、女性が10ドル、住居・医療は農場主負担だったという。ちなみに15ドルを円換算すると7円30銭。当時の日本の賃金は1カ月26日労働で4円16銭。明治時代の1円の価値は約2万円くらいだそうで、14~15万円くらいの給料だったそうだ。

ハワイと日本の歴史2

 以後、1894年までに27回の船が行き来し、約2万9000人の移民が上陸。1908年には移民者数は6万5000人に達した。またそのころには、自由移民化により商業、漁業などさまざまな職業ができるようになったという。吉田氏は「ダウンタウンにはホテルや寿司屋、現在のヒルトンのところは料亭だったという記録も残っている」と説明した。

活躍した日系移民を紹介

 続けて吉田氏は、歴史の紹介と合わせて当時活躍した日系人を紹介した。

牧野金三郎氏

 当時の労働者の生活は決して楽な生活水準とはいえないものであり、これに反発した移民の人々はストライキを起こしていた。これらを取りまとめるべく増給期成会(労働組合)が設立され、牧野金三郎氏が委員長に就任した。1912年にはハワイ報知社を設立している。

牧野金三郎氏について
ダニエル井上氏

 医学の道を志していたダニエル井上氏は、第二次世界大戦中に右腕を負傷したことにより政界に進出。1954年にハワイ議会の議員に当選、その後1959年には民主党からハワイ州選出の連邦下院議員に立候補、当選しアメリカ初の日系人議員となった。その後、上院議員となり、オバマ大統領時代に副大統領に次ぐナンバー3の地位の上院仮議長となった。

 2012年の死去後、彼の功績を称え2017年4月にホノルル国際空港の名称を「ダニエル・K・イノウエ国際空港」に変更。またハワイのハイウェイやオアフ島の小学校の名前にもなっている。

ダニエル井上氏について

ハワイと日本のこれから

 終戦から70年を迎えた2015年、「戦後70周年・真珠湾75周年記念事業」が行なわれた。8月15日にはパール・ハーバーで「太平洋戦争終結70周年追悼式典」、9月2日には戦艦ミズーリで「終戦70周年記念式典」、2016年12月27日には安倍首相とオバマ大統領がアリゾナ記念館を追悼訪問している。

 8月15日に行なわれた太平洋戦争終結70周年追悼式典について、「当日は、鎮魂の意味をもつ長岡花火『白菊』と呼ばれる真っ白な花火が打ち上げられた。私は式典にも参列したが心の温まる式典だった」と当時のエピソードを語った。

ハワイと日本の歴史3
ハワイで活躍する日系人

 講演の終盤、吉田氏は歴史を振り返り「やはり日系人の活躍、貢献なくしては、我々が現在ハワイで過ごす、遊ぶということはできなかったのではないかと思います。これらを認識してもらって、ハワイに来たときには頭の片隅で日系人の功績をリスペクトしながら楽しんでもらいたいと思います」と話し、講演を終了した。