井上孝司の「鉄道旅行のヒント」

鉄道の歴史を探してみよう

東京駅新幹線記念碑。十河信二氏のレリーフが、今日も発着する列車を見守っている

 以前、「日本の歴史」と鉄道の関わりというお題を取り上げた。その続きということで今回は、普段はなにげなく利用している鉄道の車両や駅施設などに見られる、ちょっとした「歴史」をお題にしてみたい。

新幹線の建設に関わるあれこれ

 鉄道の歴史は鉄道という特定業界に限定される話。とはいえ、これも社会や産業に関わる歴史の一要素ではある。まずはそのなかから、新幹線の建設に関わるものをいくつか紹介する。

 東京駅の、濱口首相暗殺現場の先にある中央乗換改札から東海道新幹線のラチ内コンコースに入り、通路を突き当たりまで進む。すると、18・19番ホームに上がる階段やエスカレーターが左右に分かれている。

 そこの壁面には、左右に並んで設置された発車標の間に「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」という、知っている人は知っているプレートが取り付けられている。

 また、そこから右手の階段を上がってホームを進んだ先、18番・19番ホームの南端には「東京駅新幹線記念碑」がある。設置されたのは、東海道新幹線の開業から9年後の1973年で、東海道新幹線の建設に尽力した第4代国鉄総裁、十河信二氏のレリーフが埋め込まれている。

 東京駅は東海道新幹線の起点だが、16・17番ホームと18・19番ホームの床面には、それを示すレリーフがある。ちなみに14番線は、ちょうど同じ位置に売店があるので床のレリーフは設けられていない。

 このレリーフ、単に「新幹線」と書かれているのだが、東海道新幹線ができた当初は「新幹線=東海道新幹線」だったから、特におかしなことではない。

「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」の設置現場
16・17番線ホームの「新幹線 起点」レリーフ。隣の18・19番線ホームにも同じものがある
そのレリーフのアップ。単なる「新幹線」と書かれているところがミソ
レリーフはあくまで利用者向けで、業務用の距離標(0キロポスト)は線路間に設けられている
16番線から14・15番線ホームを見る。手前の枕木に「0K000M」と書かれているから、ここが起点だと分かるが、14・15番線ホームの対応する位置にはちょうど売店が陣取っているため、このホームには件のレリーフがない。ちなみに、業務用の距離標記はkm単位ではなくメートル単位である

 東北新幹線の方も、20・21番ホームと22・23番ホームの両方で、起点を示すタイルが床面に組み込まれている。混雑していると見づらいが、人が少ないときなら見やすいだろう。

東北新幹線のホームでも、起点を示すタイルが埋め込まれている
そのタイルのアップ。「0km POINT」とある

 このほか、いわゆる整備新幹線では、建設に携わった日本鉄道建設公団、あるいは鉄道建設・運輸施設整備支援機構(JRTT)が設置したプレートが設置されている駅がある。具体例として、長野駅と長崎駅に設置されているものを示す。

これは北陸新幹線長野駅のもの。これをスマートフォンのカメラで撮影したら、なぜか二次元バーコードと勘違いされる珍事が起きたことがある
こちらは西九州新幹線長崎駅のもの。ちょっと分かりにくい場所にあるが、訪れる機会があったら探してみてほしい

 このほか変わったところでは、西九州新幹線長崎駅のホーム端部(海側の行き止まりの部分)に、「日本最西端の新幹線駅」というプレートがある。

駅ホームの柱に古レール

 鉄道は2本の鉄製レールの上を鉄製の車輪で転がる形が基本。車輪の方は使用を重ねて摩耗が進んだらお払い箱になるが、レールの方は摩耗が進んで交換されたあとに、第二のお務めを果たすことがある。

 その古レールの用途のなかでも目立つのが、駅ホームの柱。摩耗するものではないから、いったん設置したら長く使われることが多い。そのため、古いレールが現役で屋根の柱を務めているのをしばしば見かける。

 レールは丈夫な鋼材だから、ときには変わった転用をすることもある。ガーラ湯沢で、コース外の斜面に対して崩落防止のための補強をしたのであろうか、斜面に古レールが林立しているのを見てびっくりしたことがある。

郡山駅のホームで見かけた古レール。製造所の判読は難しいが、「1914」との数字を読み取れるから、1914年製であろうか。ちなみにこれは2017年の撮影だから、103年が経過していた計算になる
もう20年近く前になるが、ガーラ湯沢で撮影。形状といい、端部に開けられた穴(レールの継目で継目板をボルトで固定するために使う)といい、明らかに古レールである

昔の名残を見つける

 新幹線の延伸が進んだり、普通列車の系統分断が進んだりして、幹線でも長距離列車を見かける機会が少なくなった。しかし、ときには過去に運行していた長距離列車の名残を見かけることがある。

 例えば、ホームの番線案内。系統別あるいは方面別になっていることが多いが、方面別だと「○○方面」といって行先の駅名を列挙するのが常。その駅名に、現在では直通する列車がない、遠方の駅名が出てくることがある。かつての長距離列車の名残である。

 駅ホームの乗車位置案内もしかり。頭上に看板を並べる場合には事情が違うが、足元に標記している場合、対象となる列車がなくなっても乗車位置案内だけ残っていることがある。

 こういうのは駅やホームを改築すると消滅してしまうから、古くからある駅舎やホームを使い続けている駅の方が、残置している可能性が高い。

大鰐温泉駅の跨線橋で、2010年10月に撮影。方面の案内にある「大館 秋田」はいいとして、その下にはさらに「金沢 大阪」と続く。かつて、特急「白鳥」「日本海」が青森~大阪間を走っていた名残だ

貴賓室のある駅

 旅客が誰でも利用できる「待合室」なら、多くの駅に設けられている。しかし、「貴賓室」となると話は別。そもそも一般人は利用できないし、そうやたらと存在するものでもない。

 そんな「貴賓室」がある駅の1つが、JR日光線の日光駅。1899年(明治32年)に、当時の大正天皇が御用邸でご静養なさる際の道中で、お休みになられる場所として設置された。

 この那須御用邸の関連で、東北本線(宇都宮線)の黒磯駅にも貴賓室が設けられた。どちらの駅でも通常は「開かずの間」になっているが、何かのイベントとして公開されることがある。

日光駅の貴賓室。「Imperial Suite」という英訳が、その用途を明確に示している

 なお、現存しないが過去に貴賓室があった駅として、川越線の武蔵高萩がある。「そんなところに皇族が出入りされる場面が?」と不思議に思われそうだが、ちゃんと理由がある。

 現在の航空自衛隊入間基地は、かつては日本陸軍の航空士官学校が置かれていた場所。そこでの卒業式に昭和天皇が臨席された関係で、最寄り駅の武蔵高萩に貴賓室が設けられていた。ところが、橋上駅舎化に際して旧駅舎は取り壊されたため、旧駅舎にあった貴賓室も消滅した。