旅レポ
圧巻のビクタービル空港ローパスを4K60fpsで振り返る! JALの777退役フェリーツアーの独自航路を完全レポート
2023年5月24日 00:00
- 2023年5月16日 実施
JALとジャルパックは5月16日、ボーイング 777-200ER型機(登録記号:JA701J)退役機のフェリー(輸送)フライトに乗客を乗せるツアーを催行した。目的地はロサンゼルス。売却する退役機の国際フェリーに搭乗できるツアーは、JAL史上初かつ本邦初の試みとなった。
本ツアーの見どころは「退役する機材の国際フェリーフライトに搭乗できる」「現役の運航乗務員がフライトを実況解説」「ビクタービルをローパス(低空飛行)するオリジナル航路」「退役機材の行き先になっているビクタービルとモハベを訪問」などいくつか挙げられるが、本稿では前例のない航路となった羽田~ロサンゼルス間のフライトを振り返りたい。
同社の日本~ロサンゼルス線は普段、北太平洋を「への字」を描くように飛行する。しかし今回のチャーターフライト(JL8132便)では、通常より南寄りを横断して、西海岸のメンドシノ岬あたりから北米大陸の上空を飛行、企画者に縁のあるナパバレーやサンフランシスコ上空などを経て、退役機の最終的な行き先でもあるビクタービル空港をローパスしてからロサンゼルスへと向かった。
太平洋上をやや南寄りに横断したのは、退役機材のJA701Jがもともと短距離~中距離用の国際線機材として使われていたことから、北極点と地軸を補正するソフトウェアを適用していないため。有事の緊急着陸先として極域に近いアンカレッジ空港などを選択できないので、本フライトのダイバート先にはミッドウェーとホノルルが選ばれていた。
特別ずくめの出発と機内イベント
JL8132便は、その出発から特別ずくめだった。搭乗は沖止め(213番スポット)の機体までバスで移動。ツアー参加者は記念撮影したり、エンジンカウルにメッセージを書き込んだりと、日本での最後の時間を過ごした。
離陸は滑走路をフルスロットルで飛び出すロケットスタート。急角度で上昇、翼を左右に振って(ロックウイング)、日本の地に別れを告げた。乗っていた側からすると、かなりキツめの旋回を始めたかと思ったらすぐ逆に切り返したので、地上からはさぞハデに見えただろうと思っていたが、のちに機長が「あれでも控えめだった。もっと振ってもよかったかも」と話していたのでちょっとびっくり。
機内では、777運航乗務部 副操縦士の会田雄吾氏と山下順平氏が適宜フライトの実況解説を行なったほか、運航管理者の安立里菜氏と大野暉宙氏が、ほぼ利用者と接することのない「運航管理者とは」をテーマにトークショーを実施。普段の仕事の内容や、今回の特別な航路について説明を行なった。
その航路の詳細は、機内のバルクヘッド(仕切り壁)にかつて太平洋ルートで使っていた紙のチャートを貼り出して一部を示しており、さらにギャレーでは会田氏と山下氏の訓練時代の思い出の私物を展示。こうしたユニークな取り組みや機内装飾は、チャーター機ならではの演出になっていた。
翌朝、西海岸上空へ到達。ロサンゼルスへ
機内食のサービスが終わると消灯。一眠りすると西海岸カリフォルニアの上空へ差し掛かっており、現地はすでに昼になっていた(ただし日付は変更線をまたいで再び16日)。
現地時間13時ごろ(日本は17日5時ごろ)にカリフォルニア上空の遊覧飛行を開始。ここから本格的なフライト実況が始まった。各地の管制とのやり取りをほぼリアルタイムで客室に伝えつつ、左右の機窓から見える景色について地勢的な情報はもちろん、訓練時代の思い出や777との関わりを交えて解説するというもので、本ツアーのメインイベントとなっていた部分だ。なお、会田氏と山下氏は777の副操縦士ではあるものの、今回はフライトに携わらない乗員としてコクピットに同乗し、機内アナウンスしていたことをお断わりしておく。
カリフォルニア州メンドシノ岬から陸地に入った機体は、ナパバレーで高度を2万フィート(約6km)まで下げて南東のロサンゼルスへ進路を取った。右の窓からはちょうどサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジが、左の窓からはナパ訓練時代にVFR(有視界飛行方式)で飛行する際の目印となっていたというライヤー島(ウェイポイント:フィッシュテール)が見えるあたり。この日は天気がよく雲も少なめで、サンフランシスコの市街が非常によく見えた。
ところでこの機内アナウンス、話している途中でしばしば中断することがあったのだが、実はこれは管制からの指示を受けていたためで、再開後に「高度を~~で維持するように」「次は~~の周波数で連絡を受けるように」と指示があった旨の解説が入り、想像以上に頻繁なやり取りをしていることに驚かされた。
オークランド上空を過ぎて15分ほど経ったころ、コクピットの木賀孝彦統括機長から「20分後にビクタービルのローパスに向けて低空飛行を始める」とのアナウンスが入った。木賀氏によれば、「お客さまを乗せた便としてはおそらく初めてのビクタービルのローパス」とのことで、本フライトがいかに特別なものかが伝わってくる。
機長のアナウンスから7~8分後、ビクタービルへのローアプローチを改めて管制にリクエストしたことが伝えられた。このとき現地は気温32℃、露点温度-2℃。実況では、ビクタービルがかつてジョージ空軍基地として使われていたこと、当時世界で2番目に長い滑走路(4500m)を有していたことなどが伝えられる。なお、ビクタービルは現在「サザンカリフォルニア・ロジスティックス空港」という名になっており、世界中の航空会社で退役した機材が集まり、次の売却先へ行くまでの一時保管場所などとして利用されている。
ビクタービルへ残り10分といったあたりで高度1万5000フィート(約4.5km)に向けてさらなる降下を開始、その少し先で、かつてANAがパイロットの訓練を行なっていたベーカーズフィールドが姿を現わした。
そこから100kmほど進んだところで、管制とローパスの希望回数についてやり取りとしている、というアナウンスに続いて、「左手に風車とモハベ空港が見える」という。機窓から目を凝らすと、つまようじのような棒状の存在が数百と並んでいるのを確認できた。おそらく現地で見れば相当な大きさがあるはずだが、これは教えてもらわないと気付けないだろう。
1万フィート(約3km)あたりまで高度を下げたところでベルトサインが点灯。モハベとビクタービルの間にある街パームデールを過ぎるころには8000フィート(約2.5km)へ降下を進める。続いて、最終的なローパス進入に向けて、管制官によるレーダー誘導を開始。現地は南の風17ノット(約31km/h)が吹いており、突風を伴う最大27ノット(約50km/h)であるとアナウンスが入る。
このあたりから、下から突き上げるようにガタガタと機体が揺れだし、砂漠の熱い地面から発生した上昇気流によるものであることが実況で分かる。コクピットから13時方向に滑走路が視認できたころ、高度は6000フィート(約1.8km)から4000フィート(約1.2km)へ降下が続く。
その後、周辺のほかの飛行機の影響でいったん空港から離れたものの、最終的な進入に向けて旋回を開始、このとき高度は4300フィート(約1.3km)ほど。ビクタービルの標高が900m程度なので、対地は450m程度になっている。「管制官からはすでに2周目(のローパス)の許可も得ている」といううれしいアナウンスとともに、ギアを下ろしたことが告げられた。
ランディングチェックリストが完了、ビクタービルのランウェイ17へ最終的な進入が始まるとともに、駐機している多数の飛行機について、「主に左の窓から見えるが、2周目に入るタイミングで右の窓からも見える」とアナウンス。
引き続き上昇気流による揺れが続くなか、対地1000フィート(約300m)、対地500フィート(約150m)、とみるみる高度が下がっていく。あくまでローパスであり着陸するわけではないが、その寸前まで降下が続く。そして高度3100フィート(約950m、対地約60m)に到達するころ、左の窓からは駐機している無数の飛行機が目に飛び込んできた。世界各国のエアラインの機体が、ほぼそのままのカラーリングで数え切れないほど並ぶ姿はまさに圧巻。初めて見る異様な景色に圧倒されていると、ローパス半ばでJALの機体も5機ほど見えると教えられる(速くて認識できなかったが)。
あっという間の1周目が終わると急激に機首を上げてゴーアラウンド(進入中断からの再上昇)が始まる。右旋回して高度は4000フィート(約1.2km、対地約320~330m)へ。コクピットではアフターテイクオフのチェックが始まり、2周目のアプローチに向けた準備が進む。予告どおり、右側席の参加者にも空港が見えるように、滑走路と並行したコースを飛行して先ほどの進入路へ戻っていく。そしてここで、2周目のローパスは自動操縦ではなく、木賀機長がマニュアルに切り換えて、手動操縦でアプローチを開始するとアナウンスが入った。
再びギアを下ろし、2周目のローパスを開始。管制から「通過後は真西へ向けて6000フィート(約1.8km)の高度を取るように」と指示が入ったという。
ほぼフルパワーで2回目のゴーアラウンドを行なったあと、機体はロサンゼルス空港へ向けていったん西に向かい、パームデールから南下していく。高度は1万3000フィート(約4km)から1万6000フィート(約5km)、さらに上昇が続く。ロサンゼルス空港周辺の混雑などで予定を45分ほど過ぎたLAX到着となったが、こうしてJAL史上初・前例のないメインイベントは見事に完了した。