旅レポ
ボルネオ島コタキナバルの旅、最終日。民族村や注目のつり橋、川下りでサンセット&ホタル観賞と盛りだくさんでマレーシアのよさを知る
2023年2月23日 08:00
コタキナバルを視察するプレスツアーの最終日は、サバ州の先住民の文化を学べるマリマリ文化村、撮影スポットとして人気が出始めたタンパルリ村のつり橋、サンセットやホタル観賞を楽しめるテンバラ川のリバークルーズを体験してきたので、その模様をお伝えする。それぞれ市内からクルマで30分~1時間ほどで到着可能な観光スポットだ。
ジャングルでサバ州に住む代表的な先住民族の文化を知る
サバ州には古来から住んでいる先住民がおり、その民族数は30を超える。そのなかでも代表的な5つの先住民族の伝統的な生活様式を再現しているのがマリマリ文化村だ。コタキナバル市内からクルマで30分ほど山の方に向かった奥深いジャングルのなかにある。
クルマから外に出ると、カメラのレンズが曇るほどの湿気はさすがに雨季といったところ。それでも曇り空で日差しも弱く、しかも木々に覆われていることから、暑さはそれほど気にならなかった。しかし、蚊は襲ってくるので虫よけスプレーは必携といったところだ。
それと雨季は雨が時折降るので、濡れるのが気になる人はレインコートなどもあるとよいかもしれない。見学者は10~20人くらいのグループに分けられ、それぞれにガイドが付いて英語で案内してくれる。
この日は展示住居に入るまで待ちが出るなど、かなりの盛況で賑わいを見せていた。最初に案内されたのは床上式の長屋を住居にしているルングス族で、サバ州の先住民族のなかでは4番目に多いそうだ。外ではハチミツの試食、住居のなかでは竹を使った火起こしを実演していた。
先住民族のなかでもっとも多いのはドゥスン族で、稲作などの農業を生業としており、伝統的に飲まれていたライスワインの製造工程と試飲をさせてくれた。狩りや釣りで生計を立てていたルンダイ族は木の皮を加工し、衣装などに仕立てている様子を見せてくれた。バジャウ族は2番目に大きいグループで、海岸沿いに住み、漁業と農業を営んでいたそうで、住居のなかがとてもカラフルに彩られていたのが印象的だった。
そして、興味を引かれるというか現代でよかったと思ったのがムルッ族で、最後まで首狩りをしていた民族だ。戦いが始まれば性別関係なくヘッドハンティングの対象とし(子供は除く)、戦果として敵の首級を持ち帰っていたそうだ。さらに結婚する際も勇敢さを認めてもらうために首が必要だったそうで、聞くだけでも身震いする慣習があったと説明してくれた。
そういった民族の特徴からか、同施設でも住居の周囲などでは奇声で驚かされ、なかでは村長の入村の許可(雨が降っていたからか、いつもは外らしい)が必要。許可をもらうとフレンドリーになり、室内にあるグァバの木で作られた木製トランポリンを使ったハイジャンプのデモンストレーションを見せてくれた。これは誰が優れているのか競うもので、村長選びにも活用されたそうだ。
村のなかでは随所に当時の食生活を再現した試食コーナーがあり、養蜂で採取したハチミツ、お米を使ったライスワイン、タマネギやジャガイモを刻んで竹筒に入れて焼いた料理、米粉とココナッツで作ったお菓子など、昔ながらの素朴な味も楽しめた。
村の見学が終わるとステージに移動し、民族舞踊を鑑賞した。それぞれの民族衣装をまとって音楽に合わせて踊り、最後はリズムに合わせて長い竹を打ち付けるなかで踊るバンブーダンスで妙技を披露。駆け足だったがいろいろと盛りだくさんの内容だった。
最近人気上昇中のタンパルリ村のつり橋
次に訪れたのはマリマリ文化村より北にあるタンパルリ村だ。キウル川沿いにあるコンパクトな村だが、こちらにあるつり橋が最近は人気を呼んでいる(Jalan Bontoi, Tamparuli, 89250 Tamparuli, Sabah)。
というのも主塔部分に鮮やかな装飾が施されており、景色とともに写真映えするというのが理由としてある。そして、2つの物語もつり橋を有名にしている。
昔、氾濫を繰り返して橋がすぐに壊れてしまうのは精霊が怒っているせいだとして、美しい少女が人身御供になってその後の橋の倒壊を防いだという話と、身重の女性を助けるために英国人兵士2名が犠牲になってしまったという話だ。それらはつり橋の下にアートウォールとしても描かれている。ちなみにこちらの通行料は無料で、しかも入口ではボランティアのお姉さんが民族衣装で伝統的な楽曲の演奏も披露してくれる。
ローカルフードのタンパルリ麺もオススメ
昼時というのもあったので、ランチはタンパルリ村の中華料理店「Restoran Wun Chiap」(雲集酒家)でいただいた。地元でも人気があるようで、10卓ほどあるテーブルは満席だった。こちらの名物はタンパルリ麺と呼ばれる焼きそばだ。もう少し北にあるトゥアランという町が発祥のトゥアランミーと麺は同じで、具材に違いがあるようだ。
お皿に盛られて出てきたタンパルリ麺は、卵が入っている縮れ麺に、卵焼きやチャーシューのスライスが混ぜてあった。ほどよい塩加減で味付けされており、モチモチの食感と合わせて自分好みであったことから、あっという間に平らげてしまった。ローカルフード侮りがたし。
テンバラ川のリバークルーズでテングザルを探す
ランチ後に向かったのはテンバラ川のリバークルーズ(89150 Tuaran, Sabah)で、南シナ海に沈むサンセットを鑑賞し、その後は川沿いに生息しているホタルを観察できるアクティビティだ。
船は河口に近い川幅の広い地点から出発し、マングローブ林を見ながら海に向かう。道中では、昔から漁業を生業としている人たちが住んでいる水上村を遠目に見たり、実際に漁をしている漁師さんに船上から話しかけたりと、熱帯雨林の大自然とそこに住む人々の様子を知ることができる。
一帯には3種類のマングローブがあり、それぞれが種となる実の大きさが違ったり、咲く花がまったく異なるなど、興味深い話もいろいろと聞くことができた。そして、独特な顔立ちが特徴のテングザルも生息しているということで、船頭さん含めて全員が樹上を血眼になって探してはみたが、残念ながらこの日は会うことはできなかった。
ゆっくりと河口に移動し、南シナ海に沈むサンセットを堪能したあとは日が暮れるのを待ってから、ホタルが生息しているスポットに移動。暗くなって間もないからか、まだホタルの動きは活発ではないが、スタッフが緑色っぽい光を放つライトを木々に照らすと、つられてポワポワと光り出すホタルたち。
日本のホタルと違うのは、明滅の速度が早いことだ。1秒ほどの間隔で光る姿はにぎやかで、その様相はこちらでは“クリスマスツリー”とも呼ばれている。時期も特に関係なく一年中見ることができるが、気を付けたいのは蚊の襲撃。虫よけスプレーや羽織るものなどで対策をしていないと、あっという間に取り囲まれてうれしくない歓迎を受けることになる。
コタキナバル市内でスープバクテーとドライバクテーを味わう
最後にこの日の夕食にいただいたバクテーを紹介しよう。バクテー(肉骨茶)はマレーシアの古都であるクラン発祥の肉料理。イギリスの植民地時代に中国から渡ってきた港湾労働者のために、安く手に入る骨付き豚肉や内臓肉を漢方で使われる生薬をスープに加えて煮込んだものを提供したのが始まりと言われている。
今回訪れたのはコタキナバル市内に2020年8月にオープンした「Kee Hiong Kota Kinabalu」(奇香肉骨茶)で、他店ではあまりお目にかかれない、煮詰めたようなドライバクテーもあるお店だ。筆者はバクテーを初めて食べたのだが、スープの方は意外にもそれほどクセもなく、生薬とスパイスの配合が絶妙なのかお肉もスープもなかなかの美味。ご飯と一緒に出された揚げパンをスープに浸して食べるといい感じだった。店や地域によっては、もっとコショウが効いたパンチのあるテイストもあるそうだ。
もう一方のドライバクテーは、ピリ辛仕立てのお醤油を感じられるテイスト。見た目よりは味もそれほど濃くなく、ご飯と一緒に食べると幸福感で満たされた。どちらかというとこちらが好みで、日本でも食べられないか、帰国してからいろいろと検索してしまった。マレーシアフード、クセになりそうでおそるべし。
短時間だがコタキナバルを楽しめた3日間
帰りはコタキナバルを0時50分に出発するマレーシア航空のMH80便で、成田に7時20分に到着するスケジュール。深夜便なので、帰国最終日も夜まで存分に観光を楽しめるのがメリットだ。機内では離陸して約1時間後に食事が提供されるので、5時間30分のフライトのうちその日の状況によるが4時間程度は眠ることが可能だ(筆者は2時間ほど眠ることができた)。体力に自信があれば、そのまま仕事に出向けるかもしれない。
マレーシアは今回初めての訪問だったが、自然が多く、東南アジアのなかでも特に文化が上手に融合した国であると感じた。街中ではムスリムの人も多く見かけるし、モスクもある。その一方で、中華系のお店ではお酒が飲めるし、イギリス統治の名残で車線は左側通行であるなど、日本人にとっても過ごしやすい国であることは間違いない。
そして何と言っても、お財布に優しいのは特筆できる点だ。ホテルを検索しても高級ホテルが驚くような料金だし、街中の食堂もとてもリーズナブル。ジャングルの街と勝手に想像していたコタキナバル市内は都会で便利で過ごしやすかったので、気軽にブラブラと市内観光も楽しめそうだ。機会があればキナバル山周辺も訪れてみたい。