ニュース
地下鉄が来た! でも「街の端っこ」? 北大阪急行・箕面延伸が「ふたつの箕面」にもたらしたもの
2025年4月28日 16:00
箕面に地下鉄がやってきた!「延伸効果」のほどは?
大阪メトロ 御堂筋線の列車が乗り入れる「北大阪急行電鉄・南北線」が、千里中央駅~箕面萱野駅間を延伸開業してから2年が経った。
新しい終点・箕面萱野駅からは、梅田まで25分、なんば(難波)まで34分で到達する。大阪市の中心部までだいたい30~40分ということは、首都圏でいえば「鉄道がなかったエリアが、いきなり浦安(東西線)、荻窪(中央線)、高島平(三田線)あたりと同様の対都心部へのアクセスを手に入れる」ようなものだ。
箕面市にはもともと阪急電鉄・箕面線も到達していたが、御堂筋線に直通する今回の延伸が、地域に与えるインパクトは桁違いだ。開業後には沿線の公示地価が伸び率トップ(8%以上、箕面市今宮)を記録、新駅2駅(箕面萱野駅・箕面船場阪大前駅)の周辺でマンションなどの建設が相次いだ結果、長らく13万人台で停滞していた箕面市の人口は一気に14万人を突破したという。
2024年12月の箕面萱野駅の乗降客数で見ると、1日平均で約1.9万人、週末は1.8万。開業前の予測(2.8万人)にはおよばないものの、箕面船場阪大前駅の近くに2028年度めどで「箕面市立病院」開業が見込まれており、沿線の成長はまだまだ続きそうだ。
しかし、このエリアが箕面の市街地として扱いを受けることに、違和感を持つ方もいるかもしれない。もともとの「箕面村」(1889年~1948年)、「箕面町」(~1956年)「箕面市」の中心部は、箕面萱野駅から2kmほど西側にある。新駅があるエリアはあくまで「箕面市萱野」であり、市域でいえば「東側の端っこ」なのだ。
なぜ、市の中心部ではなく“端っこ”に北大阪急行が延伸開業したのか。そして延伸は、箕面萱野だけでなく、本来の市街地である阪急・箕面駅エリアにどう影響をもたらすのか。
「新しい箕面」街の魅力とは?
箕面船場阪大前駅、箕面萱野駅の2駅が設置された「新しい箕面」の魅力は、何と言っても「開発の余地があった」ことだろう。
萱野地区は人口こそ2000人台で頭打ちが続いていたものの、2003年に開業した複合商業施設がファミリー層に安定した人気がありを、平日約1.5~2万人、休日約3~4万人が訪れているという。
また箕面萱野駅前にバスターミナルを設け、路線を集約することもできた。旧来の千里中央駅バスターミナルは設備の老朽化、発着の容量で問題が生じており、何よりもラッシュ時に1時間20~30本の運転があった千里中央駅~箕面萱野間のバスがほぼすべて必要なくなり、少なくなったバスを渋滞にかからず運行させるターミナルが必要とされていた。箕面萱野は「キューズモールに買い物+くつろげる」「バス乗り継ぎができる」空間として、開発が進んでいなかった土地を十二分に取得したうえで整備されたのだ。
このほか箕面船場阪大前は、2021年に「大阪大学箕面キャンパス」が移転。近隣には「ブリリアタワー箕面船場」「レ・ジェイド箕面船場」「シエリア箕面船場」など、価格が億を超えるような分譲マンションの建設が相次いだうえに、先に述べたように市立病院もまもなく移転してくる。
この区画はもとも高度成長期に大阪市内・船場から越してきた繊維問屋も多く、建物の老朽化も激しかった。このエリアが「大学・研究施設の街」「タワマン街・住宅街」として、しっかり面積を取ったうえで変貌を遂げている。
一方で、もともとの箕面であった阪急電鉄・箕面駅エリアは、「人流の減少」と「街としての老朽化」に悩まされている。
この地域は江戸時代からの観光名所「箕面大滝」を中心に、観光地への玄関口として発展してきた。1910年(明治43年)に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が開業した当時は会社を背負う看板路線であり(同時開業した宝塚は、この時期まだ寒村だった)、駅前には遊園地、動物園、観光馬車のターミナルなどが、次々と設けられていった。
第二次世界大戦の敗戦後もしばらく勢いは続き、箕面駅・箕面市役所を中心に「ダイエー箕面店」「みのおサンプラザ」などの商業施設や商店街がにぎわいを見せていた。しかし南側に国道171号線が抜けてからクルマ社会の流れに取り残され、大正時代から別荘地として分譲が進められてきた住宅街は高齢化。山あいに宅地が密集していたことから、再開発もままならなかった。
加えて、府内有数の観光地であった「箕面大滝」「箕面公園」も、来訪者が年間300万人から半減。箕面市は幹線道路「新御堂筋」の終点である萱野、南側の船場を街の“副都心”的な存在に据えるべく、アクセスを担う鉄道の誘致に動いていた……が、「万博アクセス路線」としての大義名分から北大阪急行 江坂駅~千里中央駅間を実現できた豊中市・吹田市と違い、箕面市に地下鉄が引き込まれるだけの理由はなく、市の東側に鉄道がない状態が続いた。
こうして箕面市は、東側が「そのうち北急が伸びてくる“かもしれない”街」として路線バスが頻繁に行き交い、東側は「市役所・箕面駅・昔ながらの観光地がある街」のまま、時間が過ぎていった。このまま箕面萱野に鉄道が延伸されなければ、「ふたつの箕面」状態となるほど、市の東側が発展することもなかったのだろう。
地下鉄にポンと資金投入。箕面の財源は「競艇の主催」
北大阪急行 箕面萱野駅延伸前の試算では、「新駅2駅ともに人口が4500人増加」「人口増・雇用増で3227億円の経済波及効果」という、なかなか過大な皮算用が立てられていた(箕面市議会・令和5年6月22日定例会答弁)。しかし、延伸費用は874億円(箕面市の拠出額+国の補助、北大阪急行の負担額などを含む)と見積もられており、普通なら人口10万人台の箕面市が「地下鉄がほしいです!」とは言い出せない。
しかし箕面市は、創始者の縁から競艇との関係が深く、今でも住之江競艇の単独開催によって「60年間で1600億円」という莫大な収益金を得ている。おかげで箕面市は「財政力指数」が0.96(数値が1に近いか、高いほどよい)とかなりよい方で、箕面市の負担(費用282億円)を、「北急貯金」と呼ばれる積み立てからポンと出せるような財政状況だった。だからこそ、国や府の補助を引き出し、北大阪急行の延伸を実現できたのだ。
なお箕面市は子育てでも「箕面市子どもプラン」(赤ちゃんの定期健診の助成、小学校低学年からの英語教育やICT教育の導入など)を掲げ、他都市が羨むような予算をかけて一貫して「大阪市のベッドタウンとしてファミリー誘致」施策を打っている。
通勤を容易にする「北大阪急行の延伸」が実現した今、「萱野」「船場」の開発と、古びたあたりの住宅街の再開発で、市の東側エリアをどこまで「箕面市の成長エンジン」にできるかが注目される。
にぎわいを生んだ店も閉店。箕面市の課題「昔ながらの市街地、どうする?」
しかし、ここで箕面市にのしかかる課題は、市の西側(旧市街地)の再開発だ。このエリアににぎわいを生んでいた「ダイエー箕面店」は2001年に閉店、跡地はマンションとなり、ダイエーの一角にあった「ミスタードーナツ」創業店が1階に入居、ミスドとは思えない多客ぶり……。だがダイエー時代の集客にはおよばない。
また、駅前の「みのおサンプラザ」も老朽化・設備の陳腐化などで空きテナントが目立つようになり、東京建物・阪急阪神不動産などに協力を仰いだうえで、分譲型マンションと一体化した建て替えを行なっている。かつての商業エリアは、宅地の様相が強くなりつつあると言っていいだろう。
先に述べたとおり、箕面公園の来訪者数は年間300万人から半減し、「一大観光地」「遠足の定番」といった印象も薄れつつある。また2025年3月には「箕面温泉スパーガーデン」が改修で長期閉鎖に入ってしまい、箕面への来訪客はさらに減少しそうだ。
2022年には玄関口・箕面駅から梅田に直通する列車も消滅し、いまや阪急ではなく「箕面萱野駅のバス→北急・御堂筋線」といった通勤ルートを取る人もいるという。箕面市の40年がかりの悲願であった鉄道延伸が実現した今、北大阪急行を擁する東側(箕面萱野・船場)と、阪急・箕面駅を中心とした西側は、もはや「双璧をなす中心街」とも言えなくなってきているのかもしれない。
ただ、昔ながらの商店街や土産物屋・純喫茶などが残る「昔ながらの箕面」は、ぶらっと巡るには最適だ。箕面萱野駅からバスで箕面駅に移動、街をまわって、土産物屋で「もみじの天ぷら」を買って食べながら大滝へ歩く。帰りはキューズモールでお買い物……。ふたつの街をまわれば、箕面の街の魅力ももっと感じられるはず。ぜひともお勧めしたい。