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多摩川スカイブリッジ開通式。羽田と川崎を徒歩10分で結ぶ新しい橋。福田市長「次の100年の産業を生み出すインフラ」
2022年3月14日 05:00
- 2022年3月12日 開通
羽田空港と川崎臨海部(キングスカイフロント)をつなぐ「多摩川スカイブリッジ」が、3月12日15時に開通した。2017年に都市計画事業として認可を取得してから、5年を待たずしての完成となった。
開通に先立って行なわれた開通式はコロナ禍のため規模を縮小、招待者を20名ほどに絞っての実施となった。
主催者として登壇した川崎市長の福田紀彦氏は「平成29年に工事が着工いたしまして、台風の影響がありましたが、わずか4年半と過去まれに見るスピード感で橋が架かるという大事業ができました」と振り返りつつ、周辺住民や関係者に「感謝、感謝しかありません」と順調に工事を進めることができたことに謝辞を述べた。
開通による効果に関しては、川崎市がオープンイノベーション拠点として位置づける川崎市殿町地区「キングスカイフロント」と、日本における空の玄関口となる「羽田グローバルウイングス」の2拠点をつなぐことから、「日本の景気を牽引する、そういったエリアをつなぐ橋になると思っております」と期待を寄せた。
今後については「川崎の今、未来をつなぐ、そんなような橋になることを心から祈っていますし、そのためのエリアマネジメントを含めていろんな関係者と協力していきたい」と、周辺エリアの発展に注力していく考えを示した。
続いて登壇した神奈川県知事の黒岩祐治氏は、知事になって最初の仕事が「特区を獲りに行くこと」だった(神奈川県、横浜市、川崎市による「京浜臨海部ライフイノベーション国際戦略総合特区」)と前置き。
平成23年12月に指定区域となった殿町地区(キングスカイフロント)に橋を架けることで、「(羽田)空港から歩いて10分のところに世界最先端のヘルスケアの拠点を作る」ことを目指して企業を誘致してきたとコメント。あわせて本来は県としては支出する必要のない工費の一部(川崎市分の3分の1相当)を特例で負担。県と川崎市が一体となることで大きな力を持つという成功事例だとアピールした。
川崎市議会議長の橋本勝氏は「多くの方にスカイブリッジを利用していただいて、スポットとして楽しんでいただきたい」とコメント。また、交通渋滞や観光客の集中などを懸念しつつも東京、川崎、神奈川県の発展に結び付くように市議会としても協力していきたいと述べた。
来賓のあいさつに続いて川崎市建設緑政局長の磯田博和氏が事業概要を説明した。
橋の特徴として「多摩川の景観と調和し貴重な河口干潟など自然環境に配慮した橋面上に構造物のないフラットな桁だしを採用」「複合ラーメン構造を採用することで国内最大の中央支間長240mを有しながらも桁高7mに抑えスレンダーな橋梁美を実現」と説明。
また、架橋工事にあたっては「送出し架設」「トラベラクレーン架設」などの工法を選択することにより多摩川河口干潟の生態系保持空間への影響を抑えたほか、完成後も川面へ照明が漏れることによる影響を抑えるため照明を欄干部に内蔵するといった工夫を紹介した。
式典後は多摩川スカイブリッジに移動しテープカットおよび渡り初めを実施したほか、橋梁名称受賞者への記念品贈呈が行なわれた。
なお、式典後には囲み取材も行なわれた。
――開通と橋に掛ける期待を教えてください。
福田市長:ようやく完成することができました。着工してから4年半、構想からはじめると8年というきわめて短い時間で完成することができたので、本当に関係者の皆さまに感謝しています。キングスカイフロント、世界最先端のライフサイエンスをはじめとする産業を集積しているエリアと、羽田空港が1つの橋でつながる意義はものすごく大きいと思います。これからますます日本をリードする産業エリアとしてこの橋が果たす役割に大きく期待したいと思います。
――羽田とつながることについて。
福田市長:キングスカイフロントと羽田グローバルウイングスの二拠点が有機的につながる連携強化のカタチができましたので、橋でふたつの拠点が一体のエリアとなる意義は大きいと思いますし、これからオープンイノベーションが次々と生まれてくることを期待したいと思っています。
――干潟の多様性を守って建設したことについて。
福田市長:国際空港の目の前が生態系の保護空間エリアとなっていること自体が貴重なところだと思います。そういった意味では環境に優しいというより正しい作り方をできたと思います。これが世界のスタンダードになっていけばと思っています。
――まもなく市制100周年を迎えます。
福田市長:2年後に川崎市は市制100周年を迎えます。(多摩川スカイブリッジは)次の100年の川崎の未来を結び付けるような位置づけになるのではないかと思っています。川崎の臨海部はこの100年で大きく生まれ変わりましたが、これからの100年の新しい産業を川崎から生み出していく、非常に重要なインフラができたと思っています。