大島汽船 大島 浦の浜港発の最終便を見送る大島の人たち。「気仙沼大島大橋」の開通により、気仙沼~大島定期航路100年の歴史に終止符が打たれた 大島汽船は4月7日、宮城県気仙沼と大島を結ぶ「気仙沼大島大橋」の開通に伴い、同様に気仙沼と大島を結ぶ定期航路の運航を終了した。この航路には100年の歴史があり、大島汽船は文字どおり島民の足として日々運航を続けてきた。
とくに東日本大震災時は大島汽船のすべての船舶が被災。大島に打ち上げられたフェリーもありながら、そこから島民の足として復活し、1日片道20便、往復で40便の定期運航を続けてきた。大島 浦の浜港発の最終便は18時20分発、折り返しで気仙沼 エースポート発の最終便は19時00分発。大島 浦の浜港に打ち上げられ、その後修理されて定期航路に復活した「フェリー亀山」がいずれの最終便にも用いられた。
大島汽船、定期航路100年の歴史に終止符。大島 浦の浜港発 最終便 大島汽船、気仙沼~大島 定期航路
大島汽船 気仙沼~大島 定期航路は、約25分で気仙沼 エースポートと大島 浦の浜港を結ぶ航路で、現在はフェリーのみが運航されている。始発は大島 浦の浜港6時00分で、18時20分(気仙沼 エースポート 19時00分)までが通常便で片道16便。そのほか、大島 浦の浜港発19時00分からの夜間交通船があり、最終便が大島 浦の浜港発22時00分、気仙沼 エースポート発22時30分で片道4便運航されている。
最終日となった4月7日は、通常運航のみが行なわれた。
気仙沼 エースポートから大島 浦の浜港へ向かう定期便。最終日とあって、記念写真を撮る人を朝から見かけた 定期便がなくなるのをさびしく思うのはうみねこも同じかも。船からご飯を挙げる人が多く、船の周りにはうみねこが多く集まってくる 大島 浦の浜港へ向かう定期便から見た「気仙沼大島大橋」 4月7日15時の開通を待つ気仙沼大島大橋。今後はこの橋が島民の足となっていく 夕暮れの気仙沼を大島から見る。あと1時間ほどで大島発の便の最終運航となる 18時20分発の最終便となるフェリーが大島 浦の浜港に入ってきた。最終便に選ばれたのは、震災時に大島に打ち上げられ被災から復活した「フェリー亀山」だった 100年間の定期航路運航に感謝を伝える大島の人たち 記者も18時20分の船に乗ろうと港へ向かったが、多くの人が別れを惜しみ、集まっていた 大島の人たちは、多くの場所から大島汽船の最終便に別れを告げ、大島汽船のスタッフもそれに応えた 気仙沼へ向かう最終便から見た気仙沼大島大橋。供用開始前と異なり、クルマが走っている 大島へ向かう便とすれ違う。大島汽船同士の最終すれ違い。汽笛を何度も鳴らし合っていた 気仙沼で降りるクルマの乗客もスタッフに別れを告げ、降船準備をするスタッフもそれに応える フェリー亀山は気仙沼 エースポートに到着。すべての乗客を降ろし、折り返し大島行きの最終便、定期航路としての最後の運航に就く 大島の自宅へ向かうのだろうか。大島汽船のスタッフにあいさつしながら乗船した親子 大島汽船、定期航路100年の歴史に終止符。気仙沼 エースポート発 最終便での白幡社長あいさつ 気仙沼 エースポート19時00分発の定期航路最終便となったフェリー亀山は、大島 浦の浜港に向かって旅立っていった 大島汽船における気仙沼~大島の定期運航は終わりを告げたが、遊覧船事業は続けていく。また、白幡社長あいさつにあるように、最終便となったフェリー亀山は、生まれ故郷の広島で活躍していくとのことだ。