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「気仙沼大島大橋」開通を、衆議院議員 小野寺五典氏に聞く

2019年4月7日15時 開通

「気仙沼大島大橋」開通式典に木遣り姿で登場した地元選出の衆議院議員 小野寺五典氏(左)

 宮城県気仙沼市と、東北地方の有人離島としては最大の大島を結ぶ「気仙沼大島大橋」が4月7日15時に開通した。

 大島は2011年の東日本大震災時に気仙沼地区が被災したことから交通手段がなくなり孤立。大島自身も被災したうえ、電気、ガス、水道とすべてのインフラが停止し、長時間にわたって住民が厳しい生活に追い込まれた。そのため、島と本州を結ぶ交通手段が強く望まれ、以前から計画のあった気仙沼大島大橋が復興のシンボルと位置づけられ、平成最後の年に開通することとなった。

4月7日15時に開通した「気仙沼大島大橋」。右が大島側

 開通式の模様は関連記事でお届けしたが、その際に地元選出の衆議院議員である小野寺五典氏が述べたコメントをお伝えする。小野寺議員は地元の木遣り会のメンバーの一員として開通式前のイベントに出席したほか、その後、素早く着替えて祝辞を述べた。木遣り会のイベントの際に待ち時間があり、その際に話を聞くことができたものだ。

「気仙沼大島大橋」開通式 木遣り
いつものように気仙沼木遣会として参加
数分後に着替えて祝辞に登壇
気仙沼大島大橋開通に尽力した首長、議員らとテープカット

 気仙沼大島大橋は小野寺議員をはじめとした地域の首長や議員が働きかけることによって開通した橋になる。大島の住民の多くは、朝はフェリーで対岸の気仙沼地区に働きに出かけ、夕方にフェリーで島に帰ってくるという生活をしている。そのため、海がしけると島に帰ることができなくなるほか、島で急病人が発生しても対応が難しい状態になる。実際、東日本大震災は15時前に発生したため、本州側に働きに行っていた家族と安否確認の連絡が取れなくなった人が多く、その強い思いも橋の開通の後押しになっている。

 小野寺議員は、開通については素直にうれしいといい、島の人の思いを代弁。とくに橋の開通によって「24時間いつでも大島と気仙沼を行き来できるのがありがたい」という。島の観光については、「美味しいお店もあり、クルマで来ても、これからは代行を呼んで帰ることができる」と語る。地元にさまざまな可能性が生まれたのが本当にうれしそうだった。

メンバーと語らう小野寺議員

 大島は「緑の真珠」と歌われたほど風光明媚な島だが、交通手段が船のみだったため、島内は多くの来島者を予測してはいない。また、かつては5000人以上あった島内人口も、近年は約2400人と半減。日本全体も人口減少の流れにあるが、それ以上の人口減となっている。橋の開通がどのような効果をもたらすかは分からないが、美しい自然や恵まれたビーチに本州側の人もいつでもアクセスできるのはありがたいこと。今後数年で、三陸沿岸道路の全通や大島IC(インターチェンジ)の開通も控えている。大島はいろいろな形で注目される場所になっていくだろう。

大島島民の足として活躍した大島汽船のフェリーを大島側から望む。4月7日で定期運航を終えた